第5話 俺を産んだ女
帰りやがったよ、あの人。呪いも解かないでさ。
帰るにしたって、透明先輩を連れてってくれよ。まだ俺の股間揉んでるんだけど。
「先輩、透明だからってそういうのよくないですよ」
そりゃね? 男として嬉しいといえば嬉しいんだけど、顔さえ知らないんだぜ?
ここで下手に興奮するとさ、先輩の顔を知った時に後悔するかもしれないじゃん。
あんまり考えたくないけど、『性的搾取を許すな!』とか『日本は男尊女卑だ!』とか、そういうの喚いている人達みたいな顔だったら、俺はショック死する。
そもそも、イジメっ子なんだろ? この人。
イジメするような人が美人だとも思えんし……。
「あの、俺もう帰りますんで、離れてもらえます? 着いてこないでくださいよ?」
周りから見ると一人でブツブツ喋ってるヤツに見えるだろうし、これ以上会話したくないんだよ。世界で唯一、この人の通訳できる人も帰ったし。
「助けてくれたことについては感謝します。また明日」
……着いてきてないよな? 足音すら聞こえんから、わからんけど。
さてと、破れた服をどう言い訳しようかな。母親のヤツ怒るぞぉ。
「坂本君!」
何奴っ。
「えっと、委員長? どったの?」
誰かと思えば学級委員長か。俺なんかになんの用だろ。
「貴方こそどうしたのよ? ボロボロじゃない」
「まあ色々あってな。じゃあ俺帰るから……」
この人堅物だからな、あんまり関わりたくないんだわ。
皮肉にも、この人のおかげで提出物の期限を守るようになったわ。
「その色々を聞いているのよ。とりあえず保健室に行くわよ」
事情聴取も兼ねて、手当のために俺を保健室まで引っ張ろうとする委員長。
出たよ、お節介ムーブ。ウチの母さんより、よっぽど口うるさいし面倒見がいい。
誰だったか、クラスの男子が『
世話焼きって意味じゃバブバブママっぽいけど、母性とは違うくね? ポニテで眼鏡とか、典型的なガチガチ堅物石頭委員長じゃん。
「委員長? 保健室に連れてってくれるのはいいんだけどさ」
「何よ? おトイレ行きたいの?」
どういう思考回路でそう思ったのか知らんけど、全然違うよ。
「別に手を繋がなくてもよくない?」
腕を引っ張るのもあれだけど、手を繋ぐって距離感おかしくない?
オタク差別をしないところは好感持てるけど。
「おててを繋がないと迷子になるかもしれないでしょ」
おててってアンタ……。
二年生なんだが、迷子になるほど頼りなく見えるの? 転校生と勘違いされてる?
「俺なんかと手を繋いで、その……嫌じゃないのか?」
「なんでよ?」
なんでって、なんでよ。
男女って、そんなに気安く触れ合うもんじゃないだろ?
俺が遅れてんのか? 古い人間なのか? オジタリアンなのか?
「とにかく、自分で歩けるから。逃げもしないし、手を繋ぐ必要なんか……」
「目を離した隙にそんな大怪我したのに?」
それを言われると弱いな。まさか植え込みに突っ込んだなんて……ん?
「はは、なんだそれ。目を離した隙にって、常時見るのが義務みたいな言い方して」
「義務よ? 私の落ち度よ、ごめんなさい」
おいおい、学級委員長の業務、幅広すぎだろ。全生徒見なきゃいけないのか?
保育士じゃねえんだからさ。
「ま、繋いでくれるってんなら、頼むわ。ケガの功名、役得ってことで」
「ふふ、甘えん坊ね」
……? 誰だコイツ?
石清水でいいんだよな?
そっくりさんとかじゃないよな?
俺の知ってる委員長って、もっとこう……鉄の女感があるというか。
「さ、着いたわよ」
「……いないな、先生」
「あの人、基本職員室にいるわよ。保健室だと駄弁る相手がいないから」
職場をなんだと思ってんだよ。人手が足りてる会社の三流OLかよ。
「さ、服を脱がせるから、ばんざいして」
「え? 委員長が手当してくれんの?」
よく知らんけど、それっていいのか?
資格とかいらんの?
「赤チン塗ってあげるぐらいしかできないけどね。あっ、赤チンって別に卑猥な意味じゃなくてね」
言われなくても知ってるよ。卑猥な言葉だと思ったことがないよ。
「貴方、熊ノ郷さんと仲がいいみたいだけど……」
「ん? 熊ノ郷がどうしたって?」
「……赤チンになってないわよね?」
……?
俺が無知なのか? 今のジョークが全く伝わらなかったんだけど。
「とりあえず手当頼むわ……つっても、上は学ランのおかげで傷ないと思うけど」
服に守られてない手を差し出す。
あーあ、こうして見ると、手の甲が傷だらけだな。
「……どこでケガしたの?」
「……中庭に植え込みがあるだろ? あそこに突っ込んじゃった。先生には内緒ね」
「喧嘩じゃないわよね?」
俺の体格を見ろ。喧嘩できる体してねえだろ。
ついでに言うと、喧嘩できる性格でもない。
「明らかに枝とかで切った傷だろ?」
「まあ、そうね……」
いてて、赤チンが沁みる。
多分足も結構切れてるな。ズボン一枚だし。
「それに喧嘩なんて、小学生以来したことねえって」
まあ、小学生の頃もそこまで喧嘩するタイプじゃなかったけど。
今よりも、周りと身長差があったし……いでっ!?
「な、なんでビンタした?」
「嘘をついたからよ」
え? 冤罪なんですけど……。
「嘘なんかついてねえよ。枝で切った傷って、委員長も認めただろ」
「不良たちが『坂本にやられた』って言ってたわよ」
不良? ああ、あの三バカか。顔も覚えてないけど。
そうか、透明先輩の暴力って、俺がやったことになってんのか。
「『坂本に金玉をやられた』とかほざいてたわよ」
「ほざくってアンタ……」
「とりあえずビンタしといたけど」
「えー!?」
なんで? なんで死体蹴りしたの? トドメ刺さんでも……。
「だってセクハラよ? 女の子との会話で金玉とか、最低よ」
「いや、今普通に言ってますやん、貴女」
「貴方相手だからいいのよ。普段は同性や家族相手でも絶対、口にしないわよ」
……?
俺と委員長って、提出物渡す時ぐらいしか会話しなくない? いや、その時でさえろくに会話しないし。
「さ、ズボンを脱ぎ脱ぎして」
脱ぎ脱ぎ?
「それはさすがに……」
「全く、いつまで経っても甘えん坊なんだから」
意味のわからないことを言いながら、俺のベルトに手をかける委員長。
「委員長?」
「ほら、脱がせるから立ち上がって」
「いや、まずいって……」
「お仕置きするわよ?」
……あのさ、これさ、もしかしなくても呪いの影響?
なんともない女子のほうが多いし、委員長もお経を唱えないから正常だと思ったんだけど、さっきから明らかにおかしいんだよ。
『迷子になる』とか『おてて』とか『脱ぎ脱ぎ』とか、明らかに子供扱いされてるような気が……。
下ネタとか絶対に言わん性格なのに、さっき平気で玉とか言ってたし。
「はい、良い子ね」
呪いの可能性を考慮して大人しく従う俺。
正直恥ずかしいよ? 委員長と二人っきりで、ズボン脱がされてさ。
いてて、赤チンいてぇなホント。
「はい、良く我慢できまちたねぇ」
「あのさ、なんか今日は、喋り方がやけにおかしいというか」
「さぁ、お話しましょうねぇ」
あっ……この空気感……お経飛んできそう……。
しかも鍵閉めてるし。怖いんだけど。チビりそうなんだけど。
「なんで喧嘩してないって、ママに嘘ついたんでちゅかぁ? 小五郎ちゃんは悪い子でちゅねぇ。男の子だから喧嘩ぐらいするでしょうけど、タマタマは狙っちゃダメでちゅよぉ。でも怖いお兄ちゃん達相手によく頑張りまちたねぇ。小五郎ちゃんカッコいいでちゅよぉ」
怖い、めっちゃ怖い。
鉄の女が、ニコニコしながら赤ちゃん言葉で説教してくる。
ああ、ナデナデしないで。化け物のペットになった人間の気分だよ。
「小五郎ちゃんもタマタマ叩かれたら痛いでちゅよねぇ? ダメでちゅよぉ。ああいう時はママを呼びましょうねぇ。ママが委員長としての評価を盾に、悪い子達が男に生まれたことを後悔させてあげまちゅからねぇ」
その口調で恐ろしいことを口走らないでくれ。
ヤンキーの荒々しい言葉より、よっぽど怖いわ。
「あの、でちゅね口調やめてもろて」
「んー? ハッキリお願いできて偉いですねぇ。よーしよしよしよし」
ハゲそうな勢いで撫でてくるんだが、俺はどうすればいい?
顔を胸に押し付けられた状態で撫でてもらうって、男としては幸せよ? その一文だけなら。
赤ちゃんプレイだぜ? 堅物の委員長が突然、俺を赤ちゃん扱いしてくるんだぜ?
「傷もすぐに手当しなきゃダメですよぉ? バイキン入って痛い痛いになっちゃいますからねぇ。ママに心配かけちゃ、メッ! ですからねぇ」
「赤ちゃん言葉もやめてもろて……あと、ママを自称するのもちょっと……」
「……」
え? 地雷? 俺、地雷踏んだ?
でちゅね口調やめろっての聞いてくれたから、他の奴らより話通じると判断したんだが、早計だったか?
「私の可愛い小五郎ちゃんは、そんな冷たいこと言わないのよ。わかってるわ。小五郎ちゃんは、ママに意地悪したくなっただけよね? でもね、何事も限度ってものがあるのよ。ママじゃないって言われたママの気持ちわかる? 私はね、たしかにあるのよ。小五郎ちゃんを産んだ記憶があるの。お腹を痛めて産んだ我が子に、そんな冷たいこと言われたママの気持ちがわかる? ママはね、小五郎ちゃんのやり方を否定する気はないの。喧嘩だって、注意はするけど、それ以上のことはしない。卑怯って言ったけど、ケガをしてる子供に三人係で襲い掛かるアイツらが悪いの。ただ、小五郎ちゃんが悪者にされるのが怖かっただけなの。悪いのはママなのに。小五郎ちゃんから目を離したママが悪いのに、小五郎ちゃんが先生達に怒られるなんて我慢ならないの。だから気を付けてね? ママはいつだって小五郎ちゃんの味方だから」
俺は生まれて初めて、恐怖で心の底から震えあがった。
絶望と挫折感に涙さえ流した。これもまた、初めてのことだ。
何言ってんの?
俺を産んだ覚えがあるって言ったの? 聞き間違いであってほしいんだけど。
「泣いてるの? そうよね、怖かったわよね」
うん、怖かった。
多分、いや、絶対に解釈違い起きてると思うけど、怖かった。アンタが。
「おしゃぶりしましょうねぇ」
「まて、なんで脱ごうとしてるんだ」
「ごめんね、ママとしたことが、おしゃぶり持ってないの。だから本物を」
「誰か! 誰か大人の人!」
気付いた時には扉に向かって走り出していた。
「コラ!」
扉の開錠に手こずってる間に捕まりました。
私は無力です。ママは強しです。ムロもツヨシです。
「走っちゃ危ないでしょ! ママに心配かけないで!」
何よりもお前が危ないよ。転ぶよりも、お前に捕まるほうがよっぽど危ないよ。
誰か助けてくれ、このままじゃ委員長の乳をしゃぶるハメになる。いや、しゃぶりたいけど、一度愛を受け入れたら引き返せなくなってしまう。
「ま、ママ!」
「ママ? ママって呼んでくれたの?」
泣かないで。泣きたいの俺だから。
とりあえずハンカチを差し出す。俺を産んだと思い込んでるヤバい女だけど、女に変わりはないし。
「おハンカチ持ち歩いてるの? 偉いわねぇ」
やめろ、頬ずりをやめろ。
あっ……柔らかい……息子になっちゃう……。
後天性息子になっちゃう。
「さぁ、ご褒美のおっぱ……」
「ママ! おしっこしたい!」
「あらあらあら! ちゃんと言えて偉いわねぇ。さぁ、おてて繋ぎましょうか」
「うん!」
よし、事なきを得た。
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