第4話 放任の呪い

 放課後になって、ようやく腹が落ち着いてきた。

 二人分の弁当を食べたせいで、午後の授業は吐き気を堪えるのに必死だった。

 女の子二人の手作り弁当のせいで苦しむなんて、贅沢すぎる悩みだよな。誰か代わってやろうか? なあ?


「坂本、アタシと帰るべ」

「……家の方向一緒だっけ?」

「うるせぇな、その話が今重要か?」


 最重要だと思う。

 なんにせよ、くまごうと帰る気はない。そもそも、今すぐ帰る気がない。


「まだちょっと、学校でやることあるからさ」

「あ? 誰とヤるって? アイツか? 柊木ひいらぎか?」


 まあ、脳内が、おピンクですこと。


「アイツは部活だろ? とにかくやることあるから、じゃっ」

「待てコラ!」


 なんで追ってくるの? なんで追ってくるの?

 帰れよ、帰宅部だろ。真面目に帰宅しろよ。


「す、すげぇ執念……」


 さすがに俺のほうが早いけど、諦める気ゼロじゃん。あんなに走ったら、胸が痛くないか?

 あかん、体力が……うおっ!?


「くそ、坂本の野郎……どこ行きやがった?」


 いってぇ……絶対、体中に切り傷できたよ……。何が起きたんだ?

 あっ、熊ノ郷のヤツ、どっか行った。


「いってぇな……なんだ? 引っ張られたような感覚がしたが……」


 誰かが突然、俺を植え込みに投げ込みやがった。ああ、もう。植え込みがグチャグチャじゃねえか。バレたら怒られるヤツやん。

 体中痛いし……いや、それより……。


「誰だ? さっきの」


 いねえんだよなぁ、俺しか。

 引っ張られる瞬間も相手を見てないし、熊ノ郷以外の気配も感じなかった。

 第一、他に人がいたら熊ノ郷が聞くだろ? 『走ってきた男がいるだろ? どこに向かって行った?』って。


「わっかんねぇ……まあ、助かったからいいや……誰か知らんけど、ありがとう」


 助かったという表現が正しいかは、甚だ疑問だけどな。服ボロボロだし、絶対に怒られる。

 先輩に会う前に保健室に行くか? いや、学校に長居したくないし、保険医への言い訳も思いつかん。


「おうおう、坂ちゃーん。ボロボロじゃーん」

「浮気でもしたんか? なぁ、色男」

「モテるヤツは辛いねぇ」


 なんだコイツら。誰だよ。

 しくじったな。礼法室まで人通りが少ないところを通ってたんだが、それが仇になったらしい。まさか、バカ共のたまり場だったとは。


「オメーよぉ、どうやってもみじをたぶらかしたんだよ」

「柊木にまで手を出しやがって」

「なんでテメーみたいなブサイクが、女子二人もはべらせてんだよ」


 うるせぇな、そこまで言うなら代わってくれよ。

 熊ノ郷とかかえでに見つかる前に礼法室に行きたいんだが、この三バカが通してくれそうにない。さっきの傷がうずいてるのもあって、無性にイライラしてきたぞ。


「知らねーよ。絡んでくんな」


 不良相手なのに、堂々としてんな俺。

 不良よりよっぽど怖い人らに迫られてるから、度胸がついたのだろうか。

 ラスボス倒せるステータスで、序盤に苦戦したモンスターと戦ってる気分だわ。


「テメー、どこの誰に口利いてるかわかってんのか?」

「知らんよ。名を名乗れ、名を。いや、やっぱいい。五分後にゃ多分忘れてるし」


 いってぇ!?

 こ、こんな簡単に手を出すか? 普通。

 顔面にグーはないだろ、グーは。


「舐めんなよ? こんなとこ、センコーも通らねえからな」

「いや、用務員のおじさんとか……」

「あぁ!?」

「んだこらぁ!?」


 あかん、話が通じん。聞いてくれん。もっと通じない人を三人ほど知ってるから、そこまで怖くないけど。

 同じ高校なのに、ここまで知能レベルに差があるのか? 裏金入学か? 私立じゃないのに。


「てめぇ調子……がっ……」


 え、なした?

 体が不自然に浮いたと思ったら、股間を押さえて悶絶しだしたんだけど。

 性病か? 女遊びしたツケが急にきたのか?


「お前、よくもヤッ君を!」


 ええ、なんもしてないって俺。何を見てたんだよ。

 俺、尻もちついてるじゃん。アリキックをかましたとでも思ってんの?


「この卑怯も……」


 流行ってんの!? 性病流行ってんの!? コイツも悶絶しだしたぞ!?

 怖いな、こんなふうになるんだ。知らんかった。


「は、恥ずかしくねえのか!」

「どっちがだよ。怖いんだけど」


 俺が何をしたというんだ。急に股間押さえて倒れ込むほうが恥ずかしいわ。


「何意味わかんねーこと言ってんだコラ! あだだだだだだだだだ!」

「どうしたっ!?」


 なんか内股になって悲鳴を上げだしたんだけど! 怖いんだけど!


「ああああああ!」

「だからどうした!?」


 聞くに堪えない濁声だみごえを上げている。

 とてもじゃないが、演技とは思えない。これで演技だったら、俳優になれるぜ。まともな作品には出演できないだろうけど。


「坂本! 離せ! あああ! ギブ! ギ……」


 え、俺? 俺何も掴んでないぞ? そもそも掴める距離じゃないし。

 あーあ、泡吹いてるよ。

 ……これ、黒川先輩絡み?


「えっと……なんか知らんけど……ありがとう……?」


 虚空に向かってお礼を言ってみる。

 何がなんだかわからんけど、幽霊かなんかが助けてくれたように思える。

 非科学的だけど、呪いが存在してるみたいだし、今更よね。


「見えないけど、助けてくれたんだよな? さっき追いかけられてた時も」


 特に反応がない。まあ、あっても見えないんだけど。

 とりあえず黒川先輩のところに行くか。会えば何かわかるかもしれん。

 方向が合っているかわからんけど、一礼してその場を後にした。

 この不良共には悪いが、人は呼ばん。センコーが通らないお気に入りスポットで、いつまでもたむろしてろ。




 あれから特にトラブルはなく、無事に礼法室に辿り着いた。

 ……まあ、ここにいるって保証ないんだけどな。


「すみませーん」

「……どうぞ」


 おっ、この冷たい声は先輩だ。

 怖いけど、入るか。モタモタしてて、熊ノ郷に見つかるほうが怖いし。


「失礼しま……うおっ!」

「えっち」


 な、なんで上半身脱いでるんだよ。なんで下着姿なんだよ。

 言ったよな? 『どうぞ』って、言ったよな?


「な、なんで脱いでるんですか?」

「着替え」


 何から何に着替えるんだよ。そもそもここ、何部なんだよ。


「貴方が来たから、急いで脱いだ」

「なぜそんな嬉しいことを?」


 一世一代の告白を無下にした男に、なんのサービスだよ。


「貴方しか見せる相手いないから……他の人は気持ち悪がるけど、貴方だけは発情モンキーになるから」


 言いすぎだぞ。そりゃ許されるなら見続けたいけど、発情モンキーではないわ。


「サービスについては感謝しますけど、今は呪いについてお聞きしたいんですが」

「……モテたでしょ? 良かったね、浮気者」


 なんで拗ねてんの? 先輩がかけた呪いだろ? おかげでボロボロだよ。


「モテる呪いをかけただけなんだけど、何を聞くことが?」


 いや、聞くことしかないよ。

 呪い自体は存在して当たり前みたいな言い方をしないでくれ。


「呪いって、本当に存在したんですか?」

「当然でしょ。私の家、千年近く続いてるわよ?」


 いや、それ理由になってるのか?

 宗教だって、神様が存在しないのに続いてるじゃん。怖い人に怒られるから、言えないけどさ。


「じゃあ野球部片金事件って……」

「言ったでしょ、私の呪いだって。ちなみにまだ解いてないから」


 もう許してやれよ。ゼロ金になっちまうよ。別にどうでもいいけど。

 そういや教頭にもかけるって言ってたけど、かけたんかね? まあ別にどうでもいいけど、ハゲだし。


「あの、モテるを通り越して、ヤバい状況なんですけど」

「大丈夫、死んでも蘇るから」


 いや、そういう問題じゃ……え? 今、なんて言った?

 聞き間違いかな、死んでも蘇るって……。


「その呪いを解くには、私を心から愛するしかないわ。死んでも逃げられない」


 そ、そういうことかぁ。

 昨日言ってたよな、たしか……『私からは迫らない』みたいなこと。

 俺から迫らざるをえないってことかよ……。クソ、俺のこと諦めたわけじゃないんだな。卑怯すぎる……タチ悪いぞ。


「ちなみに私を殺しても意味ないよ? むしろ、呪いを解く手段が無くなるから」


 死後も有効なのかよ、黒川一族怖すぎるだろ。

 こんな超常現象をあっさりと受け入れる俺も中々だが、さっきの透明人間とか見ちまうと……。


「あっ、そういえば、なんかその……さっき見えない人に助けられたんですけど」

「……? オカルト?」


 オカルトの総本山が何を言ってんだよ。

 っていうかその反応、知らない感じ? 怖いんだけど。


「なんか透明な人に引っ張られたり、不良から救われたり……」

「不良から?」

「見えないからあれなんですけど、不良が何者かに攻撃受けて……」

「……」


 黒川先輩? なんですか、そのポーズ。『はて? なんのことやら?』みたいなポーズは。


「おかしいわね」

「おかしい?」

「心当たりがあると言えばあるんだけど、おかしいわ」


 あるのかよ、やっぱり先輩絡みかよ。


「何者かに助けられたと、貴方が認識してるのはおかしい」

「おっしゃる意味が……」

「たしかに見えない人はいるわ。私の同級生の女子よ」

「……呪い絡みですか?」

「うん」


 少しは悪びれろよ、人の人生狂わせてるじゃねえか。

 いや、多分先輩をイジメた連中の一人なんだろうけどさ。


「私の靴を隠したり、水をかけたりしてきたからね。願いを叶えてあげた」

「願い……?」


 そういえば、俺の時も聞かれたな。『モテたい?』って。

 その結果、過剰にモテだしたんだけど……。


「親とか教師が口うるさいらしくてね、放任を望んでたの。だから叶えてあげた」

「……誰からも認識されなくなる……的な?」

「頭がいいね。その聡明さで、今すぐ黒川一族になることを薦める」


 褒められた気がしない。誘導したいっていう魂胆が見え見えだもの。

 それより、酷いな。イジメも酷いけど、相手の願いを悪意ある叶え方するっていう手法も酷い。どこの黒いセールスマンだよ。今の子に伝わんねえよ。

 俺は、このタチの悪い一族入りが確定してるのか? 泣きたい。


「で? おかしいというのは?」

「引っ張られたのよね? その場合『急によろめいた』って認識になるはずよ」

「え? 誰かに腕を引っ張られた感覚が……」

「不良が倒れたのも『同士討ちした』とか、『無意識に自分がやっつけた』っていう認識をするはず」

「……そういえば、なんか俺が攻撃したことになってましたね。不良の中では」

「写真に写ろうが、文字を書こうが、物を壊そうが、誰も彼女を認識できない。貴方だけ、何者かを認識してる。これがわからない」


 な、なんてタチが悪い呪いなんだ。

 能力系のバトル漫画を読んでる気分だよ。っていうか、俺が不良をボコったことになってるの嫌なんだけど。


「彼女の親でさえ、娘が消えたことに気付いていない。彼女が残した私物や形跡も、気に留めない。娘なんていなかったと認識してる」


 怖すぎない? 母子手帳とか、謎の出費とか、色々あるはずなのに、それを気にしないわけだろ? 呪い怖すぎなんだけど。


「彼女を認識できるのは私だけのはずだけど、なぜか貴方もできてる。こわっ」


 貴方にだけは言われたくない台詞ですねぇ。

 でもなんでだろ、なんで俺も認識できるんだ?


「先輩は姿見えるんですか?」

「見えるよ。貴方は見えてないんだね、それが普通なんだけど」


 ますますわからんな。俺も能力を持ってるのか? まさかな。

 まあ、なんでもいいか。今は、俺にかかった呪いの方が大事だ。


「透明な先輩は、一旦置いておきましょう」

「怖くないの? 見えない人が同じ学校にいるなんて」


 見える呪術師と、柊木達のほうがよっぽど怖いよ。

 透明先輩は害がないどころか、助けてくれたし。


「恩人ですもの。怖くないですよ」

「豪胆だね。じゃあ、その豪胆さで呪いと戦ってね」


 そう言い捨てて、帰り支度を始める先輩。

 ちょ、解いてくれよ。呪い解いてから帰ってよ。


「待ってくださいよ、せっかくここまで来たのに……」

「同じ学校の礼法室に来たぐらいで、遠路はるばるやって来た感出さないで」


 道中を思えば、隣町より大変な旅路だったよ! 隣町行くぐらいで服ボロボロになったり、不良に絡まれたりしないから。


「先輩の告白を受け入れなかったことは謝ります。ですから呪いを……」

「私を心から愛せば解ける。後は貴方が頑張るだけ」


 それが嫌だから頼んでるんだよ。

 ダメだ、正規の方法で解くなんて御免被る。なんとか説得せねば……。


「いきなり結婚とか、血判押せとか、そういうのに気圧されたといいますか……別にフってはないですよね?」

「フったわよ? うやむやにしようとしたじゃない」


 いや、たしかにさ、あわよくば逃げようとしたけど……先輩さえ距離感を考えてくれたら、OKしてた可能性が無きにしも非ずだよ。


「それにね、人の下着見といてリアクション薄くないかしら? 乙女の下着姿をなんだと思ってるの? こう見えて恥ずかしがってるのよ?」


 みずから脱いだくせに何を……。


「綺麗でしたよ、興奮しましたとも。時間停止能力と記憶を消す能力があれば、手を出していたかもしれません。発情モンキーになってましたもん」


 なんで、なんでこんなこと言わされなきゃいけないんだよ。

 俺はただ、告白を受け入れなかっただけじゃねえか。

 イジメてた連中はまだしも、俺を呪うのは逆恨みだろ。


「興奮したなら、普通は襲い掛かるわよね?」

「……法治国家じゃなければ、あるいは」

「私は結婚する気満々なぐらい、貴方が好きなんだけど? 法律とか、今関係あるかしら?」


 いや、てっきり俺のことを諦めたもんかと……。

 ほら? 女性って一度冷めると、より戻せないって言うじゃん? 元彼から連絡きたら、舌打ちしながらブロックするって言うじゃん?


「じゃ、じゃあ! 俺が襲い掛かっても無抵抗でいてくれるんですか!」


 襲う勇気なんてあるわけないが、両腕を掴んでハッタリをかます。

 こ、怖い……絵面的に向こうが怯えるべきなんだが、俺のほうが怖い。


「……私は抵抗しないわよ? 恥ずかしいし、緊張もする。でも受け入れる」


 どうする? 予想してたけど、手強すぎる。

 俺がここで全裸になろうと、この人は一歩も引かないぞ。

 ……仮の話だが、ヤったらどうなる?

 それは愛した判定になるのか? 呪いが解けずに、ただ先輩を犯しただけの畜生に成り下がるのか?


「でも、見られながらヤる趣味はないわ」

「え?」


 なんの話だ? ここには俺と先輩しか……。うっ……。

 な、なんか、股間を後ろから優しく掴まれてるような、くすぐったい感じが……。


「と、透明先輩? いらっしゃったのですか? うっ……」


 も、揉むなよ! モミモミで返事するな! 夫婦のモールス信号か! 一体何を言ってんだ俺は!


「驚いた、本当に認識できるのね。でも声は聞こえていないようね。その子、さっきから喋ってたのに」

「あの、黒川先輩は会話できるんですよね? なんでこの人、俺の股間を揉んでるんですか?」


 透明人間系のAVは九割が嘘だと聞いたことがあるが、俺が一割側になるとは思わなかったぞ。


「なんでって、浮気したからでしょ?」

「はい? 浮気?」

「その子も女よ? 唯一自分を認識できる男を見逃すわけないじゃない」


 じょ、冗談じゃねえよ。これからは顔も名前も知らない透明女にも、狙われるっていうのか? 気を抜けないし、あっちの意味でも抜けねえよ。

 たった二日で人生詰みすぎだろ、俺。

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