第2話 小五郎丸、座礁の巻

 人生初のラブレターは、地獄への片道切符だったらしい。

 いや、地獄の永住権かもしれない。

 そりゃ恋人になるってことは、一族入りするってことなんだろうけど……。


「貴方の心を操りたくないから、とりあえず〝私達の身内以外の女性から蛇蝎だかつの如く嫌厭けんえんされる呪い〟をかけるわ。別にいいわよね? メスが寄ってきても迷惑なだけでしょう?」


 なんだよ、蛇蝎って。知らない言葉だけど、良くない言葉な気がする。

 メスってアンタ……。


「の、呪いなんて、ただの噂ですよね?」

「……貴方、嫌いな男はいるかしら?」

「え、えっと? ……教頭ですかね」


 あまりにも唐突だったので深く考えず、嫌いなヤツリストから適当に挙げた。

 すまん、教頭。アンタ死ぬわよ。


「野球部のアホと同じ呪いをかけるわ。男なんて皆、ケダモノだもの」


 ケダモノ……? 文脈がイマイチわからんが、教頭がピンチなのはわかる。

 いや、待て待て、呪いなんてあるはずがない。

 ここは様子を見るか? 仮に呪いがあっても、教頭が男として不幸になるだけだ。

 もうハゲてるし、年齢的にも勃たないはずだ。これ以上の不幸は誤差だ、誤差。


「じゃあ、私の家に行きましょうか。大丈夫、卒業するまでは学校に通わせてあげるから」


 出会って初日で自宅か、あまりにも早すぎるぞ。

 いや、待て、なんだって? 卒業するまでって、何よ?

 まるで、卒業後はろくに外出できないように聞こえるんだが。


「今までは車で通学してたんだけど、これからは歩いて行くわ」

「え、ああ、はい」

「手を繋いで登校なんて……ああ、想像しただけで恥ずかしいわ」


 え、今のって、俺と歩いて通学するって意味?

 黒川家がどこにあるから知らんけど、俺の家から近いのか? 近くに大きな家は、なかったと思うけど。


「とりあえず留年して、来年は貴方と同じクラスになるわ」


 とりあえずレベルで留年していいのか? 仮に留年したとしても、同じクラスになれるとは限らないんじゃ……。

 いや、この人なら同じクラスになる。なんらかの力を働かせる。留年は決して脅しじゃない。初対面なのに、確信が持てる。


「とりあえず指輪よね? 私の家にはそういう文化ないんだけど、世間一般のならわしに合わせるわ。貴方の私物も運びこまなきゃいけないし、ああ、大忙しだわ」


 まずい、どんどん話が進んでいく。当事者がこの場にいるのに、当事者抜きで話が進んでいく。


「あ、あの、ちょっと考えさせていただいても……」

「考える? 何を? プロポーズの言葉?」


 待ってくれよ。

 嬉しいとは言ったけど、付き合うなんて一言も言ってねぇよ。言ってないよな?


「いえ、告白は嬉しいんですけど、付き合うかどうかは……」

「……」

「えっと? そのですね、貴女と付き合えるのは光栄と言いますか、本当に嬉しいですし、是非ともお願いしたいところではありますが……」

「……」


 怖いよ!

 喋ると怖いけど、無言は無言で怖いよ!


「結婚とか、ご挨拶とか、まだ早いっていうか、その、まずは友達から……」

「貴方、うやむやにしようとしてない?」


 ぎ、ぎっくぅー!

 そうだよ、自然消滅することを願ってるんだよ。

 明らかにまともじゃないし、一度付き合ったら気付いた時には、座敷牢に幽閉されてたって展開になりそうなんだよ。


「深く傷ついたわ。上げてから落とすなんて、貴方鬼畜ね。鬼畜生だわ」

「傷つけるつもりは……とりあえず知り合いから……」


 さりげなくランクを一つ下げてみる。

 わざわざ留年するような人とは、一生知り合いでいたい。なんなら、赤の他人でいてほしい。


「貴方の言い分はわかった。もう私から迫ることはないわ」


 あ、諦めてくれた? こんなにもあっさりと?

 なんか、俺から迫る未来があるって言い方だけど、とりあえずこの場は……。


「貴方、モテたい?」

「え? ええっと、人間誰しもモテたいかと」

「そう……」


 なんだろうか、今の質問は。

 意図を読み取れずに当惑する俺を放置して、その場を立ち去る先輩。

 俺はとんでもない過ちを犯した気がする。




 いや、偶然じゃねえわ!

 明らかに昨日のやりとりが原因だろ!


「小五郎? 着替え、まだ終わらないの?」

「も、もうちょっとだ!」


 落ち着け、とりあえず学校に行かねばならん。

 先輩を問いたださねば……。


「遅いよ、もう。明日から手伝おうか?」

「はは、顔洗ってくるから、通してくれないか」


 とりあえず、この手の話は全部はぐらかそう。肯定も否定も危険な気がするから。


「楓ちゃんが来てくれて助かったわ。あの子、中々起きないから」

「いえいえ、私でよければ毎朝、起こしにきますよぉ」

「あらぁ、助かるわぁ」


 耳を塞ぎたくなるやりとりが、リビングで繰り広げられてる。

 外堀埋めにきてねぇか?


「はい、コーヒー」

「……」


 これは、飲んでもいいのだろうか。

 ……母さんもいるし、大丈夫だよな? 異物混入してないよな?


「どうしたの? ああ、そっかぁ。猫舌なんだっけぇ」


 いや、別に猫舌ではないんだが……って!


「か、楓? 何をしてる?」

「何って、冷ましてるんだよ?」

「あらあらあら」


 誰が頼んだよ、フーフーしてくれなんて。

 母さんも、そのリアクションやめろ。その『若いっていいわねぇ。コーヒーより熱いわぁ』みたいな顔をやめろ。


「ほら、遅刻しちゃうよぉ?」


 やめろ、頼んでないから。人の食パンにバターを塗らないでくれ。

 いや、塗る派だけどさ、普通しないって。幼馴染相手にそこまでしないって。

 人が食べる物を素手で触るなって。いや、別に潔癖でもないし、むしろ気にしない派だけどさ。


「はい、あーん」


 やめてくれ、母さんが見てるんだ。温かい物を見る目で見てるんだよ。

 でも断ったら怖いよなぁ。楓に恐怖を覚える日がくるとは、思いもしなかったぞ。

 くそ、気恥ずかしいというより気まずい。なんで母親の前でこんなことを……。


「わぁ、食べてくれたぁ」

「あらあらあら」


 食べないという選択肢があれば、迷わず選んでるわ。

 嫌なことは早く済ませようと、食パンにかじりつく。クソ、なんて日だ。


「あらら、口元汚れてるよぉ」

「うぶっ……」


 手ずから食べさせられたら、そりゃ汚れるよ。自分で拭かせてくれよ。

 これ、バカップルと介護の中間だよ。際どいラインだよ。


「さ、行こうか」

「……うん」


 ナチュラルに手を繋いできたけど、もう何も言うまい。

 恋人繋ぎじゃないだけマシだと思おう。


「行ってきますね、お義母さん」


 ニュアンスが、ニュアンスがおかしい。

 口語なのに、漢字が見えたよ。可視化されたよ。


「えへへ」


 登校してるだけなのに、妙に嬉しそうだ。

 おかしいな、昨日までは素っ気なかったのに。


「今までごめんね?」

「え? 何が?」


 素っ気なくしてたことを謝ってるのか?

 別に気にしてないっていうか、俺にも非があるというか、幼馴染など得てしてそんなもんだろ。


「寂しかったよね? 私と登校できなくて。辛かったよね。胸が張り裂けんばかりに辛かったよね?」


 別にそうでもないんだが、否定したらまずい気がする。かといって、肯定するのも危険な気がする。あれ、詰んでね?


「お前は……楓はどうなんだ?」


 俺の意見は伏せる! これが正解のはず!


「私? 聞かなくてもわかるよね。あの日のこと、今でも覚えてるよ? 小五郎の家まで迎えに行ったら、もう家を出た後だったんだよね。すっごく辛かった。なんで置いていったんだろうって、ずっと考えてた。きっと日直があるから早く家を出たに違いないって、自分に言い聞かせた。だとしても私に一声かけるのがスジだと思うんだけど、とりあえずその場はそれで精神を保ったよ。でもね、別に小五郎は日直じゃなかったの。そもそも日直だからって、早く登校するような男じゃないもんね。じゃあどうして早く登校したのかな? 部活に入ってるわけでもないのに。うん、きっと逢引きに違いないよ。それ以外にあるかな? いや、ない。問題は、誰が相手なのかということだけど、一体誰かな? このモヤモヤは、四年間、ずっと私の心を蝕んでいたんだよ。そのモヤモヤはどんどん大きくなっていってね、十キロぐらいはあるんじゃないかな。そういえば、私のこと重いとかほざいてたよね? 誰のせいかな? 誰のせいで重くなってるのかな? これ、モヤモヤの重さだから……」


 長い、怖い、痛い。

 どんどん握力が強まってるんだが、お前そんなに力、強かったのか。


(早口であんまり聞き取れなかったけど、呪詛だってのはわかる)


 すっとろい楓がハキハキとペラペラ喋るってのも怖いけど、内容がこれまた怖い。

 なんか四年前のこと喋ってたよな?

 いや、覚えてないんだよ、こっちは。逢引きとか聞こえたような気がするけど、そんな相手いねぇから!


「私も子供だったと反省してるよ。大人の女だったら、男の火遊びぐらい大目に見るべきだよね。良い女だったら余裕を持たないとね。古い考えだけど、男は船、女は港って言うもんね。でもね、それって女側の言葉だからね? 浮気を正当化する言葉じゃないってのは、理解してよね? でね、私は港になれなかったんだ。ショックでショックで、港を閉鎖しちゃったんだ。小さいよね、私。いや、胸の話じゃないよ? むしろ、そこそこあるし、小五郎の手の平にジャストフィットだよね。そこは数少ない私の長所、胸を張れるところなんだけどさ、胸だけに。でね、結果論だけど、港を閉鎖したのは正しかったよ。港を失った船は、新たな停泊所を見つけるだけの話なんだけど、私の船、小五郎丸は新たな港を見つけることなく、私という港、楓港が再び開くその時を、黙して待ってくれたんだよ。で、本日付けで開かれた港に入港してくれたんだよ。純情、正常、船参上ってね。さぁ、ここからは私の懺悔、義務を果たす時だよ。ゆく当てもなく荒波に晒され続けた船を、私のドックに……」


 まだ続くのかよ! お経がBメロに突入しちゃったよ! なんだよ小五郎丸って! どこのラグビー選手だよ。

 これは死の呪文だ。人を冥府に送る呪文だ。最後まで聞くと死ぬ呪文だ。


「楓!」

「私のドックに貴方の船でホットドッグ……ん? なぁに?」

「これからは、毎日一緒に登校しような!」

「うん!」


 よし、これでいい。

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