第23話 Human.(EP9)

自宅の最寄り駅の改札を出て、バス乗り場に向かう途中でスマートフォンに着信があった。2回振動した。メール着信だった。スーツのポケットからスマホを取り出して、銀色の枠に指を滑らせる。コレでロックが解除された。ホーム画面にある「メール着信」のアイコンをタップする。ダイレクトに新着メールが開かれた。そこには、彼ー柳瀬隆二の白いシャツを着てトンビ座りをした可愛い女性がプラカードを抱えていた。シャツはぶかぶか過ぎて、指先しか見えない。

「おなかすいた」と書かれたプラカード。妻はたまにこう言った非常に可愛いことをする。別に自宅にいるのだから、好きな物を作って食べればいい。結婚したばかりの頃、柳瀬はそう言ってしまい、夫婦喧嘩になったことがある。妻は言葉を話せないし耳も聞こえない「ろうあ者」だが、その分感情表現が豊かで、つまりは無言の夫婦喧嘩で物理攻撃をしてくる。当たっても怪我をしないであろう”モノ”を投げつけてくるのだ。最後は柳瀬隆二の方が折れて謝ることになる。

 柳瀬は頬を緩めると、妻が大好きなハンバーグショップに向けてタクシーを走らせた。ふと気になって、Zooで検索をかけてみる。昨日と同じ情報が並ぶ。SNSにログインして、単語でサーチする。とりあえず、「女川夫妻」で検索して、更に犯人と言う単語でも検索する。特に新たな情報は出ていない。自分のアカウントから「女川夫妻って何をした?」と呟いてみる。数分で通知が入った。フォロワーから情報がもたされる。「難民受入派」「害国人優先のガチな屑夫婦」など、評判は悪いようだ。目的の店の看板が見えてきた。柳瀬はログインしたまま、スマホを左ポケットに滑り込ませた。


「刑事さん、こんな時間に何ですか?」Sテレビの坂井は憮然として放言した。態度も悪い。椅子に座ってはいるが、両足を投げ出して腰を前にずらせている。

瞬間、桐山は坂井の胸ぐらを掴んでねじ上げた。

「取引だ。正直に話せば、明日の取り調べで簡単な確認をしてから外に出してやる。不起訴ってことでな。ここでとぼけたら、このまま起訴する。娑婆に出るのは3年後だ」

「ふざけんなよ?違法じゃねぇか。いいから拘置所に帰らせろ」

桐山は無言で坂井の頬を張った。胸ぐらを掴まれたままだ、首がねじれた。

「俺は優しいから、もう1回だけ言ってやる。明後日には自由の身にしてやる。だから正直に話せ」

”正直に”の部分をゆっくりと言う。コレでまだ反抗的な態度を取るなら、明日の取り調べで拘置期限を限界まで延ばすと教えてやる。

 坂井は桐山の強硬で暴力的なやり方に恐怖した。坂井の年代では、「暴力」はいじめの世界の話だった。勿論、坂井は「いじめる側」にいつもいた。


「優しいだ?人のこと殴っておいてなに・・・」言い終える前に桐山は坂井の椅子を蹴り飛ばした。尻もちをついた坂井の髪を掴むと、「優しいだろ?お前はまだ生きている」


そのまま床に放り出して、蹴り飛ばした椅子をまた机の前に戻した。


「座れ。訊きたいことがある」


坂井は椅子に座り直し、姿勢を正しこそしたが、桐山に対して素直に従う気は無い。


「取り調べで全部話してるでしょう?刑事さんに訊けばいい」

「残念だが、今お前の前に座っているのは刑事じゃないんだ」

「・・・」

「黙秘か?ま、いいわ。お前には黙秘権がある。そして俺には、生殺与奪権がある。うるせぇっ!口を閉じてろ。10分で終わる話だ。10分後にお前に選ばせてやる。内閣調査室、公安、自衛隊。どこを敵に回したいか、だ。お前は9月3日に西八王子駅近くから大型のドローンを飛ばして、事件現場の動画を撮影した。現場に仕掛けてきたカメラは囮だ。自衛隊が現着後、すぐにジャマ―を作動させたので、撮影動画は伝送出来なくなった。想定済みだよな。そして大型ドローンを飛ばして、現場の撮影を続けた」

「待ってください、動画撮影はしました。そのデータも全部警察に渡しました」

「黙れ。さてここで問題だ。お前は夕方になって暗くなったので、撮影を切り上げて帰社しようとした。会社員の鑑だな。前日からの当直後によく働いたよ。帰社したお前は撮影した動画データを報道局に渡して帰宅した。ところが、提出された動画データには欠けている部分がある」

「何ですかソレ?データは全部会社に渡しました。警察が押収したんでしょう?」

「お前はこう言った。”ドローンを交代で飛ばして”現場の撮影をしたそうだが、お前はこの証言で暗に”使ったドローンは2機”と主張した。ところが、お前が飛ばせたドローンは”3機”だ。提出された動画データは2機分だよな。そして3機目は暗くなっても飛んでいた」

「何を言ってるんですか?提出したデータが全てですっ!」


桐山は構わず続ける。


「3機目のドローンは当初はバックアップ用だった。ところが3機目が最後まで残り、偶然、撮影に成功した・・・」


ここで桐山は言葉を切った。坂井は青ざめている。


「爆発シーンは録れてません」

「ふーん。誰が爆発だなんて言った?女川夫妻の事件は報道されていないんだ」

「えっ?」

「刑事だって知らないことだ。誰も爆発事故があったなんて言っていない」


 完全なブラフだった。坂井は拘束後のニュースを知らない。拘置所では新聞さえ読ませていない。だから通用するブラフだ。女川夫妻の事件は「Zooによる爆破で死んだ」ことになっているし、報道もされている。現場にいた捜査員と自衛隊員だけが真相を知っているが、この坂井の撮影した動画が厄介だ。勿論、警察上層部や政府閣僚、kaleidoscope班は知っているが、事実を完全に隠蔽するには、この”坂井動画”の所在も明らかにしないとならない。


「お前はその爆発事故の動画を撮影している。もっと言ってやろうか?その動画データはもうSテレビの報道部にも無い。破棄された。使わないからではない。独自と称して、海外の動画サイトから引用するつもりだ。幸い、3機目のドローンは撮影位置がずれていた。他社のドローンなのか、民間なのか分からないと言うだろう。実際は、Sテレビの報道局が外注して、動画データを中東のサイトにアップロードした。北欧やフィリピンを経由して、な。証拠が無いと言いたいか?じゃぁこんなのはどうだ?”やりましたっ!女川が死んだ瞬間を録れました、スクープなんてもんじゃない”って言ったのは誰だったかな?」


(何故知っている?俺が電話で報告した言葉、一言一句もたがえずに・・・)


「俺は間違えたことを言っているか?」桐山は畳みかける。

「本当に俺を出してくれるんだな?」

「俺は正直に言えと、お前に言った。お前は何も言っていないよな。ああ、爆発シーンは録れていないって言ったな、お前さん」

「訂正しますっ!撮影に成功しました。動画データがどうなったかは知りません」

「ほぉ。シナリオは無かったと言うんだな?」

「シナリオって?」

「動画を海外サイトから引用する形で独自スクープ。報道のSテレビだったよな」


(全て見透かされている・・・経由する第三国まで知られている・・・)


坂井は観念することにした。


「その通りです」

「お前の身柄、拘置所に戻す。どうなるか楽しみにしていろ」桐山は立ち上がる。

「待ってくださいよっ!俺を出す約束ですよねっ?」

「分からんよ。Sテレビが”真実”を報道したらどうなるかなんて、俺にも分からん」

「どう言うことですか?」

「1つ訊く。お前の撮影した第三の動画の画質は?」

「8Kです。ただ、暗くなっていたので4Kに落ちたかもしれません。現場では確認出来ていません」

「Sテレビには圧力をかけている。報道するかどうかはSテレビ次第だ。ところで・・・」

坂井は言葉の続きを待った。数秒の間を空けて、桐山は何故か困惑したように続けた。


「お前、国民を信じるか?」


 斉藤翔は9月7日に、大きなリュックを背負ってアパートを出た。デートには無粋な格好だが、柳瀬の指示だ。リュックはプラスチックの骨組みで大きく膨らんでいる。中に入っているのはビニール袋に入れた20リットルの水だ。かなり重いが、歩くぐらいなら支障はない。デートの待ち合わせは都内千駄ヶ谷駅。そこで落ち合ったら、ちょっと歩くことになる。デート相手は女子大生だ。体力がもつだろうか?


 千駄ヶ谷駅、17:30。退社した会社員の流れに逆らうように1組のカップルが歩く。大きなリュックを背負った、がっしりした体格の男と、女性にしては長身な女子大生だ。二人はそのまま駅の喧騒を離れ、20分ほど歩いた。「どこにある?」男が訊く。「友達の家に預けたわ。車は使うなと言われたし、仕方ないでしょう?」「信用出来る友達か?」「少なくとも預かった荷物を勝手に見たりする子じゃないわ」


 案内されたその友達の住むアパートは、指定した場所から見える場所に建っていた。とりあえずは大丈夫そうだ。男は無言で荷物を受け取る。自分が防犯カメラや車のドライブレコーダーに映り込んでいないことを確認する。素早くリュックの中にある水を捨てる。ビニール袋は持ち帰る。受け取った荷物の重さが23㎏ほどだ。同じ重さの荷をまた背負うことになる。リュックの中の骨組みはそのままだ。外見では中身が入れ替わったことは分からない。歩き方も同じだ。柳瀬の指示に間違いは無い。あくまでも20㎏の荷物を背負ってデートをして、そのまま帰ってきたと言うことだ。帰りの電車に乗るために駅に出る。改札をくぐって、時間を確認する。18:15だ。柳瀬はもう帰宅して、あの可愛い奥さんと飯でも食ってるのだろう。


9月8日、「Zoo.」を名乗る者がSNSを使い、「犯行声明」を出した。

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