第18話 Human.(EP4)

9月の第一日曜日。柳瀬隆二の部屋のチャイムが鳴った。時計を見るとまだ朝8:30前だ。訝しく思いながらインターホンカメラの画像を見る。スーツ姿の男が3人ドア前に立っていた。一瞬、緊張で身を硬くしたが、平静を装うために素早く寝室を覗き込んだ。妻の寝顔・・・この穏やかな妻の安穏を守ろうと思う。緊張が抜けていく。インターホン前に戻ると「どなたですか」と誰何した。「国税局査察部です」柳瀬隆二は完全に安堵した。このいきなりに思える訪問は予想済みだった。


 桐山は最近、自分が分からなくなっていた。警視庁の現場を何度も踏み、その功績から「対テロ特別捜査部」の部長に抜擢された。誇らしいとさえ思っていた。全てはあの若造が始まりだった。kaleidoscopeなどと言う違法捜査を行う部署に引き抜かれ、未だ何の成果を上げていない。この1か月のうちに、高山祥子議員が死に、女川夫妻が誘拐された。佐川は何を考えているのか分からない。捜査するように課員に指示を出してはいる。指示内容は当然桐山も知っている。今はKS班総出でキーワードの抽出を行っている。女川夫妻に関するキーワード、高山事件に関するSNSユーザーの発信から、メールやチャットアプリの内容まで覗き込んでいる。kaleidoscope(万華鏡)とはまた、よく言ったものだ・・・

そして成果は上がっていない。KS班は非合法捜査を行う故、情報網にヒットしても公式には動けない。例えば、高山事件で「現場映像」を流出させたユーザーは特定されたが、別件で引っ張って来て、かなり強引な方法で事情聴取を行っても「シロ」であると判断された。9月1日から検閲を辞めたように見せかけて解放したSNSには真偽不明の情報が溢れている。KS班の課員たちはキーワード抽出を根気よく続け、「アタリ」と思える情報源を特定しては「マルテ」にその情報を流す。マルテはこの情報を元に、独自捜査を加え、該当者を任意同行の形で拘束した。任意とは言え、実質は犯行グループの疑いで事情聴取である。一切後ろ暗いことが無い人物、全て25歳以下の若者であったが、「転び公妨」(警察官による「当たり屋」稼業のこと)と言う手を使ってまで拘束した。後ろ暗い人物は徹底的に洗われ、犯罪性が高ければ問答無用で起訴された。在宅起訴された人物は既に8千人に及んだ。「Zoo礼賛主義」とまで呼ばれている勢力はとことん狩られることになる。桐山は思う。


「何故ここまで強引な方法を取ってまで、Zooの早期逮捕を目論むのか?」


 佐川はレポートを読み終えるとため息を吐いた。この事件を追っているのは自分のチームやマルテだけではない。動員出来る警視庁の警察官だけではなく、日本全国の所轄を限界まで動員している。治安維持は破綻寸前で、政府閣僚も苦肉の策で自衛隊を出そうとしている。もうすぐ警察力では抑えきれなくなるだろう。しかも、女川夫妻まで死んでいる。記者会見では「Zooによる殺害と思われる」としたが、殺したのは政府と警察官僚だ。こんなことまで国民に知られたら・・・歯止めが利くかどうか分からない。いや、もう一部のSNSユーザーには真相が知られている節がある。レポートでは「劇場型犯罪」の文字も見られたが、佐川は心中ではこの線は無いと考えている。「劇場」は観客が居てこそ成り立つ。この事件は違う。コレは視聴者参加型の犯罪だ。「容疑者は全国民」なのだ。犯行グループZoo.は淡々と「国民の敵」を殺してきた。この先も、逮捕されなければ犯行は続くだろう。そして「国民の敵」は多過ぎる。何故、犯行グループは「檻」にこだわるのか?この点が不可解だ。コレはマルテと一致した見解だ。わざわざ攫ってから公開処刑する理由がない。殺した後に犯行声明を出せば済む話だ。犯行声明の発信元はいくらでも偽装出来ると考えていて不思議はない。高山事件では、動画流出元の特定まで時間がかかったが、中東や紛争地域を経由すれば発信元の特定は不可能だろうと考えるだろう。いや待て。犯行グループがkaleidoscopeの存在を知っていたら?佐川は静かに立ち上がると、チームの勤務する大部屋に向かった。


「kaleidoscopeのシステム設計に関わった人物を洗い出せ。このシステムは外注されていないはずだ。関係者に犯行グループの一員がいる可能性が高い」


 桐山は別のルートで捜査する。Zoo.が檻にこだわるために必要な物。それは「資金」だ。マルテが試算した檻のコストは若山事件で200万円から400万円。高山事件では公用車を使っているが、爆破に関わる費用は200万円と見積もられた。人員のコストも織り込んだ費用だ。若山事件では、極論すれば人件費はかからないはずだ。ノーマークの状態から若山を拉致監禁。あとは山形県の山中に放り出せばいい。最低限なら3人もいれば実行出来たはずだ。では女川夫妻では?一番コストがかかったはずだ。3件目の事件。松下の誘拐まで数に入れれば4件目の犯行だ。どんな組織だって「裏切者」が出る。口止め料は相当な額になるはずだ。勿論、裏切者の粛清まで考えているだろう。桐山はKS班に向かう。


「資金源を捜せ。今は大量の資金を動かせば必ず把握出来るはずだ」


 指示を出し、ひと段落した桐山と佐川は室長室に戻った。室長室は桐山のために換気装置を新たに増やした。コレで桐山が喫煙所に行くことを阻止出来る。桐山の存在はkaleidoscopeの暴露に繋がりかねない。なるべくなら外部との接触は慎んで欲しい。


「なぁ佐川」

「何ですか?」

「俺たちの捜査方法は間違っていないよな?」

「桐山さんの指示は的確でした。少なくとも犯行グループの割り出しに有効ですね」

「ところで、だ。あの白衣の集団は何なんだ?」

「ヘンペルのカラス、知ってますか?」

「ヘンペルのからす?なんだそれは?」

「桐山さんは”カラスが黒い”と証明しろと言われたらどうします?」

「そりゃ、カラスを捕まえて来て見せればいいだろう」

「そうですね。アルビノ固体を無視すればカラスは黒いですから」

「お前は何を言っている?」

「逆も可能なんです。世界中の”黒くない鳥”を全部調べて、その中にカラスが居なければ、カラスと言う鳥は黒い」

「・・・確かにそうだが、途方もない手間と時間が・・・やってるのか?」

「あの白衣の集団と言っても12名ですが、”ヘンペル班”と呼んでいます。彼らは、国民の中で、確実に”シロ”だと言う人物をリストから外していきます」

「無茶だ、国民1億人全てをか?」

「子供や老人、身体不自由に知的障害者は最初から除外出来ますから、対象は2千万人程度。この大きな母集団を”大リスト”と呼び、僕らのチームが割り出した容疑者と突合させます。こっちは”小リスト”ですね。いずれにせよ、最終的には僕らもヘンペル班も、同じ容疑者を囲い込むわけです」

「何故、そこまで手間をかける?」

「より強固な容疑をかけるため。あとは手間を省くためです」

「手間だぁ?かかってるじゃないか」

「いえ、小リストの中の人物をヘンペル班が除外すれば、捜査は早く進みます」

「よく分からん・・・」

「簡単に説明すると、僕は今、システム開発者の洗い出しを支持しています。桐山さんは資金を出している人物を捜している。システム開発者で金を持っている・・・そんな人物は多いでしょう。その中から確実に”シロ”い人物はすぐに除外されます」

「何故そこまで急ぐ?」

「事件収拾は警察官の悲願じゃないですか?」

「だからと言って、ここまで大規模な違法捜査をしてまで・・・」

「この事件は最悪の展開になることだけは避けないといけないんです」

「最悪?すでに最悪だよ。警察が手も足も出せずに人が死んでる」桐山は言葉を少し濁した。警察の失態や、政府や警察官僚の判断で女川夫妻は殺された。

「この先があるんです。それだけは阻止したい。僕の考えでは」

「考えでは?」

「次の事件が起こったら終わりです」

「何が、だ?」

「全てですよ。この国は生まれ変わるか滅ぶかの道に進むしかない」


「朝早くからなんですか?今日は日曜だ」柳瀬隆二は軽く抵抗を試みる。駆け引きだ。「夜討ち朝駆け」は国家権力から闇金までが好む手法だ。


「柳瀬さん?」

「ちょっと待ってくれ。身分証明証、見せてくれないか?」

 査察部のリーダーと思われる人物がバッヂを掲げて見せる。同行の部員も全員が同じバッヂを掲げた。

「本物だね。で、何の用事だい?」

「柳瀬さん。あなたに伺いたいことがあるんですよ」物腰言葉遣いは丁寧だが、卑しさは隠せないようだ。眼鏡の奥で瞳が狡猾にぬるりと動いて、柳瀬のアパート内部を観察した。

「なんのことだい」柳瀬はそっと身体をずらして、寝室のドアを隠した。

「柳瀬さんは6年前、ナンバーくじに当選してますね?」

「ああ、4億円だ」

「そうお話してくださると話が早い。そのお金はどうしました?」

「どうしましたって?」

「単刀直入に申しますと、柳瀬さんには脱税の嫌疑がかかってます」

「脱税?馬鹿言っちゃいけない。宝くじの当選金は非課税じゃないか」

「そうです、当選金は非課税ですが、運用益が出れば課税されます。勿論、この間に新紙幣に切り替わってますので、様々な手数料も発生したはずですが?」

「そんなこと、こっちの勝手だろう?」

「いえ、柳瀬さんは国民バンクでナンバーくじを現金と引き換えた後、一旦は国民バンクに預けていたのに、3か月で全額を引き出している」

「違うな。口座には5千万円は残してあるはずだ」

「はずだ?」

「国民バンクの口座には一切触っていないんだ」

「で、残りの3億5千万円はどうしました?使途によっては課税されるんですよ?」

「この国の政府は、国民の財布にまで手を突っ込んでくるからな、そうだろうさ」

「この場で使途不明金の行く先のお話は無理でしょう。明日、国税局で・・・」

「見せればいいんだな?」

「は?」

「当選金だよ。全部現金で持っている」

「なんですって?」

「今、妻が寝てるんだ。ちょっと起こして話してくるから待っててくれ」


柳瀬隆二はそう言うと、寝室に向かった。


「ちょっと買い物に行ってくる」ぐらいの手話は出来る。妻はボサボサっとした長い髪を指で軽く梳きながら頷くと、また枕に顔を埋めた。


「ここだ」柳瀬隆二は銀行の貸金庫の前で、査察部の者に告げた。この貸金庫2つに分けて現金を保管していると告げた。


「何でそんな面倒なことをするんです?国民バンクでいいじゃないですか

「信用してない。金利だって一時期はマイナスになったじゃないか。億単位の預金ではかなり痛いことでね。俺は好きな時に金を使いたいんだ」

「今の金利は僅かですがプラスです。億単位の預金ならそこそこ利益も出る」

「利益が出た途端、色々理由を付けて預金全体に課税するんだろ」

「利益が出たと判断された場合だけですよ」

「資産運用を奨励した大臣がいたが、その年の税収は過去最高だったな」

「・・・では、ここに3億5千万円があるんですね?確認させていただけますか?」

「あるのは3億・・・2千万円かな?」

「3千万円は使ったということですか?」

「そうだ。俺はこんなLuckだけで転がり込んできた金は信用しない。だからSEの仕事も続けている。せいぜい、老後の資金ってとこだ」

「で、3千万円は浪費ですか?」

「おい、口の利き方に気を付けてくれ。自分の金をどう使おうが自由だ。ソレを浪費と決めつけるとか、お前さんは馬鹿なのか?」

「罵倒など、裁判で不利になりますよ?」

「裁判になるのか?使った3千万のうち、半分は妻が世話になってる聴覚障害のNPO等に寄付。内訳はNPOに1千万円。俺は神社の氏子なんでね、そこにも500万円寄付した。1500万円は、結婚費用等だ。生活費にも回したが、そんなに大金かい?」

「では現金を見せて下さいよ」

「来な。見せてやるし、数えさせてやるよ」


 国税局査察部の3人は、柳瀬に見下ろされながら札束を数える屈辱を受けた。確かに帯封のままの現金は3億2千万円あった。

「柳瀬さん、ここにあるのは旧紙幣です。このままでは使えませんよ?」

「必要な分があったら、銀行に預けてから使うさ」

「だから、どうしてそこまで面倒なことをするんですか?」

「政府も銀行もあんたらも信用していないからだよ。生活費なら俺の稼ぎでお釣りが出る」

「この現金、本当に動かしてないんですね?」

「調べてもいいぞ。ほら、あそこに監視カメラがある。査察部には喜んで記録を見せてくれるんだろう?」


 国税局査察部は「今回は申し訳ありませんでした。しかし、今後も脱税やマネーロンダリングが疑われる場合は、拘束してでも話してもらいますよ」と捨て台詞を吐いて消えようとした。

「ちょっと待てよ。ついでだ、200万円ほど出していくわ。妻の好物を買って、あとは旅行なんぞに出るのもいいからな」

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