第17話 Human.(EP3)

9月3日午前6:00、Sテレビ局の副デスク坂井は、カメラマンとスタッフ2名を伴って高尾駅に降り立った。タレコミによれば、この駅付近にZooの作った檻があるはずだ。北口改札を抜けて、狭いロータリーに出ると、すぐに若い男が近づいてきた。


「坂井さん?」「そうです、あなたが通報者ですか?」「あの車に乗れ」指差されたその車はお世辞にも良い車とは言えない風貌であった。ここ数年、ほとんど捨て値で売られている電気自動車である。普及するまで時間はかからなかった。維持費や運用コスト、脆弱性が知れるまでも時間はかからなかった。この国では「電気自動車」は無理があったのだ。ハイブリッド車は依然、比較的高値で取引されたが、動力が電気オンリーの車はさっぱり売れなくなった。国内有数の自動車メーカーはこの事態を予測し、内燃機関の技術を捨てていなかった。水素自動車もデビューした。電力を自動車に割り振れる余裕は最初から無かった。


 男の指示で、坂井たちはスマホの電源を落とした。


電気自動車の車内は広くない。坂井が助手席に座り、カメラマンとスタッフ2名は後席に座った。機材は最小限を持参したが、車内に置き場は無く、後席の3人の膝の上に積むこととなった。静かな車内にモーターのひゅるひゅる鳴く音だけが響く。

坂井は思い切って訊ねてみた。「あなたたちがZooなのか?」と。


「馬鹿言っちゃいけねーよ。俺たちはたまたまあの檻を見つけた。小遣い稼ぎになると思ってな、あんたらに電話しただけだ」

「他のテレビ局には?」

「あんたんとこが最初さ」

「どうしてうちを選んだんですか?」

「一番腐ってるからさ。あんたに断られたら2番目に腐ってるテレビ局に電話する気だったよ」

 坂井は胸の内でため息をついた。マスメディアの権威失墜は当然だ、その先頭が自局だと言うことも知っている。Sテレビはこの国を売ろうとしたのだから・・・

「時間的に、檻の発見は夜明け前でしょう?何でそんな時間に・・・」

「質問はナシだ。俺たちは秘密の情報をあんたらに売ろうとした。あんたは買うと言った」

「しかし、何らかの裏付けが欲しい」

「なぁ?この市にもネットメディアの支局があるんだ。どうする?」

「どうするって?」

「ネットメディアと合同で取材するのかって訊いてるんだよ」

「いやそれは・・・」

「おい、顔を伏せろ。窓の外を見るな」

「何でだ?」

「馬鹿野郎。俺の顔ぐらいは見てもいい。俺の仲間の顔まで見る必要は無い」

 坂井たちは大人しく従った。檻の前で現金を渡す。ソレでこの腹の立つ交渉は終わる。


 空き地に”檻”が安置されていた。中に男女2名が閉じ込められている。カメラマンが檻に近づこうとしたのを、坂井が止めた。確かにZooの檻のようだ。その証拠に、中にいる男女は行方不明になっている”あの”女川夫妻だ。坂井は手提げ袋を男に差し出した。750万円。男は受け取ると、軽く中を改めて、無言で立ち去ろうとした。

「おいっ!俺たちの帰りはどうなるんだ?」

「は?スマホあるんだろ、タクシーでも呼べや」

 スタッフたちと共に残された坂井は目まぐるしいほどの速度でシミュレーションを開始した。この場で「どう動くのが正解か?」と言うシミュレーションだ。まだ女川夫妻にこっちの存在は知れていない。あの若者は女川夫妻に目撃されているだろうが、そこらへんはあの若者も承知の上だろう。Zooの一員である可能性は高いが、情報源を漏らす気は無い。では自分たちは?


「おい、カメラあるか?」

「そりゃテレビ局ですから」

「違う、送信型のヤツ」

「あー、念のためにいつも持ち歩いてますが、画質は悪いですよ」

「どのくらいだ?」

「720pです」

「バッテリーは?」

「ギリギリで18時間。外付けを使えば28時間ってとこです」

 バッグから取り出されたテレビカメラは小さめの懐中電灯ほどの大きさ。ケーブルで繋がるユニットも煙草の箱2つ分の大きさだ。

「檻を撮影出来る位置・・・なるべく遠くて目立たない場所に設置しろ」

「は?取材はどうするんですか?」

「しない。どうせ女川夫妻は助からん。だったらこっちを知られない方がいい」

「いやでも、被害者の肉声とか価値がありそうですが?」

「ばーか。相手は”あの”女川だ。口を割ったりしない。そして警察にこう言うんだ。”テレビ局の取材を受けたが、あいつらは何もしてくれなかった”ってな」


スタッフが周囲の草むらの中に設置出来ないかと探り始めた。途中、坂井から「あまり踏み荒らすな。鑑識が入ったら2分でバレるぞ」と注意を受けた。結果、檻の左側にある太い樹の枝に隠すことにした。檻を見下ろす位置になるが、ギリギリで中の様子も見ることが出来る。撮影された映像は、試験的に運用を開始した7G通信で送信される。超長波と短波を組み合わせた「場所を選ばない通信波」は民間に開放すべきか判断待ちである。幸い、高尾山には試験用の基地局がある。6G回線と共用だが、あるだけマシだ。既に4G回線が廃用されて数年が経つ。高尾基地局が無ければ、自前の中継器を設置するしかないのだ。

 故意に踏み荒らした草むらに「録画機」を隠した。こっちはダミーだ。数十万円はする代物だが「必要経費」だろう。同じく、踏み荒らした草むらに録音機や音声送信機を隠す。時間稼ぎになるといいが・・・坂井は祈るような気持ちになった。次に、現場の緯度経度を確認する。ここに仕掛けていくカメラは「保険」に過ぎない。現場に警察が入り、その様子を撮影出来れば御の字だ。精度の高いGPS情報が手に入る時間帯は飛躍的に伸びた。今は常に4つの衛星から情報を取得できる。精度は2m以内だ。更に4基の衛星を使える時間帯は誤差がほぼ無い。標高も国内基準点からの即位で誤差無く手に入る。坂井は「ドローン」を使う気だった。しかも「脱法ドローン」である。日本国内では、運輸省の認可が下りない限り、個人がドローンを飛ばすことが禁止になった。流行り初めに起きた「首相官邸着陸事件」がきっかけで、都市部での飛行は原則禁止になった。その後、新たな高度規制が入った。地上からの高度30mを限度とするもので、都市部では完全に飛行が不可能になった。若山事件と高山事件では、ドローン操縦者に罰金刑が課せられた。その程度で臆するメディアでは無かったが、坂井が使おうとしているのは「法規制前」の機体である。数年以内に国内飛行が禁じられるであろう「自律航法タイプ」は主に軍用に供されるが、国内の小さなメーカーが密かに生産している。緯度経度・高度を入力すれば、勝手に飛んでいくのだ。姿勢制御用の小型カメラとAIを搭載し、目的を果たせば自分で帰って来る。勿論、「帰還命令」を出せばすぐに帰って来る。可搬重量500gの大型で、機体はペイントで青から白、夜間用に黒と簡単に変えることが出来る。隠密裡に飛ばすことの出来る機体だ。操縦不能になる可能性は高い。先の事件の教訓で、自衛隊が妨害電波を発射することは予測出来た。ならば、「自律航法」出来る機体を使うまでである。違法でも脱法でも、都市部や人家に墜落させなければ罰金刑で済む。


 坂井の要請を受けて、そのドローンとオペレーターが高尾駅に到着したのは昼過ぎだった。現場に仕掛けてきたカメラが発見されなければ飛ばさない。ほぼ数時間で発見されるはずだと坂井は考えた。そして現場カメラのライブ映像は午後2:30に途絶えた。坂井はオペレーターに命じ、ドローンを離陸させた。高尾駅周辺は厳戒態勢だろうから、念のため隣の西八王子駅付近から離陸させる。位置情報等を入力された機体はかなりの速度で一気に上昇していった。これで、あの檻の正面100m以遠から超望遠レンズ付きのカメラで動画撮影出来る。飛行可能時間を考えて、交代用の機体も用意した。Sテレビの虎の子ではあるが、Zooの犯行をスクープするためだ。局も異論は挟まない。


 柳瀬隆二の家にクール宅配便が届いた。中には立派なズワイガニが入っている。カニは妻の大好物だ。普段なら茹でてそのまま食卓に出すが、今日は隆二がキッチンに立ってカニの下ごしらえをした。丁寧に洗うと、そのまま大きな鍋で茹でる。丁寧に脚をもいで縦に割っていく。妻はこの脚からカニ用のフォークで身を引き抜くのも大好きだが、今日は我慢してもらおう。隆二が妻に贈ったナイフは、熟したトマトを紙のように薄くスライス出来る、切れ味抜群のセラミック製の物だ。「切れない包丁は切れる包丁よりも危険」と言うが、料理好きの妻が驚くほどの切れ味のナイフセットは、一般家庭で使うには少々高額だった。甲羅も丁寧に開いて大皿に並べる。妻はニコニコしながらキッチンに立っていた夫を迎えた。広いダイニングキッチンで二人は笑み合いながらカニを食べた。妻が手話で(お酒飲む?)と訊いてきた。隆二はスっと立ち上がると、スパークリングワインのハーフボトルを冷蔵庫から出してきた。二人でカニを喰いながらの晩酌は心が和む。妻は手話を使いこなすが、隆二は簡単な会話しか出来ない。外出でもしない限り、複雑な会話は筆談で済む。Wi-Fiで繋いだ2台の端末での会話は弾んだ。

 妻がお気に入りのテレビ番組を観始める。地上波にもまだ「鑑賞に堪え得る連続ドラマ」があった。字幕放送で内容も分かる。そんな妻の様子を窺いながら、隆二はカニの甲羅を綺麗に洗い、拭き上げた。そこに小型のスマートフォンを仕込んだ。電源は入れていない。この端末はGPS機能を完全に殺してある。改造されたこの端末はGPS機能を外付けしてある。GPSのみをオンオフ出来る仕組みだ。今は端末のGPS機能を利用して通信通話の可否を、最寄りの基地局が判断する。政府の決めた「通信業務内規」である。多くの国民はこの仕組みを知らない。知る必要も無い。表面上、GPS機能をオフに出来ることに満足していた。実際、GPS機能を「切った」場合、公式には追尾不能になるのだから・・・


スマートフォンを仕込んだズワイガニの殻は、脚も元のように戻され、翌日にはクール宅急便で広島県に送られた。


 広島県中区中島町。住所だけではピンと来ないが、「平和記念公園」があると言えば、国民全員が「ああ、あそこか」と思い浮かぶだろう。この町にZoo.のサテライトベースがある。やはり平凡なアパートで、全戸に人が住んでいる。2DKの部屋割りは夫婦者にちょうどいい。広島サテライトのメンバーは独り暮らしだ。そして現場に出ることは無いだろう。ただ報酬が魅力的で、今の政府に一矢報いることも出来るこのテロに合流した。こんなサテライトが全国にいくつもあるが、広島サテライトは東京と宮城のサテライトと繋がっているだけだ。全国に網のように広がってはいない。数か所ずつをほぼランダムに繋いでいる。東京サテライトだけが全国のサテライトを把握しているに過ぎない。


(クール宅配便ねぇ・・・?)


受け取った男は丁寧に梱包を解く。発送人の名前で、中身がズワイガニであるわけが無いと分かる。梱包の中にはズワイガニの殻がある。中をあらためると、見知った端末が入っていた。薄い紙に書かれた文章通りに行動する。


 「島根県の川本町付近から端末同士で通信を行ってください。GPS機能は通信時のみONです。通信内容は同封のSDカードの音声データを流すこと。念のため端末は使用後、電源を落とし、レンタル倉庫に保管してください」

 広島の男はSDカードの内容を一応確認した。音声データと言っても、何か硬いものをコツコツと叩く音が入っているだけであった。多分「モールス信号」のようなものだと察せられた。男は自分のスマートフォンをポケットにねじ込んで、島根県川本町に向かった。2時間もあれば着くだろう。

 送信先がどこの端末かは知らない。日本のどこかだろう。8月25日から9月5日まで、この「秘密通信」は全国5つの拠点から、別の5つの拠点にある端末に送信された。音声データは全てが違う内容となっていた。広島の男はふと気になってSNSやネットメディアで検索した。「Zoo」の情報を知りたかった。リーダーの名前すら知らない、「SE」と言うハンドルネームだけは知っている。宅配便の送り主の名前は偽名だろう。「柴田昭一」なんて人物はこの世に存在しないはずだ。同姓同名は多いと思うほどに平凡な名前だ。ネットで検索しても何も出てこない。Zoo.に関しては過去の事件のフェイク情報が数件あるだけだった。ネット検閲は十分に機能していた。


9月1日にネットはまた国民の手に戻ってきた。それまで耐え忍んでいたユーザーの発する情報は洪水のようであったが、肝心の「真の情報」が広まり始めたのは9月4日以降になった。女川夫妻がZooの犯行により殺害されたようだった。

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