第16話 Human.(EP2)

 宅配便の置き配を装って、2階に住む柳瀬から届いたのは度の入っていないコンタクトレンズが3組。翌日には現金800万円が同じようにして届いた。このアパートは防音は良いが、ドアの開け閉めの音は結構響く。斉藤は宅配便の配達時間と思しき時間、朝の9:00から2階のドアの音に耳を澄ませていた。コンタクトレンズも現金も重要な物だろう。特に800万円のまとまった額が入れば生活は格段に良くなるはずだ。「置き配泥棒」に攫われるわけにもいかない。監視の目があるかも知れないので、キッチンの窓を開けて、アパートに侵入してくる不審者を警戒した。2階のドアが閉まってきっちり30分後に斉藤は段ボール箱を回収した。最初に届いたコンタクトレンズの入った箱には、薄い紙に手書きで「虹彩認証情報を欺くためだ。ゲームに参加する時は必ず装着すること。「生活行動」をするだけなら、コンタクトを入れないように。ゲームセットまでそう長くはかからない」とメモが入っていた。斉藤はいつものように、その薄い紙を細かくちぎって3回に分けてトイレに流した。コレも柳瀬の指示だった。


「柳瀬隆二」。斉藤は2回に渡る配達品を受け取ったあと、ベッドに寝転んで天井を見上げる。柳瀬隆二の正体は知らない。同じアパートに住み、ろうあ者の美しい妻と共に表面上は静かに暮らしている。職業はシステムエンジニア(SE)だと聞いたが、残業をするでもなく、愛しい妻の元に帰ってくる。週のうち2日間はリモートで勤務しているそうだ。SEならばリモートでも十分なのだろう。そう言う斉藤も中規模の工場で生産管理を担当していた。他にパートタイマーの勤怠管理や品質管理もする。週休2日、出勤日は週に3回ほどで、あとはリモートと言う名の「パズル」ゲームだ。数字を合わせ、パートタイマーの出勤希望日を把握し、業務に支障が出ないようにローテーションを組む。イマドキのパートタイマーは高給になったものだと思う。以前、そう令和になったばかりの頃は、パートタイマーは「被扶養者控除」の範囲内で働くのが常識だった。わざわざ稼いで税金で持って行かれるのは割に合わないからだ。時代は変わった。パートタイマーでもガッツリと稼ぐ方が「世帯収入」が増えるのだ。全ては与党の行う増税ありきの政策が原因だ。少子高齢化対策としてぶち上げられた政策は、容赦なく独身世帯を底辺層へ押し込むものばかり。財源を増税で確保するやり方は5年で破綻した。昨年からは様々な名目で「国民負担金」と言う、人頭税まで徴収するようになった。環境保護負担金、子ども庁予算負担金、海外留学生支援基金etcetc・・・各々の金額は少なくとも、全国民に一律で負担金を課したのだ。0歳児から12歳までは「子ども手当」で相殺された。子ども手当が国民の手に渡らない仕組みまで作ったのだ。中学生以上の子供には一律負担金を課す。耐えかねた有志団体が「負担金撤廃」を掲げて活動したが、国政選挙で与党を下野させることは出来なかった。投票率を下げてみても、与党は「票田」を持っているからだ。高齢者のうち、施設に入り「認知症」の疑いでもあれば、医師はほんの数%の「家族負担」を減らす見返りに、その高齢者の選挙権を「買う」ことで、与党に擦り寄る。精神病院でもこの「票集め」は半ば公然と行われていた。当然ながら、この強盗のような政府に大人しく金を払うことを拒否する者も出る。たった1万円の滞納で差し押さえを受ける。旧マイナンバー制度の頃から、政府は国民の銀行口座情報を手に入れていた。申告のあった口座だけではない。紐づけを義務付けたことで、国民の大半は銀行口座を把握され、給与振込口座まで差し押さえた。国民は「箪笥預金」で抵抗したが、新紙幣への切り替えが5年間で2回行われ、旧紙幣は「銀行で新紙幣に交換しないと使えない」ことになった。勿論、少しずつ新紙幣と交換する「節税派」も多かったが、そんな旧紙幣の持ち主は特定され、国税庁の査察を受けることとなった。堂々と「箪笥預金にも課税する制度」と謳うことは無かったが、旧紙幣は、新紙幣が発行されるとATMすら受け付けなくなる。国民の不満に、政府は「欧州紛争ショック」で電子部品の供給が滞り、将来を鑑み、新紙幣の流通を優先したと答えた。また、「物品税」も導入された。高額な「金融商品」には20%以上の課税が行われた。株はもとより、金地金の「現物」にも課税されたのだ。令和初期の「年間50万円相当以下の売買は全額控除」と言う優遇は突然撤廃された。


それでも、国民は「野党よりはマシ」だと考えていた。


 柳瀬隆二との出会いは2年前だ。夫婦者を想定したアパートの造りは良く、2階に新たに引っ越してきたのが柳瀬夫婦だった。イマドキ珍しく、ギフト品を抱えて「入居の挨拶」に訪れて来た。やや大きめのギフト品の箱(中身は食用油の詰め合わせだった)を必死に抱えている小柄な美人が奥さんだろう。

「柳瀬と申します。明日から202号室で暮らし始めますが、うちのは耳が聴こえません。言葉も得意では無いので、ご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いします」その男はここまで言うと、横に立つ妻の腰を軽く押した。その女性はその合図でギフト品を差し出し、ぺこりと頭を下げた。美しくも愛らしい仕草だった。

 ある日のことである。柳瀬夫妻がアパートの前の路地でキャッチボールをしていた。東京とは言え郊外だ、「道路族」と揶揄されることは無い。驚いたことに、奥さんの投げる球は男性に引けを取らないモノだった。斉藤はその様子を微笑ましいと思い、しばらく眺めていた。「あ、ここ、駄目ですか?」と柳瀬が訊いてくる。「別に構わんさ。車には注意しないとな」話しかけられた斉藤は柳瀬に近づいていった。特に意味のある行動では無かった。何となく「夫婦の空気」に触れてみたくなっただけだ。

「斉藤さん」柳瀬は妻の投げるボールをグローブでキャッチして、投げ返すペースを落とした。妻は夫が階下の住人と会話するためにゆっくりキャッチボールを続けるのだろうと、返ってくるボールを待っていた。のんびりさを増したキャッチボールの合間に、柳瀬は言った。

「斉藤さん、政府のやり方をどう思います?」

「忌々しいが、今すぐ政治家が包丁を持って襲ってくるわけではないしな。その前に移民に襲われそうだが」

「政府に一泡噴かせたいとは思いませんか?」

「出来るならな。生活が苦しいと言っても、死ぬほどでは無いって言うのが、サイレントマジョリティーでいる理由さ」

「マイノリティとして僕と活動しませんか?」

「マイノリティ?ノイジーマイノリティってことかい?」

「いえ。サイレントマイノリティですよ。そしていつかサイレントマジョリティ全体が声を上げるようになる」

「何だおい、革命でも起こす気かい?」

「そんな大層なことは出来ないですね。僕は今の政府のやり方が嫌いだから、一泡噴かせたいってだけです」

「犯罪はごめんだぞ」

「何故?」

「刑務所がパンパンになって、新しい収容者は”刑務キャンプ”送りだろ?」

「ああ、待遇は良くなったみたいですね」

「ねーよ。確かに農作業の賃金として月に1万から2万円は支給される。それで日用品や嗜好品を買えるから、待遇はいいように見えるが、どこの刑務所でもキャンプでも”牢名主”様に貢がないと、刑期を終えるまで無事かどうかって話だ」

「へえ、詳しいんですね」

「ネット週刊誌で何度も読んださ。ありゃ酷いもんだ。刑務官はスルーするって言うしな」

「では、絶対に捕まらないと言う条件では?」

「絶対に捕まらない?自信家だな、柳瀬さん」

「僕の計画通りに事が運べば、無実の国民のままですよ」

「ふーん・・・あんた奥さんはどうするんだ?」

「うちのですか。ろうあ者なんで巻き込みようがないし、巻き込む必要もない」

「で、俺を巻き込むってか?」

「報酬はお支払いしますよ。成功報酬ですが。あとはボーナス的にいくらかお渡しします」

「いくらだ?」

「成功報酬で1千万円。ボーナスは活動資金と考えて下さい」

「俺とあんただけでやるのかい?」

「協力者はいくらでも集まります。どうですか?」

「計画次第だな」

「まぁいいでしょう。ところで斉藤さんは独り暮らしですよね?」

「しかも結婚歴も無しだ」

「結婚かぁ。良いことも悪いことも増える人生になりますけどね。かろうじてうちは良いことの方が多いですかね」

「妬けるねぇ、あんな美しい奥さんを娶って」

「アハハ、その話は無しにしましょう。ちょっと大きな計画になるので、斉藤さんの部屋を使わせてもらえませんか?」

「使う?」

「えぇ。占拠するなんてことはしません。全国にいくつかのサテライト・・・拠点が必要なんです。東京サテライトはここがちょうどいい」

「具体的には?」

「メンバーが連絡に来たり待機したりする程度です。1人2人ですよ」

「ヤバい奴らか?」

「違いますね。いかにもな風体の人間は目立ちすぎて駄目です」

「計画は?」

「ここでは拙いんで、そうですね、明日は休みでしょう?」

「ああ」

「近所に大きな公園がありますね。一緒にピクニックでもどうですか?」

「ピクニック?」

「上手の手から水が漏れるとも言いますしね。人払いにちょうどいいでしょ」

「分かった」


柳瀬は返事を聞くと妻の方に歩いて行った。キャッチボールはお終いらしい。途中で斉藤を振り返り、「斉藤さん、唐揚げは好きですか?うちのヤツ、唐揚げが美味いんですよ」


 女川夫妻の死因が「爆死」であると暴かれた。警視庁も政府も否定したが、現場の映像が流出してしまえば手の打ちようがない。否定したことを糾弾されたが、多少の圧力でマスコミを黙らせることは可能だった。しかし、国民は黙り込んだりはしない。SNSは「女川夫妻爆死」で盛り上がった。どう考えてもZoo.の犯行だったのだから当然だ。SNSではZoo.を英雄として祭り上げる集団が日に日に勢力を増していた。


「Zooの”檻”を見つけた。情報を買うか?」在京の民放Sテレビの報道部にタレコミの電話が入ったのは、9月3日の明け方だった。電話に出た報道部の副デスクは最初、話の意味が分からなかった。徹夜明け、勤務明けまであと4時間だ。最近は当直続きで酒を飲んでは寝て、目が醒めれば出勤の繰り返しだった。もう「オールドメディア」の権威は失墜して久しい。大きなニュースはネットメディアのH社が独占的に扱うようになった。配信を受けるネットメディアは僅かな課金で「信頼度の高いニュース」を提供する。課金額は100円から500円。ユーザーの格付けは行わず、社によって違うが「課金ユーザー」には同じニュースを流す。T新聞社の教訓から、思想偏向と思われるような報道は一切しない。過去、大手新聞社だったT社は偏向報道をくり返した挙句、記者が殺害されて解散した。遺族への賠償金を払いきれずに・・・だ。


電話を受けた坂井はもやがかかったような思考の中で繰り返した。

(Zoo・・・Zoo・・・Zoo・・・)

ようやく思考がまとまると、受話器を強く握りしめた。

「本当か?あんたは誰だ?」

「俺が誰かはどうでもいだろう?情報を買うかどうかだ」

「確実な情報なら相応の謝礼はする」

「違う違う。謝礼じゃない。情報を買うかどうかだ」

「いくら欲しいんだ?」

「600万円」

「高いっ!いくらZooの情報でも600万円は高過ぎる」

「3人で”檻”のある場所を封鎖してるんだ。1人200万円計算さ」

「それにしても高過ぎる」

「じゃ、この話はナシでいいな?他のテレビ局2つ3つにあたってみて、交渉決裂なら警察に通報する」

「待てっ!警察に通報はしてないんだな?」

「そうさ。情報を買う人がいれば売る。いなければ警察に通報して、被害者の関係者から数十万の謝礼で納得するさ」

 坂井は頭の中で計算した。報道部が1か月で使える予算の1/2にあたる金額だが、まだ月初めで余裕はある。この情報が本物ならば、600万円でも安い。このネタ1つで1か月は大衆を惹きつけることが出来るだろう。この電話を受けた自分も「社長賞」確実だ。

「分かった。600万円だな?追加とか言わないだろうな?」

「言わない。この情報はおたくが独占出来る。勿論、SNSにアップロードもしない」

「本当だな?」

「しつこいな。いいさ、他に話を持って行くから」

「待てっ!買う。買うからっ!」

「ふん。疑わしい情報はあんたらの得意分野だろうよ。値上げだ、750万円」

「最初は600万円だと言っていたじゃないかっ!」

「あんたの言い方が気に食わないんだよ。何なら他社に300万円で安売りするぞ」

「・・・750万円でいいんだな?」

「物分かりが良くなったな。今から待ち合わせ場所を言う。現場に来る記者に現金で持たせろ」

「現金?今の時代で現金なんぞそんなにあるものか」

「じゃ、そうだな・・・C社にでも300万で売るわ。じゃーな」

「分かったっ!分かったからっ!」

「おまえら、人を疑ったり交渉する資格があると思うな」

「分かった。他に要求は?」

「そうだな、俺たちの素性を洗うな。俺の許可なしにカメラを回すな」

「分かった」

「今から電車に乗って、八王子市の高尾駅まで来い。中央線だ」

「2時間待ってくれ」

「分かった。2時間15分は待っててやる。いいか?ネットメディアに劣る機動力じゃ話になんねーぞ?」


 電話を切った坂井はすぐさま報道局を出て、経理に駆け込んだ。「スクープの情報が入った。予算を出してくれ」「いくらですか?銀行が開いたら振り込みますよ。それともネット通貨で?」

「現金で750万円だ」

経理は目を剝いた。プール金で足りるかどうかの金額だ。「待ってください。現金指定で750万は無茶ですよっ!」「無茶でも何でもいい。スクープを他社に獲られたらあんたの責任だぞ」「ネタは?」「Zooだ。信頼性も高い」「Zooってあの連続テロ犯?」「だから早くしろ。ソースが期限を切って来てるんだ。2時間しかない」


 社を出て地下鉄に乗り、新宿に出るまで40~50分だろう。あとは中央線で1時間弱。間に合うはずだ・・・渋る経理から現金をもぎ取ると、坂井はカメラマンに声をかけた。「デカいネタだ。社長賞モノのなっ!」

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