第12話 Elephant.(EP3)

「おい、大久保。行くぞ」東京都日野署の刑事、木田は相棒に声をかけた。「どこにです?」と答えながらスーツの上着を自分のデスクに放り投げた。この暑いのに”外回り”とは嫌なことだ。


「車、あるか?」「覆面でしょ、抑えてありますよ。この先着順と言うのは勘弁して欲しいっすね」日野署が擁する車両の数は限られているので、大久保はサッサと確保する癖がついた。確保した以上は使わねばならないので、暇な日は木田を乗せて「パトロール」する日もある。木田を乗せていれば文句も言われまい。


「で、どこに行くんですか?」

「アリバイ作りさ」

「は?」

「アリバイを作って来いと、警視庁からのお願いが来た」

「はぁ?」

「車の中で話す。お前が聞きたいって言うならな」

「そりゃ聞きたいですよ、なんで刑事の僕たちがアリバイを作る側なんですか?」

「全部車の中で話す」

「ヤバい話ですか・・・?」大久保は小声になる。「ヤバい?違うさ、”危険”なんだよ」


署の裏の駐車場から覆面パトカーを乗り出したところで木田が命じた。

「市内を1周しろ。そのあとで○○パチンコ店に向かってくれ」「市内1周で話してくれるんですね?」「そうだ、ちょっと長い話だ」大久保はなるべく速度を出さないように注意しながら国道を避け、器用に市の外周に車を走らせた。警察署員にとって、この市は「庭」と同じだ。


「なぁ大久保」

「はい」

「お前、スマホ持ってるよな」

「あー、仕事用の方ですよね」

「そうだ。俺たちは仕事中にプライベートの端末は携行出来ない」

「朝、ロッカーに入れて鍵をかけるのが規則ですからね」

「つまり、私用でスマホは使えないわけさ」

「まぁ・・・木田さんが女のところにかけてるのは知ってますが」

「その程度は黙認さ。反社と連絡を取ったら懲罰になるけどな」

「そのスマホがどうかしましたか?」

「官給品のスマホは盗聴されてる」

「マジですか?ソレは色々と問題があるんじゃないですか?」

「業務用端末だ。盗聴したところで問題はないって、内々に了承されてる」

「はぁ。これからは気を付けます」

「そうじゃないんだ。話はもっと複雑で裏がある」

「盗聴だけじゃない、と?」

「なあ、数年前にブクロだったかで車をひっくり返した馬鹿がいただろ?」

「あー、いましたね。3日で逮捕されて・・・確か防犯カメラとかの画像解析をリレーして、容疑者のアパートまで追跡したとか」

「ありゃ、半分嘘だ」

「どう言うことです?」

「ブクロから長野県まで、隙間なく防犯カメラがあったと思うか?」

「あったから追跡出来たんじゃないですか?」

「今追ってるZoo.の件でお前も分かったんじゃないか?都内だって防犯カメラに映らない場所が結構あると」

「・・・」

「ブクロの件は単純なんだ。容疑者のスマホのGPSを追いかけただけだ。犯行後、すぐにGPSを掴んで、アパートに帰ったところまで確認されていた。多少のタイムラグが無いと国民に疑われるからな。2日間は泳がせて、適当な防犯カメラ映像を選んで公開した」

「それ、おかしいですよ?GPSなんか切ってしまえばいいじゃないっすか」

「そう。犯罪者はGPSを切るのが定石だが、アレは実際は”切れない”んだ」

「はぁ?」

「操作してる持ち主はGPSが切れていると思っているし、通常の方法では自分のGPS情報が垂れ流しだとは確認出来ない。実際、民間のその手の解析に詳しい機関だって確認不能だろう」

「でも切れていないと言うんですか?」

「表向きはGPS情報を参照出来ないだけだ。まあ普通の国民なら問題も無い。犯罪者にとっては頭が痛い問題だろうがな」

「どの程度の・・・なんと言うか・・・情報が分かるんですか?」

「さあここからが問題だ。たとえGPS情報を掴めても、誰の情報かは分からんだろう?」

「そりゃそうですよ。今のスマホ普及率は95%超えです」

「繁華街の真ん中で騒ぎを起こせば、現場にいる人間の全員のGPS情報が割れるんだ」

「なんですって?」

「そしてここまでが”法的グレーゾーン”なんだ」

「グレーゾーン?」

「GPS情報の提供元は携帯各社なんだよ」

「はぁっ!?」

「お前、ビッグデータって言葉、知ってるだろう?」

「はい」

「アレはユーザーの許可を得て収集しているって言うのが建前だ」

「違うんですか?」

「お前、スマホ契約時に”データは収集されて他社に提供されることがあります”みたいな言葉を聞いたことがあるか?」

「ないっすね」

「そう。説明しないのは法令違反だが、契約書のどこか端っこに小さな文字で書いてある」

「説明するのを忘れたって言う詭弁ですか?」

「その通りだ。総務省が本気を出せば、携帯各社は処分を受けるだろうな」

「続きを聞かせてください」

「つまり、繁華街で馬鹿をやった連中は即座に特定される。携帯各社はビッグデータについて、個人の属性を排除したデータのみ利用すると言っている。男か女か、年代はってぐらいのざっくりとした情報だな。コレだけでも、とある駅の利用者の属性や、その駅に人が集まった理由・・・そうだな、大規模イベントとかそんなもんだ。コレが以後のマーケティングに役立つって話だ」

「しかし実情は違うと」

「個人情報にマスクをかけたりしていない生のデータも蓄積される。あのブクロの事件では、防犯カメラのリレーで逮捕に至ったと発表されただろ?あれはデモンストレーションだったんだよ。防犯カメラから完全に逃げることは不可能だって意味のな。実際は、凶悪なひき逃げ事件すら、犯人逮捕に至らず3年さ」

「しかし、ブクロの事件ではけが人すら出ていないじゃ無いですか」

「だからデモンストレーションなんだよ。このGPS監視網が実際に使われるとしたら、まぁ上級国民が被害に遭った場合だな」

「じゃ、Zoo.の件もそうやって追い込んでいるってことですね」

「違うんだ。ここから先の話は絶対に人に言うな。署内でも言うな。俺はお前が巻き込まれないように話をするが、お前は自分を守れ。公安はパンドラの箱を開ける気だ」

「パンドラ?」

「国民監視システム、通称”kaleidoscope”を使うとさ」

「カレイドスコープ?万華鏡って意味ですよね?」

「経緯は知らないが、このシステムはそう呼ばれている。勿論マル秘だし、システムの存在を知る者は警察上層部にだって一握りしかいない」

「木田さん、そんな情報を何で知ってるんですか?」

「過去に首相暗殺未遂事件があったよな」

「遊説中に狙われた事件ですよね」

「あの事件の捜査に加わってな。本庁の廊下で立ち聞きしたんだ」

「あの事件では現行犯逮捕じゃないですか。捜査する必要もない」

「いや、背後関係を洗う段階でKSシステムを使うかどうかって話していた」

「立ち聞きされるような場所でそんな重要な話を?」

「喫煙所で世間話って体でな。俺は喫煙所の入り口前で耳ダンボさ(笑)」

「で、全貌が分かったと・・・」

「いや、あの事件ではKSは使われなかった。国民に知れたら大騒ぎどころじゃないからな」

「木田さんはなんでその全貌を知ったんですか?」

「ヒントは某国にある似たようなシステムだった、あの国では”Split”って名前だったし、国民に知れてしまい、稼働停止ってことになってるが、どっこいシステムは生きてるし稼働している」

「はい?」

「内緒で情報収集してるんだ。分かったろ?俺たちは”KSの稼働で犯人逮捕”ではなく、捜査員の地道な捜査が逮捕につながったって国民に思わせるアリバイ要員さ」

「と言うことは、捜査対象はかなり広がりますよね?」


「容疑者は”全国民”さ」


佐川に案内された部署には何の看板も無い。ドアも真っ白だ。

「ココが我々の本部です。いや、支部は無いんですけどね」

「公安か?」

「桐山さんはその所属にこだわる癖を捨ててください。ここは内調別班ですが、指令系統に組み込まれていません。我々に命令出来る権力はありませんし、我々が統括する部署もありません。情報収集とその情報を最適な時期に最適な部署へ。ソレが我々の役目です」

「分かった」

「では、室長がお待ちしておりますので・・・」

佐川はドア横にあるセキュリティボックスに手のひらをあてた。

「あ、ここは生体認証で護られてます。桐山さんもあとで登録してください」

「面倒なこった」


横に滑る自動ドアを抜けると、正面と右にドアがあった。真っ白なドアには何も書かれていない。佐川は桐山を右のドアに案内した。「室長室です」「正面のあのドアは?」「僕たちの勤務室ですよ。後ほど案内しますが驚くと思いますよ」桐山は顎を引いて案内されたドアを潜った。かなり広い個室だった。正面に佐川の言う「室長」と思しき男が座る大きなデスクがあり、その手前に向かい合う形で、こちらも大きめのデスクが2つ置かれていた。「室長と僕たちの席ですよ。捜査以外の仕事はここで」「ゲームもか?」桐山は嫌味を言ったが「やりたいゲーム、ありますか?」と訊き返されて毒気を抜かれた。

 室長はまだ40代だろう若さだ。ネームプレートもIDカードホルダーも身に付けていない。「奥村です」そう言うとデスク越しに右手を差し伸べてきた。素直に握手をするのも業腹だが、さりとて今後は直属の上司である。桐山はその手を握った。


「佐川。どこまで桐山さんに伝えた?」年上の桐山に敬語を使う程度には常識があるようだ。佐川は肩をすくめて「特に何も」と答えた。そうだ、俺は何も聞いてはいないと、桐山はこの時初めて気づいた。

「桐山さん。ここの存在を知った時点で、異動を断る権利は無くなりましたが、承知済みですよね?」

桐山は短く「ああ」と答えた。

「ここの目的は情報収集と解析から犯行グループを割り出すことです」奥村は立ち上がって左右に3歩ほどずつ動き始めた。「詳しい説明は佐川に訊いてください。最初にお断りしておきますが、ここは”存在しない部署”だと考えて下さい」

「どう言う意味だ?」

「言葉通りです。僕たちは存在してはいけない人間で、職務も当然マル秘どころか”Nothing”となります」

「内調のやりそうな手口だな」

「内調は関与してませんし、警視庁も公安も知りえない存在。ソレがこのkaleidoscopeです」

「kaleidoscope?万華鏡って意味か?」

「システムの仮称ですよ。正式名称はまだ無いですし、今後も名付けられることはないでしょう」

「システム?」


 木田はため息を吐くと、淡々と語り始めた。大久保は静かに聴いている・・・


「わが国では存在してはいけないシステムさ。さっき、国民監視システムと言っただろう?文字通り、国民を完全に監視するんだ。このシステムを運用することはまだ禁止だ。現在のところは上級国民が犠牲になってもシステムは動かさない。伝家の宝刀ってヤツだ。そうだな、天皇陛下や宮家が犠牲になったら・・・いやその可能性があれば使うだろうって言うほどのヤバいシステムが”kaleidoscope”なのさ。情報収集の方法は主に盗聴や違法捜査だな」

「ちょっと待ってください。違法捜査?」

「今説明するわ。先ず通信の秘密なんざ通用しない。今はインターネット全盛だろ?ココを経由した情報は全てkaleidoscopeに集められる。膨大なデータ量だが、俺が聞いたところでは3日間はログを遡れるらしい。電話だって携帯キャリアが協力してれば簡単だろう?メールもSNSも全部、運営元が情報を渡すのさ。それなりの見返りを受け取ったうえでな。さっき、GPS情報の話をしただろう?全てはそこから始まった。国家がいち個人を特定することが出来るようになった」

「個人情報?」

「そうだ。隣の国で既に国民に周知されて運用してる”ティンワン”は画像判定で個人を特定する。特定されればその個人の情報はダダ漏れさ。信用スコアまで出る。ま、あの国は人口が多過ぎるしAIの判定にも甘さが残る。しかし、kaleidoscopeは違う。そんな甘っちょろいもんじゃないんだ。大久保、お前は鬼ごっこは好きか?」

「はい?鬼ごっこって、捜査してる僕たちが鬼の役でしょう?」

「違う違う。例えばそうだな・・・3日後にスタートする鬼ごっこで、3日間逃げ切ったら30億円。やるか?」

「3日間かぁ、条件次第ですね。GPS機器を持っていろと言うなら断りますし」

「条件は無いさ。国外逃亡は禁止だが、あとは好きにすればいい。アレだ、人質を取って立てこもるなんて手は禁止だ。お前は逃げるだけでいい。逃走資金はいくらでも使っていい。どうする?」

「やめておきます」

「賢明だな。このゲームは”追う者”が圧倒的に有利なんだ。3日後から始まるって言うのが曲者でな。追う者は鬼ごっこ開始の数日前から逃走者を特定する」

「卑怯でしょ」

「いいじゃないか。スタート地点は東京タワーの下でもスカイツリーの下でもいいさ。鬼は12時間は動かない。今の日本じゃ、12時間あれば列島の端っこまで行ける」

「閉じ籠るのはいいんっすか?」

「好きにすればいいさ。GPS端末も持っていないと言う破格の優遇を受けても、2日後には捕まる、ソレがkaleidoscopeってシステムさ」

「閉じ籠っても?」

「公共の交通機関を使ったらアウト。自動車で移動なんざ、僕はここにいますよって宣伝しながら走るのと同じだ」

「逃げきれない、と?」

「もうこの国は監視カメラだらけだ」

「はい?じゃぁなんでZoo.は逃げ切ってるんですか?」

「簡単さ。kaleidoscopeを使っていないからだ」

「そんなシステム、本当にあるんですか?」

「お前が思っているよりもヤバいレベルでな。ログが3日間は残る。つまり4日間以上の活動をした場合、非常に高い精度で特定するだろうな。あらゆる情報が紐づけされる。最初はスマホなんぞのGPS情報からだ。そして5日目には”虹彩認証”で特定、追尾が始まる」

「いや待ってくださいよ。虹彩認証は本人が登録するもんでしょ?」

「あるスマホを持った人物と言うところまで特定したら、駅の改札でもどこでも虹彩認証のための情報が収集される。最近、駅の時計がデジタルになったの、気づいてるか?」

「ああそう言えば・・・」

「時計がある場所も変わった。今は改札前にあるだろ。しかも”見やすい高さ”に」

「そう言えばそうですね。いや、時計で収集とか悪い冗談ですよね?」

「誰もが無意識に見るのが駅の時計さ。特に何か用事とか、遅刻なんぞがかかれば必ず駅の時計は見るもんさ。しかもあの時計は表示が若干暗いんだ、気づいてるか?」

「そこまでは気にしてないんすけど」

「しっかり”視る”ように設計された時計さ。同じように、人が日常生活で必ず”視る”ものにはカメラが仕込まれていると考えた方がいい」

「見るだけですよね?」

「そうだ、見ると高画素のカメラで撮影される。可視光と赤外光でな。それだけで虹彩認証情報が収集される。俺の知る限りでは、精度60%ほどだが、何度も収集をくり返すから・・・」

「日常生活って、どの範囲ですか?」

「全て。歩道にある変電設備やら雑居ビルの階段の上まで、守備範囲だとさ」

「勝手に監視カメラの設置は出来ないでしょう?」

「22、いや24年ほど前の話だが、インターネットから民間の監視カメラの映像をライブで見ることが出来るサイトがあった」

「なんですか、そりゃ?」

「全てでは無いが、とある企業の製品と言うかカメラだな。その画像が漏れたんだ、本来は無いはずの場所にもカメラはあった。バグだったらしいぞ。修正まで3週間だかかかった記憶がある」

「日本国内の?」

「そう言うことだ。まだインターネット黎明期で良かった事例さ」

「違法捜査ですよね?」

「そうさ。だからkaleidoscopeは存在しないし、俺たちはこうやって地道な捜査をして犯行グループを突き止めるのさ」

大久保は黙り込むしかなかった。そして木田が数分後にメモを見せてきた。


(声を出すな。質問に答えてくれ。頷くか首を横に振ってYes・Noを示せばいい)


大久保が木田を見て頷いた。


(お前、青ヶ島を知っているか?)


大久保は少し考えてから頷いた。東京都の最果ての地、孤島だが人が住んでいる。八丈島から定期連絡船とヘリが出ているが、悪天候で欠航が多い。つまり、行くのも難しいが、帰ってくるのはもっと面倒だ。


(一緒に行くか?)


大久保はまた考え込んだ。数分考えたのちに頷いた。


(出張だ。帰ってこれるのはいつだか分らんぞ)


ここでまた木田が喋り始めた。

「そうそう、車って言うペットショップにやってくれ」

「車ペットショップですか?」

「そうだ。ちょっとヤバいブツを扱ってるとタレコミがあった」

そう言うと、木田はまたメモを書いて見せた。


(退勤後、ちょっと話そうか)

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