第11話 Elephant.(EP2)

「なぁ?」パソコンに向かっていた30代と思しき男が振り返りながら問いかける。問いかけられたのは、同じく30代らしき男だった。「なんだい?」「SEは何してるんだろうな?」「ありゃぁ何考えてるか分からん」「つってもリーダーだしなぁ、どこにいるんだろ?」問いかけられた男は天井を指差した。「上にいるよ。今頃野球でも観てるんだろうよ」「かぁー、余裕あるな」


 犯行グループ「Zoo.」のアジト、東京サテライトにいるメンバーは随時入れ替わる。基本的に檻ひとつに付き班別けされ、一度犯行に関わった者同士は二度と会うことは無い。この調子ではどこぞのコンビニのように人手不足になりそうだ。時計を見ると午後7:30を回っていた。2階のドアが開く音がした。防音の良い物件だが、ドアの軋みは微かに伝わる。ドアは一度閉じられ、数秒後にまた開いた。パソコンに向かっている男を置いて、もう一人の男が支度を始めた。「散歩のお誘いだ」

 2回の夫婦者に子供はいない。平凡な夫婦であった。多少、妻が美形だったが、芸能界入りするほどの美形でもない。清潔感のある20代後半の女性と言ったところか。夫には取り立てて特徴は無い。いや、全てが「平均値」に近いので悪目立ちすることはありそうな感じである。夫婦は賃貸の階段を降りると、そのまま駅前のスーパーに向かう。「散歩のお誘い」を受けた男は無関係な方角に歩いていく。ポケットに突っ込んだ片手に硬貨が振れる。


(缶コーヒーでも飲むか・・・)


ちょっと先に見える自販機の灯りを目指した。お目当ての缶コーヒーのボタンを押す。まだ100円で売っているのがありがたい。「Zoo.」のメンバーと言っても「お手当」が出るわけではないのだ。多少の借金を抱え、解散後の報酬だけが頼みの綱だ。「SE」と呼ばれるリーダーはそう約束した。

 プルタブを引くと一気に飲み干した。夏の夜に自販機で買ったばかりの缶コーヒーは最高のご馳走だ。しつこく甘いのもご褒美だ。空き缶をくずかごに放り込むと、先にある公園まで歩き始める。恐らく、公園到着は2階の夫婦者とタイミングが合うはずだ。いつもそうだった。日曜日の昼間の公園、夕方の公園。時間帯は様々だが、必ず邂逅出来ている。今回もだ。


「相変わらず奥さんは綺麗だな、おい」

「まぁ惚れた弱みでね・・・」

「よく言うよ、奥さんは何も知らんのだろ?」

「ああ、アレは耳が聴こえないからな。利用しているわけでも無いし」

「まぁいいや、女はどうする?」女川夫妻は「女」と言う記号に置き換えられている。

「警が動くのを待つ」

「Kね・・・動くかね?」

「動くさ。しかもろくでもない方法でな」

「ろくでもない?」

「対策は考えてある。トッポは?」

「押し込んだままさ、美味しいご飯を暗闇で食ってるだろう」

「トッポの始末はまだ先の話だ。それまでは健康なままで飼っておく」

「そう来ると思ったよ。それでいいのか?」

「もう2つ3つ、個室を用意しないとならん」

「おい、時間・・・」

「2分か、ま、すれ違いに挨拶しただけだ」


そのまま夫婦と30代の男は公園出口まで一緒に歩き、出口を出た後、軽く「バイ」と手を振って別れた。夫婦者はこのあと、お目当てのコンビニでくじでも引くのだろう。30代の男は自室に帰らずに、駅前のパチンコ店で1時間ほど遊んだ。


 完全に弄ばれている・・・桐山はモニターを見ながら歯噛みする。政治家、政治家ときて、政治家の警護を固めたところで今度は弁護士夫婦だ。考えてみれば、犯行グループは「政治家を狙う」とは言っていないのだ。攫われた弁護士夫妻「女川剛・綾子」は、一般国民から見たら、「政治家並みの国民の敵」であった。つまり、犯行グループはターゲットを「国民の敵」に絞っていると言うことになる。これでは、この先誰が標的になるか予想もつかない・・・違う、「この先」は無いんだ、絶対に松下と女川夫妻を救出するのだ。

 女川夫妻の行方不明に関しては「報道協定」が結ばれた。各報道局の次長クラスが「オフレコ」を条件に、秘密裏に集められ、「失踪なのか誘拐なのかはまだ未確認だが、万一のことを考えて報道は差し控えるように」と通達された。ただ、弁護士会の立場からすれば、女川夫妻ほどのビッグネームが不在のままと言うのも隠しようが無いので、2回ほど「東京のローカルニュース」で夫妻が失踪したと報道することが承認された。実際、犯人からの要求も無く、かと言って女川夫妻が行方をくらます理由もなく、この事件は「松下党首捜索」の影に隠れたようなものだ。


 女川夫妻。夫も妻も弁護士である。主に刑事事件を得意とするが、その弁護姿勢は度を超えて法を舐め切ったものだった。死刑囚の弁護団に名を連ね、あらゆる手段を使って死刑制度廃止に持ち込もうとする。被害者遺族はもとより、国民からも嫌われていた。今抱えている事件の主犯と共犯者は死刑判決が確定している。それでも「再審請求」をくり返して延命を図っている。コレが”正義感”からの行動ならば、幾ばくかの援護もあったのだろうが、これら「死刑囚の弁護団に名を連ねること」が売名行為であることは明らかであった。弁護を引き受け、結局は刑が執行されると、女川夫妻は次の「目立つ犯罪者」に近づいていくだけなのだ。そして今は「難民問題」に興味を示しているらしい。勿論、移民側の弁護を目的に。移民弁護ともなれば、巨額の金に手が届く。移民を擁護している団体の資金は潤沢だ・・・


 桐山は喫煙所でため息を吐く。被害者は国民から「敵」と認定されている。確かに、被害者側の人間は人脈も地位もあり強固であるが、右も左も、保守も革新も無い「無辜の民」にとっては、生活を苦しくし、凶悪犯罪者を弁護して高笑いする「敵」でしかない。普段の生活では意識しないが、ニュースになれば「またこいつらか」となるような者ばかりなのだ。桐山も仕事を切り離せば、若山も高山も松下も・・・女川夫妻も「国民の敵」だと言うことは理解出来る。しかし、自分は職務上、そんなことは言えない。特に今回のような大規模テロともなれば、マルテ捜査本部長としての責を全うする覚悟もあった。

その桐山の眼前に紙カップが差し出された。考え事に忙しくて気付かなかったが、誰か他の課員がタバコを吸いに来たらしい。

「桐山さん、ブラックのアイスコーヒーでしたね」桐山に紙カップを渡すと、その男は隣に座った。涼しい顔をして炭酸飲料の香りを漂わせている。

「佐川、か。何の用だ?」渋々と言った体で紙カップを口に運ぶ。

「桐山さん、信頼出来る部下はいますか?勿論、今のマルテの中にってことですが」

「副本部長。当たり前だろう、信頼出来る人間だからこそ俺の直下のポジションにいる」

「捜査に関してはどうでしょうか?」

「それも信頼出来る。ヤツぁ公安とも親交があるほどだ」

「じゃ、マルテを任せることは可能ですか?」

「何が言いたい?俺は無能なせいでクビか、はっ!」

「うちに来ませんか?」

「なんだと・・・」

「内閣調査室付けと言っても、完全な独立チームです。権限はご存じの通り。必要があれば警視総監だって拘束出来ると言えば分かりやすいですか?」

「なんでお前のような青二才がそんな権限をっ!」

「まぁまぁ。言い過ぎましたが、内閣調査室の”機動部隊”みたいなもんです」

「そこへ来いと?容疑は何だ?」

「あははー。違いますよ、メンバーとして来てくれませんか?」

「お前、馬鹿か?捜査本部をおっぽり出してお前の部下になれってか」

「犯行グループ、アゲたくないですか?」

「・・・どういう意味だ?」

「今のマルテでは無理です。やり方が古臭い」

「この捜査方法で戦後の治安を守ってきたんだっ!」

「時代が変わりました。そろそろ新しい手法も考えねばならない時です」

「ソレが出来るのがお前らってか?自惚れるのも大概にしろ」

「だからですよ」

「何がだ?」

「僕たちのチームは犯行グループを追い込むことが出来ます。しかし実際の現場の人間を指揮したり統制したりは苦手なんです」

「だから手を組め?」

「簡単に言えばそうです」

「ふざけるな。俺は警察官だ、内閣調査室のコマになる気は無い」

「内調では無いんですが・・・まぁいいでしょう。その内調の特別班の次席を用意します」

「はぁ?」

「つまり、僕と同じポジションですよ。上にいるのは室長だけです」

「なんだその室長って言うのは」

「特別班の班長じゃ響きが軽いもので・・・室長と言う呼称になってます」

「マルテを捨てろというのか、馬鹿かっ!」

「マルテは副本部長に任せてしまえばいい。マルテの協力も必要ですから」

「待て待て。その特別班に入りメリットが無いじゃないか」

「質問されると言うことは、多少は心が動いてますか?」


 桐山は、実はこの佐川と言う男の話に興味を持った。それも「強い関心」とも言えるレベルで、だ。何よりも「犯行グループをアゲることが出来る」と言う言葉に魅かれた。確かに、今のマルテの捜査能力で犯行グループまでたどり着けるかどうかすら分からないのが実情だ。地道に残された物証を調べ、そこから得られたデータを元に刑事たちが歩き回る。犬も歩けば棒に当たると言う話を地でいくしかない。そしてソレにも限界はある・・・

「内調に行くってことは出向となるんだよな?」

「これ以上は桐山さんの返答を待ってからお話しますよ」

「Noと言えば?」

「僕はこのあと、次のゲーム機を買いに行くことになりますね」


佐川の口ぶりから、この異動の話は「出向」なんてレベルでは無さそうだ。明確に「出向です」と言わないのだから当然だろう。そしてここで断ることも可能だし、その代わり明日からは新しいゲームに興じる佐川を横目で見ながら、進展しない捜査に苛立ち続けるのだろう。

桐山は両手を肩まで挙げて小さく万歳をした。

「ふん、毒を食らわば皿までじゃねーぞ、しくじったら室長とやらの上司の喉笛まで嚙み切ってやる」

「あはは、じゃその喉笛が噛み切れそうか確かめに行きましょう」

「なんだ、今すぐか?」

「この話は非公式なんですよ。誰も桐山さんをスカウトなんかしていないんです」

「内調って奴ぁどうしようも無ぇな・・・」

「だから存続出来たとも言えるんです。この話は室長から話がありますよ」

「マルテはどうするんだ?」

「桐山さんが体調を崩してる間は副本部長が指揮を執ります。その後、正式に本部長に昇格するでしょう」

「俺はもう、マルテでは用無しってことかよ」

「表面上はマルサに出向ですね。あそこも捜査する人員が足りない。やり手の桐山さんなら上手くやるでしょう」

「なんだって?」

「あとは室長とお話ください」

「マルテはどうなる。しばらくしたら解散か?」

「いえ、ケルベロスの一角として機能します」

「ケルベロス?」

「失礼。これ以上はまだ言えません。さ、室長が待ってますので」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る