第10話 Elephant.(EP1)
第三の事件は高山祥子議員の「自殺」で決着した。まだ救出の可能性を残したままである。少なくともマルテ捜査本部はそう判断していた。ただこの事実を公表することは出来ずにいる。幸い、事件の全貌は知られていない。そう思っていた。
「今回の事件のやり口は荒っぽい。どこかに重大な証拠があるはずだ。洗えっ!」桐山本部長の号令の下、捜査員は犯行グループに繋がる情報を収集することに専念した。確かに手口は荒っぽかった。広い一方通行に大型トラックが進入、10数分後に高山を乗せた公用車が続いて進入している。直後、どこからともなく現れた警備員がこの一方通行を封鎖している。名目は「緊急水道工事」である。手際よくカラーコーンと虎柄のバーで道を塞ぎ、鉄製のお馴染みの看板を立てた。3人の警備員が通行止めを維持した。そして30分後、急に通行止めを解除して、資材と共に徒歩で現場を去った。
大きな資材は現場から20mも離れていない路上に放棄されていた。警備員の制服や装備が発見されたのは、そこから更に10m離れた狭い路地に面した空き地であった。大型車の線は無いと判断された。ドライバーは自分から出頭して、嫌疑不十分で釈放されていた。大型車内には、一切の証拠は残されていない。単に荷台を使われただけだろう。公用車を運びこむ時に使用された鉄製のスロープ板は車外で発見されている。
「ここです」捜査員が地図を拡大表示した画面を指す。現場となった一方通行から30m離れた細い路地だ。「この路地で犯行グループ、つまり警備員姿の男たちは着替えて逃亡したと思われます」「思われますだぁ?」「すいません、防犯カメラが無いんです。付近走行の車両のドライブレコーダーでは、道路封鎖の様子は確認出来ますが、この路地は死角となってました」「着替えたのなら、警備員の制服は押収出来ただろう。微物やDNAは?」「ポリバケツの中から発見されましたが、塩素系漂白剤に浸かった状態で、微物もDNAも検出不能でした」「制服の出どころは?」「奈良県内の警備会社から盗まれたものです」「盗犯か。捜査状況は?」
重要だと思われた証拠品に手掛かりは残されていない。奈良県警が言うには「ここは東京と違って、防犯カメラは少ない」ので、盗犯の映像は無い。道路を封鎖した資材も、奈良市郊外の工事会社の資材置き場から盗み出されたものだった。スロープ板でさえ、現場に持ち込んだ車両の特定が進んでいない。
「何故、犯行グループはわざわざ自ら行った通行止めを解除したんだ?」桐山はこの点が心に引っかかる。警備員姿の男たちは、解除なんかしないでサッサと逃走した方がはるかに「安全」なのだ。封鎖に使った資材など捨てていけばいい。一方通行は封鎖したままでも困らないのだ。それよりも資材を運搬中に見咎められる方を嫌うだろう。しかし犯行グループは、わざわざ解除した。これが高山事件の早期発見に繋がった。大型トラックが一方通行に進入後、僅か20分で公用車を拿捕し、仕掛けを施して路上に戻す。公用車を襲ったグループはそのまま徒歩で現場を去っている。一方通行の出口付近を映していた防犯カメラには怪しいグループは映っていなかった。この出口付近の防犯カメラの映像は徹底的に解析された。一方通行からの出口はここしかないのだ。必ず現場を立ち去る犯行グループが映っているはずだ。目を皿のようにして画像の粗い動画を何度も巻き戻しては再生をくり返した。結果、幹線道路を走る大型トラックがカメラ前を通過した直後に犯行グループらしき4人が映っていた。正しくは、画面左から大型トラックが横切り、通行人の人数が4人増えた。カメラ映像の左から右へ向かう通行人が10名映っていたが、トラック通過後に14人に増えた。これ以上は画像が粗くて判然としないが、増えた4人が犯行グループだと推測出来た。この4人を追跡しようと、付近の防犯カメラの映像が集められたが、空振りに終わった。4人は幹線道路の歩道を20mほど歩き、路地に消えた。路地を映すカメラは無かったので、確実では無いが、次の防犯カメラのエリアには怪しい人物がいない。路地に入り、着替えてからもと来た道を戻ったのだろうと結論された。そして、犯行グループ仲間の車に乗り込んだか、道路沿いのビルに入ったのだろう。こうなるとお手上げだった。解像度の高い映像はとうとう見つからなかった。ドライブレコーダーの映像は可能な限り収集、確認されたが・・・
公用車に残された証拠も集められた。爆薬はC4(プラスチック爆薬)が使われていた。若山事件では「アンホ爆薬」も使われていたが、高山事件では爆発力と瞬時に反応する性能を満たすためにC4のみを使ったのだと思われた。車内は高温高圧に晒され、物証は発見できなかった。また、この犯行グループが社内に証拠を残すとも思えなかった。現場に入った鑑識課員は地を這い、舐めまわすように証拠を探した。結果、爆薬の組成や使われた部品の残骸は発見出来たが、爆薬を除けば、どこにでもある部品ばかりである。使われていた被覆線(電流を流す電線)の一部に「市販品ではない」ものがあり、この線から捜査が進むかも知れないと期待されたが、この被覆線はとあるメーカーの電気製品から転用されたものだと分かり、捜査員は落胆した。20年以上前の電子レンジかトースターから引き抜かれた電線なんぞは追いかけようがない・・・
高山事件は大々的に報道された。高山祥子の困窮者・貧困者ビジネスは大きく報じられたことは無いが、いわば公然の秘密であったし、与党でも野党でもない無所属議員である。忖度する必要は無かったのだ。ただ、警視庁から死因の報道は控えるようにとの通達があった。警視庁は難しい判断を迫られたのだ。若山事件は「熱中症による脱水死」から、現場での爆発が起こったと発表された。詳細は公表されていない。高山事件は市中で起こり、悪いことに一部始終をテレビ局が飛ばしたドローンで撮影されていた。公開できたのは公用車をパネルで囲んでから、爆発が起こる1時間前までの映像だったが、この映像で公用車内に「何らかの補給」、つまり飲料水や食料、更には公用車を冷やす大型のクーリング機材の使用まで映っていた。死因を「熱中症」と発表するには無理があった。しかし、警察や自衛隊が見守る中で「爆死」したとあっては、失態を糾弾されても仕方がない。結果、気温が上がり、何らかの火にガソリンタンクに引火したと発表された。「連続爆死事件」ともなれば、蜂の巣をつついたような騒ぎになることは目に見えていた。当然、SNSサイトは規制された。事件に関係する投稿は即時削除の対象となり、同アカウントは凍結の処分を受けた。徹底して言論を封じた形だ。そして、また若山事件と同じことが繰り返される。「匂わせ投稿」を慎重に追うと、とある私設ニュースサイトにアクセス出来る。そのサイトはフィリピンに開設され、ロシア語で検索しないとヒットしない。それも、アメリカのマスコットキャラクターの名前を冠したサイト名である。ただ、ここをリーチサイトとして、アメリカ国内の「日本語サイト」に飛べる。帝政ロシアを名乗るサイトは、中東を経由して開設されていた。インターネットに詳しいグループの関与が疑われる。中東やアフリカ、紛争中の地域を抱える国等を介した場合、追跡も管理者の特定も出来なくなるケースが多いのだ。日本からのアクセスは遮断出来なかった。フィリピンもアメリカも「友好国」なのだ。ここで関係をこじらせるわけにもいかず、日本政府が根回しをして正式に該当サイトの凍結がなされたのは、事件から1週間後だった。情報が拡散するには十分な時間だった。
(連続爆破事件だって!)
(天誅って奴?)
(ZOOってえぐいな)
(やり口がプロだよね)
(ざまぁって感じぃ)
(高山は人〇しだったしな)
(ソレどこ情報?)
(ソースは消えたよ、インフルエンサーが関連を調べてるって)
(情報統制あるよ)
(検閲反対!)
(もう凍結祭りが始まってる)
(ZOOの応援しない?)
(移転先、探したい)
9月1日、言論の自由が復活した。最初に気付いたのはネットニュースメディアだった。彼らは毎日、確認のためにわざわざ検閲を受けそうな投稿をしていた。1時間おきに1回ずつ。当然、この投稿は陰で非公開にされていたが、9月1日、0:00をもって全ての投稿が公開になった。投稿するアカウントを社員や外注のライターがフォローしていたが、8月31日までは表示されなかったアカウントの投稿が読めるようになった。この事実は、最初はそのメディアのニュースでひっそりと報じられた。やがてそのニュースはSNSサイトを駆け巡り、ユーザーは「自由だっ!」と沸きに沸いた。今までの規制が嘘のように消えたのだ。規制をかけていたのは「政府か警察」と言う言説から、この突然の解放である。政府は(警察は)とうとう真実の隠ぺいを諦めたと、ユーザーたちは凱歌をあげる。
事件発生を「模型の送付から始まった」と数えれば、半年で情報は全て国民の知ることとなった。最後の犠牲者は1か月半前、夏の車内で死んだ高山となる。この事件もその概要がSNSに流れて行った。大手メディアは関知せずの態度を貫いたので、高山の死の瞬間映像は出なかった。しかし、大方の想像通り、若山事件と同じように「爆発が起こった。この爆発で高山は死んだ」ことが噂以上の信頼度アリとして伝わっていった。
そして、松下党首の行方探しが始まった。警察でも公安でもない。SNSユーザーが自発的に情報の交換を始めていた。「松下は死んだのか?」と言う問いかけから始まった「SNS探偵」の活動はあっという間にピークに達し、巨大掲示板にも専用のスレッドが立った。
高山の死亡の報を受けたマルテ捜査部には、ある種の諦観がはびこり始めた。この事件に終わりはあるのだろうか?松下党首は行方不明のままだ。拉致監禁から「犯行グループからの要求」と言う既成概念は崩れそうになっていた。もしかしたら・・・もしかしたら犯行グループには何の要求も無いのでは。そうなると捜査手法が限られてくる。「要求がある」と考えているからこそ、あの忌々しい檻の仕掛けの解除方法もあると思っていた。マルテ捜査本部長の桐山は頭を抱えそうになったが、今ここで自分が折れてしまうわけにはいかない。
「おいっ!本当に何の要求も無かったのか?確認しろ、全ての連絡手段を洗えっ!」桐山はそう命ずると、喫煙コーナーに足を運んだ。庁舎内は全面禁煙だが、古いタイプの刑事には愛煙家も多く、非公式だが喫煙所があるのだ。桐山は壁際にあるカップ式の自販機でブラックのアイスコーヒーを買う。決まったようにノンシュガーコーヒーを飲む。合成皮革の長いベンチに座り、足を投げ出して深呼吸をする。自分が落ち着かねば。そうすれば何かの見落としに気づくかも知れない。
隣にあの若造が座った。忌々しい男だ。高山の死後もマルテに居座り、捜査状況を確認しては18:00過ぎに部屋を出ていく、たまにふらりと消えることもあるが、マルテの捜査状況が気になるらしく、1日の大部分をマルテで過ごしていた。いつも持ち歩いている携帯ゲームはクリアして別のゲームを始めていたが・・・
佐川陽介。多分「偽名」だろう。内閣調査室のエージェントはその存在すら悟られていないのだ。省内だけで通用する記号、ソレが「佐川陽介」と言うだけのことだ。佐川は1度、桐山の隣に座った後すぐに立ち上がり、目の前の自販機で炭酸飲料を買って、また桐山の隣に座った。
「何だ、何か用か?」
「桐山さん知ってますぅ?女川弁護士夫妻が行方不明だって話」
何が「ますぅ?」だ、気の抜けた言葉を使いやがって。今はそんな夫妻を気にしてる状況にないじゃないか・・・いや、待てよ・・・?
「女川って、”あの”女川かっ!」
「怒鳴らないでくださいよ。聞こえますって。そうですあの女川夫妻です」
「聞いてないぞ?」
「まだ捜索願が出てないだけですね。今朝、弁護士会館で行われた会議に出席するはずでしたが、来なかったそうです。その後も連絡が取れないので、女川夫妻の所轄署に相談があったと言う段階です」
高山の事件から2週間が経過していた。暑い夏は捜査員の体力どころか気力まで削っている。松下はどこにいる?高山事件の捜査はどこまで進んでいる?
捜査は進展していない。桐山の叱咤に耐えながら捜査員は靴底を減らす。そこへ、今度は弁護士夫妻だと?
「国会議員じゃないのか?」桐山はカップの底に残った氷を見詰めながら呟いた。
「さぁどうでしょう?Zooが狙っているのは国会議員だけでしょうか?」
「高山みたいな・・・いやいい。女川夫妻も標的になるのか考える」
危なく、「高山みたいなアバズレ」と、本音が出そうになった。
「考えているうちに、どこかで発見されそうですよ?」
「お前、何を掴んでいる?」
「何も」佐川は肩まで上げた両手を肩と共にすくめた。
あと3日で8月。
3つ目の「檻」は準備を終えていた。
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