第9話Tiger-4
「高山は助かりませんよ」
桐山の脳裏に、怒りと共に佐川の言葉が甦る。何が特別チームだ、公安だ。あの若造は18:00を過ぎた頃に「私の勤務時間は終わりですので」と言い残して、テーブルの上にポータブルゲーム機を置いてドアを出て行った。高山が助からないだと?例え悪党でも命を救うのが俺たちの務めだ。ここで死なれたら、高山の罪の追求も出来やしないのだ。
「おいっ!自衛隊からの連絡はまだか?」高山が監禁されている公用車のドアに穴を開けて、そこから救出する作戦は可能なのだろうか?いや、他に方法は無さそうに見える。あとは犯行グループからの要求待ちだ。テロには屈しないが、ひと先ずは高山を救出するべきだ。身代金の要求ぐらいなら受け入れてやる。ただし、金を渡したら3時間以内にとっ捕まえて、警察をからかった罪のデカさを思い知らせてやる・・・
「時間がありませんので結論から申し上げます。ドアに穴を開けて救出することは不可能です」
迷彩服の自衛官はそう報告すると、敬礼の形の右手を下ろし「気を付け」の姿勢になった。そして黙り込んでいる。桐山の指示を待っているのだろう。桐山も報告の続きが気になるが、今は事態の収拾を優先しなければならない。
「犯行グループからの接触はっ!?」
「ありません」
「犯行グループは現場から立ち去った。時間もほぼ特定出来ている。捜せっ!」
「今、付近にある防犯カメラの映像を解析中ですっ!」
「いいか!必ず接触してくるはずだ。それから、接触後の救出方法があるはずだ、こちらからその方法を探れっ!」
「了解」
桐山は報告に来た自衛官に向き直った。「所属は?」「陸上自衛隊、○○本部工科二尉であります」本部?「どこだって?」「失礼しました。中央即応本部であります」「解散しただろう、アレは」「即時対応集団として再編されましたっ!」
警察組織のややこしい仕組みは分からないが、政治家の「先生」が被害者になると、様々な「思惑」が絡み合って、あの佐川みたいな奴も現場に土足で踏み込んでくるのだろう。自衛隊だって同じだ。
「何故、ドアに穴を開けて救出出来ないんだ?」陸自二尉に向き直って訊く。
「穴を開けることは可能ですが、この時の作業による車体の振動で、窓ガラスに渡されたツッパリ棒・・・と言えば良いのか分かりませんが、あの棒が落ちる可能性があります」
「落ちないようにテンションがかかっているはずだ」
「そのテンションがどの程度か不明であり、万が一作業中に棒が落ちたら作業中の隊員も巻き込まれる可能性があります」
「巻き込まれる?そのために自衛隊だろう」
「我々は”使い捨ての駒”ではない。コレは○○本部の総意です」
「・・・ドア以外の出入り方法は無いのか?」
「トランクルームからとも考えましたが、やはりあの棒が厄介です。しかも今回は爆発する仕掛けの全容が分かりません。見えている仕掛けだけとは思えません」
「どう言うことだ?」
「前回の・・・若山議員事件の場合は檻の仕様が分かっており、救出は出来ないと判断されました」
「なんだと?」
「あの事件では、檻の中に飲料水や食料を送り込む方法は考案されましたが、間に合いませんでした」
「救出方法が無かっただと?」
「そうです。若山議員が元気であれば、飲料水等の補給で命を繋げただろうと言うのが上層部の判断でしたが、救出を阻む赤外線センサーと、このセンサーへの電源供給が止まった時点で爆発は起こりました」
「今回は爆発の仕組みは分かっていない。高山議員からの聞き取りで、ドアを開ける若しくはドアガラスを下ろすと爆発することは確定だ」
「その通りですが、若山議員の場合と比較すると”どうにか出来そうな”方法を封じる仕掛けがあると思われます」
「おいっ!今回の”檻”の仕様書はどこかに届いていないのかっ!」
桐山は部下に怒鳴る。
「ありませんっ!」
「今の時点で、ドアに穴を開ける等の方法をとった場合の成功率は20%以下と見積もられました。また、ドアに穴を開けた時に、ドアガラスを支持しているアームが僅かにブレた場合、最大で2㎜、水平方向に倒れ込む可能性も高いと言うのが研究所の見解です」
「爆発しなかったら?」
「どう言うことでしょうか?」
「高山の隣にある爆発物がフェイクだったら?」
「そのような分の悪い賭けには乗れません」
「自衛官だろうっ!多少の危険は織り込み済みじゃないのかっ!」
「失礼ですが、桐山本部長。あなたは部下に死んでくれと言えますか?比喩じゃ無いんですよ。本当に死ぬんです」
桐山は言葉に詰まる。
「我々は国土防衛のためなら死ぬ覚悟はあります。しかし、このような事件で犬死をさせることは出来ません。それでも今の状況で救出作戦を敢行しろと言うのなら・・・」
「出来るのか?」
「我々を直轄している連隊長以下、少数精鋭チームが対応します」
コレはつまり、陸自司令官に「死ね」と命ずるのと同じだ。桐山にそんな権限は無い。救出を厳命すれば陸自司令官が出て来るしかないと言う「脅し」に近い。そして、失敗すれば死だ。
「報告があります」
「なんだ?」
「ドアを切り取る作業はリスクが高いですが、10㎝四方程度の穴を開けることは可能だと思われます」
「穴ぁ?」
「少なくとも水や食料の補給は可能と言うことです」
「・・・やれ。死なせたら元も子もないんだ」
高山祥子は気が狂いそうだった。たかが車に閉じ込められただけで何でこんな目に遭わないと行けないのだろう。車の周囲を壁で囲われている間は、迷彩服の男たちが往ったり来たりした。車内の蒸し暑さは若干だが緩和された。壁の内側に挿し込まれた送風機のお陰だと言うことは理解出来た。だがそれだけだ。作業が終わると同時に、迷彩服の姿は消えた。ドアガラスに貼りつけられたスピーカーからの声が聴こえるだけだ。いちいちくだらない指示を出してくる。飲料水を届けるまで時間がかかるから、自分の尿を飲めですって?高山祥子は反発して、尿を垂れ流した。ついでに糞もひり出してやった。私が何をしたって言うの?こんな目に遭うようなことはしていない・・・高山は自分の犯してきた間違いを認めないから憶えてもいない。若者の命を喰らい、肥え太ったと言うのに。
車内温度は30℃を下回ることは無かった。いくら冷気を吹き付けたところで、一度上がった車内温度は容易には下がらない。高山の体温ですら熱源になるのだ。喉が渇く、空腹のせいで胃が痛む。とっくにジャケットは脱ぎ捨てた。そろそろ糞尿で汚れたこのスカートも脱ぎ捨てるようだろう。誰が見ていようと知ったことでは無い。その代わり、警察と自衛隊に関してはその不手際を国会で徹底的に追及してやる。最低でも億の単位の金をもぎ取らないことには収まりがつかない・・・
車内に監禁されてから7時間が経過した頃、ドアに穴を開けて補給をすると、窓ガラスに貼られたスピーカーが伝えてきた。忌々しいスピーカーだ。高山はわざと証言を拒んでいた。国会での取引材料にしてやる。死にたくはないから、どうすれば爆弾が爆発するかは教えた。大型車に連れ込まれたことも伝えた。ソレだけだ。犯人?そんなものは警察が歩き回って探せばいい。高山が見たのは、覆面をした男3人だけだ。そうだ、あの運転手。自分だけ助かりやがって・・・共犯として糾弾してやろう。いや、刑務所に送り込んで出てこれなくしてやる。高山はこの事件の責任を全て「誰かに押し付ける」ことで精神の平衡を保っていた。いや、この「他責主義」こそ、高山の行動原理なのだ。
高山の乗る公用車は事件発覚後2時間ほどで、パネルで囲われた。車を見下ろす窓はほとんど無かった。裏道と言うか、アスファルトの劣化した2車線にはちょっと足りない道路である。両脇のビルは背中を向けている。数少ない、公用車を見下ろせる階段の窓や、非常階段は警察が占拠した。
SNSサイトではこの事件の概要が明かされつつあった。驚くことに動画配信者の中には「サーモグラフィ撮影装置」を投入した者が複数いたのだ。この画像から、高山の乗る公用車のエンジンが停止していること、車体温度が50℃を超えていたことが配信され、掲示板では様々な憶測が流れていた。高山死亡説も囁かれたが、車体をパネルで覆ったことで「生存説」が優位になった。何よりも、現場での動きが無いことが「生存説」を裏付けたようなものだ。「第二のZoo」と名付けられたスレッドは伸びに伸びて何本ものスレッドを消費した。SNSサイトでは、多分若者ユーザーが主導したのだろうと思われるが、「#高山処刑」が注目タグに躍り出た。ただただ事態を面白く紹介する発言が目立った。同じタグで高山の身を案ずる投稿もあったが、勢いがない。高山の悪辣さは、SNSのフォロワー数1万人レベルのユーザーが数年前から発信していたのだ。管理売春、人身売買何でもござれの悪の中心人物として。このユーザーは摘発を恐れて「アカウントに鍵」をかけていた。古い馴染みのあるアカウントにだけ情報を公開して、公開を受けたアカウントがたまに「それとなく」情報を拡散させていた。
この情報網は事件発覚後1時間で爆発するように情報をばら撒いた。
現場は警察に完全制圧されていたが、2機の小型ドローンが公用車真横のビルの屋上に着地していたことには気付かなかった。ドローンの飛行が禁じられている場所だ。そもそも、ドローンは市街地や道路上の飛行を禁じられている。つまり、想定されていないのだ。若山事件の時は大型ドローンが飛んだらしいが、あの地域は山の中だ。まさか人目に付きやすいこんな市街地でドローンを使う者などいないだろう。現にドローンに警戒を開始してからは1機も発見されていない。事件発覚後の早い段階で小型ドローンが既に着地済みだとは思っていなかった。ドローンには小型カメラが搭載されていた。画質は良くないが、映像はリアルタイムでドローン運用者の報道局に届けられていた。映像の公開には慎重さを崩さない報道部も、公用車がパネルで囲われたまでは公開するつもりだった。ただし、ドローンの存在を気取られたくはないので、公開するのは事件解決後と決定された。路上に停止している公用車の映像は放送済みだ。今は、報道部総出で、SNSサイトに情報を流しているアカウントと交渉しようと躍起だった。
不思議なことに、決定的な映像や、確度の高い情報の持ち主はマスコミとの交渉を拒んだ。報道部は「事件に巻き込まれることを恐れたユーザーが多い」と判断した。「公共性が高い」と勝手に思い込んだマスコミは「無許可で動画や情報を収集」することにした。そして、この違法収集に異を唱える者はいなかった。ユーザーもこの無法を容認しているように見えた。
夜になった。公用車を囲うパネルの密室の中には灯りがともされていた。大きなものではない。車内ではどうにか腕時計が読める程度であった。20:00になる頃、ドアガラスに貼りつけられたスピーカーから「車内に補給をするため、ドアに穴を開けるのでドアから出来るだけ離れて」と連絡があった。高山はもう限界だった。糞尿の臭いで呼吸をするのも辛い。仕方なく「口呼吸」をしていることが、喉の渇きに一層拍車をかけていた。暑い・・・喉が痛い・・・喉の痛みが乾燥からくるのか、水分不足からきているのかも分からない。だらしなく後部座席の右半分に身を寄せていたが、ドアに穴を開けるですって?渋々ドアから離れ、クソ忌々しい爆弾の入った箱に近づいた。あの男はドアを開けたりガラスを下げたりしたら爆発すると言っていた。触ったら爆発するとは言っていない。それでもこの箱に触るつもりは無い。
ドアに穴を開ける作業は慎重に行われた。ドア自体に振動を与えるだけでも危険なのだ。完全防備の自衛隊員が汗にまみれながら作業をする。もしも爆発したら、爆弾の規模にもよるが、ただでは済まないだろう。しかし、この作業での損耗は許容範囲だった。「成功の可能性が高い」のならば、自衛隊は犠牲を厭わない。
公用車の設計図から、穴を開けることが可能なのはドア下部のヒンジ側だった。ここに10㎝四方の穴を開ける。室内の高山から見れば、足元の下方になるが贅沢は言えないだろう。ドアの構造部材の「サイドインパクトビーム」が邪魔なのだ。慎重にドア外装をレーザーで焼き切っていく。車内にレーザーを撃ち込むことは出来ない。人がいるのだ。10㎝四方、つまり40㎝を焼き切るのに1時間かかった。ドアの内装はまだ見えない。簡易防弾板がある。コレは薄いのでカッターで切ることになった。ようやくドアの内装の裏側が見えた。高熱のカッターで丁寧に溶かしながら切っていく。
「ちょっとっ!臭いわよっ!なんでプラスチックを燃やすのっ!」高山は猛抗議した。糞尿臭の方が酷いのだが、誰かに文句を付けないとアイデンティティさえ暑さで溶けてしまいそうだ。自衛隊員は、やっと開けた穴から漏れる高山の糞尿臭に顔をしかめ、横柄な態度に少々腹を立てた。
(ドアを思いっきり蹴とばすのも一興だな)
穴が開いた。間をおかず直径9㎝のパイプが挿入された。このパイプを通して補給するのだ。先ずは冷水が送られた。「ちょっとっ!コップなんか無いのよっ!気を使いなさいっ!」マイクが拾った罵声が救出隊の士気を削る。「もう死なせようか?」とは誰も言わないが、想いは同じだろう。「とにかく手のひらで受けて飲んでください」とだけ告げる。小さな紙コップぐらいならすぐに調達出来るはずだ。続いて食料が送り込まれた。手っ取り早く栄養補給をするために、自衛隊の糧食であるカロリーバーが選ばれた。味も悪くは無い。市販品よりも高品質なのだ。「不味い・・・他になんか無いのっ!」高山の高圧的な態度は留まるところを知らない。しかし、万が一「救出出来た場合」に備えて、自衛隊は慇懃に応じた。「我慢していただけないですか?明朝までに何か方策を考えます。今は水分と栄養補給だけを考えてください」高山のぶつくさ呟く声が聴こえるが無視することにした。今は救出のことだけを考える。補給がひと通り行われると、次いで車内に冷風が送られた。同時に他のドアにも穴が開けられた。これでとりあえずは高山が死ぬことは無いだろう。それでもせいぜい3日間だが。
翌日もまた猛暑日になった。気温はぐんぐんと上がり、昼前には35℃になった。パネルで囲い、冷風を送り込んでも「輻射熱」で体感温度は上がっていく。サーモグラフィ画像では、車内シートの表面温度は30℃を超えている。高山も冷風に顔を近づけたりしたが、暑さは凌げなかった。
暑い暑い暑い暑い・・・暑い暑い・・・爆発する爆発する爆発する・・・暑い・・・暑い暑いっ!爆発爆発爆発・・・
高山の精神に変調が起き始めていた。狭い車内で糞尿にまみれながら暑さと爆弾の恐怖心に耐えることは出来ない。暑い暑い暑い・・・爆弾爆弾爆弾爆弾っ!いつものフレンチが食べたい食べたい食べたいこんなモソモソした固形食固形食嫌い嫌い嫌い・・・死ね死ね死ね・・・兵隊死ね死ね・・・暑い暑い・・・日本一の日本一の重要・・・重要爆弾爆弾・・・死ぬ死ぬ・・・たまにドアガラスから見える自衛隊のマスクの中は半笑いしている半笑いしてるワラッテイルワラッテイル酷い酷い・・・
呆気なかった。数時間もまどろんでいれば上出来だろう環境で、高山は目を血走らせていた。高山は車に自衛隊員が近づくのを待っている。3人いれば助けてくれるはず、助けて助けてっ!2人の若い自衛隊員が補給品の切り替えで近づいてきた。凍らせた甘いドリンクを送り込んで慰めようとして。
(なによっ!考えてみれば、ドアを開けてしまえば爆弾は怖くないじゃないの。大きくドアを開ければ、私は爆風で飛ばされるだけ。自衛隊員が受け止めてくれるわっ!)
高山が狂った目でドアロックを持ち上げた。危険だった。
「退避ーっ!総員退避ーっ!」号令でパネル周囲にいた自衛隊員と機動隊員は後方に走り出した。あまりにも近過ぎる場所にいた隊員はその場で腹ばいになり、ヘルメットを右手で抑えた。
轟音のあとに残されたのは、窓ガラスとフロントガラスが粉砕され、それでも形を留めた公用車と、高山の左手だけだった。高山の死体は爆発の衝撃で車外に放り出され、地面を転がり滑り、原型をとどめていなかった。ただ、ドア開閉レバーに指を引っかけた左手だけが不思議と無傷で残されていた。
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