第8話 Tiger-3
うだるような暑さだ。高山祥子議員が閉じ込められている公用車内の温度は45℃に達し、日没から徐々に下がった。高山は人目憚らずだらしなくブラウスの前をはだけ、ストッキングを脱いでいる。汗で化粧は流れ落ち、アイシャドウが目じりから黒い涙のように頬をつたう。車内にある飲み物はコーヒーが1杯だけである。氷は溶け切っていた。尿意を感じ始めてから時間の流れが遅くなった気がする・・・
桐山が矢継ぎ早に指示を出す。自衛隊の出動がすぐに要請され、報道局からの目隠しと車内温度の上昇を防ぐため、公用車は白く塗られたベニヤのパネルで囲われた。同時に大掛かりなクーラーが稼働を開始した。車ごと冷やすのだ。工場などで見ることが出来る「スポットクーラー」の大規模版である。排熱でベニヤの囲いの外に熱気が流れる。今日は風が無いな、と装備を身に付けた自衛隊員は独り言ちた。若山事件を踏まえ、現場にいる自衛隊員と警官は防弾チョッキとヘルメットで身を固めていた。若山事件と違う点はただ一つ、高山祥子議員がやけを起こして車のドアを開けたら、現場にいる者まで巻き添えを食うことになる。桐山の指示で現場付近のNシステムの検索が始まった。犯行グループは「大型トラック」を使っている。大型トラックの盗難届は出ていない。ならば、大型トラックのドライバーは犯行グループの一員である可能性が高い。15:53分に幹線道路を走るトラックが捉えられていた。高山祥子議員が車ごと攫われたと思われる時刻の15分後である。直ちに該当トラックの所有者が判明する。奈良県にある運送会社の車両だった。
「出ろ」黒い覆面をした長身の男が高山に命じた。大型トラックの荷室内に乗り込んでいる公用車の車幅はギリギリだった。半分ほど開かれたドアから高山は身を乗り出した。前方3mほどの位置に照明があり、2人の男がやはり覆面をして立っていた。「なによ、あんたたちっ!」高山の猛抗議が始まるかのように見えた。国会で早口の関東弁でまくしたてる姿はお馴染みだった。自分の「ビジネス」の邪魔をするような法案や閣議決定にだけ、高山は反論した。
(青少年育成?そんなことしなくても私がやってるわ)
どう育成するかは高山が決める。決めた結果が行方不明であってもいい。裏風俗で使おうも、どこかの工事現場で酷使されようも高山に実害はない。利益を生むだけだ。
「ふん、議員さん。若山のこと知ってるだろう?」高山は男に飛び掛かろうとして思い留まった。男の右手には拳銃が握られている。「若山?あんたたちがやったのっ!?」高山は後ずさろうとするが、30㎝も後退すれば公用車のボディに突き当たる。照明の側にいた2人の男が素早く車に乗り込み、何やら作業を始めた。
「この人殺しっ!」高山は気丈にも目の前の男を罵った。とにかく若山のようにはなりたくないのだ。この場をどうにか切り抜けなければ・・・
「俺たちは”殺し”はやらないんだ」「殺したじゃないっ!」
「あれは死んじまっただけだ」
仕掛けの終わった車内に押し込まれた。高山との会話役は運転席に乗り込んだ。高山に語り掛ける。有無を言わせない圧力があった。「なぁ議員さん。あんたの横にある箱な、爆弾なんだ。ドアのガラスに渡された棒が落ちたり、ドアを開けたりするとボンッだ。今すぐ車は外に出してやるが、俺が出た後、運転席のドアにも同じ仕掛けをする。ピアノ線で外からな。今日は暑いが我慢しろや。我慢出来なきゃドアを開けて死ねばいい」「要求は何なのよ・・・」男は答えない。そして夏の日差しに晒された公用車のドアを出る時に一言だけ残した。
「Good Luck」
炎天下の中、車内温度は急上昇を始めた。
桐山はモニターの真ん前で映像を睨んでいた。ドアを開ければ爆発、ドアガラスを下ろすと爆発。どうすればいい?待て待て待て、ドアもガラスもそのままでいいじゃないか。
「おい、現場の自衛隊に繋げ」と命じた。ドアを切り取れないだろうか?人が這いだせるぐらいの穴を開けることは可能じゃないだろうか?
桐山の発案を現場の自衛隊指揮官が検討を始めた頃、奈良県警に1人の男が訪れた。
桐山はその報告を受けてパイプ椅子に座り込んだ。無茶苦茶だ・・・
「自首だと?」奈良県警に出頭してきた男は、大型トラックのドライバーだった。事件を知って慌てて出頭してきたらしい。署内で緊急逮捕され、5分後には尋問が始まった。
「名前は?」
「坂崎です」
「どうやって高山議員を閉じ込めた?出す方法は?」
「知りませんよ」
「貴様、事件を知っているだろうがっ!時間稼ぎはやめろっ!」
「そんなに怒鳴らなくても、知ってることは全部言いますよ」
「貴様の仲間は?いや、Zoo.なのか?」
「知りませんよ。ズーって、先々月に事件を起こした犯人でしょ?」
「そうだ。高山議員は車の中から出られないでいる」
「ズーの仕業ですかね?」
「だからっ!出す方法を言え。このままでは高山議員は死ぬぞ」
「知りません」
「仲間は?どこにいる?目的は?」
「知りませんって。俺だって被害者だ」
「何だと―!」
坂崎の胸ぐらを掴んで締め上げた。
「お前のトラックだろうがぁっ!」
「アルバイトですよ」
「あ?」
「先週の月曜日に持ち掛けられたんっすよ。アルバイトをしないかってね」
坂崎は火曜日が非番であった。趣味のパチンコでかなり財布を薄くした帰り道。自宅アパートに通じる路地に入ったところで事は起きた。忍び寄ってきた男にナイフを突きつけられた。後ろから首筋を抱くようにして。坂崎は腕っぷしにはそこそこの自信があったが、反撃に出る直前に両脇に別の男が並んだ。顔は見えない。僅かに後ろにいるのだ。「坂崎さん、だっけ?」ナイフを突きつけてる男が語りかける。「なんだ、おい?恨まれる筋合いはねぇぞ」坂崎の脳裏を掠めるのは、ここ1か月で、酔いに任せてぶん殴った男たちの顔だけだ。仕事で恨みを買ったりはしていないはずだし、心当たりはない。場末のスナックで殴った殴られたなんて、この街では茶飯事だ。
「恨み?無いさ。それよかいい話だ」「あぁ?」「アルバイトしないか。パチンコで負けた分ぐらいは稼げるぞ?」
会社の大型トラックを乗り出して、指定された場所に行くだけのアルバイトだった。ただし、車を停めた後、キーを抜かずに3時間ほど、どこかで時間を潰すのが条件だった。会社のトラックが心配だったが、車の移動はしないし荒らさない約束はあり、これだけで30万円になる。どう考えても犯罪絡みだったが、まさかズーだとは思わなかった。「何かあったら警察に行けばいい」とも言われた。だから出頭してきたのだ。犯罪の共犯になる気は無い。結局、坂崎は3日間の留置場生活ののち、解放された。警察は坂崎に関する公表をしなかった。Zoo.の犯行手口を秘匿したのだ。高山議員は路上で襲われたと言う短い記者会見が行われたのは、高山発見の報から6時間後であった。
「なぁ大久保」
東京都日野市警察の当直の木田が相棒に語り掛ける。大久保はテレビニュースを見終えて、夕方に起きた交通事故の報告書を読んでいた。
「なんすか?」
「事件、どう思う?」
「またZoo.の仕業って話ですよね?」
「そうだ。この先どうなる」
「知りませんけど、高山は助かりませんね」
「どうしてそう思う?」
「かなり高度な犯罪でしょう。一切の情報が下りてこないってことは、マルテか専従班が出来たってことでしょうね。だったら答えは簡単じゃないですか」
「必殺ってことか・・・」
「僕なら殺しますよ。そのために閉じ込めたんでしょうし」
「動機はどうだ?」
「若山も松下も黒いじゃ無いですか。高山だって真っ黒だし」
「義憤・・・か」
「どうでしょうね?」
「何だよ、政治家を攫って殺す動機は”怒り”じゃないってのか?」
「根底は義憤でしょうよ。ただまぁ要求をしない点が気になりますね」
「どういうことだ?」
「SNSサイト、読んでます?」
「俺は嫌いなんだ、あんな掃き溜めみたいなところは」
「若山事件の犯行グループは英雄ですよ。若山の活動が筒抜けになってます」
「活動?保守派って評価だっただろう」
「その保守派が実は左派よりも酷いって話が出ちゃいましたね」
「何の話だ?」
「報道規制、敷かれたでしょ?」
「臭い物に蓋をするのがこの国だ」
大久保は立ち上がると、木田のデスクのパソコンを操作した。
「このサイトです」
「別に・・・料理サイトか何かだろう」
「ここ、クリックしてみて下さい」
「Errorになるな」
「そうです、1週間前はここをクリックすると若山の情報が出てたんです」
「今は出ないじゃないか」
「だからですねー、政府のどこがやったか分かりませんが、若山の情報を垂れ流してた裏サイトを封じたんです。今もリンクはありますが、繋がらずにErrorになるんです」
「何が書いてあった?」
「若山の所有する別荘の使用者とか、沖縄の市民団体への送金とか色々でした」
「その話はマジもんだったか?」
「さぁ?でも封じたってことは真実もあったんでしょ」
「サイトが消されたなら話は終わりじゃないか?」
「SNSサイトも検閲が入るようになったのは知ってますよね?」
「若山処刑とか物騒な投稿は消えたじゃないか」
「検閲を受けた側はどうすると思います?」
「どうするも何も、烏合の衆じゃないか」
「情報の拡散は防げないんです。そしてその情報は第二第三のZoo.だって生むかもしれませんよね?」
「なんだと?」
「若山の事件を正しく報道しなかったのが悪手なんです。今じゃ隠語で拡散ですよ」
「隠語ぉ?」
「そうです。若山って名前は出て来ませんが、ニュアンスで伝わるんです」
「よく分からんが、ヤバいのか?」
「まだヤバくはないんじゃないかな。この先は分かりませんけど」
「どう言うことだ?」
「情報を密かに流す方法が知れ渡れば何でもアリになる。もうそのパイプは完成したってことです」
「どんな情報だ?」
「これ以上は知りませんよ、知りたくもない」
「しかし、誰でも知ることは出来るってーのか?」
「これ以上首を突っ込むと危険だって、僕の勘が言うんです(笑)」
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