第7話 Tigerー2

陽炎が燃えて揺れるアスファルトの上に黒塗りの高級車が停められている。この炎天下の下でボディは熱せられ、素手で触るのも困難だろう。「緊急水道工事」の規制が解除された直後に、この一方通行に進入した軽自動車のドライバーは、道に倒れている運転手を発見して車を止めた。運転手の意識は無い。面倒ごとはご免だと思い、通り過ごそうと思ったが、停められている高級車の運転手だろうと想像を働かせ、お礼目当てで119番通報をした。高級車には目もくれなかった。もしもこの時、車内を見ていれば。暑さでぐったりした女性を見て、救助を試みていたら、軽自動車のドライバーも死んでいただろう・・・


 マルテ捜査本部は全力で松下正義党首の行方を追っていた。コインパーキングに設置された監視カメラから付近の監視カメラ、拉致された時間に付近を通過した一般車両のドライブレコーダーまで任意で提出させている。拉致時間に付近を走行していた車両のナンバーはNシステムと、このNシステムに引っかかった車両のドライブレコーダーから芋づる式に捜査本部に把握されている。捜査本部の予測では犯行車両を含む90%以上の車両が特定されているはずだ。日本全国から報告が寄せられる。盗難車両のナンバーは実に500台分に達していた。ナンバープレートの盗難も合わせると600台余り。捜査本部はドライブレコーダーを提出した車のナンバーを含め、付近を走行した「盗難車」は無いと結論付けた。捜査員は心の中で快哉を叫んだ。付近を走行した車両の中に犯行グループ所有の車があると。

そして行き詰った。ナンバープレートの情報を元に、所有者をあたってみたり、時には内偵までしたが、怪しいと思える人物がいないのだ。また、監視網から漏れた1割弱の車両の特定は困難を極めていた。該当車両が5千台以上だ。漏れた1割だけで500台はある。更に、画像を追跡してみたところ、ナンバーの分かっている盗難車両でさえ、杉並区で記録が途絶えている。1時間が経過する頃、立川市内でNシステムにまた引っかかった。孫娘の小枝子が犯行グループからの連絡を受けた22:00以降、その盗難車が移動した形跡もない。捜査本部の推測では、遺棄されたと思われる深夜まで、どこかで路上駐車を繰り返し、そのどこかで松下を別の車両に乗せ換えたことになる。こうなるとお手上げだった。


 SNSは大騒ぎになっていた。与党幹事長が誘拐され殺されたのだ。その死が報道された直後から憶測や悪質なデマで炎上と鎮火を繰り返しては、過去の投稿が掘り起こされ、また炎上する。もちろん、この騒ぎに乗らないユーザーも多かったし、デマや憶測をいさめる投稿もあった。その程度で収まるような騒ぎではなく、憶測が独り歩きを始めた。報道から2日。ハッシュタグに「処刑」「天誅」も文字が躍るようになった。若山の施策に異を唱える勢力が台頭し始め、その施策の「犠牲者」の属性まで流布された。ハッシュタグは増殖し続ける。「#人殺し若山」がトレンドに上がった。Zooを英雄視する層も現れた時点で政府は、SNS運営元に対処を求めることになった。Zooを英雄視することは、更なる犯行を助長すると言うのが理由だった。運営元は独自にNGワードを定め、検索出来ないようにした。投稿者は気付かない。普通に投稿すれば、投稿が終わりましたと表示される。しかし、この隠れた措置は12時間でユーザーの知ることとなる。トレンドワードに異常があると投稿されてしまえば、もう隠しようがない。NGワードを使わない「匂わせ投稿」が繰り返された。

 マルテの桐山捜査本部長は苛立っていた。人殺しが英雄だと?いかなる理由があってもテロには譲歩しないのが法治国家と言うものだ。「ネットで扇動している馬鹿を引っ張って来いっ!」と怒鳴る。部下が応じる。「先ほど、SNSで過激な投稿をくり返した5人目の警察官が拘束されました」桐山の唇からタバコがぷらんと揺れた。開いた口がふさがらない・・・警察官だと?5人目だと?「捜査情報を漏らしたのかっ!」「いえ、警察官たちはその・・・地方の所轄です」「その馬鹿どもを絞り上げろ。事件と直接関係は無くとも、我々の操作方法を漏らしている可能性がある」


「桐山さんは何も分かっていない」捜査本部のドア前に立つ白衣の男が発言した。いつの間にこの男はここに入り込んだんだ?

「なんだ貴様。ここはテロ対策の捜査本部だ。出ていけ」

「本日15:31に、無所属の国会議員高山祥子が監禁されていることが発覚しました」

「なんだと・・・?」桐山は時計を見る。16:00を回ったところだ。

「そんな報告は受けていない」

「だから僕が報告に来たんですよ」

「誰だ、お前」

「佐川と呼んでください。所属はありません、独自チーム扱いですので」

「独自だぁ?身分はっ!」

「政府内調室付けと言ったところです」

「公安か?」

「公安は僕たちの指揮下に入りました」

「だったら公安調査庁に行け。ここは現場の最前線だ」

「その現場で指揮を執るために来たんです」

佐川と名乗る30代になったばかりに見える男は白衣のポケットから無造作にバッヂを取り出して見せた。桐山でさえ実物を見るのは初めての特別権限バッヂだった。存在を噂されながら、その実態は皆目不明。国内では「陸自別班」に匹敵する特別な組織である。

「何をするつもりだ?」

「僕ですか?それとも”僕たち”のことですか?」

「両方だ。先ずはお前が何をしに来たか言え」

「僕の階級、つまり身分は貴方よりもかなり上ですよ、桐山警部」

「そんなこたぁどうでもいい。ここの責任者は俺だ」

「いわゆる警察のやり方を見に来ました。ですから今回は口を挟みません」

「見に来ただと?視察か」

「僕たちのやり方とは違うようですから」

「その”僕ちゃんたち”は何をしたいんだ?」

「犯人逮捕ですよ。当たり前じゃないですか」

「視察なら後にしろ」

「いえ。僕は貴方に高山祥子の監禁を報告しました。その対処法を学びたいんです」

桐山は我に返る。そうだ、新たな犯行が行われたのだ・・・

佐川は捜査本部の片隅にあるパイプ椅子に座って、捜査の行方を見守るつもりだ。桐山は佐川の存在を無視することにした。相手は「特別権限」を持つ内閣調査室の職員だ。追い出せるものではない。

「おい、モニターに出せ」

「はっ!」

佐川が報告に来たと言うことは、既に警察署員が現場に駆けつけてるということだ。当然、現場の模様をリアルタイムで送ってきているはずだ。

(また”檻”か・・・)

もううんざりだった。地道な鑑識作業は続いている。今頃は使用された部品の出どころや設計を調べているところだろう。報告が無いのは「進展無し」と言うことでもある。

「出ます」

「何だこれは?公用車じゃないか」

「情報があります。車内には高山祥子が閉じ込められていて、エンジンは停止。つまりエアコンの無い状態で少なくとも2時間が経過。ダッシュボードに”Zoo.”のプレートあり。若山の事件と同一犯と思われます」

「さっさと救出しろ」

「車内に爆発物があると、高山議員が言っています。ドアを開けると爆発すると。更にウィンドウにも仕掛けがあり、窓を破ることも不可能・・・と」

「ふざけるな!いいか、犯行グループは必ず交渉をしてくるはずだ。二人目だ、このままでは確実に殺される」

「情報収集を急ぎます」

「国会議員のガードを固めろ。人員を優先的に回せ。いいか?陛下と宮家以外は多少警戒を落としてもいい。議員を護れっ!」

「了解」

「現場に・・・どこだ?」

「奈良県です」

「鑑識と爆発物処理班を派遣しろ。警視庁から送り込め」

「了解しました」


桐山は歯噛みする。あのアバズレ女、なんで東京を離れやがった?


「おいっ!」

「はっ!」

「国友党の酒田議員にSPを付けろ。高山のビジネスパートナーだ」

困窮者弱者ビジネスは与党と組んで初めて、高い利益を得ることが出来る。いくら後援者がいても、無所属の高山だけでは小遣い銭程度の利益しか生まない。出来ることなら5~6発ほどぶん殴って牢屋に放り込みたい、桐山はそう思っている。

(こいつらは国民の敵だ)

高山議員にも酒田議員にも「手出しするな」と上層部から通達があった。どうせ上の方では様々な利権や利害関係で繋がっているのだろう。警察の独断では、家出少年たちが集まるK県の繁華街の浄化作戦も行えやしない。桐山はこんな汚れたちの下で働く歯車だと自覚している。異を唱えて更迭される覚悟は無い。しかし、歯車には歯車のプライドがある。犯罪を看過することに悔しさを覚え、テロには屈しない。


 奈良県警が出動すると同時に野次馬が集まってきた。県警から現場に派遣されたのは10人ほどである。すぐに野次馬は群衆となり、危険な兆候も出て来ていた。動画配信者がカメラを持ってうろついているのだ。中にはスマホを持った若い女性までいる。高山議員からの聞き取り調査で、車のドアを開けるだけで爆発が起こるらしい。ドアガラスを割っても爆発する。ドアそのものは車内からロックされているが、頭のおかしい配信者が「肉声を聞きたい」と言う動機でガラスを破らないとは限らない。大衆の中には「驚愕するほどの馬鹿」がいるのだ。機動隊員たちが車両の周囲を固めた。そこへ善人を装った配信者が迫る。

「何があったか、みんな知りたいんですよ?」と言いながら機動隊員のすき間からカメラを突っ込んでくる。

機動隊員は何も語らない。語る権利すら無い。「守秘義務」だってあるのだ。機動隊員が無口であることをいいことに、カメラを持った配信者は機動隊員の間を強引に抜けようとした。

そして、各テレビ局のカメラの前で機動隊員による制圧が行われた。配信者がすり抜けようとして、機動隊員の肩に当たった。この瞬間、「確保っ!」の号令と共に、配信者は地面に転がされ、現場に配置された警察のバスに連行された。公務執行妨害罪である。この映像は生中継で放送され、SNSは一瞬で沸騰した。「警察は横暴である。配信者の凸坊は事実を知ろうとしただけである」と言う言質で溢れた。若山事件で比較的良心的な投稿をしていたユーザーは静観していた。まだ事件の概要が分かっていない。ただ「事件のように見えた」から野次馬が現れ、収益を得たい配信者が突撃しただけのように見える。まだ被害者の名前も出ていない。


「高山祥子議員じゃないか?」


 SNSに1つの投稿があり、数分で拡散した。配信者が中継した動画に車のナンバーが映り込んでいたのだ。このナンバーから「高山議員の使う公用車」が特定された。「高山議員、公用車で事故?」と言う投稿が「高山議員処刑」のハッシュタグに変わるまで1時間もかからなかった。現場周辺は完全に封鎖されたが、この現場に入る鑑識員と爆発物処理班を、50mほど離れたビルから撮影したユーザーがいたのだ。一部の事情通は高山議員の悪辣さを知っていた。そこへ「爆発物処理班」の登場である。若山事件との関連を疑われても仕方がない。正にその通りなのだ。警視庁は公式発表をしていない。現場で保護された運転手は意識を回復し、厳しい事情聴取を受けることになった。なぜ、土地勘のない奈良県であの一方通行の「裏道」を走っていたのか?この点が事情聴取の争点となる。運転手は一貫して「ナビゲーションに従っただけ」と言うのみであった。東京を出て、高速を使い東名阪自動車道に入り、奈良市内の公民館を目指したと言う。高山議員は鉄道を好まず、5~6時間の移動なら公用車を選択するのが常であった。

 ただ、どの社のナビゲーションを利用しても、この一方通行は出てこない。運転手も共犯では無いかと疑われる。この検証が終わるまで、運転手は高山議員監禁どころか「若山事件」の被疑者扱いとなる。スタンガンで襲撃されたのは自作自演だと。

運転手の証言と高山議員からの聴取で事件の概要が判明する。裏道を使っていた経緯を除外すれば、次の幹線道路に出ようとしていたら、大型車が駐車していた。トラックドライバーは太ももから出血していたので、救護しようと車外に出た運転手はスタンガンで撃たれ失神。直後に犯行グループの一人が運転席に乗り込んで、大型車の荷室内に車を入れた。高山議員の証言では、交渉の余地もなく、後部座席に爆発物を乗せられた。ドアと窓に「何らかの仕掛け」を施され、開ければ爆発すると脅された。5分ほどで仕掛けは終わり、公用車は犯行グループの一人が運転して、大型車の荷室から出された。犯人は車のキーを抜き、最後の仕掛けと思われる作業を終えた。スマートホンは奪われた。


「巧妙な仕掛けです。ドアは4枚ありますが、運転席のドア以外の3枚は内側から封印されています。車内画像を解析した結果、ドアとボディが細い鉄線で結ばれ、そこから伸びる配線が爆発物に繋がっています。鉄線を切らずにドアを開けることは不可能でしょう。また、窓ガラスにも仕掛けがあります。”ツッパリ棒”のようなもので左右の窓を繋いでいるので、窓を下げたりガラスを破れば爆発物のスイッチが入ると思われます。コレはフロントガラスとリアガラスにも言えることです。爆発物の規模は分かりませんが、若山幹事長の事件を踏まえれば、車内を破壊しつくす規模であろうと思われます」

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