第5話 Lion-4

「犯人からの要求はまだかっ!」特捜本部の桐山が苛立ちながら怒鳴る。今回の一連の事件で組織された「対テロ特捜班」(通称マルテ)の指揮を執る桐山は、その重責に圧し潰されそうな自分を鼓舞するために「強くあらねば」の信念がある。当然、その信念の下で部下は怒鳴られ続けていた。

「まだ接触はありません」ヘッドセットを装着した部下が答える。「犯人たちは必ず接触をしてくる。全てのチャンネルを開けておけっ!」「了解です」


若山が発見されてから10時間が経過していた。捜査員の聞き取りの結果、本日0:00に”友人の住むマンション”前で誘拐されて以降、何も口にしていないと言う。マンションの防犯カメラには、黒いマスクをした2人の男に目隠しのための黒い布袋を被せられたあと、殴打されて昏倒する若山の姿が映っていた。直後にエントランス前に白いワンボックスカーが乗りつけられ、若山を運び込んで走り去った。確認出来たのはここまでだった。ナンバープレートは付近の防犯カメラに映ってはいたが、盗難車であり、しかも事件発覚から3時間で乗り捨てられていた。正確な時間は分かっていないが、発見したパトロール中の警察官の話では「目撃者ナシ」と言うことだった。防犯カメラの無い山形県内の住宅街では、誰かのドライブレコーダーに映っているとも思えない。昨夜から未明にかけて山形県入りしたのち、車を乗り換えたと考えた方が自然であった。


若山は昨夜から20時間以上、飲まず食わずなのだ。「どのくらい持つ?」桐山は部下に訊いた。そろそろ蒸し暑くなってきた。若山の体力の消耗は相当だろう。「飲まず食わずであの年齢では3日間が限界ですが・・・」「ですが、何だ?」「若山幹事長は昨晩、飲酒をしていますから、脱水症状を起こすのも早いと思われます」「犯人からの要求はまだかっ!特定はまだ出来んのかっ!」


 若山の愛人と目される中国人女性の聴取も続いているが、ほぼ無関係だと思われた。これから先も「利益を産む国会議員」を殺す理由は無いからだ。可能性としては、本国の怒りを買っての粛清もあり得たが、そのような情報は無い。また、中国大使館からは女性の即時解放を要求されている。若山は愛人宅に向かい、直前で何者かによって拉致されたと考えた方が自然であり、若山が愛人宅を訪問する際はSPのガードも無いことを知っている”関係者”の線も考えられる。


「迂闊なことを・・・」桐山は唇を噛んだ。犯人像も絞り込めていない。例えば「車」だ。若山を閉じ込めている「檻」は大型犬用のモノらしいと分かっていたが、この檻を現場まで運んだ車両は盗難車であった。山形県郊外の建設会社から前日に盗み出されていたが、驚いたことに盗難手段は「合鍵」であった。当然、建設会社の社員をはじめ、関係者からの聴取も行われたが、全員にアリバイがあった。3名ほど「昨夜は寝ていた」と言うことで、アリバイを証明する者がいなかったが、捜査員も取り調べた刑事も「シロに近い」と言う判断だった。


合鍵。


そう、合鍵さえあれば簡単に盗み出せるのだ。車両は「ユニック車」と呼ばれる、小型クレーンを装備した車で、そうそうあちこちにある車ではない。ただ、建設会社やレンタル業者が保有していることは多い。盗まれた会社も車の鍵の保管には厳しく、事務所内にある「鍵保管ボックス」のチェックは毎日行われていた。駐車場に防犯設備は無いが、事務所に侵入すれば警備会社が駆けつける。合鍵を作るとしたら、仕事で車を持ち出した社員が可能であっただろうが、そんな目立つ特殊車両を「勝手に持ち出す」理由は無い。県内と周囲近県の合鍵作成会社にも問い合わせてみたが、そんな鍵は作っていないとの話であった。実は、金属製のアナログキーには型番があり、合鍵作成の際は同じ型番の鍵を少々削るだけで作れる。防犯課の話では、どうかすると雛型のキーを差し込むだけで解除出来ることもあるらしい。もちろん、防犯上の問題もあるので、メーカーが市場に流す合鍵の雛型の管理は厳重だった。


盗難車両は現場から1㎞も離れていない路肩に遺棄されていた。鑑識課員が必死に集めたタイヤ痕も意味をなさなかった。あっさりと事件に使われた車両が発見され、盗難手段も合鍵を使ったことで、「盗難手段の特徴」も見えない。例えばイグニッションを分解する方法やエンジンを始動させる方法には、「盗難実行者のクセ」があるのだが、合鍵で乗り出されては特定も何もない。国内犯は強引で、外国人窃盗グループは繊細な盗み方をする。逆に思えるが、盗難後の転売や輸出を考えれば「商品に傷を付けたくない」と考えるのだろう。もちろん、「部品として輸出」する場合はこの限りでは無いが・・・


「東京サテライト」そう仲間は呼んでいる。日本のあちこちに同じような「サテライト」があるが、「凶悪犯罪者のアジト」とはかけ離れたモノばかりである。ここ、東京サテライトは東京郊外の立川市にある鉄筋コンクリート造のアパートの1室だ。間取りは2DKと言う平凡なアパートで、入居者の半数、つまり3世帯は夫婦者で、空き室が1つ。他の2部屋には生活に余裕のありそうな男性が住んでいる。


「鍵屋は?」部屋の借主がリビングでテレビを観ている別の男に尋ねた。「ああ、あいつならもう出勤してるんじゃないか?俺もそろそろ夜勤に行かにゃならん」「ハングレたちは?」「凌ぎだろうさ。もう普通の生活に戻った」そう答えると、またテレビに目をやった。

「どこまで捜査は進んだかね?」部屋の借主の男、仲間からは設備屋と呼ばれている男が何とはなしに訊く。

「テレビの情報はアテにならんな。取材班は現場から締め出されてる」

「さっき、”独自”ってニュースがあったな」

「ああ、現場の写真が出てきたのはびっくりだ。拉致した場所に関しては、報道規制がかかったのか、本当に掴んでないのか分からん」

「若山を放り出したのが今朝の5:00だっただろ。そのあと警察はどこまで進んだかね?」

「もう夕方だ。車は発見されただろう。まさか鍵の写真から複製が作れるとは思ってないだろう」

「最近のカメラは凄いな。何万画素だっけ?」

「使ったのは8000万画素のカメラだが、イマドキはアマチュアでも使うからな。ありふれた機材さ」

「俺たちが残した物証でどこまで近づいてくるか見ものだな」

「で、このあとはどうする?」

「知らん、成り行き任せでいいさ。俺はこのあと、野党のクズを攫いに行くが、お前は知らないってことでいい」

「当たり前だ、馬鹿。俺は合鍵のデータを作っただけだ」

「連絡はいつも通りの方法でする」

「そうしてくれ。容疑者扱いで周囲がざわつくのは困るしな」


 マルテ捜査本部に緊張が走る。若山発見の報の翌朝、野党の党首が行方不明になった。更には、檻の中で監禁されている若山の健康状態に赤信号が灯る。発見後、若山の体力を慮って聴取は最低限にされたが、とうとう深夜を回った頃から目に見えて活動が減ってきたのだ。夜が明ける頃には、問いかけに応答しなくなった。

(まだ生きている)

マルテの捜査員はこの点に希望を見出しているが、未だに犯行グループからの要求は無い。警察だけでは若山救出は無理だと判断され、自衛隊に出動要請がなされた。皮肉にも、若山がその国内活動を制限した自衛隊が救出を行うと言うことになる。早速、自衛隊は最低限の機材を現場に持ち込んだ。高感度集音マイクや飲料水が先ず現場に運び込まれる。檻のある空き地の隅の方に自衛隊のテントが設営され、自衛隊員が集音マイクの方向を檻の中の若山に向けた。自衛隊病院の医師が、集音マイクが拾う音で若山の「状態」をチェックする。

「呼吸が浅く速くなってます。年齢を考えるとリミットは12時間ほどでは無いかと思われます」

現場の指揮を執るマルテの課員が自衛隊に水分だけでも補給出来ないかと要請を出すが、まだ何も出来ない。この檻は徹底して外部との連携を拒むのだ。様々な方法が検討されたが、赤外線検知カメラのデータから、センサーの隙間は5㎜程度。非常に高精度なもので、例えば5㎜の隙間にチューブを通すと言う方法も、誤爆の可能性を考えると躊躇われた。せめて1㎝あれば・・・工作班は歯噛みをする。5㎜では、何かの拍子にチューブが動いたらセンサーに触れかねない。

「そうだ、鉄柵を切り取れないか?そうすれば2㎝弱の隙間が空くだろう?」

しかしこの案も採用しにくい。センサーに触れないように作業をすることは可能だが、ソレはあくまでも机上での発案だ。もしも・・・そう、もしも鉄柵にも何らかのセンサーが仕込まれていたら、切り取ることも不可能だ。長野県警に届いた「仕様書」には、赤外線センサーのみが記されていたが、ソレが全てだとは限らないのだ。この檻は入念に設計されている。当然、救出や補給を許すような代物ではない。鉄柵を切り取れる可能性は50%だと見積もられた。50%の確率で爆薬が炸裂する。とてもじゃないが人命を賭けるには”薄い”確率だ。


若山はもう動かない。


「ミストシャワーをどうだ?」自衛隊の指揮官が部下に尋ねる。「若山幹事長の体力では・・・ミストを集めて飲用にすることは難しいかと」せめて、あと10時間早く出動していれば、夜露の代わりにミストを集めて飲用にも出来ただろう。しかし、この方法で命を繋ぎ続ける量の水分補給は難しかったはずだ。成人男性の最低摂取量は、この気温を考えると1リットル。ぎりぎりで500mlから700mlである。

「おい、水鉄砲はどうだ?」「高圧で細く撃ち出せれば」「機材はあるか?」「今から急ごしらえで作成して、出来上がるまで3時間・・・いや、ここに届くまで4時間は必要です」

一人の隊員がテント入り口で敬礼したあと、口早に告げる。「50Hzですっ!」

「センサーに交流電源が使われていて、一瞬ですが遮っても大丈夫なのは1/50secでいいのか?」

「センサーの感度は周波数をなぞっているはずです。そうでなければ常時異常を検知しますから」

「警視庁は頭を使えないのかっ!高速で射出すれば、小さな固形食糧だって撃ち込めたものを・・・」

「準備しますか?」「やれ。間に合わなくても・・・いや間に合わせろ。若山幹事長の様子はどうだ?」「心拍低下・・・体温も下がり始めています。持ってあと4時間あるかどうかと」

「急げ。意識が回復出来るうちに、だ」


夜が明け、気温が上がり始めた頃に若山の心音が停止した・・・


 自衛隊の機材が運び込まれる直前だった。檻の中に手を出せない以上、応急措置、救命措置も不可能だった。うつ伏せに横たわる若山の死亡確認は心音停止から3時間後に完了した。

その数時間前から、檻のある場所から100mほど離れた上空に1機のドローンが静かに浮いていた。現場から締め出されたマスコミの中の1社が飛ばしたものだ。超望遠レンズと小型カメラを搭載したドローンは、1時間ごとに機体を替えながら現場を撮影し続けた。報道規制が敷かれ、ニュースで流せるか微妙ではあるが、マスコミは「報道の自由」を盾に押し切ることも辞さない構えなのだろう。

マルテ捜査部と自衛隊は現場にいたが、若山死亡の報せに沈痛な面持ちであった。捜査員の発言で我に返る。

「幹事長のご遺体を運び出さなければなりませんね」

「・・・どうやってだ?」


 この檻は全ての希望を断ち切る。若山が死んでもセンサーは活きたままだ。遺体を運び出す方法が無かった。捜査員と自衛隊員、合わせて30人あまりが若山の遺体を閉じ込めた鉄の檻を見守り続ける。とうとう、犯行グループからの要求も無かった。コレでは檻のセンサー解除の方法も分からないのだ。弛緩と緊張の繰り返しの中、また夜が来て朝が来た。

「バッテリー容量低下っ!」自衛隊員が大声を出す。マルテ捜査員は警視庁から派遣されてきた捜査員に尋ねる。「どうなるんだ?」「バッテリーが上がれば・・・起爆装置が働くはずだ」

何も出来ない。慌てて運び出そうとすればセンサーが作動する。このまま放置してもバッテリー上がりで起爆装置が働く。


 3時間後、捜査員と自衛隊員、マスコミのドローンが見守る中、檻に仕掛けられた爆薬がオレンジ色の光と共に大音響で炸裂した。大事をとって捜査員たちは退避していた。もうどうしようもないのだ。爆薬は檻の天井と床下に仕掛けられていた。残酷なまでに殺意をむき出しにしていた。若山の遺体は四肢が分断され、無残な姿となった。

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