第4話 Lion-3

「ああ、若山君も大変だな。そうだ、今テレビで見た」


電話・・・スマートフォンを握っているのは白髪の老人であった。老人とは言え、現役の国会議員である。政界では70代が最も「脂の乗った時期」と言われる。築き上げた人脈を武器に、様々な政策を考え、政争に備えるのだ。うかうかしていたらあっという間に引きずり降ろされる。当然、国民はそんな茶番や内ゲバにはうんざりしていた。テレビでは、普段は夕方のニュースショーで媚び笑いをしながら原稿を読み上げるだけの女性キャスターが、神妙な面持ちで事態について説明していた。この原稿は現場からの取材と、政府関係者に話を聞いて急遽作られたものだ。


「本日お昼ごろ、国友党の若山幹事長が監禁された状態で発見されました。現場には鋼鉄製の檻のようなものがあり、若山幹事長はその中に監禁されていると言うことです。警察発表によると。若山幹事長は昨夜遅く、公務を終えた後、政府関係者との懇談会に出席するため、議員会館を出て、その後の足取りは不明だったようです」


 老人、松下正義は野党第一党「国参党」の党首だ。松下の政治理念とはすなわち、政権交代だけであり、そのせいか政権批判と場当たり的な政策の提言をくり返していた。今は主にアジアの国々と親交を深めるべきだと言う主張を繰り返していた。勿論、その主張の裏で巨額の金が動いていた。ほとんどが「実弾」と呼ばれる現金である。松下にはっきりとしたイデオロギーは無い。松下にあるのは「権力へのあこがれと利益」だけだ。ソレが悪いこととは露ほども思っていない。ただひたすら財を積みあげたいだけだった。故に国民の中には松下を善しとしないものも多い。松下の支持率はいつも2~3%である。その程度の支持率でも、党首ともなれば「課税されない現金」が集まって来る。広いリビングの壁に掛けられたバルビゾン派の有名な絵画も賄賂のようなものだ。贋作に見せかけるために手を加えてあるが紛れもない真作で、事、何か起これば第三者を通して資金化される。その絵に目をやった時に来客を告げるチャイムが鳴った。松下は議事堂から車で30分ほどの高級住宅街に居を構えていた。特に大袈裟な防犯システムは採用していない。民間の警備会社と、あとは国会が紛糾している時だけ警察官が警護をするくらいだ。

 時計を見ると20:00を過ぎていた。今日は党内の会食を断って帰宅していた。そこへ降ってわいたような「若山幹事長監禁事件」のニュースである。家族は皆、外出中だ。妻と娘は食事に、孫娘の小枝子は大学からまだ戻っていない・・・

「どなたさん?」松下はインターホンの画面を見ながら応じた。「こんばんは。宅配ピザのアザリアです。ピザのお届けに参りました」画面にはテレビでお馴染みの制服を着た男が映っている。「頼んだ覚えが無いが?」「松下小枝子さんはこちらでよろしいでしょうか?」「小枝子ならまだ帰っていない」「松下小枝子さん名義のクレジットカードで決済されたピザのお届けなんですが」

松下は(やれやれ・・・)と思いながら玄関に出る。門扉の鍵を開けた。「玄関まで持って来てくれるか」「かしこまりました」すぐに配達員が玄関前に立ち、ドアをノックする。「ピザのアザリアです」若い男の声だった。玄関ドアを開け、ピザの入った平たい箱を受け取ろうとした時だ。「松下さん、ピザでは無いんですよ」緊張が走る。迂闊にも玄関内に招き入れ、ドアは閉じられている。この男が暴漢であれば、我が身が危ない・・・

 ピザの宅配用バイクが走り去った。松下邸を重点パトロールしている警察官は(お孫さんの食事か)程度の認識であった。その15分後、今度は松下本人が運転する高級外車がガレージから出てきた。公務の際は専属のドライバーが国産車で送迎するが、稀に松下が私用で外出する時があるのだ。党幹部も警察も、松下が一人で動き回ることを歓迎していないが、公務中では無いのならば、行動を縛ることは出来ない。「政府要人ではあるまいし」と言うのが大方の意見でもある。


松下邸を訪れたピザの配達員の持った箱の中には、コンクリートの壁を背景に、椅子に縛り付けられ、黒い目隠しをされた孫の小枝子の写真が入っていた。

「お孫さん、迎えを待っていますよ。現金2千万円と引き換えですが、そのぐらいの現金はありますよね?」「2千万だとっ!そんな金あるわけ・・・」「では、お孫さんとはお別れと言うことでよろしいんですね」配達員を装った若い男はピザの箱の中の写真を回収すると、その場で折りたたんで見せた。「分かった。2千万円だな?確実に孫を返すと誓えるか?」「松下さんがお迎えに来ると言う条件でなら」「小枝子はどこにいるんだ?」

松下は指示された通り、スマホを持たずに指定されたコインパーキング向かった。多分、スマホのGPSを警戒してのことだろうと思い、GPS発信器を仕込んだネクタイピンを身に付け、現金を入れたカバンにも発信器を仕込んでおいた。(コレが誘拐ならば、えらく淡々としたものだな)そう思いながら車を走らせる。なんにせよ、2千万でカタが付くなら安い物だと思っていた。


 2時間後、学友との食事とカラオケを楽しんで帰宅した小枝子に1本の電話があった。講義が終わった後、そのまま新大久保の行きつけの店で遊んでいたのだ。

「あなたの祖父はこちらで預かっている」とだけ告げて電話は切れた・・・そして翌朝、とあるコインパーキングで、松下の車と着衣全てが発見された。現金の入ったカバンも手付かずの状態だった。


 「ところで若山さん。昨夜はどこで何をしていましたか?公用車で六本木の料亭を出た後のことですが」

「昨夜は六本木で会食をした後、馴染みの店で飲んでいた」

「そのあとは?」

「知人の店でのんびり飲もうかと思って、店を出た」

「そう、そこからが問題です。若山さん、公用車を帰らせて一人で行動してますよね?」

「運転手を深夜まで拘束するのも問題だろう。だから帰らせた」

「22:00以降の足取りが不明でしてね・・・深夜に何がありました?」

「う・・・」

「若山さん、あなたを拉致した犯行グループの情報が必要なんです。詳しい話を聞かせてはくれませんか?」

「・・・何も知らん。気づいたら両手両足を縛られてワンボックスカーの後ろの席に転がされていたんだ」

「では路上で拉致された、で間違いは無いですか?」

「いや・・・」

「詳しい話をお願いします。あなたを助けるために必要な情報が不足しているんです」

「知人の店が休みで。アレだ、知人の家まで行った」

「ほぉ。その知人のお宅はどちらですか?」

「そこまで言わせるのか?プライバシーの侵害だぞ」

若山の声が怒気をはらむ。

「麻布のマンションですね?」


「なぁ、どう思う?」東京・日野署の刑事課で当直をしている木田が相棒の大久保にぼんやりとした声で訊ねた。「どう思うも何も、情報が一切流れてこないじゃ無いっすか。テレビが情報源だなんて、主婦や老人と同じレベルですよ」

木田はポケットから煙草の箱を取り出した。「あー、もう。ここは禁煙ですって。署から出て吸ってくださいよ」「バカヤロー、刑事が署内にいないでどうすんだよ」既に木田は煙草を咥えている。「はい、鍵。そこの聴取室で吸ってください、って言うか、何度目ですかこのやりとり(笑)」署内は禁煙だが、捜査第一課の滅多に使われない「聴取室」は隠れて煙草を吸うには絶好の場所だった。重犯罪を扱う第一課では、事情聴取も取調室を使うことが多い。それほど重要ではない聴取の場合は、課室の隅にある応接セットで用が済む。一服を終えた木田がデスクに帰ってきた。「鍵、返してください」「まだ使うんだ、寄越しとけ」「煙草、辞めないと査定に響きますよ」

「で、大久保。どう思う?」

「どこで攫われたんですかね?」

「愛人の家でだろうな」

「若山には愛人がいるんですか?」

「抜けたこと言ってんじゃねぇよ。若山はまだ60そこそこだ。囲っていて当たり前だ」

「でも、なんで話を渋ったんですかね?奥さんが怖いとか?」

「あの夫婦はもう感情も無いさ。せいぜいいい暮らしが出来ればと割り切ってる」

「じゃ、なんで渋ったんですか?」

「若山の愛人は中国人なんだよ」

「ちょっとソレは拙いんじゃ無いですか?」

「与党保守派の急先鋒が実は・・・なんて知れたら辞任騒ぎだろうな」

「いや、若山はそこまであっちに取り込まれているんですか?」

「ガチガチの保守政策は隠れ蓑さ。実際は甘々の政策ばかりだ」

「若山は昔から一貫して保守派じゃないですか。どこで”堕ちた”んでしょうね?」

「公安が掴んでいるが、数年前の訪中でハニトラさ」

「僕、そのハニトラが理解出来ないんですよ。あれだけ金があれば思うままじゃないですか。わざわざ自分の立場まで賭けてハマる理由があるんですか?」

「詳しくは知らん。ただ、ひたすら尽くしてくれる別嬪さんがいて、あらゆる性癖にも応えてくれる用意があれば、あの手の俗物は堕ちるだろうさ」

「性癖って・・・SMでもロリコンでも、裏風俗系はナンボでもあるじゃないですか」

「わが国では”殺人”は重罪だろ?」大久保はびっくりして椅子を回して木田に向かった。

「殺人って、ソレはどう言う事ですか?」

「おい、ここから先の話は言うな。お前、刑事を続ける気はあるか?」

「ありますよ、でなければ残業代もろくに出ないこんな仕事やっちゃいません」

「この話はオフリミットだ、署内でもなんでも、信用出来ねぇ奴には言うなよ」

「へぇ、僕は信用されてるんですね」

「後ろから弾が飛んでくることもあるんだ、相棒を信用しないでどうするよ?」

「はいはい、僕も木田さんを信用してますって」

「昔の話だが、地方都市の県議が急病で死んだって話、憶えてるか?」

「ああ、X市会議員でしたっけ。自宅で倒れて病院に運ばれたって話でしたね」

「運ばれたのは死体だけどな」

「はぁっ?」

「性癖の話はまた別だが、ハニトラにどっぷり浸かった後、自分で相手を探すようになった」

「何の?」

「そこはまぁ聞くな。外国人ではなく言葉の通じる日本人と遊びたいって動機だったらしい」

「それでなんで死ぬんですか?」

「中共にしっぽを掴まれて、簡単に言えば脅されてたらしい」

「それで?」

「死んでもらうしかないと言う中央の判断さ。”別班”と呼ばれる怖い人たちがどこかで始末して、自宅に届けたそうだ」

「ソレ、アメリカ映画でたまにあるヤツ・・・」

「お前もあと10年、この世界で生きてりゃ分かるさ。腐ってるってな」

「ねぇ、木田さん」

「なんだ?」

「そんな裏話まで知ってて、なんでこの仕事を続けてるんですか?」

「アホか。そんな腐った世界に一般市民を巻き込まないためさ」

「立派な理念があるんですねぇ。だったら安全課から色々と巻き上げちゃ駄目じゃないっすか」

「いいじゃねーか、多少の役得でも無いとやってられない程度にはキツいさ」

「まぁいいですけどね。で、事件ですが」

「そうだ。どう思う?」

「若山は助かりませんね」

「何故そう思う?」

「この事件の計画には隙が無いからです。若山を攫えると言う点ではびっくりしましたけど、攫ってしまえば、国会議員も一般人も同じです」

「俺が思うに、若山を攫うのも計画されていた」

「そうですね、偶然攫ったら国会議員だったなんて話は無いでしょう」

「動機は?」

「一番影響力のある政治家で、国益に反するから・・・ですかね?」

「そう言うことだ。若山・・・いや今の与党はやり過ぎた」

「何をですか?」

「利権でも何でもいいさ、この国を貪り過ぎたんだ」

「金太りした政治家と、貧困の中で飢えて死ぬ国民か」

「そんな事件が多過ぎだよ。餓死に貧困による強盗、自殺。国民同士で潰し合ってる」

「その矛先がとうとう政治家に向かったってことですか?」

「俺はそう考えている。ただ、このヤマは厄介なことになる気もするんだ」

「何故ですか?」

「もう分かってるだろう?犯行グループは賢いんだ」

「あー、証拠無いですもんねー」


松下正義誘拐事件の報せがあったのは翌朝のことだった。

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