第4話 旧時代の呪い

「いてててて・・・」

「痛くなんてないでしょ?あなた神様なんだから」


 御子神コンツェルンのサーバールーム。目を覚ましたリヒトの前に立っていたのは新米女性上級社員のトウコ。何も知らない新米女性上級社員 トウコの本当の姿は政府直属の特務機関 シャドウランズの一人。これまでも法令を遵守していないと目される企業に入り込んでは内部状況を把握し検挙を繰り返している。


「うちで検挙したのは今年でこれで何件目?ほんと最近、外部イメージと内情が違いすぎる企業ばっかりよね―」


 インサイダー取引やパワハラ、横領は以前からあった。しかし最近は、自分たちの言うことを聞かない部下を海外の紛争地域に送り込んで合法的に殺したり、複数企業で結託して敵対する企業を廃業に追い込み、経営者を自死に追い込んだりといったことも多い。今回のように社員を企業のための捨て駒として扱うケースも増えている。


「どこもかしこも余裕がないんだろうね。この国は見た目は繁栄しているように見えるけど、走り続けるのを止めた瞬間に没落するという危機感を誰もが感じている。もっと速く、もっと効率的に、と追い立てられるから犯罪にも手を染める。そういう意味では彼女も犠牲者かもね」


 リヒトは自分の代わりに簡易ベッドに寝かされているソノコを示す。ソノコの頭にはマンマシンインターフェースのヘルメットがかぶせられている。リヒトの切られた右手は元通りだ。


「起動すれば彼女は情報システムの一部となって御子神コンツェルンに思う存分貢献できるわ。彼女にとっては本望でしょうね」


 彼女の寝顔はヘルメットに遮られて見ることができない。


「―ねえ、本当にこれでいいの?」


 リヒトがトウコに問いかける。

 自らを神様だと名乗るリヒトが現れたのは三年前。いかにも胡散臭い優男だったが、いくつかの奇跡を目の当たりにして、今ではトウコは彼の言葉を信じている。彼は何でもできる神様だ。実際、ソノコに切られた腕は簡単に再生した。神様に囮捜査を頼むのは気が引けないでもなかったが、本人もだいぶ乗り気だったので任せることにした。


「―『いいの?』って何が?」

「―起動したら、彼女はもうおそらく戻って来れない」


 トウコはリヒトの胸倉を掴む。


「だから何?彼女の記録を見たんでしょ?彼女一人のせいで何十人という社員が精神疾患や自殺に追い込まれている。退職を申し出た社員の多くは姿を消していて、あなたのようにマシンリソースにされた人間も多いはずよ。そんな人たちも併せたら百人に迫る数。彼女を生かしておいたら、さらに多くの人が死ぬのよ?分かっているの?」


 トウコの真っ直ぐな眼に、リヒトは目を背ける。トウコは腕を放すと無造作に起動スイッチを入れる。ソノコの頭部に被せられたヘルメットが点滅を始める。


「いい?あなたはいろいろな奇跡を起こせるかもしれないけど、人間のことを知らなすぎるわ。優しくされたら優しくする。これは当たり前。でもバカにされ、雑に扱われ、危害を加えられているのに優しくするのはバカよ。今の時代、左の頬を殴られて右の頬を差し出すのは愚か者のすること。左の頬を殴られたら、殴ろうという気をなくすくらいに相手を叩き潰すの。舐められたら終わりよ?」


「世知辛い世の中だね・・・」


「人はまず自分のことを考えて、ささやかな幸せを噛み締めて生きればいいのよ。野心を持って成り上がろうとすると、この人のようにどこかで道を踏み外すわ」


「自分のこと、ね・・・。他人やコミュニケーションは重要じゃない?」


「人間は他者に依存せずに一人で生きていけるように進化してきたはずなのに、なんでコミュニケーションをそこまで重視するのか私にはわからない。一人で気ままに生きた方が気楽よ?」


「人は誰もが君みたいに強くはないよ」


「前提の問題よ。人は生まれてそして死ぬ。そこを前提にすればいいのに、人生に何か意味を乗せようとするから途端に生き辛くなって自分を見失う。彼女のように」


 ベッドの上のソノコの表情は見えない。嘘か真か、脳をシステムに繋がれた人間は、異世界に転生した夢を見るという。異世界で冒険し、魔物に殺されたときがその人の脳が限界を迎えるときだという。逆に、異世界で生き抜けば、いつかこちらの世界に戻ってこれるともいう。


「ま、簡単に魔物に殺されるようには思えないけどね」


 彼女の抜刀は本物だった。きっとかなりの修練を積んだのだろう。


「『コミュニケーションを大切にしなさい』、『他人には優しくしなさい』、『わがまま言わずに我慢しなさい』、『お金よりも大事なものがある』。そう言った旧時代の価値観の呪いにこの国は毒されたままなのよ。少人数で考えたことを実現し、他人よりも自分を優先して、我がままを通して、お金を優先した人が、結局は成功して世の中を牛耳っている。自分で考えることを放棄して、呪いに毒されていることにも気付かない人たちはいいように使われるだけ。ただのリソースとして一生を終えるのよ」


 そう言い切るトウコの顔はどこか寂し気だ。


「憎んだっていいの。恨んだっていいの。ちょっとした優しさにいつまでもこだわる必要なんてない。許す必要だってない」


 新米上級社員として御子神コンツェルンに潜り込んだトウコに目をかけてくれ、かわいがってくれたのはソノコだった。しかしシャドウランズのトウコの同僚を多く抹殺しているのは御子神コンツェルンだ。きっとソノコも何人か手にかけている。


「帰ろう」


 優しい神様がトウコに声をかけて、綺麗なハンカチをトウコに渡した。

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