第35話 ――行ってきますっ

 自分が他人に対して好意を寄せるなんて、いつ以来だろうか?

 そもそも俺が、他人に対して深い好意という感情を抱くことがあるなんて、昔は想像すらできなかった。


 ゲームオタクで勉強漬けの、何の面白みもない男で。

 社会に出てもそれは変わらず、表向きの仕事はそこそこ頑張るけれど、自分自身に魅力なんか全くないな、と心のどこかで自分のことを否定していた。

 同時に、怯えていた。

 こんな情けない男を好いてくれる女の子なんで、この世にはいないだろう、って。


 けど、そんな俺にも身体を重ね、馬鹿なことに付き合ってくれる女がいる――





「ねえ、タク君? なんか別のこと考えてない?」

「……あ、ごめん」

「ちょっとぉ!? こんな可愛い子を抱きながら考え事とはいい度胸だね!? あたしの身体とゲームとどっちが大事なの!?」

「両方」

「ワガママ~! でもそれでこそあたしの友達だっ」


 深夜二時。裸の女を抱き、口づけを交わしながら飛び交うアホ話。

 普通の子なら、確実にひっぱたかれても仕方がない。

 ていうか、「ゲームとあたしとどっちが大切なの」なんて、男女のむつみ事をしながら飛び出る台詞として絶対おかしい。


 けど、ルミィさんにはそれが許される。

 というか彼女が勝手に、俺を笑わせる方向に持って行く。


 会話の雑さは本当に、コンビニに売ってるポテトチップスくらい安っぽいもので。

 この世で最も尊いとされる、愛情や、恋心といった感情とはかなり違って。

 むしろゲーム友達の間に交わされるじゃれ合いのような、無益にもほどがある、道ばたの雑談レベルの話ばかりで。


 けど、それがいいなぁ~、落ち着くなぁ、と。

 真夜中のベッドに潜り込みながら、胸に染み入るように満たされていく。


 ……もしかしたら俺は倫理観に乏しい、相当酷い人間なのかもしれない。

 世間や常識のマナーに平手打ちをするような、無礼な行為なのかもしれない。

 けど、彼女といる時はそんな常識すらも関係なく、っていうか「別にいいじゃん、あたしらの間なんだし?」と、笑って許してくれる。

 そんな彼女が、俺は好きだ。


 恋人ではなく、友達として――

 なんて考えながら、つい、愛とは呼べない感情のままに彼女へと突き込むと、ルミィさんがとろけながら俺の背中をぺちぺち叩く。


「っ……タク君。さっきはぼーっとしてたけど、今度は逆に、いつもより激しくない?」

「……なんか急にルミィさんのこと、好きだなあって急に思えて」

「え。あ、ありがと。……友達として?」

「友達として……かな?」

「なにその微妙な返事ぃ」

「俺もよく分からないんだよ。愛じゃないってのは分かるんだけど、じゃあ単なる友達の友情か、って言われても分からないし」


 彼女の頬を撫で、もう一度口づけを交わしながら、今の発言はおかしいだろうか? と自問する。

 けど、ルミィさんは汗のつたう頬を揺らし、にこっと、笑って。


「あーでも、わかるなあ。あたしも前から思ってたんだよね。ただの友達とは、ちょっと違うなあ、って。……けど、恋人とも違う、みたいな?」

「そうそう」

「でもこう、うまく表現できないんだよね。や、確かにドキドキする時もあるし、安心する時もあるし、こいつ性欲しか頭にねーな、でもそれあたしもかって思う時もあるし?」

「否定できないのが辛い……」

「タク君も同じこと考えたんだねえ」


 んふふ、といつものように笑うルミィさんもまた、この感情の名を知らないらしい。

 もしかしたら相応しい日本語が存在しないのかもしれないし、そもそも言葉として表現できる感情ではないのかもしれない。


 けど、いまの発現で――共有している意識は同じなんだと、改めて認識した。

 であれば、それ以上の話は必要ないのかもしれない。


 彼女の髪を撫でながら、そっと笑いかける。


「まあ……名前なんて、なくてもいいか、別に。名前のあるなしで、何か変わらないし」

「あー……そだねぇ。そもそもあたしら、ついこの前まで本名知らなかったし」


 俺の名前は、津田匠。

 彼女の名前は、星川留美。

 名前を知りたいとは思ったし、名乗られた時はドキドキしたけど。


 名前を知ったからといって俺達の関係が大きく変わることはなく、現実は見ての通りえっちとゲームを楽しむ日々であるし、それが俺達にとって一番フィットする形なんだろうな、と思う。


「まあ結局、俺達は気軽にえっちしてゲームして遊べるいい関係。で、いいか、今は」

「惰性同盟の掟ですっ」

「掟なのかよ。破ったらどうなるんだ」

「ん~……罰としてえっちして貰う?」

「役得しかないし」

「それでいいじゃん。ゆるく行こうぜ、友よ」

「マジで山もオチもない話だな……」


 と思ったが、人生って案外そんなものかもしれない、とも思った。


 物語であれば山場があり、感極まったシーンで愛の告白をするんだろうけど、現実ってのは思ってたよりも中途半端で凸凹していて。

 ある日彼女にドキドキする恋心に気づいたかと思えば、その夜には彼女と一緒にいると安心する心地よさに気づいた……なんてことだって、あるのかもしれない。

 適当でゆるくていい加減。まさに惰性同盟の真骨頂。

 どこにでもありそうな、ありふれた日常の一幕の続きのような物語。


 けど、それでも。

 自分がルミィさんという大人の女に対し、惹かれていることに代わりはないんだろうなぁ――ってのは、理解する。


「タク君」

「ん?」

「難しいこと考える前に腰振ろうぜっ。じゃないと色々終わらないし!」

「……だな。すまん」

「ていうかタク君なんか難しいこと考えてるから、今日はあたしが代わってあげよう」

「へ?」


 隙をつかれ、コロンと、あっさり上下を入れ替えられた。

 マウントポジションを取ったルミィさんは、にんまりと笑いながら俺の瞳を見つめ、薄い唇をゆっくりと開いていく。


「好きだよ、タク君。いつも、あたしの馬鹿に付き合ってくれて、ありがとう。――好きっ」

「っ――」


 その一言で、どくん、とまた俺の鼓動が激しく高鳴ってしまい、さっきまで考えてたことが全部吹き飛ぶんだから男ってのは単純だ。


「てわけで、やろうっ。思いっきり楽しんで、面倒事を吹き飛ばしてそれからゲームだね!」


 告白とともに、ルミィさんが逆にスパートをかけてきた。

 経験を多少積んだとはいえ、まだ未熟な俺が彼女の攻めに勝てるはずもなく、あっという間に攻守逆転。

 きゃあきゃあとベッドをきしませながらお互い笑い、ぐちゃぐちゃに混じり合った欲望のまま存分に楽しみながら、互いに果てるまで続けていく。



 この関係に、名前なんか必要ない。

 というより、名前の有無なんかどうでも良くて、いやむしろ名前がないからこそ、俺達は”恋人”だとか”友達”とかいう形に縛られていないのかもしれない――

 なんて考えはもちろん、押し寄せてくる欲求に流された末に果て、いい運動を終えた彼女とともにベッドにぽてんと寝転がった。



 お陰様で。

 今日は色々あったけど、とても楽しい一日だな、と、素直に思えた。


*


 で、行為をしたあと腹が減ったので、また適当に飯を食ったら満腹中枢が満足しすぎて寝落ちした。



 鳴り響く目覚まし時計で目を覚ませば、朝七時。

 隣には素裸を晒したまま丸くなるルミィさんの姿があり、俺は彼女のくしゃくしゃな髪をゆすりながら起こしてあげる。


「ルミィさん、職場に電話」

「んあぅ~……そうだった……。さすがに無断欠勤はね……」

「ずる休みするにも手順があるからな」

「うん。あたしは真面目な社会人……ん~……」

「寝るな。頑張って連絡してから二度寝しよう」

「ちなみにあたし、ずる休み処女なんだよね」

「そっちも俺が頂いちゃったかあ……」


 というわけで、彼女の初休みまで頂いた俺達はそれまでの鬱憤を晴らすように遊びまくった。

 二人揃って布団に籠もったままゲームを再起動し、ごろごろ姿勢を変えながら進め、気が向いたらお風呂に入ってまたゲーム。


「タク君あたしコンビニ行くけど、何か欲しいものある?」

「任せる」

「任されたー!」


 昼食は朝ご飯と一緒になったものをなんとな~く食べ、またゲームをして、眠くなったらバタッとうつ伏せのまま爆睡。

 で、気が向いたらエロいことしてまた遊ぶ。


 四日間の連休をゴミ箱に捨てる、まさに堕落の限りを尽くし、俺達は楽しく過ごしたのであった。




 ――それにてハッピーエンド?

 いやいや、そんな甘い話はない。というか。


 四日間で三十時間以上も遊んだけど全然終わんねーぞ、このゲーム……


「ルミィさん。このゲームまじで終わらないんだけど。正しくは頑張れば終わるけど、面白すぎて終わらせたくないっていうか」

「甘かったね……簡単に手を出していいものじゃなかったよ……あ、いまスマホで調べたら、ちょっとやりこみたいプレイヤーだと平均クリア時間100時間くらいだって」

「マジか……やるしかねえな……」


 ゲームの世界は奥深く、時間はみるみる吸い込まれて消えていく。


 そうして三日が過ぎ、四連休の最終日を迎えても結局クリアできず、俺達は見事に敗北したのだった。


「敗北!」

「圧倒的敗北っ!」

「タク君が間にえっちしようとか言わなかったらクリアでき……てないね……」

「ああ。手を出した俺達が甘かった……」


 絨毯とベッドの上、大の字になりながら敗北を認める俺達。

 くそぅ。ゲーマーとしてなんたる名折れ。


 ……でも。


「まあでも。楽しかったから、別にいいか」

「だね! てか、あとは家帰って遊べばいいしっ」


 ルミィさんと笑いながら過ごした、クソみたいな四連休は最高だった。

 インスタント焼きそばで腹を満たし、大人に怒られそうなくらいゲームし、世間に後ろ指を指されそうな交わり方をする。


 そんな品のなさと情けなさこそが、日々の仕事に疲れた心を潤し、明日を生きる糧になる。

 ……なーんて、格好いいことを考えたわけではないけれど。


 明日からまた仕事頑張ろう、って思えるには十分なくらい、充実した四連休だ――

 胸を張って言えるな、と心底から思うのだった。


*


 なお実際は――思っただけ、でした!


「う~……タク君、仕事いぎだぐないよぉ~」

「分かる……連休明けの月曜日って、マジで行きたくないよな……しかも四連休明けとかマジでな……」


 現実は甘くなかった!

 休み明けの仕事、マジで行きたくない!


「けど行くしかないからな……」

「そだね……ねえタク君。そろそろ月曜日って滅びない?」

「それしたら火曜日が月曜日になるんだよなあ」

「じゃあ火曜日も滅ぼしちゃおう……」


 俺達は高慢にも時間軸の破壊を願いながらのろのろと起き上がり、シャワーを浴び朝ご飯を取って準備する。

 ルミィさんの着替えは先日から持ち込んでいるので、出勤についても問題無し。




 そうしていつもの準備を整えた俺達は、ふぅ、と一息ついて。


「「――行ってきますっ」」


 仕方なく、いつものように出勤した。


 うだうだしたい気持ちに引っぱられつつも……

 それこそが、俺達が日々生きるために過ごしている日常だから、だ。





――――――――――――――――――――

一章は残り二話となります。

このぐっだぐだでダラダラで、大きな山も谷もなく堕落した日常、でもそれが幸せ!という内容こそが、本作品らしいなと思いながら書いています

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