第33話 あたしの本名。……なんか、急に知ってて欲しくなったの。君に
――これは心のなかの独り言だが、俺は恋愛感情というものに疎い。
高校三年の頃、俺の前によく座っていた女子がいた。
その子も中々の陰キャであり、よく図書室の本を借りては、授業中にこっそり読みふけっている子であった。
必然、彼女と俺は気が合った。
つまらない授業。
騒がしい生徒達の間を縫うように、二人でひっそりと会話をし、何となくお互い笑っていた。
その子とは高校三年の卒業式以来、会っていない。
卒業前になにか特別な出来事があったわけでもなく、お互い「じゃあね」と手を振って別れてそれきりだ。
その一月後。
大学に入学し、そういえばあの子はどうしてるかなと考えたとき、不意に寂しさを覚え――
ああ。もしかしたら俺は当時、あの子に淡い恋心を抱いていたのかもしれない、なんて、ふと思った。
*
新幹線のなかで、ルミィさんはひたすらぶつぶつと文句を言っていた。
「ああもう、ホント腹立つ。ホント腹立つ~! 人が心配して、あんなに急いで来て、タク君まで連れてきて駆けつけたのに、何その言い様。あたしが何で悪いやつ扱いみたいに言われてんのよぉ……」
はああ~~~とクソデカ溜息をつき、新幹線の折りたたみ机に突っ伏す彼女。
そんなルミィさんに声をかけるでもなく、かといって無視するわけでもなく窓辺の景色を眺めていると、やがて彼女がすっと顔を上げて呟いた。
「やめやめ。らしくない。……ごめん、タク君。もう止めるね愚痴」
「別に、もっと言っていいよ。聞き流してるから」
「でも嫌でしょ? こんな女々しくて愚痴っぽい女なんて」
「文句言いたい時はがーがー言った方が、すっきりするだろ? 遠慮するなって」
もし俺に遠慮してるのなら、そこは気にしなくていい。
俺は聞き耳を立てることしか出来ないが、聞いてあげるだけなら出来る。
俺はただの壁。
でくの坊だと思って、幾らでも愚痴ってくれていいさ。適当に聞いてるから。
「やー、でもそこまでするのって」
「前にも話しただろ? 腹立つこと、気になることを残したままだと、えっちもゲームも楽しめない。それが惰性同盟のルールみたいなもんだし」
「うーっ……」
「一緒だよ一緒。不満はばーっと遠慮なく張らして、少しでもすっきりした方がいい。まあ、それで全部綺麗さっぱりなくなるわけじゃないけど、マシになるだろ」
これが物語なら、ムカつくヤツをぶん殴って全部解決でいいんだろう。
けど現実はもっと複雑で、人間関係ってのは蜘蛛の巣のように入り組んでいて、拳でその頬をひっぱたくことができない出来事が大半だ。
だから俺達はときどき馬鹿みたいに遊び、ゲームをしてエロいことをして発散しながら現実に合わせていく。
そのための友人が、隣にいる。
ルミィさんが涙目のまま唇をとがらせ、ぶすっと囁いた。
「……タク君、なんかずるい。格好いい」
「んなことねーよ。……それにさ。ルミィさんが怒ってるの、俺ちょっと嬉しいんだよな」
「なにそれ」
「ルミィさんが怒ってるの、俺にまで迷惑かけたことに対して、だろ? それってさ、俺のこと心配してるんだなーって」
他人に心配されるのは慣れてないが、彼女が俺のために怒ってくれてる……
っていうのは、何となく胸にじ~んと来たんだ。
経験がなさすぎて、これが何なのか、俺もよくわかってないけど……。
ああ。このじんわりとした気持ち、昔どこかで感じたことがあった。
大学時代……いや、もっと昔。高校時代か?
自分でもよく理解出来ない、淡い粒のようなものが浮かんで消えた、あの感覚に近いような――
「タク君のためっていうより、あたしが勝手に怒ってるだけだけどね。あーでもホント、ムカつく。あームカつく! しかも連休余ったし、どうしよ?」
確かに、せっかくの四連休が初日から躓いてしまった。
しかも帰りの新幹線に飛び乗ってしまったので、もう旅行どころではないし気分でもない。
んー……そういう時、俺達なら――うん。これしかない。
「あー、ルミィさん。何なら家に帰って、耐久ゲームでもするか?」
「……いいの? こんな不細工な顔のまま、タク君家にいって」
「気にしないって。つうか不細工じゃないし」
「不細工だよぉ。こんな泣きっ面、人にみせるもんじゃないし。子供じゃないのに」
「たまにはいいじゃん。てか、俺にくらいいいだろ。そんな顔見せてもさ」
確かに俺等は大人であり、一応は立派な社会人であり世間の模範となるべき人間かもしれない。
けど大人だって時にはワガママを言いたいし、ムカついたら叫びたいし殴りたいし、不細工な顔のひとつや二つになりたくもなる。
その気持ちを、世間に向けて露わにすることは出来なくとも――
気心知れた友達相手になら、ちょっとくらい覗かせても、べつに文句は言われないだろ?
「てゆーか、今さらじゃないか? 恋人でもないのにエロいことして、夜中にカップ麺食って、だら~っとした格好お互い見せてるのにさ。いまさら不細工面とかさ」
「……まあそうかも」
「ぐちゃぐちゃの泣き顔のままゲームする、ってのもなんかそそるし」
「うわ、変態ぃ~」
本人のいう”不細工面”したルミィさんに、俺はくすっと笑いかける。
いいじゃん。
友達の前で泣いたって、笑ったって。
俺等は上司や部下や、気を遣いすぎる家族じゃない。
自分の信頼できる、自由な友達相手であれば、他人には見せないぐずぐずの顔をつまびらかにしてしまうことくらい、神様だって許してくれる。
てか、許してくれなくても俺が許す。
と、彼女を撫でながら囁くと、ルミィさんがじ~っと俺を見つめてきた。
ん?
どうした?
笑いかけるも、彼女は俺をただひたすらにじーっと見つめ、見つめ。
吸い込まれるように、見つめられて……えへへ、と笑って。
「星川留美」
「え?」
「あたしの本名。……なんか、急に知ってて欲しくなったの。君に」
ぼそりと呟くルミィさん。
うっすらと涙の混じる頬は、なぜか、先程までの怒りや涙とは違う、ほんのりとした紅色に染まっていて。
彼女の指先が、そっと、座席においてた自分の指先に絡んできて……。
――その薄い唇を見つめながら、ふと――
彼女に、口づけをしたくなった。
ベッドの上での欲求とは異なる、もっと根源的かつ熱い熱量をもった何かを、腹の底から突き立てられるような。そんな感情。
思考がチリチリと焼き付き、まるで自分の身体が自分のものじゃないかのように浮つき、気づけば俺は、彼女の頬に手を伸ばして――
「っ……と」
危うく、止めた。
馬鹿か俺は。
いまは新幹線の中。公共の場であり、数がそう多くないとはいえ人の視線があり、嗜みを持つべき空間だ。
そんな中で、衝動に駆られるなんてどうかしている。
俺は慌ててふるりと頭を振り、妙な熱量を払って、ふっと息をついた。
代わりに、俺もまた彼女の質問に応える。
「津田匠。俺の名前」
「ああ、”匠”だから、タク君なんだね。わかりやすっ」
「そっちこそ”留美”だからルミィさんだし」
「現実であんまり違う名前使いすぎると、面倒だなーって思ってさ?」
けらけらと笑い、んー、と背伸びをするルミィさん。
そのお陰で、先程まで漂っていた熱が霧散し、続けて新幹線の放送により到着駅のお知らせが響いた。
あと二駅で到着だ。
ルミィさんの気持ちはまだ収まらないだろうが、それでも現実は揺らぐことなく自宅に近づいていく。
下車まであと十分となった頃、ルミィさんが、トントン、と俺の肩をつついてきた。
「ねね、タク君。あのさ。……帰ったら、ゲームしない? それもがっつり重たいやつ。一人プレイ用がいいかな」
「お、いいね。ムカついた時は、思いっきりハマれるゲームが一番だよな」
「うんっ。さっきまでずっとムカついてたんだけど、考えてたら段々アホくさくなってきた。その時間あるなら帰ってゲームしまくろうぜ! って」
「いいね。まあ簡単に踏ん切りはつかないだろうけど、別のものに熱中すると気が紛れるしな」
家族の問題なんて、一日二日で解決するもんじゃない。
けど、気持ちを切り替えがっつり楽しむことは、いいことだと思う。
*
ってわけで俺達は新幹線を降りたあと、近場のゲームショップへ直行した。
俺は大半のゲームをダウンロードで買うが、その時は何となくパッケージの気分だった。
で、二人でめぼしいソフトを探したところで――
そういえば未プレイだった超有名ソフトを見つけた。
「あ、そういえばあたしこれやってないや、”コレ”。実況動画はちらっと見たけど」
「そういえば俺も未プレイだ。じゃあ二人でこれにするか?」
「うんっ! まあ二日あれば終わるでしょ」
二人揃ってパッケージを手に取り、購入。
そのまま自宅に帰り、二人揃って自前のゲーム機に差し込み、起動。
「「おー!」」
ゲーム開始してすぐに広がる広大な景色に、二人そろって感嘆の声をあげた。
面白そう。
面白そうだね。
そんな気楽なことを言いつつ、始めたゲームの内容は、平たく言えば……
緑の勇者が、超々々広大なオープンワールドを駆け巡る、野生の息吹が吹き荒れるゲーム。
たしか去年続編が発売され、なんと三日で1000万本も売れてしまい日本のGDPすら押し上げたと噂のソフト――の、前作。
俺とルミィさんはそんな化物ソフトを前に……
――ま、三日もあれば終わるだろ?
連休だしね? 社会人の休み舐めんなよ?
と、余裕ぶっこきながらコントローラーを握り、勢いよくゲームを始める。
それが真の地獄の始まりだったと、俺達二人はまだ、気づいていない。
このゲーム、知ってる人は知ってると思うが――
超面白いうえに、死ぬほどボリュームがある……
まさに社会人殺しのゲームであった!!!
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