第32話 っざけんなあああ――――っ!

 しん、と病室に降りた沈黙を最初に破ったのは、ルミィさんだった。


「え。どゆこと? 医者が間違えたの?」

「そ……そうなのよ、留美。たぶんお医者さんが間違えて……」

「それはないと思います、さすがに。実際の入院理由は何でしょう。腸炎とか?」


 仮病で入院できるほど、日本の医療は甘くない。

 そして消化器内科かつ、お年寄りが軽症だけど念のため入院となれば、腸炎あたりか。

 まあ腸炎、というか腸炎に繋がる脱水が致命傷につながる場合もあるんで、念を入れておくのは大切だが……実家から呼びつける緊急性はない。


「や、やだねえアンタ、医者みたいなこと言い出して」

「すみません。言ってませんでしたけど俺、医療関係者でして」


 途端にびっくりして、目を剥く星川家の皆様。

 その合間を縫って、ルミィさんが俺の肩をつついた。


「え。つまり頭は打ってない、ってこと?」

「言い方は悪いけど、仮病……とまではいかないけど、頭を打っての入院はウソだと思うよ」

「は? なんで?」

「……まあ……うん」


 あんまし、言いたくないけどなぁ。

 理由なんて、一つしか思いつかない。


「ルミィさんを、実家に呼びつけたかったんだと思う」


 推測だが……俺とルミィさんが初夜を迎えようとしたあの日の事故で、味を占めたのだろう。

 普段は顔も見せない孫が、病気とわかれば渋々ながら帰ってくる。

 普通、見舞いに来ても病名なんて聞かないし、バレないと思ったんだろうな。


「ふーん……そっかぁ……」


 ルミィさんの冷ややかな声が、落ちた。

 家族が慌てふためき、彼女に「違うのよ留美、これはね」と言い訳を始め、みんなで何とか孫娘を宥めようとして――




「っざけんなあああ――――っ!」




 爆弾が落ちた。

 ルミィさんはまるで怪獣が吠えるかのように声を爆発させ、全身をびりびりと逆立てベッド柵を叩きつける。

 皆が言葉を失うなか、ルミィさんはふーふーと息荒く家族全員を睨み付け、そして、


「帰る」


 冷たく言い捨て、俺の手を掴んで歩き出そうとした。


「ちょっと、留美! 違うのよ、これはね、あなたが言っても中々帰ってこないから仕方なく……」

「だからって、ついていい嘘とついちゃいけない嘘があるでしょうが! こっちは心配してわざわざ遠くから来てるんだよ、なのに何それ!! ふざけてんのどっちだよ!」


 ご家族の手を払い、大股で俺を連れたまま病室を飛び出す彼女。


 その彼女に引っ張られながら――


 正直にいえば。

 俺は内心かなりドキドキしていたし、びっくりしていた……と思う。


 俺の前に現れるルミィさんは、いつもニコニコと笑顔を振りまく可愛らしい女の子だった。

 適度に怠惰であり堕落的。欲望に忠実で、楽しければベッドの中でぐうたら過ごすのもいいよね、という甘い優しさを詰め込んだ、いい意味でゆるっとした子。


 ――真面目な一面があるのも知っている。

 お金は必ず割り勘。

 どんなに夜更かししても、仕事に遅刻しないようきちんと時間内に家を出て、サボることはない。

 俺に対しては甘えたがりで、けど、プライベートの厄介事にはきちんと線引きして関わらせないよう心がける。


 適切な距離を保ち、うまく物事をいなすのが得意。

 それが、俺の知るルミィさんだ。


 そんな彼女が――家族とはいえ他人に対して……

 鬼のように目を尖らせ、敵意をむき出しにして怒ることもあるんだな、という驚きと――


 それくらい彼女は深く傷ついたんだろうな、という気持ちがシンクロして、俺もすこし悲しくなる。


「じゃあね。もう絶対来ないから」

「留美、違うのよ! それに、そんなに怒ることないでしょう? お爺ちゃんもあんたのこと心配して」

「嘘つくんじゃない! 心配してるんじゃなくて、ホントはあたしの顔を家族に見せて自慢したかっただけでしょ、この卑怯者!」

「留美!」


 星川母の顔が引きつったそこに、騒ぎを聞きつけた看護師と医者がやってきた。

 俺はつい反射的に、業務の邪魔をしてすみませんと謝りつつ、代わりにルミィさんの手を引いた。


「……帰ろっか、ルミィさん」

「待ってください。津田さんからも止めてやってください、悪気はなかったんのにこの子ったらこんなに怒って――」

「病名を偽るのは十分、悪気があると思いますけど?」


 そしてもちろん、俺も……

 ルミィさんのように感情的ではないけれど、正直ムカついた。


 いくら理由があっても、嘘をついてまで孫娘を呼び出す――しかも病気を偽って呼びつけるのは最低すぎる。

 それは、家族という関係性を人質にした脅迫。

 人を縛り付ける、卑怯な手だ。


 それをもし「悪意がなかった」と言い張るのなら、それは悪意に無自覚なだけであり余計にタチが悪い。


「じゃあ、失礼します。帰りはタクシーで帰りますのでご心配なく。行こう、ルミィさん」

「……うん」


 そうして俺はルミィさんの手を引き、居合わせた医者に事情を説明したのち病院を後にした。

 俯いてるルミィさんの顔を誰かに見られるのがイヤだったので、わざわざエレベーターでなく階段を使って降り、入口前のタクシーに強引に乗り込む。


 絶対、今日中に帰ってやる。

 何となく意固地になってた俺はすぐさま運転手に行き先を告げつつ……


 しゅんとしたルミィさんの薄い髪に触れ、そっと、慰めるようにさらりと撫でた。

 返事はない。

 俺も、とくに言葉を告げることなく、彼女にハンカチだけ渡して、黙る。





 無言で走るタクシー。

 窓辺の向こうで次々と流れていく田園風景を見ながら、俺はただひたすらに沈黙を保った。


 ――俺には熟練の女性経験もなければ、プライベートで他人を励ました記憶もない。

 出来のいいイケメンのように、彼女に優しい言葉を投げかけ、お気持ちを察してあげることなんて出来やしない。


 けど。

 それでも一年以上いっしょに遊び、身体を重ねた身として分かることもある。


 ルミィさんは今、言葉を望んでいないだろう、と。


 彼女は甘えたがりではあるが、泣きつきたがりではない。

 現にストーカー事件も今回の件も、まずは自力で解決しようとするし、俺が手伝いを申し出たら一度は拒否した。

 ルミィさんは自立した大人だ。

 自分でできることは自分でする。そのうえ、他人にあまり迷惑をかけないよう心がける。


 その本質はどこか俺と似ていて、他人の干渉を嫌うタイプ……。

 だからこそ俺は、彼女の気が済むまで、黙っている。


 ゲームの時と同じだ。

 二人一緒にいるからって、相手に声をかけることが必ずしも正解とは限らない。

 彼女がまずは自分の中で怒りを燃やし、焦がしつくし、ある程度きちんと整理できてから話し始めるのを待つのも――彼女との間にある“友達”の形だと、俺は思う。






「……本当、マジごめん」

「謝らなくていいって。悪いのは相手だし」

「それでも、謝らせて。……正直そこまでするとは、思ってなくて」


 彼女が口を開いたのは結局、帰りの新幹線に腰を下ろした後だった。

 俺は彼女から視線を逸らしたままもう一度、ルミィさんの頭をよしよしと撫でてあげる。


「ごめんね、タク君。巻き込んじゃってごめん」

「いいって」

「せっかくの連休なのに、ごめん」

「気にしないって」

「あたしが気にするの。だって、……あたしだけならともかく、他人まで巻き込んで迷惑かけるなんて、最悪。うちの家族も許せないし、それでほいほいついてきたあたしも自分に腹が立つ」

「そっか」


 じゃあ好きなように愚痴ってくれ。

 俺はただ、ゆるりと聞いてあげるから。


 彼女にそう告げながら、ふと気づく。


 ルミィさんが激怒したのは、自分が騙されたことに対してだけでなく。

 ……俺を巻き込んで迷惑をかけてしまったからこそ、本気で激怒してるんじゃないか、なんて想像して。


 不謹慎にも。

 少しだけ、とくん、と胸がざわめいた気がした。

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