第29話 最近、格好よくなったよね。男らしくなったっていうか
「有休消化、ですか?」
「悪いんやけど、だいぶ貯まってるから消化してくれへん?」
ストーカー事件が一段落したころ、境技師長に有休台帳を見せられ、そう頼まれた。
うちの病院は仕事量こそ多いものの、きちんと週休も貰えるし有休も義務づけられている。
「けど、他の人優先でも……」
「使えるうちに使っとかんと、後で使えんくなったりするしなぁ。あと有休残すと、えら~いお上に色々言われてな?」
技師長によると、有休消化率が悪いと労働基準法的に問題があるそうだ。
ま、ええ時代になったってことや。昔はなあ……と技師長もしみじみ言うし、休みを貰えるのは大変嬉しいのでありがたく頂戴した。
「えーいいなぁ津田。俺も休みたいんだけどぉ」
「お前はいっつも休んどるやろが藤木ぃ!」
へらへらと羨ましがる藤木先輩に雷が落ち、俺はそそくさと仕事に戻った。
*
とはいえ、突然休みを貰っても悩む。
積みゲーを崩しても良いが、社会人には貴重な四連休になったので、特別なことをしたいなぁとは思うんだが。
里山に聞いたら『私なら旅行に行きますね。先輩も一緒に行きませんか?』と言われた。
でも先輩と後輩がプライベートで旅行に行ったら意味深過ぎるだろ。まあ真面目な里山のことなので、県外の勉強家に出たいという意味だろうけど。
悩みつつ仕事から帰宅すると、ルミィさんが「おかえり」と座布団に腰掛け、ゲームしていた。
合鍵を存分に使い倒していた。
ってことで、聞いてみた。
「じゃああたしと旅行する?」
「時間あるのか?」
「ない! 社畜は辛いねぇ」
そりゃあそうだ。異なる職種の正社員二人が休みを合わせて旅行するのは、ハードルが高い。
「それにあたし、旅行に興味ないんだよね。美味しいものは食べたいけど」
「あーまあ、計画立てるのがおっくうだし、誰かと行くと気を遣うしな」
「そうそう。みんなの予定に合わせなきゃいけないしさ」
社員旅行とかなくて良かったよ、と、安堵するルミィさん。
俺も忘年会とか新年会とか、職場の人に気を遣う飲み会、苦手だしな……。
「んー。でも、タク君となら行ってもいいかも」
「そう?」
「タク君ってさ、お互いの行き先が合わなかったら、じゃあ別で見て回ろっか、とか許してくれるタイプでしょ?」
「そうだな。二人一緒だからって、同じ映画見る必要はないと思うし」
「なら行ってもいいかな。気晴らしに旅行して、お互い好きなものが違ったら別行動、とかさ」
肩肘張らなくていい旅行なら、いいよね?
ごろん、と彼女が絨毯にひっくり返ってにししと笑い、甘えるように俺の背中にすり寄ってくる。
その拍子にむにっと柔らかいものが当たり、むずむずするが、素知らぬふりをして。
「……まあ、それなら俺も楽かも」
「で、旅行先で美味しいもの食べて、温泉で元気になって、二人であっちの方もしっぽりと……」
「ルミィさんって、実はかなり好きだよね」
「タク君こそ、むっつりなだけでしょうに」
友達の腕が首筋に絡みつく。
……なんつーか、俺もすっかり籠絡されてしまった。
でも、彼女といるとホントに楽だ。
その気持ちをただの友達関係と表現して良いのか、じつは、最近ちょっと迷ってるけれど……他に表現のしようがないのも事実。
しかし、旅行かあ……。
「ルミィさん、どっか行きたいところある?」
「んー。広島とか? 牡蠣、美味しいらしいよ。もう少し南にいったら、下関でふぐでしょ、博多で明太子。あ、北陸地方のお刺身も食べてみたいかも。石川とか」
「食べ物の話ばっかだし」
でも美味しそうだ。
陸続きだし、勢いで旅行してしまうのもアリだろうか?
なんて計画をぼんやり考えつつ、でも面倒だな、とサボり癖が頭をよぎっていると――ルミィさんのスマホがふるりと震えた。
「ん。母さんどうしたの? は? 爺ちゃんがまたこけた? もう、だから注意するようにって医者にも言われて……え? また入院したの? それで……え、また来て欲しい? 今度はちょっとヤバいかも?」
ルミィさんの眉が、険しく寄せられる。
確かに年寄りで一度足腰が弱くなると、転倒癖がついてしまう方はいる。
「あたしは明日休みだけど……いけなくはないけど、別にあたし行っても仕方ないって。……うん。分かるけどね? 爺ちゃんや婆ちゃんが不安なのは分かるけどさあ。……うん。うん? ……ああもう、分かったって」
ルミィさんが潰れたカエルみたいな顔をして、ガリガリと頭を掻く。
また押し切られたんだろうな。
けど、ここで断れないのがルミィさんの優しさであり、家族を大切に思ってる証なんだろうなあ――
「はあぁ? 彼氏も連れてきて? や、いないし。ホントにいないし。……じゃあ友達でもいいから連れてこい?」
おっと、雲行きが怪しくなってきた。
「爺ちゃんを安心させろって……あのさぁ。あたしは爺ちゃんの精神安定剤じゃないんだよ。そりゃあ心配してくれるのは嬉しいんだけど……だからねお母さん、別に家族のこと嫌いってわけじゃ……あーもー!」
ああもう面倒くせぇー! と、ルミィさんが頭を掻きむしり始めた。
犬歯をむき出しにしてイラつく彼女は傍から見てるとかなりの迫力があるんだが、電話相手には伝わらないらしい。
で、しばらくやり取りした後、ルミィさんの電話が切れた。
あああチクショウ、とテーブルに突っ伏しおでこをぐりぐり擦る彼女。
「……どうしよ。誰か連れてきて、爺ちゃんに顔見せてやれって。メンドぉ……もう無視すっかなあ~……でもなあ、爺ちゃんに何かあったらやっぱヤだしなあぁ~」
口ではイヤだイヤだと言ってる、ルミィさんだが……
悩んでるってことは、「面倒」の一言で片付けられない感情が渦巻いているんだろう。
まあ人間の気持ちって、憎悪とか愛情の一言だけで示せるものじゃない。
俺とルミィさんの間柄が、友達、の一言で片付けられないのと同じように……家族ってのは、愛憎混じった複雑なものだ。
正直、俺は両親とあんま相性がよくないので、その気持ちは分からない。
が、ルミィさんの気持ちを推し量ることはできる。
しかも、彼女は俺の大切な友人、かつ明日から唐突に四連休をもらった身。
……だったら、まあ。
「ルミィさん。俺でよければ、ついていこうか」
「え!? ……や、大丈夫。そこまで迷惑かけらんないし、面倒でしょ?」
「まあ正直、面倒ではあるよ。けど、ルミィさんにはお世話になってるし、それ位のことなら手伝うよ」
面倒事は嫌いだけど、メリットが上回るなら話は別だ。
そして俺はこれからもルミィさんと楽しく仲良く過ごしたいし、そのための苦労を背負うくらいどうってことはない。
「俺も、ルミィさんと一緒にいるのは楽しいし」
「うー……けど、今回はあたしの家族の問題だしなぁ」
「それも、ルミィさんが悪いわけでもないし。それでも気になるなら、いつか俺が面倒事を背負ったときに手伝ってくれ」
困った時はギブアンドテイク。
な? と彼女の頭を撫でてあげると、むぅ、と唇を尖らせるルミィさん。
可愛いなあ、と彼女のさらさらな髪をなでなでしていると、ルミィさんがしおれた声でぼそっと、
「……ホントにいい? うちの家族、めんどいよ?」
「けど心配なんだろ?」
「割り切れないんだよねぇ……」
「俺だって割り切れたら、仕事でこんな面倒な思いしてないよ」
「だね」
さっそくスマホで旅行日程を検索。彼女の地元は、茨城だったはず。
うちの地元は東北地方なので、新幹線で東京まで南下してから電車だったか。
たしか某戦車部アニメの聖地らしいけど、行く時間はあるだろうか?
せっかくなら旅行を楽しみたいし、茨城といえばあんこう鍋とかあるんだったか、と考えつつ荷物を整理してると、ルミィさんがふふっと笑った。
「タク君ってさ。なんか最近、格好よくなったよね。男らしくなったっていうか」
「は? 童貞捨てたから、って意味か」
「ちがうちがう。そうじゃないんだけど、なんだろ。頼れる背中、っていうか……あー、なんでもないっ」
にへへ~、と軽く笑う彼女だが。
最後に言われかけた言葉は、男として実はかなり嬉しくて、心のなかが妙にくすぐったくなるのを感じて、密かに笑った。
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