第25話 思春期のJKかよ!
俺の考えた案はとても単純。里山に、薬師寺先輩の代わりに当直をしてもらうことだった。
俺はルミィさんを待たせてるので、今日はどうしても家に帰りたい。
かといって体調不良の先輩に一晩当直させるのは危ないので、里山に当直変更を依頼。それから技師長に連絡したのだが――
『津田。あんなあ、そういう話は先に俺に話通さんかい。てか、今から里山に行かせるのはナシや』
「でも、里山本人は大丈夫と」
『今もう夜九時すぎやぞ、そんな時間に出勤させて何かあったら困るやろ? それに明日の出勤予定、里山が抜けた分どうするつもりや。当直明けでそのまま働かす気か?』
ぐっ。そこまで考えてなかった。
あと、ルミィさんの件を見てもわかる通り、こんな時間に出勤させるのは危ない。
考えが浅かった……。
『それにお前、まだ薬師寺から直接、当直変わってくれって言われた訳やないんやろ? 勝手に交代の連絡とかつけたら薬師寺が怒るやろが』
「そうですけど、体調不良のまま仕事させるのはどうかなって」
『だとしても本人の意見を聞くのが先やろがい。確かに薬師寺は頑固やから、断るとは思う。けどな? そこにいきなり後輩二人やってきて、あとやっとくんで帰っていいですよって言われて、ハイそうですか、って言いづらいやろ。先輩なんやし』
それは、……そうかもしれない。
俺だって里山に対しては、先輩として弱いところを見せないよう振る舞っている。
そんな俺が、薬師寺先輩の意見を無視して後輩を呼びつけるのは、勇み足だったかもしれない。
ああ。らしくないな、俺。
体調不良の先輩を見てたら、焦ってしまった。
「……すみません、技師長。俺、ちょっと慌てすぎてたようです」
『おぅ。まあ津田も薬師寺を心配してのことやし、里山もお前の頼みだからと慌てて受けてしまったんやろうけどな? 注意はするけど、怒ることではないわ』
「はい。すみません」
とにかく、薬師寺先輩の話をまずは聞かないと。
まあ先輩のことだから、俺が言った程度じゃ聞き入れてくれないだろうけど。
『でな? 津田。こういう時どうしたらええか、分かるか?』
「え。さっきの話だと、先輩に意見を聞くんじゃ」
『んなの聞かれて、薬師寺が素直にハイとか言うわけないやろ。藤木じゃあるまいに。――だから俺が行く』
「技師長がですか?」
『俺が当直すればええやろ。俺から言えば、薬師寺だって断れんやろうし。それとも津田、俺じゃ頼りないか?』
まさか。
技師長はこの道二十年以上の大ベテラン。
俺等のボスであり、管理業務とともに通常の仕事もばっちりこなしている技術者だ。
「技師長なら、大丈夫ですけど、いいんですか? 技師長、明日会議なんじゃ」
『会議中に寝れば問題ないやろ』
ないらしい。……ないのか? 会議とは???
『それにな、さっきは注意したけど、お前から見て薬師寺の体調が悪そうに見えたってことは、相当悪いってことや。あいつ顔に出さへんし頑固やからなぁ』
「技師長からは、そう見えるんですか」
『おぅ。出来た人間ってのはな、堅さと柔らかさを併せ持っていなしてくもんや。けど薬師寺はホント、堅物ばちばちのカッチカチやから、こういう時に他人に頼らへんのよなぁ。その辺、薬師寺はまだまだお子ちゃまや』
え。あの有能な先輩が、お子ちゃま?
「技師長。薬師寺先輩はめちゃくちゃ仕事できると思いますけど」
『技術があることと、人間性が優れてることは別やで。肝心なところで人に頼れないのも一種のコミュ障やからな』
薬師寺もまだまだやな、と笑う技師長に……ああ、この人には一生勝てそうにないな、なんて思う。
正直、俺は先輩ほど完璧な人間はいないと思ってたけれど、もしかしたら違うのかもしれない。
『とにかく津田、お前はもう帰りぃ。里山に連絡もよろしくな。薬師寺には俺から話しておくし今から向かう』
「すみません技師長。お世話になります」
『かまへんかまへん。あと連絡してくれたのはありがとな。……ま、口にはせんやろうけど薬師寺も助かったと思うで?』
「そうですかね」
『男も女も、口ではツンとしてても内心感謝してるもんや。それが人心、っちゅーもんやで』
んじゃ、とあっさり通話が切れたころに、薬師寺先輩が戻ってきた。
片手にペットボトルのお茶。休憩してきたようだ。
俺は先の話を、簡潔に説明した。
すると先輩は明らかに戸惑ったように瞬きをし、眉を寄せた。
「……技師長が来るの?」
「すみません。勝手な判断だと思いましたけど」
「そこまで心配しなくてもいいのに……」
まったく、と呆れたように溜息をつく先輩。
じわりと、胸の中に苦い気持ちが広がる。
……余計なお世話だったか? 勝手に他人の気持ちを推し量ってしまったのは、俺のミスか。
「すみません。余計なことを」
「……まあ私も、そこまで困ってないって言えばよかったわね。……うん。今日はもう大丈夫よ」
「すみません、本当」
「謝らなくていいわ。それより、津田君も遅くまでご苦労様。あとはもう大丈夫」
ふぅ、と一息ついて俺を追い払うように手を振る先輩。
ありがた迷惑というヤツか。
そもそも薬師寺先輩は俺より大人だし、本当に辛かったら事前に連絡くらいするよな……と今さら気づいて、自分の失敗にヘコんだ。
……全く。らしくないことをしたなぁ。
という気持ちのへこみを先輩に見せるわけにはいかないので、ぺこりと一礼する。
「じゃあ俺、上がりますので」
「はい。お疲れ様、津田君」
「本当すみませんでした」
もう一度だけ謝って、俺はのろのろとバックヤードに籠もり私服に着替える。
ああ、くそ、まったく……自分の至らなさにイライラする。
もっと上手く、仕事もできればいいのに。
汗ばんだ自分の身体にいらつきながら、一度気合いを入れ直すために息をつく。
正直、落ち込みはしたが、ルミィさんの前でそんな顔を見せる訳にはいかない。
彼女の前では元気に振る舞おう。
今の俺に出来るのは、それくらいだ。
長らく待たせてしまったことを申し訳なく思いつつ、急ぎ、病院の玄関口へと早足で向かった。
*
そうして帰宅する後輩の背中を見送って――私、薬師寺愛香は誰にも見られないよう目頭を押さえた。
うっすらと零れた涙を払い、ああもう……とバカな自分を叱咤する。
嫌になる。
本当に、嫌になる。
……本当は朝起きた時から、吐きそうなくらい死ぬほどきつくて、けど誰にも言えなかった。
当直日にいきなり、当直を交代してくださいなんて、言い出しにくかったのだ。
だから密かに我慢して我慢して、なんとか辛さを押さえ込んで――けど、誰にも言えなかった辛さを、彼だけは察してくれて。
頑固な私に逆らって、技師長に頼んでくれたことを。
本当は、私が心の底から感謝していることを……
もっと素直に、態度に出すべき、って、頭では分かっているのに。
「どうして、あんなに嬉しいことを言われて、あんな返事しかできないんだろうなぁ私」
他人に弱いところを見せられない。
自分でもよくないと理解してるのに、心配されるとつい、ありがた迷惑ですって顔して追い返しちゃう。
心の中では、強く、私の否定を乗り越えてきてくれる子を望みながら。
でも、口から出てくるのは、人を傷つける言葉ばかり。
――彼はきっと知らないだろう。
私がどれだけ、君に感謝しているか。
普段あれだけキツい言葉を並べているのに、それでも、自分のことを見てくれるキミに、私がどれだけ救われているか。
知らないし。
知られたくもない。
知られてなるものか、とすら思う。
けど、本当は……
もっと知ってほしい、私の本音を理解して欲しいって、心の底から思っている。
ああ。津田君。
津田君。
君は本当にいい後輩で、私にとってはもう、ただの後輩ってだけじゃなくて……そんな隠れた私を知られたくないけど、でも見つけて欲しい、なんてワガママを抱えているなんて――
君はきっと知らないんだろう。
ぽふん、と重たい身体を椅子に預け、恋い焦がれる少女のように突っ伏す私。
……ホント、バカ。
可愛げのない、私。
里山ちゃんみたく、分かりやすく可愛いアプローチ出来たらいいのになぁ。
と、自分でも無茶なことを言ってると知りながらぼやき、溜息をつく。
私って、女としての魅力ないのかなぁ……って。
でも。
彼が私を抱きとめたとき、顔を赤くしていたのは見逃さなかった。
気分が悪くてつんのめったのは、本当。
でもそのあと、彼から離れなかったのは……すこし演技、入ってたかも。
普段の仕事でも彼の視線を感じることはあるし、この前プライベートで会った時も意識はされてたから、全く興味がないってわけじゃあないと思う。
ああ。
出来れば彼に抱き留められたあと、そのままベッドに押し倒されて。
彼の男らしいごつごつした手で、そのまま揉みしだかれたら今ごろどんな風になっていたんだろう……なんて考えが浮かんで、私はふるりと頭を振った。
病気だ。
どうやらホントに、体調不良が酷いらしい。
ただ、その病の名はもしかしたら、ただの風邪ではなく。
女が誰しも一度はかかる心の病気かもしれない、なんて洒落たことを考えたあまり、
「思春期のJKかよ!」
と、独り言を呟きごつん! と机に額をぶつける。
私は先輩。完璧で立派な先輩。
こんなクソみたいな姿、他の人にはぜったい見せられない……と呟きながら、私は技師長がくるまでの間、ぐっと頬に力を込めて表情を保つ練習に励む。
「おぅ、薬師寺。体調悪いって聞いて……ってなんや、その般若みたいな顔」
「私は完璧な先輩なので」
「アホかお前。津田が見たらびびるぞ?」
私は心のなかで号泣した。
笑顔が苦手なのは、私の大きな欠点だった……。
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