第22話 -side ルミィ- 頑張ってくるヨー!

 油断してたわけじゃない、とは思う。

 けど、トラブルっていうのはいつも意識の外から来るんだなって、あたしは後になって思い知った。


*


「お疲れ様でした。では、お先しますね」

「っす、星川さんお疲れ様っしたー!」


 今日の仕事を終え、まだ残業中の鈴木クンを置いてあたしは職場を後にした。

 裏口から出て、まずはゆっくりと深呼吸。

 一日ずっと行内にいるとやっぱり気力がへなへなしてくるので、空気と心の入れ替えは大切だ。


 最近はだいぶ仕事に慣れてきたけど、それでもミスなく一日が終わるとホッとする。

 あたしは仕事熱心って程でもないけど、業務を終えたあと、集中力の糸をふっと紐解く瞬間はけっこう好きだったりする。


 今日もがんばったぜ私! って気分になるしねっ。


「さて。今日はタク君家に寄るか、それとも帰るか、寄るか……ううむ」


 最近タク君の家には週3回くらいのペースでお邪魔している。

 彼の家を初体験した(ついでに身体も初体験もした)のは先月の頭だけれど、いざ彼の家に遊びにいったら居心地よくて、何時間でも居座りたくなってしまう。


 タク君はどこまでいっても、タク君だ。

 男にしては遠慮がちであたしに深入りしてこなくて、だからこそ気遣いができて優しくて、束縛しない。

 そんなタク君があたしは好きだ。


 恋愛的な意味ではなくて、んー。

 例えるなら、コタツのような温かさ、かな?

 恋のようにときめくものじゃないけど、いつまでもごろごろお休みできる……自分の居場所のような安心感。


 ――あたしは、彼の本名を知らない。

 タク君も、あたしの本名……星川留美っていう名前を、たぶん知らない。

 それでも別に構わなかったし、相手の名前を聞こうともしない関係が、いい。


「まあでも、名前なんて性格に関係ないよ、って、タク君も言ってたし……そもそも普段から、HNでやり取りしてるしなあ」


 たぶんタク君は、あたしの名前がルミィでもミルキィでも、へべれけ大魔王でも気にしないと思う。


 要は、相手がどんな価値観を持っているか、だ。

 呼び慣れた名前にはもちろん愛着もわくけど、本質はそこじゃない。

 大切なのは、あたしと彼が良き友達であるという点だけだと思う。


「まあ、最近はちょっとだけ、ただの友達とは違うかも? って思うけど……」


 それは禁句だよね? と。

 心の中の宝石箱をパタンと閉じながら、買い物のためスーパーに立ち寄る。


 食料品を適当に買い込んだのち、ふんふん~♪ と、

 いつものように鼻歌交じりに、慣れた公園を曲がって――





「あのさ。留美ちゃん。最近どうして、窓口にいないの? おじさんのこと、嫌いになっちゃった?」


 ぬるりと背筋を舐めるような声に、ざわ、と、心が震えた。

 レジ袋を取り落としそうになりながら、びくっと振り返ると……


 例のストーカー男がお化けのようにのっそりと、あたしの真後ろに立っていた。


 夕暮れ時。

 日没間際の陽光が、男の影をのっぺりと引き延ばすように、アスファルトの上に伸びていた。

 影に覆われよく見えない男は、けど、巨人のように大きく。

 ねっとりと油を含んだようないやらしい声で、ぼそぼそと掠れた口を動かしている。


「ひどいよね。おじさんがさ、せっかく時間のないなか一生懸命に会いに行ってるのに。そういうのって、誠意がない、って思うんだよね……。けど、留美ちゃんはそんな子じゃないよね? ちょっと用事があっただけなんだよね。おじさんのこと、嫌いになっちゃった?」


 違うよね。でも大丈夫だからね、おじさんが君にヘンなことをいう、悪いやつから守ってあげるからね。


 ぶつぶつと身勝手なことを口走りながら、男はにたにたと笑っていた。

 あたしは頭が真っ白になって、

 まるで唐突にゲームオーバーを迎えた、プレイヤーかのように固まって……


 けど、



『――先制攻撃』

『――周りの迷惑なんか、気にするな』



 ふと彼の言葉がよぎり、気づけば、防犯ブザーを引っこ抜いていた。

 途端にぴよぴよと警報が鳴り、ストーカー野郎が怯む。



『――音爆弾を投げるように』

『――アラームを身代わり人形にして、全力で逃げろ』



 ぶつっと鞄から防犯アラーム本体を外し、投げる。

 万年帰宅部のあたしはもちろんノーコンで、アラームはパチンと地面に転がっていったけど、男をたじろかせるのには十分。


 全力で逃げた。

 レジ袋を捨て全力ダッシュで公園の角を戻り、振り返ることなくひたすら走った。


 いきなりの逃走に足が悲鳴をあげ、危うく放置自転車にぶつかりそうになりつつ歩道を飛び越え。

 がつがつと運動靴をを慣らしながら、飛び込むように――コンビニの自動ドアを突破し、つんのめりながらも店内の奥へダッシュ。


 これもタク君が調べてくれたことだけど、各地のコンビニはセーフティステーションとしての役割もあるらしい。

 まあ実際そこまで機能してないとは思うけど、コンビニなら人目があるので多少安全だろ、とはあたしも思う。


 で、コンビニ奥のペットボトルコーナーに身を潜め、ぷはぁ! と息をついた。


 遅れて、がちがちと震えが走った。

 ……怖い。

 どうしよう。

 遅れて全身から吹き出る汗にドキドキし、今になって、「あれ、あたし今けっこうヤバかったんじゃね?」という意識が心の奥底からむくむくと煙のように吹き出てきて、ちょっと泣きそう。


 やば……。

 や、最近確かに、あのおじさんのことを避けてたし、監視カメラで男が入口に見えた時には引っ込むようにしてた、けど。

 けど、こんな急に。


 はっ、はっ、と荒く呼吸を鳴らし、なんとか落ち着こうとするものの、全く気分が落ち着かない。

 もしかしたら今にも、自動ドアの影からアイツがやってくるんじゃ、と想像するだけでぶるりと震え、あたしは――


 っ……ここから、どうしよう……?


「アノー。どうかシマシタか?」

「うぇっ!?!? あ、すみません店員さん、なんでもないです……」


 外国人のコンビニ店員さんに声をかけられ、びっくりしてしまった。

 失礼。

 そりゃあ、あたしみたいな可愛い美女がコンビニに転がり込んできたら驚くよね!?


 っと、落ち着けあたし。

 今のところ、ヤツが追ってくる気配もないし……。


「すみません。ちょっと変質者に追われてまして」

「アラ大変。ケーサツ呼ぶ?」

「大丈夫です、ありがとうございます。あ、お礼にちゃんと買い物しますので」

「ハーイ、Lチキ今なら10円引ヨー」


 気のいい店員さんに愛想笑いを返した後、さて、どうしたものかと考えた。

 ……正直、家に帰るのは怖い。

 けど他にいく場所もないし、ホテルに泊まるにしても地元のホテルなんて分からない。


 となると――


「うぅ……タク君に迷惑かけたくないんだけどなあ」


 友達だからって、甘えすぎるのは良くない。

 まあ普段から割と甘えているけれど、ガチで心配させる話は、重いっていうか。

 申し訳なさが立つっていうか、そこまで頼っちゃいけない気がする、っていうか。


「うーん……」


 けど今から自宅に帰るのはさすがに怖いので……

 様子見で、メッセージを送った。


 文面は悩んだけど、簡素に。


『例のスト-カー出てきた』


 とだけ入力すると、すぐに、


『マジか。大丈夫だった?』

『逃げた。大丈夫』


 と返事すると、タク君はすぐにコールバックをかけてきてくれて、正直かなり安心した。


 スマホに表示される『タク君』の文字を見るだけで、ああ……心配してくれてるんだなぁ、って、何だかホッとする。

 頼りすぎるのは良くないけど、今は誰かの声が聞きたくて、それが彼の声ならなおさらいい。


『ルミィさん、大丈夫か。ストーカーって』

「……タク君? ごめんね。まだ仕事中?」

『ああ、正直ちょっと忙しい。けど大丈夫か、そっち』

「まあ、うん。……でも結構、家の近くで待ち伏せされててさ~」


 通話しながら、もしかしたらあたしの家まで補足されてるのでは……?

 と、そこはかとない寒気を覚えた時、タク君はさらりと、


『なら、俺の職場くる? ルミィさんの自宅とは反対方向だし』

「へ?」

『病院って入口に守衛さんもいるし、人の目もあるから安全だと思う。少なくとも、今から一人で帰るよりは絶対いい』


 ――病院。

 その発想はあたしに全くなくて、けど考えてみれば悪くない案の気がした。


 確かに安全そうだし、何よりタク君がいるし。

 そう考えたあたしは、一応幾つかのやり取りをしてから、頷いた。


「分かった、今からいくね」

『気をつけて。俺ちょっと仕事で遅れるかもしれないけど、必要なら入口にいる守衛さんに声かけてもらえばいいから』

「了解っ」


 気づけば、あたしは至極当たり前のように返事をし、震えが少しだけ収まっていた。

 あたしは自分を落ち着かせるため、よし、と気合いを入れる。


 ――タク君はいつもそうだ。

 漫画のヒーローのように格好良く登場するわけじゃないけど、防犯ブザーとかコンビニに逃げるとか、すごく現実的で安心感のあるアイデアをくれる。

 相手の場所に乗り込むのではなく、相手に合わせた対抗手段をくれるのは、彼の素敵なところだ。


 ……そして、ごめんね、タク君。

 ちょっとだけ迷惑かけちゃうけど、今だけは頼らせて!


 と、自分の頬をぺしっと叩いて気合いを入れ、スマホ片手にカウンターへ向かう。


「すみません、Lチキひとつください! 一番大きいの!」

「アイヨー! お姉さん元気ダシテヨー!」

「頑張ってくるヨー!」


 あたしはなけなしの元気を振り絞り、店員さんに手を振ってからコンビニを後にした。

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