第20話 私には私の、よこしまな気持ちだって、あるんですから

 いわゆる、カクテルバーに足を運んだのは人生初だった。


 薄暗くぼんやりとライトアップされた店内。

 まばらに空いた丸テーブルが並ぶなか、里山は当たり前のようにカウンター席へ案内する。

 緊張しつつ腰掛けた後、ふと値段が気になり、立てかけてあるメニュー表に目配せ。大した値段ではなかったので密かにほっとした。


 先輩として、格好悪い所はあんま見せられないしな。


「……俺、こういう店来たの初めてだ。なんか緊張するな」

「そうなんですか? ふふっ。先輩の初めて、貰っちゃいましたね」


 くすくすと肩を揺らす里山の頬は、ほんのりと紅い。

 普段は子供っぽい里山も立派な大人なんだな、という妙な色気を感じつつ、よく分からないけど甘口そうなカクテルを注文し、グラスを合わせた。


 ……とまあ、店の雰囲気にしばらく飲まれていた俺だが、まずはきちんと謝ろう。


「今日はごめんな、里山。藤木先輩に怒れなくて」

「いえ。私のほうこそ、守ってもらってありがとうございました」

「守った、とまでは言えないけどな。本当はもっと、がつんと言える方がいいんだけど」


 俺は弱い人間だから、他人に強く言うのが苦手だ。

 というのは、自分に対する言い訳に過ぎないんだろうけど。


「まあ、後で技師長にも改めて言っておく。あと、仕事中になんか言われてたら相談してな。うちの病院にもハラスメント対応窓口あるし」

「何からなにまで、ありがとうございます。……私、いつも先輩に頼ってばかりで」

「いつも、じゃないだろ。里山も頑張ってるし、任せられる場面も増えてきたし」


 薬師寺先輩からも、里山は頑張っていると聞いたので間違いないだろう。先輩は嘘をつく人じゃない。

 と、正直な意見を伝えると、里山はグラスにそっと口をつけてはにかんだ。


「それも含めて、先輩のおかげです。一生懸命、いろいろ教えてくれたから」

「まあ、仕事だし。里山に教えることで、俺も勉強になるしさ」

「そうですけど、それだけじゃない、っていうか……」


 ふいに里山に見つめられる。

 潤んだ瞳から、俺はそっと顔を背けた。


 外見だけの話をすれば、里山は可愛い。

 子犬を連想させる小動物な子であるが、つぶらな瞳といい、恥ずかしがった時にあたふたと頬を掻く姿といい、なんとなく庇護欲を注がれるというか。

 もし学生時代に同級生として過ごしていたなら、密かに人気になっていただろうな、とは思う。


 だからこそ、俺は――


「先輩。あのぉ……」

「ん。何でも聞いていいよ」

「え。……なんでも、ですか……?」


 もちろん。

 聞きにくいことでも、何でもどうぞ。


「…………」

「……どうかしたか、里山」

「い。いえっ。では質問しますけどっ」


 促すと、もじ、と、彼女が俯き。

 グラスを傾け、くいっと一気に飲み干して、


「……先輩って、その……」

「うん」

「先輩には、っ……。か、か、かのじ――」

「でも飲み過ぎるのは程々にな。明日の仕事に差し支えると、薬師寺先輩や技師長に怒られそうだし」

「ぇ」

「耳にうるさいかもしれないけどさ。俺はやっぱ先輩の立場だし、里山も、俺が連れて帰ったのに明日遅刻とかして、下手に勘ぐられたらイヤだろ?」


 ――だからこそ俺は、先輩として彼女に接しなければいけない。


 あくまで俺は先輩であり、彼女は後輩。

 間違っても、ルミィさんのように何でも言い合える友達ではないし、業務以外での個人的な欲を抱いてはならないのだ、と、アルコールが回る脳をきちんと律して、彼女に接する必要がある。


「……別に、勘違いされても、いいんですけど」

「ん?」

「なんでも、ないですっ」

「お、おぅ。……で、相談って? 仕事の話って聞いたけど」


 里山が、どん、と空のグラスを強めにテーブルへ戻した。

 さっきより目が据わっている気がするのは、俺の気のせいだろうか?


 と、里山はじろりと俺を睨んで、


「じゃあ、……薬師寺先輩について、どう思ってますか?」


 ん? 藤木先輩でなく?


「薬師寺先輩って、背も高くてすらっとしてて、誰が見ても美人で胸も大きくて……先輩はどう見てるのかな、って」

「仕事の話、だよな?」

「職場の先輩について聞くのに、仕事の話以外あり得ないじゃないですか」


 違う気もしたが、里山は怒るだけ怒って、へにゃりと身体をしおらせ俯いてしまった。


「私なんか、全然まだまだですし。美人でもないし可愛くもないし、性格もちょっと暗いし愛嬌ないし。……だから、先輩が羨ましいなあって」

「いや、里山には里山のいいところ、あると思うぞ」

「お世辞ですか?」

「お世辞じゃなくて、本音だよ。そりゃあ仕事なら先輩の方ができるのは仕方ないけど、性格って意味なら里山もすごく親しまれるもの、あると思うし」


 話がズレてる気もしたが、たぶん、俺にも程々にアルコールが回っていたんだろう。

 それに、素直に彼女を励ましたい気持ちもある。

 業務面は経験の差があるぶん仕方ないが、性格や愛嬌について彼女が悩む必要はない。だって、


「……ここだけの話だけどさ。薬師寺先輩はやっぱすごい先輩だと思うけど、俺としては少しだけ……苦手な先輩なんだ」

「そうなんですか?」

「頼りにはなるけど、完璧すぎるっていうか。仕事熱心すぎて、近づき難い感じがあると言えばある、かな」


 その誠実さがまた先輩の良いところだし、患者さんにとっても有難い話であるのは事実だ。

 だからこそ俺は、先輩に近づきがたさを覚えている。完璧な人だから。


「その点でいうと、俺は、里山を見てるとちょっと安心する。いい意味で、里山はまじめでお人好しな、普通の子だなって」

「……私?」

「ああ。だから俺は、里山とは話しやすい。まあここは、人と人との相性だけどな。仕事をきっちりしたい人だと、俺とは話が合わないだろうし」

「……話しやすい、ですか」

「うん。まあ、先輩として、だけどね」


 っていうのは、半分嘘だ。

 俺は個人としても、里山のことを話しやすい相手だと思っている。


「…………」


 沈黙の合間に、もう一杯カクテルを注文した。


 グラスを揺らし、誤魔化すように流し込む。

 酒には詳しくないので味も名前もさっぱり分からなかったが、口の中に滑り込ませたカクテルには、とろりとした甘味の中に若干の酸っぱさがあって、妙な味わいを覚えた。


 そんな俺を、里山が湿度のある瞳で見つめてくる。

 ……気のせいか、普段の愛らしい表情に、些か色づいたような煌めきを見た気がして、また顔を逸らす。


 酒のせいで俺も認識が危うくなってるようだと思い、そこからは仕事の話に終始した。


 今日の研修について。

 最新の撮影装置について。

 同じ職業である以上、仕事の話題には事欠かず。

 それから一時間ほど会話に花を咲かせたのち、頃合いをみて席を立つ。


「そろそろ、行こうか。会計、俺出すよ」

「え、いいですよ先輩。私も出します……」

「タクシー代の余りもあるし」


 境技師長がどこまで見越してたかは知らないが、ありがたく使わせて頂くことにした。






 そうして二人で店を出て、出口の階段を上がっていたその時、


「っ」


 里山の足がもつれ、転びかけ――俺に、ぎゅっと抱きつくように寄りかかってきた。

 っ、と危うく抱き留めた拍子に、たまたま、腕に絡みつくように抱きつかれてドキリとする。


 顔をあげた里山は、ちろりと赤い舌を出して――申し訳なさそうに謝った。


「……すみません。ちょっと、飲み過ぎたみたいで」

「里山。そういう台詞はあんま、男には言わない方がいいと思うぞ」


 年頃の女性に抱きつかれて、全く意識しないほど、うぶではない。

 それに彼女は細やかとはいえ、柔らかなものが二の腕に当たるのは反応に困る。


 ……つうか、里山。お前マジでそんな姿、他の男に見せるなよ?

 先輩としてっていうか、男として忠告しておくべきか――


「先輩」

「ん?」

「私は、先輩が思うほど、真面目な女の子じゃありませんよ。……私には私の、よこしまな気持ちだって、あるんですから」

「え」

「ふふ。いま、わざと転んだふりしたって言ったら、先輩、信じてくれます?」

「……そういう冗談はよくないぞ」


 冗談じゃないんだけどなぁ、と。

 ぼそっと聞こえたのは、たぶん、アルコールによる幻覚。

 その証拠に、彼女はすぐ俺から離れて、けらけらと笑い上戸になってしまった。


「ふふ。あはは。先輩、顔、赤いし。冗談ですって」

「酒のせいだ。あとお前が抱きつくから、ちょっと焦ったんだよ」

「ふーん? そうなんですかぁ?」


 里山が笑いながら、少しズレた靴を直してくすくすと笑う。


「ねえ先輩。先輩って、私に首輪をつけられて飼われるのと、私に首輪つけて飼ってくれるの、どっちが好みですか?」

「お前完全に酔ってるだろ」

「大事な話です。患者さんのご希望に合わせるのも、仕事ですから」

「俺は患者じゃねーよ」

「そうですね。でも、先輩が私を見てくれてるように、私もずっと先輩のことを観察したくてたまらないんです。ずーっと」


 冗談を言い合いつつ、ようやく道半ばで見つけたタクシーに里山を放り込んだ。





 俺は、もしかしたら、里山という子をちょっと見誤っていたかもしれない。

 あまり迂闊なことをしないように、と、先輩として注意しつつ……


 彼女に、あまり妙な気を持たせないように。

 いや、逆か。

 俺の方が、妙な勘違いを起こさないように意識しなくてはな、と。


 酒の回った頭になんとか命じながら、ようやく一息つくのであった。

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