第19話 すこし、飲み直したくて
「今日は遅くまでお疲れ様やったなあ、津田。里山もお疲れさん」
「はい、お疲れ様でした、先輩っ」
「いえ、技師長と里山もお疲れ様です」
境技師長と里山に挨拶をされつつ、俺は、いえいえと二人に頭を下げた。
日曜日の夕方、とある会場で行われたのは休日返上で実施された研修会だ。
なんでも技師の業務拡大の一環とやらで、朝の動画視聴(三時間)に始まり、昼食を挟んで午後はみっちり実習、と本当に一日がっつり使ってしまった。
幸い今回の研修は出張扱いになるらしく、週休日数そのものは変わらないらしい。
とはいえ疲れたものは疲れたし、日曜の休みは欲しいよなぁ。
……まあでも、厄介事は片付いた。
後は家でゆっくりくつろぎつつ、動画でも見ながら夕食をのんびり食べようかな……
と、すっかり休憩モードに入ってた俺の肩を、境技師長がトントンとつついた。
「なあ津田。里山。せっかくならご飯食べにいかへん? 奢るで」
ぐっ。
正直にいうと断りたかったが、誘われた手前、断り辛い。
そのうえ里山が「え、いいんですか?」と前向きに了承したもんだから、後輩を放って帰るわけにもいかない。
……それに、断ったら後で文句言われそうだし、俺自身も「断って良かったのかな」と、後になって後ろめたい気持ちが出てくるのがイヤで、結局受けちゃうんだよなあ。
と、仕方なく了承しようとして――
「あ、いいですね。俺も行っていいですか?」
と、そそくさと藤木先輩が顔を出してきて、顔をしかめそうになった。
いや。あのですね藤木先輩?
……境技師長のお誘い、あなたがサボる気配を出してる勉強会を、俺と里山に振ったお詫びも兼ねてると思いますよ?
という内心を押し殺し、里山もひどく微妙な顔をしてたが……
境技師長も言い出した手前、部下を一人だけ省くわけにもいかなかったんだろう。
結局、俺達は四人で夕食を取りに行くことになった。
なんだこの微妙な空気!
*
場の空気、というものがある。
読めるヤツは読めるが、読めないヤツは一生読めないのではと、たまに思う。
「だからな津田。お前等は俺の時代に比べてほんと楽してるわけ。けど、それに甘えて適当に検査してるとだな、俺たち技師のいる意味ってのが……」
境技師長が選んだ、安くも高くもない居酒屋。
四人がけの個室にて、俺と里山はなぜか藤木先輩にくだを巻かれていた。
眼鏡をかけ、一見インテリ風に見える四十代半ばのおっさんが、顔を赤くしながら昔話に興じている。
境技師長も「まあまあ」と止めに入るが、日頃の鬱憤が貯まってたのか藤木先輩はやたら饒舌に語り、テーブルに載せられた串焼きはすっかり冷めてしまっていた。
「だからな里山、お前もきちんと先輩に敬意を払って勉強しろよ? わかるか?」
「は、はい。先輩にはいつも優しくて、とてもお世話になってますし尊敬しています」
と、なぜか俺に向かって、ぺこりと頭を下げる里山。
ショートボブの黒髪が揺れ、愛らしい瞳が俺を見つめてくるが、話しを振られても困る……。
確かに昔は昔の苦労があっただろうし、いまは各種モダリティの扱いも自動化され楽になった。
けど同時に、新技術も増えたお陰でやることも昔以上に増えている。
四十代のおっさんが「今はスマホあるから生活楽だろ?」と言ってるようなもんだ。
それでも境技師長のように、きっちり仕事してる人なら尊敬するが、藤木先輩は普段の態度がなぁ……。
と微妙な顔をしてると、境技師長が睨みを効かせて、
「藤木ぃ。そういうお前はちゃんと働いてるんやろうな? この前もミスってたやないか。あと勉強会の準備進んでるか?」
「やー、大丈夫ですって技師長。やります、やります」
「ほんまかぁ? お前あんま嘘こいたらええ加減シメるぞ?」
ぎろり、と境技師長がマジ睨みするが、藤木先輩はガチで気づいてない。
言葉が軽すぎる。ほんと、ある意味で図太い先輩だ。
正直、俺もそれ位の胆力が欲しいなぁと呆れていると、境技師長が「お手洗い」と席を立った。
そして流れる、気まずすぎる空気……。
……まあ……大人しくしておくか……。
こんな藤木先輩であっても職場の先輩であり、下手に争ったら職場の空気が悪くなる。
里山も含め、毎日顔を会わせる相手との関係を悪くしたら技師長に迷惑だし、俺自身も面倒な思いはしたくないからな。
と、里山と揃ってげんなりしてると。
藤木先輩が煙草を取り出し、一服しながら「なあ」と里山に粉をかけてきた。
「里ちゃんさ。そういえば、彼氏とかいないの?」
「え? いえ。そういう人は今のところ……」
「藤木先輩。そういう話はいきなり聞くのは、ちょっと」
「なんでいないの? もったいない。彼氏作んなよ。若いうちはちょっとくらい遊んでた方がいいぞ?」
むわっとけぶる煙草のにおいに、里山が苦そうに顔をしかめた。
机に灰皿が置かれているし、この店は禁煙ではないが……。
ホント空気読まないな、この先輩。
里山が嫌そうな顔してるのに気づかないんだろうか?
俺は気にしないけど、煙草のにおいが服に染み付くのを嫌がる人もいるだろうに。
――とはいえ、この程度で目くじらを立ててたらキリがない。
里山も苦い顔をしつつも我慢してるし、俺が怒ったら余計に面倒なことになる。
ここは我慢。我慢。
まあ里山もいい大人だし、程なく境技師長が戻ってきたら、また先輩に一声かけてくれるだろう。
穏便に。
穏便に――
「それとも里ちゃんモテないの? まあ、あんま可愛くないよね実際。ちょっと馬鹿だし。何なら俺が貰ってあげようか? 大丈夫だって、俺こう見えて女には慣れてるから――」
「藤木先輩。すみませんが、今のは里山に失礼だと思いますけど」
口火を切ってしまった。
しまった、と心のどこかで諫める自分もいたが……
いい歳したおっさんが後輩女子に向かってその発言はノンデリにも程があるし、そもそも里山に失礼だろ。
どん、とジョッキを叩きつけ抗議を示した俺に、藤木先輩は一瞬びくっと驚いたものの……
まあまあ、と半笑いで同じくジョッキを掲げ、
「なんだよ、津田。マジになるなって。冗談だってくらい、分かるだろ?」
「冗談だとしても、言っていいことと悪いことがあります。茶化さないで真面目に謝ってくれませんか」
「んな怒ることないだろう。なあ、里ちゃん?」
「ぅ……まあ、はい――」
「いえ。ちゃんと謝ってください」
里山に怒れるはずがないだろう。相手は先輩でしかも男だ。
もちろん俺も、今どき男がどうだ、女がどうだなんて言いたくないが、年上のおっさんにあんな迫られ方をされて喜ぶ子なんて、いるはずがない。
じろりと睨むと、煙草を吐いて呆れる藤木先輩。
「お前さあ。そんなんでムキになることないだろ。適当に流しとけよ、適当に」
「いいから謝ってください」
ぐだぐだ言い訳すんじゃねえ、まずは自分の発言について謝れ、って言ってんだこのクソ野郎。
聞こえないのか?
「藤木先輩。俺は、俺がバカにされることは構いませんけど、面倒見てる子にヘンな難癖つけられるのは我慢できません」
「は? お前、里山とデキて――」
「面倒をみてる先輩として、です。仕事でもそうでしょう。うちの部署が、ほかの部署からバカにされたとして、笑ったまま放っておきますか? それはうちの部全員をバカにされてるのと一緒ですよ」
俺が馬鹿にされるのは、別にいいさ。
陰口でもなんでも言えばいい。
けど、俺の横で「薬師寺先輩は使えない奴だ」とか「里山ってバカだな」なんて言われ、それを俺が無視することは――俺自身が、彼女達をバカにしていることに等しくなる。
それは許しがたいし、ここで自分が黙ったら、彼女を守るやつが居なくなる。
……ああくそっ。
こんな飲み会、来るんじゃなかった。
と、ぐつぐつ心を滾らせ、藤木先輩を睨んでいたそこに、
「ん? どした、何かあったんか?」
境先輩がトイレから戻ってきた。
「技師長。いま――」
もちろん俺はいま起きたことを伝え、藤木先輩を叱責してもらおうと考えたし、そうするしかないと判断した。
が。
ぎゅっ……と。
里山の左手が、テーブル席下から俺の袖をちょこんと掴んできて、言葉を飲み込む。
隣を覗けば、彼女がふるりと小さく首を振った。
その瞳に、大事にしたくないという意図が見えた気がして、俺は内心に燻る火を慌てて押さえ込む。
「っ……」
本人が遠慮してるのに、俺が勝手に怒り狂うのは身勝手なエゴだ。
それは俺が最も嫌う、他人による過剰な干渉。
余計なお世話、だ。
代わりに仕方なく、出されたビールを煽ると「お」と境技師長が間抜けな声をあげた。
「津田って結構飲むんか。まあたまにはな」
「はい。たまには貰おうかな、と」
代わりにその日は、楽しくもない俺の地元の話題を並べ、場を多少なりとも盛り上げた。
藤木先輩と里山には、もう話をさせないぞ、と、わざと間に挟まるように。
*
そうして気分の悪い飲み会を終え、帰宅時に技師長がタクシーを呼んだ。
境技師長が「これ、タクシー代な」と幾らか包んでくれたので、何か察したのかもしれない。
「津田、すまんかったな今日は。よかったら里山も一緒に送ってくれへん?」
「分かりました」
「あ、なら俺もそっちに乗ります。里ちゃんと一緒に」
「お前はこっちや藤木!!!」
ぐい、と藤木先輩が首根っこを掴まれ、技師長に引きずられていく。
その二人の背中が消えて、ようやく、ほっと息をついた。
上司連れの飲み会なんて、ホント、気疲れが酷い。
まあ職場の相手なら誰でも気を遣うんだけどな……と溜息をつきつつ、里山と一緒にタクシーへ乗り込んだ。
「里山はどの辺で降りる?」
「あ、はい。その……」
先に彼女を家の近くまで送って、それから俺も帰ろう。
と、座席に腰掛けぼんやり考えていると。
「津田先輩。……すみません。今日って、お時間まだありますか?」
え?
「あ、いえ。さっきは色々あったので、もう少しだけゆっくりお話できればな、……と」
振り向けば、里山はどうしたことか、そっと俺を伺うようにつぶらな瞳でぱちりと、瞬き。
「仕事の相談で、ちょっと」
そう言われると、先輩としては断れない。
という訳で、彼女の自宅近くのファミレスに向かうよう、運転手さんにお願いした。
――つもり、だったが。
「先輩。すみません、あっちのお店にしてもいいですか?」
到着するなり、里山は近場のファミレスではなく、雑居ビルの合間にぽっかりと空いた階段を示す。
その先は夜間限定の、小さなカクテルバー。
「里山?」
「すこし、飲み直したくて」
ふふっと唇を揺らす里山は……なんとなく。
俺の知っている後輩ではない、女の顔をしているような気がした。
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