第15話 -side ルミィ- でも、ただのセフレとはちょっと違うんだよなぁ

 HNルミィこと、あたし――星川留美は、とある支店銀行にて窓口係の仕事をしている。

 いわゆる、テラーという仕事だ。


 一般的な預金取引から罰金の支払い、最近では窓口に来たお客さんに対して銀行の商品を勧める営業をしたりと、じつは見た目以上にいろいろな仕事があったりする。

 ただ幸いなことに、うちの支店は規模がそこまで大きくないので、朝からお客さんが殺到することもないし、業務時間的にもホワイトな仕事だ。少なくとも、タク君のお仕事よりは。


 代わりに常連さんが多く、近所付き合いも多いぶん、その仕事柄――

 一度ヘンな人に目をつけられると、かなり面倒だったりもする。


*


「あのさ。留美ちゃんは可愛いんだから、そういう胸を強調するような服、着ない方がいいと思うんだよね。それとも、留美ちゃんの立場からだと上司に言いにくいの? おじさんが代わりに言ってあげようか? あ、これおじさんからの助言っていうか、君みたいな若い子はおじさんの言うことなんか気持ち悪いと思うんだけど、これ君のために言ってることからさ。ね?」


 ぶつぶつと小声で自己弁護を並べるお客様に、あたしはわざと困ったような顔を見せ、「すみません、次のお客様がお待ちですので」と促しつつ、うぜぇ、と内心舌打ちを百回繰り返した。


「あ、そうだ、今度おじさんが制服選んであげようか? ああ、お金は気にしなくていいから……」


 あたしの前で喋る三十代後半のおっさんは、最近、不倫が原因で奥さんと離婚したらしい。

 元は会社員だったらしいが、くたびれたスーツ姿といい明らかに目がうつろで覇気がない様子といい、ハッキリ言って社会人としてどうかと思うし気持ちが悪い(なんてお客様にはぜったい言えないけど)。


 本人曰く、自分が落ちぶれたのは裏切った前妻のせいであり、自分はハメられたせいでこんな目にあっている、と慰謝料を振り込むたびにグチグチ言っているけど……

 いやいや、慰謝料を払ってるってことはお前が不倫したせいだろと言いたい。


 ていうか、この手の客は一年経たずに慰謝料を払わなくなるんだよなあ、と思いながら、あたしは必死に表情筋を動かしにこやかに先を促した。


「すみません、お客様。次の方がお待ちですので……」


 で、次のお客さんが起こしたスピード違反の罰金振り込み処理を完了したら、また、例のおやじが用もないのに声をかけてきた。

 ねね、と、いかにも馴れ馴れしく。


「さっきの話しなんだけどさ。どう? 服、買ってあげるし。き、今日とか……」

「すみません、業務中はそのような個人的なお話はできませんので」

「じゃ、じゃあ待ってるよ。仕事終わるの、何時? 何時でも待つよ。僕は律儀で真面目な性格だからさ……でも、そういう男が損するって、世の中間違ってるよね。でも、留美ちゃんはそういう子じゃないって、僕知ってるから……」

「星川さーん、ちょっといいですか?」


 バックヤードから声がかかり、「失礼します」と一礼して引っ込んだ。


 後方に戻れば、あたしを呼びつけたのは今年入職した新人男性、鈴木クン。

 チャラそうな顔……っていうと失礼だけど。いかにも今時の軽薄な若者っぽい感じの、まだスーツを着るというより着られている、といった言葉が合いそうな新人クンだ。


 そんな彼が、自慢げにぐっと親指を立て、格好つけた笑顔を見せる。

 俺、やってやったぜ、という体の。


「あいつまた来ましたね。大丈夫っすか? ここ最近ずっとですけど」

「呼んでくれてありがとね、鈴木君。けど、まだ実際に被害が出てないし……」

「や、そんなんじゃダメっすよ! ああいうヤツには一度がつんと言わないと。俺、言いましょうか?」


 とはいうけど、客は客だ。

 まあ本当にヤバそうなら相談するけど、今のところ待ち伏せまでされていないし、あたしもまだ我慢できる範囲だ。


 世の中、変な人はどこにだっている。

 面倒な人。気難しい人。相性の悪い人。

 あの男は極端だけど、それでも沢山いるお客さんの一人であり、なんとかあしらえているから、まだ……。


 なんていうあたしの考えは届くことなく、鈴木君がぴんと背すじを緊張させて。


「そうだ、星川さん。……その。ああいうヤツがこれからも居ると不味いんで、帰るとき、俺も一緒に出ましょうか?」

「うーん。気持ちは嬉しいけど、鈴木君とあたしじゃ時間も違うし。そこまで迷惑かけられないから」

「大丈夫っすよ。俺それくらい気にしないんで。……あ、その。良ければそれで今度、食事にでも……」


 違うんだよなあ、と、ざらついた感情が流れるのを抑えながら曖昧に笑う。


 気持ちは嬉しい。普通なら、ありがたく思うんだろう。

 けど、そういう気遣いは“重い”のだ。

 あたしは鈴木君がなにを言いたいかもちろん分かっているし、あたしに気があるんだろうな、というのも雰囲気から察している。

 同じ窓口係の上司からも「鈴木君、あなたに気があるよね」とつつかれ、面倒くさいと思いつつも笑って流しているくらい、バレバレ。気づいてないのは本人だけだ。

 あたしは彼にあははと愛想笑いを返し、


「んー、その件はまた機会があったらね。でも心配してくれてありがと」

「いえいえ! 全然っす。星川さんの都合のいいときで、いいんで」


 と、彼のお誘いを流している間に、例のストーカー中年男はほかの窓口係が相手をしてくれていた。




 ――はぁ、と溜息。

 人間ってどうして、人の気持ちを勝手に推し量って押しつけてくるのだろう。

 あの中年男だって、ちょっと考えれば、あたしに気がないことくらい分かるはずなのに。

 そもそも年齢以前に、不倫して離婚した挙げ句、職場からリストラされたような中年男があたしの恋愛対象になると思うのだろうか?


 ホント、一方的な思い込みは止めてほしい……

 あーあ、今日は憂鬱だなぁ。何とかしないとなあ、とげんなりしていると。


「星川さん、元気出すっすよ。大丈夫、俺がついてるっすから」


 と、鈴木クンが腕まくりをしてあたしの肩をなれなれしく叩いてきた。

 うん。善意なのは分かるよ? けど、ごめんね。



 ――面倒くさい。


*


 結局その日はまた変な客に絡まれ、残業になってしまった。

 しまったなあ……今日、タク君家に遊びにいくってLIMEしちゃったんだけど。仕方ない。


『ごめんタク君、仕事長引いちゃった』

『気にしないで。つか俺も今から帰るところ』

『そっちも長引いたんだ』

『あー、まあちょっとな』


 彼が言葉を濁すときは、前にチャットでちらっと聞いたが、あまり宜しくない患者が来たときらしい。

 投身自殺とか。交通事故で助からなかった、とか。


 大変な仕事だなぁと思う。

 専門職だから実は頭もいいし、とてもあたしには真似できない。


 ……っていう苦労を見せないところが、彼のすごいところだなって、思う。


『ルミィさんが残業って珍しいね』

『ちょっとね。最近、面倒な客がいてさあ』

『この前話してた、ストーカー?』

『そうそう。……本当にね、ねちっこい男がいてさあ』


 そのままグチグチと、つい、スマホで彼に愚痴ってしまった。


 あたしは基本的に、他の人にあまり甘えない性格なのだけど、タク君にだけは愚痴ってしまう。

 その理由はたぶん、彼が本質的にあたしと似ていて、他人に興味がなく他人に絡まれるのが面倒くさいと思ってるから……と、思う。


 だから、あたしと彼はたとえ男女の関係になったとしても、”恋人”なんていう、枷のついた関係にならなくて。

 それが、あたしみたいに自由を愛する人間には、丁度いい。


『ルミィさん。心配なら迎えに行こうか?』

『え? や、大丈夫だよ。そこまでしなくても』

『俺もいま仕事終わったところだし、ルミィさんの職場までそんな遠くなかったと思うけど』


 彼が気を利かせてくれるが、自転車でもそこそこの距離だったはず。

 そこまでされると、彼に貸しを作ってしまいそうで申し訳ない。


『やー、大丈夫。面倒でしょ?』

『俺、本気で面倒くさいと思ったらこんなこと言わないし』


 ちょっと笑った。そうだった。

 タク君はあたしに対して、わりと着飾らず素直に話してくれる。

 何せベッドの中で、男を見せようとして失敗し、恥ずかしがってしまう程だ。


 下手な見栄を張りすぎないのが、彼のいいところ。

 ……なら、お世辞でなく本当に『気にしない』んだろう。

 ってか、よく考えたら下心もなにも、あたしもう彼と男女の関係にあるんだし。


『まあ、ルミィさんが必要ないって思うなら、止めておくよ。……ほら、あの配管工のゲームだって、桃姫様は迎えにいかなくても亀のお城からじつは自力で帰れると思うし』


 例えがウケる。


『今日はたまたま俺の帰りも遅くて、気が向いただけだしさ』

『んー。なら今日だけ迎え、いい?』

『了解。ついたら連絡する』


 つい会話のノリでお願いしてしまい、だからタク君はいいんだよなーと、つい、にんまり。


 あたしが断れば、彼はあっさり了解して迎えに来なかっただろう。

 その価値観がぴたっと合う友達は、きっと、恋人以上に大切な存在だ。……なんて言うと、真面目な恋愛をしてる人には怒られるかな?

 まあ、これも一つの人間関係。恋ではないけど、あたしと彼のあり方だ。


 と、にまにましながらスマホを収め、制服を着替えたのちバックヤードで彼の迎えを待っていると。

 ふと、鈴木クンに声をかけられた。


「あれ。星川さんまだ残ってたんっすか? ……何なら一緒に帰ります?」

「あたしはね。いま囚われのビッチ桃姫様なのだよ」

「? なんすか、それ」


 首を傾げる鈴木クンに、あたしはくすっと笑った。




 タク君は彼氏じゃない。

 ただの仲良しゲーム友達で、あえて分類するなら……セフレ?


「でも、ただのセフレとはちょっと違うんだよなぁ」


 何か、あたし達の関係を適切に表現する言葉はないだろうか?


 大人のいう恋愛とは、明らかに違う。

 けど、ただの友達でもないし、身体の関係だけでもないそのあり方は、でも、あたしにとって大きな心の支えになっているのだった。


 ――早く迎えに来ないかなぁ、タク君。

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