第14話 あっち揉みたくなったらあたしにちゃんと言ってね?

「津田君もご飯? 珍しいわね、こんな所にいるなんて」

「ええ。朝寝坊してしまって、その。何となく」

「休日だからって、あんまり生活リズム崩しすぎたらダメよ? 仕事に響くからね」


 たまたま居合わせた薬師寺先輩は、相変わらず完璧だった。


 休日にもかかわらず、出勤中のOLのようにきっちり揃えたベージュのシャツに、タイトスカート。

 業務中は常にまとめている黒髪をゆるりと下ろし、ロングウェーブになびかせているせいで開放感はあるものの、ぴしっと背筋を伸ばした姿といい、小脇に抱えた堅そうなショルダーバッグといい相変わらず隙のなさを感じる。


 その姿は、休日でどこか浮かれたフードコートの中でも、すこしだけ浮いていて。

 けどそれが薬師寺先輩らしくもあるなあ、と感想を持ちながら背筋を正す。


 休日であっても職場の人と顔を合わせると、つい緊張してしまうのは俺だけだろうか?


 そんな薬師寺先輩は、先程までルミィさんが腰掛けていた席にそっと目をやり、


「津田君、ひとり?」

「あー……」

「私もすこし休憩したいから、ここ、いいかしら」


 と、するりと腰を下ろす。

 ああ、しまった。

 今ルミィさんがそこに、と言えれば良かったが、……反射的に、言葉を濁してしまった。


 ルミィさんの話をすれば、当然、彼女は恋人なのかと聞かれるだろう。

 ただの友達ですと答えたところで、先輩が納得してくれるかは分からない。たぶん、誤解されるだろう。


 職場で知られたら面倒なことになるなぁ、という邪な意識がつい、口を重くする。


 その隙に、薬師寺先輩はお茶を注文し、対面の席に鞄を置いた。

 何となく縄張り意識というか、ここは私の席です、という空気を醸し出し始めた先輩に――まあ、ルミィさんが戻ってきたら説明しよう、と、いかにも大人らしい卑屈な気持ちに飲まれていると、先輩がくすりと頬をゆるめる。


 薄紅色の唇に、妙な艶があるなと思った。


「津田君って、そういえば休日は何してるのかしら。ああ、これってパワハラになる?」

「大丈夫だと思いますけど。……まあ、適当です。のんびり本読んだり、映画をみたり。薬師寺先輩は?」

「本を買いに来たの」


 先輩は、近場にある大型書店の名を挙げた。


「新しい本がないか、探してみようと思って」

「医学書ですか」

「ええ。前にも教えたたけど、ネットで探すより自分の目でみないと、質が分からないからね。最近はネットの情報も充実してきてるけど」


 医学書を買うときは店頭に出向き、中身を見て選んだほうがいい、とは薬師寺先輩の言だ。

 医学書は一冊の値段が数千円以上とお高く、また中身の当たり外れがでかいので、自分の目で気に入るのをしっかり見つけたほうがいい、と、先輩から何度か言われた。


 実際、職場に先輩の本が置いてあるが、どれも大変参考になったのを覚えている。

 それらを実際に目で見て、買いに来る先輩はやはり仕事熱心だな、と――それが、俺への圧にもなるのだけど。


「……私って、面白くない女かしらね」

「え」

「休日にまで仕事の話なんて、つまんないかな、って」

「それは、人それぞれかなと」

「でも、気になっちゃうのよねぇ。ああ、あの検査もっと上手くできなかったかしら、とか。普段は何となく撮ってる撮影も、こうすれば工夫できるんじゃないか、って。どんなに頑張っても分からないことだらけだし、医者の話についてくのは大変だし」


 べつに仕事、好きじゃないけど、と呟く先輩。

 でも先輩ほど仕事熱心な人を、俺は知らない。


「にしても、先輩でも分からない事あるんですね。……俺なんかじゃ本当、まだまだ全然です」

「あら。そんなことないわよ? 津田君はよく頑張ってるわ」

「けど、先輩に比べたら全然で」

「私と比べる必要はないわよ。仕事のモチベーションなんて人それぞれだし。まあ、藤木先輩みたいになると困るけど」

「あの先輩は本当、俺もですけど里山がとくに困ってて」

「新人相手にマウント取りたくて仕方ないのよね、あの人。あたしも技師長も言ってるんだけど……とくに里山ちゃんに対しては、あの人当たりが強くて、。その辺は、津田君もフォローしてあげてね」

「はい」

「……本当、いい先輩になるわね、津田君は」


 薄く笑い、そっとストローに口を運ぶ薬師寺先輩。

 その仕草が妙になまめかしく、同時にエキゾチックな圧があって、居心地の悪さを感じてしまう。


 かといって何も喋らないと、嫌な後輩みたく思われてしまうのも困るので、話題を探す。

 とりあえず適当な話しをして、この場を誤魔化しておこう――


「先輩は本を買いに来ただけですか? 他に用事とか」

「あら。誘ってくれるの?」

「や。えと」

「冗談よ。こんな怖い先輩と休日まで一緒にいたんじゃ、津田君も疲れるでしょう? こんな、つまんない女と」

「――つまんない、ってことは、無いですけど」


 とっさに言い返してしまった。

 が、嘘をついたつもりも無かった。


 確かに、俺は先輩に対して苦手意識を持っている。

 仕事中に先輩に見られていると緊張するし、何かミスをしでかしたか? という謎の焦りも覚えるくらいだ。


 けど一方で、質問には的確に答えてくれるし、困った時に頼りになるのも事実だ。

 そう。居心地の悪さと同時に、困ったときに本当の意味で頼りになる人。それが、薬師寺先輩だ。


 だから……つまらない、っていうのは、語弊があると思う。


「私、仕事の話しかできないけど」

「それはそれで、頼りになる証だと思いますよ。そもそも社会人にとって、仕事って日常の大半を占める要素じゃないですか。その話がきっちりできるって、凄いことだと思いますけど」

「けど、あまり私が口を出すと、みんな怖がるでしょう?」

「怖いのと、必要なのは、両立すると思いますから」


 だから俺は、俺個人の感情としては苦手だけれど……

 ”先輩として”、薬師寺先輩はとてもいい人だと思う。


 むしろ感情的に苦手だからこそ、そこは理屈として認めた方がいいと思うし、敬うべきところだと思う。


 そう告げると、薬師寺先輩が珍しくぽかんとした。

 ……よく見れば本当、綺麗な目をしてるな。先輩もこんな顔をするんだな、と見つめていると、先輩はまるで言い訳をするようにストローに口をつけ、ずず、とお茶をすすっていく。


 やがてカップが空になり、氷のかき混ぜる音がカラカラと響くようになった頃、先輩は「もう」と可愛い声をあげた。


「駄目よ、津田君。休日のプライベートだからって、先輩をからかうようなこと言ったら」

「べつに、からかってはないですけど……本音ですけど」

「ねえ。津田君って、可愛い子と美人な子なら、どっちが好き?」

「へ?」

「画像でもあるでしょ。綺麗な肺だな、とか、筋肉がきれいな臓器だな、とか。まあ画像に可愛いはあんまりないけど、津田君はどっち派なのかなって」


 先輩はなにを聞いてるんだ?

 これは仕事に関連する話だろうか?

 まあ、薬師寺先輩だから間違いなく仕事の話だと思うが――


「君が好きなら、私も里山ちゃんみたく、たまには可愛く変身しちゃおうかな、なんて」


 可愛い、とはある意味で正反対な妖艶さで、先輩がうすく笑う。

 その妙なリアルさにどきりとしてると、「なんてね」と、先輩がストローを軽く弾いた。


「冗談よ。本当はただ、患者さんから怖いイメージを持たれたくないから、ちょっと考えちゃって」


 ああ。やっぱり仕事の話だったか。

 だよな、先輩だし。

 ……っていうか、今のからかい方は心臓に悪いから止めてほしい。


「別に、先輩はそのままでいいと思いますけど」

「そう?」

「里山はたしかに可愛いですけど、人の好みって違いますし。美人が好きな患者さんだっていると思います。……まあ、あんまりセクハラめいた視線で見られるようでは困りますけど」

「ふぅん。ちなみに津田君は私のこと、どう見える?」

「美人で頼りになる先輩だな、とは」

「おだて上手なのね」

「思ったことを言っただけです」


 とくに嘘はついていない。


 先輩はほんとに美人だし、仕事もできるし、俺なんかよりはるかに優れた社会人だ。

 休日に堕落同盟を結んでだらだらしてる俺と比べれば、天と地の差。


 ……だからこそ、先輩と話していると、俺の浅はかさや情けなさを全て暴かれてしまうような気がして、強烈な苦手意識がある――

 自分はこの人に業務面で憧れる一方、絶対に追いつけないし、あんな風にはなれないんだなと思い知らされるから――


「でも、そんな先輩も、たまには弱いところを見せたいんだけどね」

「え?

「おっと、いけない、つい居座っちゃったわ。先輩の立ち話にいつまでも付き合わされてたら、せっかくの休日が台無しだものね」


 後輩の大切なプライベートを潰すわけにはいかないわ、と、美人先輩が席を立つ。

 相変わらず隙の無いまま、彼女はひらりと手を振った。


「じゃあまた、職場でね。あと、休みの日に顔を合わせたなんて聞かれたくないから適当に、ね」

「はい。じゃあまた――」

「これ、捨てておくわね。二人ぶん、あるみたいだけど」

「え?」


 不意に。

 先輩は俺の前に残ったままのトレーを手に取り、有無を言わさず持って行ってしまった。


 俺はぽかんとしながら背中を見送り、……今のがどういう意味か、つい、考えてしまう。


 もしかして最初から気づいていて、けど――

 いや。あまり面倒なことは考えないようにしよう。それが無難だ。

 それに薬師寺先輩も、俺とおなじで噂嫌いな人だ。余計なことを言いふらすとは思えない。


 ……けど、だったらトレーまで持って行く必要あったか?

 と、何となく引っかかるなと眉を寄せていると、スマホが震えた。


 見れば、ルミィさんからメッセージが届いていた。


『話終わった? そろそろ戻っていい空気?』


 ああごめん、と返事をするとお手洗いからルミィさんが戻ってきた。

 遠くで様子を見ててくれたらしい。


「すごい美人さんだったねぇ」

「ごめん。職場の先輩でさ」

「へええー。あたしのこと見られると面倒かなと思って隠れてたけど、良かった?」

「正直、助かった」

「面倒くさいよね、仕事関係の人にプライベートのこと探られるの」


 仰る通り。そしてその感覚を共有できるルミィさんは、やっぱり有難い相方だ。


 と、俺がほっとしてると、ルミィさんは自らの胸元に手を寄せて、う~~んと唇をアヒルのように尖らせた。


「てゆーかさ、あの先輩おっぱいでかくない? モデルさん?」

「気にしてること言うなよ……」

「でもさ、あっち揉みたくなったらあたしにちゃんと言ってね? 付き合ってる子がいるのに、さすがにあたしと仲良くしてるのはまずいと思うから」

「それは無いから大丈夫だよ。先輩と俺の間に何かあるなんて考えられないし」

「そうなの?」

「ああ。あんな仕事ができる人に、俺なんか釣り合うはずもないし、向こうも俺を意識することなんて絶対ないと思うし」


 そうかなぁ~、と首を傾げるルミィさんだが、そこは確信を持って言える。

 薬師寺先輩は、俺みたいな自堕落な人間とは、きっと合わないはずだ。


「それに、いまは彼氏彼女の関係よりも、ルミィさんといる方が気が楽だし」

「嬉しいこと言ってくれるねぇ。ま、あたしはいい女だから仕方ないねっ」


 ふふーん、と、ルミィさんの張り倒したくなるようなドヤ顔が決まった。


 つい苦笑しつつ、やっぱり今の俺には彼女くらいの存在が丁度いいな、と改めて思うのだった。



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