第8話 こちらこそっ。初なのでお手柔らかに
それが昔の夢だと、理由は分からないけれど、理解した。
「タク君ってさ。なんか、いいよね」
ルミィさんとネット上で知り合い、一年が経った頃。
初めてのオフ会で顔を合わせ、一時間くらいゲームの話題で駄弁ったあと、彼女がふと俺のことを褒めてくれた。
近場のファミレス。デザートのパフェを平らげながら、彼女が頬杖をついて笑う。
「なんていうんだろ、テンポがさ。いいんだよね。チャットの時から思ってたけど、タク君は相手の返事をきちんと待ってくれるし、ゲーム中でも結構気を遣ってくれるからさ」
頬をゆるめる彼女に、全く気がなかったかといえば嘘になる。
が、初対面の女性にそういう気持ちは見せたくない。
そのせいか、つい、ツンとした態度を取ってしまった。
「……気を遣う、って程じゃないよ。俺、ゲームだとかなりの効率厨だし」
「でも、タク君パーティに合わせて立ち回り変えるじゃない? 初心者が多そうだったら回復アイテム多めに持ってくし、熟練パーティだったら火力特化にするし」
「目的に合わせて変えてるだけだよ」
「一緒に遊んでる人が楽しめるように、っていう配慮がいいなーって。プレイ見てて思うんだよね」
ルミィさんはやたら褒めそやすが、普通のことだ。
この方が皆楽しいだろう、っていうプレイングを自然と選択しているだけ。
「まあ、その方が俺も楽しいってだけの話だし」
「それが自然体なのがいいんだよねぇ。チャットでもそうだけど、タク君って、誰かが揉めてたら間に入って仲裁しようとするでしょ? しかもお互いの波風を立てないようさ」
「……そりゃあ、ゲームだし。せっかく遊んでるのに、嫌だろ? 面倒事とか、人間関係のトラブルとかさ」
「わかるぅー」
「ゲームは楽しくやりたい。そこでストレス抱えるの、嫌だし」
「そーゆーとこが、いいかなーって。みんな気づいてないけど」
と、彼女がにまっと白い歯を見せて、思わずどきっとした……のを誤魔化すために。
「ルミィさん。頬、クリームついてる」
「え」
「嘘」
「ちょっとぉ、何その冗談っ」
けらけら笑う彼女の笑顔は、女性経験がなかった俺にはちょっと眩しすぎた。
……けどもちろん、俺の方から特別なアプローチ――例えば男女の関係になろう、なんて声かけはしなかった。
ルミィさんは話しの合う、貴重な友達だ。
その関係を壊したくないと思ったし、また普段の口ぶりから、彼女がそういうことを求めてないんだろうと推測していた。
あくまで、同じゲームを楽しむ友人。
楽しい部分を共有し、触れられたくないプライベートについては触れさせない。
その程よい距離感があるからこそ、俺は彼女と上手くやってこれたと思う――
*
むに、と。
柔らかく頬をつねられる感触で、目を覚ました。
懐かしい思い出を見ていた気がするが、いまいち思い出せず、ふるりと頭を振る。
いかん。どうやら机に突っ伏して寝てたらしいが……。
「やー。ごめん! 寝てたっ」
「……いま何時?」
「まだ夜の十時だよ」
ルミィさんが宝石のように明るい瞳を輝かせ、にかっと笑って俺を覗き込んでいる。
何だか懐かしい夢と被ったせいか、つい俺もつられて笑い――え、十時?
「やば。ルミィさん帰らないと」
「んー、そう思ったんだけどさ。でも折角なら一晩泊まっていい?」
外泊連チャンだけど、と言われて眠気が一気に飛んだ。
っ、と息が詰まるのを抑えつつ。
「……いや。泊まるって。そういうことか?」
「そーゆーこと。約束だしね」
「でも疲れるだろ、ルミィさん」
「まあねー。新幹線で寝ようと思ったら、隣の客のいびきがうるさくて寝れなくてさぁ、正直眠い」
「なら、そのまま寝ててもいいぞ」
「やー、それはナイ。そこまで君に我慢させたくないし。……ってことで、今度こそお風呂借りるね」
寝起きのあくびをかみ殺しつつ、背伸びをするルミィさん。
そのお陰でふくよかな胸元が強調され、俺はようやく今から起きる出来事に、ドキドキと心音が高鳴るのを感じる……一方で。
「普通さ。……初体験って、もっと劇的てドキドキする空気から始まるものじゃないか?」
「あ、言われてみれば確かに! 仕事から帰って寝落ちして、寝起きに初体験って変?」
「変じゃないけど、あんま聞かないなーって」
漫画やゲームの見過ぎかもしれない。
けど、初体験ってのはもっと、ロマンあふれるものだと想像していた。
昼過ぎからいい感じにデートして、観光地を二人で巡って。
夕方には温泉旅館に一泊して、地元名物の夕食に舌鼓を打って。
ゆったりと温泉につかり、お互い浴衣のまま、何となく互いを意識しながら、けど言葉にするのを躊躇って……けど、最後は男の方から勇気を出して、言葉を口にして。
彼女もそれを受け入れてくれて……なんて。
童貞の妄想といえば、それまでだけど。
男女の交わりというのは、もっと濃密な空気をまとうものだと思っていただけに、寝起きで「よし、やろう!」ってのは、ちょっとだけ面白くて拍子抜けてしまったのだ。
なんて話すと、彼女は「拗らせすぎ」と、けらけら笑う。
「ま~気持ちは分かる。恋人ならそっちの方がいいと思うし、女の子も喜ぶと思うよ。けど、あたし適当だし。友達だし?」
「ん、まあ」
「それにさ。今みたいな空気の方が、あたし達らしくない? 普通に弁当食べて、うたた寝して、起きた! よし今から遊ぼう、ってのがさ」
「まあ、楽しくゲームする時ってそんな感じだよな」
「そうそう。それと一緒。っていうかこの日常のゆるさが、タク君と一緒にいて良いとこなんだよねぇ~。仕事のプレッシャーもなし、大人の責任感もナシ!」
「代わりに、エロさの欠片もないけどな」
「でも、その方が気楽でいいじゃん。あたしも緊張しすぎなくていいし」
んふ、といつも通り笑いつつ、彼女がよっと立ち上がった。
お風呂場に消えていく。
しばらくして、小さな鼻歌とともに……シャワーのしたたる水音が聞こえてきて。
俺の意識はもちろん、扉の向こうにある彼女の素肌に寄せられつつ……
……けど確かになあ、とも思う。
恋人、という正式な立場のある相手と、ガチガチに緊張しながらホテルに入るより。
ゲームの合間に「あたし達って相性良さそうだよね」と、ノリと惰性で致す方が、俺にはハードルが低くて有難いのかもしれない。
「なんて、ルミィさんも考えてたらいいんだけどなぁ」
よし。気楽に行こう。
俺と彼女は友達同士。うまくえっちなことしよう、とか、あまり意識しすぎず、同じゲームを楽しむような感覚で、緊張せずやればいい。
うん、それなら落ち着いていける――
「お待たせっ!」
なんていう意識はもちろん、彼女がまっさらなバスタオル一枚羽織っただけの姿で出てきた途端に、吹っ飛んだ。
白いタオルに包まれた、なめらかな曲線を抱く健康的な素肌といい。
うっすらと水気を帯びた薄茶色の髪といい、えへへと笑いつつもほんのり頬を赤らめる彼女の素顔といい……。
無理だわ。女の子で可愛すぎるわ。
「ごめん無理」
「何が!?」
「緊張しないとか無理だ、すまん」
素直に弱音を吐くと、ルミィさんもあははと笑い、
「や、あたしも緊張してるよ? 普通に。友達同士でも照れるねぇ、これは」
「…………」
「なんか喋ってよっ」
「お、おぅ。すまん。でも俺、今になってめっちゃ緊張して」
「タク君、めっちゃ背筋ぴーんとしてるし。てかあたしもタク君以上に緊張してると思うよ。ほら」
心臓の音、聞いてみる? と、誘ってくるルミィさん。
え。それ、触れていいってこと?
どきりとしたまま固まり、けど、彼女が許してくれるなら、と――そっと、手を伸ばそうとして――
「あ、タク君、ちょっとだけ待ってね」
と、ルミィさんが脇に置いたスマホを手に取った。
ボタンを長押しし、電源を完全にオフ。
それを見て、俺も自分のスマホをオフにする。
「これで準備よし、と。じゃあ、ボス戦開始だね」
「ボス言うなし」
「戦闘準備はオッケー? アイテム忘れない?」
「確認した」
「よしっ。攻略手順は?」
「妄想で完璧。……なはず」
「いやいや、妄想じゃ困るよタク君。きみは今から人生初の戦いに挑むんだよ、武器と知識はばっちり」
「ルミィさん。じつは恥ずかしくなると早口になる方?」
「ばれたかぁ……」
えへへ、と、んふふ、の間みたいな顔をしつつ、ちいさく俯くルミィさん。
彼女はチャットや通話の頃から、緊張すると早口になる癖がある。
「まあそれ言うなら、タク君もずっと背筋ぴーんだけどね」
「そりゃあな。つーか下の方もぴーんとしてる」
「下ネタかよっ」
「言わないと余裕がなくなるんだよ。……けど、うん。お陰でちょっと緊張ほぐれてきた。ありがと。ってことで、今度は俺の番……かな」
まだ堅さの残る声をあげ、俺は、なけなしの勇気を振り絞り。
そっと手招きすると、ルミィさんがするりと俺に身を寄せてきた。
柔らかな肩を抱き寄せ、顔を近づけ。
ほんのりと潤んだ瞳を、じっと真正面から見つめつつ……。
「じゃあ。その。ルミィさん。……対戦よろしくお願いします」
「こちらこそっ。初なのでお手柔らかに」
「が、頑張ります」
期待に答えられるかは、分かりませんけど。
と、つい言い訳めいた言葉を告げながら――そっと、彼女に向けて身体を寄せる。
二度目にして本番直前の口づけは、最初に交わした時よりも優しく、そして柔らかく、唇の上をそっと滑り。
ああ、これが女の子の唇なんだ。
本当に柔らかいし、いい香りもするし、と、それだけで俺の心臓が張り裂けそうになる程に高ぶって――
「なんかさ。星のカー○ィであったよね、こーゆーの。お助けキャラとちゅーしてHP回復するやつ」
「ルミィさん。緊張してるのは分かるけど、今その話は萎えるかも……」
「ごめんって! でも落ち着かなくてさ、余計なこと喋りたくならない?」
「うん。気持ちは分かる。分かるけど今は黙れ」
「おお、タク君人に向かって黙れとか言うんだね。なんか新鮮んむっ」
無理やり黙らせるため、もう一度キスをする。
なんてしまらないスタートだと思ったが、じつに俺と彼女らしい、友達同士による初体験の幕開けだった。
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