第7話 タク君、いっしょに入る?
ルミィさんの再来訪にどきりとして、次に気づいたのは、彼女の服装だった。
薄いグリーンのブラウスに、身軽そうなデニムのズボン。
昨日と同じ格好だ。
「あ、気になった?」
「や、別に」
「昨日あのあと実家に直帰してさぁ、そのとき着替え持ってくの忘れたんだよね。で、慌てて下着だけ買って爺ちゃんとこ見舞いして、次の日そのまま仕事に行って、こちらへ直帰しましたっ」
「直帰って」
「待たせるの悪いかなーって。ごめんちょっと汗臭いかも」
すんすん、と自分の香りを嗅ぎ始める彼女。
まあ俺はそこまで気にしないし、ぶっちゃけ俺も仕事帰りで汗臭いし。
「ねね。部屋、あがっていい?」
「あ、ああ」
言われてどきりとしつつ、断る理由もないのでドアを開ける。
行動力の化身だと思いつつ、今日の仕事着を洗濯カゴに入れていると、彼女がふうと一息ついて。
「あ、ごめんお風呂の前にご飯食べていい? 新幹線で駅弁買おうかなと思ったんだけど、高かったから適当なのにしちゃった」
「いいけど、それで足りる?」
彼女がテーブルに並べたのは、手のひらサイズの天丼と、ミニサラダだ。
ルミィさんが女性だから、という点を差し引いても小食だと疑ってると、「いやぁ~」と、彼女はそれはもう恥ずかしそうに後ろ髪を掻いてにひひっと笑う。
「あんまりいっぱい食べるとさ、本番中にお腹いっぱいなのはね、と」
本番。その意味が分からないほど、鈍くはないつもりだ。
……まあ、俺はがっつり唐揚げ弁当買ってきてしまったが。
「……あとで俺、ちゃんと歯磨きしないとなぁ。そういえば、爺ちゃん大丈夫だった?」
「うん、ぜんぜん大したことなかった。てか、あたしの顔見たいだけみたいだったし。で、会ったら彼氏がどうだー、いい人いないのかー、って。あーもう面倒くさっ」
ぷりぷり怒る彼女だが、怒気が混じっていないのでそこまで本気じゃないんだろう。
昨日素直に送り出してよかった……と、今さらながらほっとする。
そのおかげか、俺も、昨日よりは緊張していないし。……うん、これなら大丈夫だ。いける。
「ご馳走様、と。お風呂借りていい?」
「っ、あ、ああ」
嘘だった。
いまの一言でめちゃくちゃ緊張した。
相手は普通。こっちだけビビってるってのは、ちょっと悔しい。
「つか俺、先入るよ。昨日も言ったけど、先に入られて、バスタオル一枚とかで出てこられたら焦るし。歯磨きもしたいし」
「タク君、いっしょに入る?」
「……今日は止めておく」
「今日は、ねぇ?」
「そこは目を瞑ってくれ」
欲望が零れたことを後悔しつつ、ささっと夕食を片付け、洗面所へ。
キスする時に唐揚げの匂いとかしたら嫌だしな、と、いかにもみみっちいことを考えつつ普段の倍の時間をかけて歯を磨き、それからシャワーを力一杯に放出した。
意識をなんとか正常に戻そうと、あえて熱湯を浴びたが、もちろん何の効果もない。
むしろ逆に昂ぶりすら覚え、いろいろな意味で準備万端になる一方……
いや、マジでか。大丈夫か自分?
本当にやるのか?
と、抑えがたい欲求や興奮とともに、ドキドキとした堪えがたい緊張に襲われ、ちょっと吐き気までしてきた。
これが仕事なら、手順もあるし、何となく「こうやればいい」ってのも分かる。
けど男女の関係ってのはそうもいかないし、なんつーか本当、複雑っていうか……。
いや。もちろん色々学習はしたけど。
学習っつーか、まあ、知識としてそりゃあ知ってはいるけど……。
ぐぬぬ、うぐぐ、と頭を念入りに二度もしゃかしゃから洗ったのち、落ち着け、落ち着け……と自分を諫める。
ルミィさんだって初体験。
男の俺が、動揺してどうする。
っていうか彼女と俺は単なる友達であって恋人じゃない。そう、彼女も気楽な関係がいいって言ってたんだから、上手くいかなかったら相談して……
で、でも男としてはやっぱり、みっともない所を見せたくないし、堂々としていたいと思う。
みみっちいプライドだと自分でも分かってるんだけど、男の見栄だ。
だからこそ念入りにシミュレートして――
と、クソ童貞ムーブをかましつつ脳内妄想であれこれ考え、ついでに身体をきっちり洗うのに、思ったより時間がかかってしまった。
タオルで全身を丁寧に拭き、よし、準備万端……かは知らんが、後は行くのみだ。
やるぞ。よし、やるぞ。
俺は今日、勇者になるのだ。
そう気合いを滾らせ、そっとお風呂場のドアを開け。
「あ、上がったぞ。じゃあ交代……」
と、彼女に声をかけようとして――
「あー……」
頭に被ったタオルをがしがしと擦りつつ、ふぅ、と溜息。
覚悟。意気込み。童貞の妄想。
いろんな思いをぐるぐると頭の中で回し続けていた、俺の気も知らず――
ルミィさんはベッドに頭を突っ伏した格好のまま、うーん、と小さな寝言を呟きつつ。
完全に、寝込んでいたのだった。
……まあ、気持ちは分かる。昨晩は大忙しだったはずだ。
急な実家帰りののち、病院へ。夜間面会は基本禁止だから、一苦労もあっただろう。
その後、始発の新幹線にて直帰し、そのまま仕事に出たのを考えればろくな睡眠時間も無かったに違いない。
……けど、ここで寝るか。
寝ちゃうかぁ~、と息をつきつつ、でもそれがルミィさんっぽい気がして、何だかちょっと笑えてきた。
まあ、普通の男なら怒ると思うけどな?
お前やる気あるのか、ここまで匂わせて寝落ちとか勘弁してくれ、と。
「けどなあ……」
でも、そこが彼女らしくもあると思う。
相手に気を使いはしつつも基本は自由。
寝たければ寝るし、遊びたければ遊ぶ、それがルミィさんの本質で。
そんな自由かつ気ままな彼女だからこそ、俺も気軽にコミュニケーションを取れるのだ。
職場の先輩後輩のように、気を遣いすぎることもなく――
……なんて考えると、寝ている彼女を起こすのは忍びない。
疲れてるのも、本音だろうし。
――まあ。
ぶっちゃけ惜しいけどな!
いま俺の中で爆発寸前なぐらい盛り上がってたから、ここでかよ、とは思うけどな!
……けど、彼女との関係を壊すのも嫌だし、無理強いはしたくない。
てか案外、起きたら「ごめん、今からしよう!」と、また声をかけてくる気もするし。
と、密かに期待しつつ、自分も風邪をひかないよう頭をきちんと拭いた後、ふっと息をついて座椅子に腰掛ける。
……俺、格好付けすぎか?
そうかもな。
彼女を起こして「やろう」って声をかけるくらいするのが、普通の男なんだろう。
けど……
男としての欲があるのも事実な一方、彼女とはずっと気楽な友達関係でいたい、っていうのも――
俺の、偽らざる本音なんだ。
「はあぁ……」
なんて格好つけつつ、惜しいなと思いつつ……
ちまちまとスマホを弄っている間に、だんだん俺にも眠気が襲ってきた。
今日の仕事はハードで、疲れが出たんだろう。
気がつくと、俺もまた椅子にもたれかかるように意識が揺らぎ、その右手からスマホがするりと滑り落ちた。
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