第6話 昨日の続き、しに来たよ
正直な気持ちを打ち明けるなら、俺は薬師寺先輩がちょっと苦手だ。
もちろん、美人なのはよく分かる。
女性にしては俺と並ぶくらいの背丈。
職場指定の技師服を着ていてもなお、すらりと背を伸ばして歩く姿勢とスタイルの良さは、男女を問わず自然と目を惹く。
業務中なのでゴムで縛っているが、紐解くとふわりとしたウェーブになることも、院内を歩いていると男性患者がつい振り向いてしまう程の美人であることは、俺もよく知っている。
その一方で、仕事に対しては人一倍熱心であるがゆえに、他人にも自分にも厳しい人だ。
ミスを咎めるのではなく、仕事そのものに対する精神的な”圧”と言うべきものを持っている……俺にとって苦手でありながらも、頼りになる大先輩。
……の、先輩が、なぜか俺の左隣に座った。
や、別にいいけど。
普通、里山の隣か、反対側に座らないかな……地味に俺、里山と薬師寺先輩の間に挟まれる格好になるんだけど。
「津田君。隣、嫌だった? でも席が空いてなくて」
エスパーかよ。あと里山の隣、空いてますけど。
「それで、私がどうしたの? 里山ちゃん」
「い、いえ何でもないです! ただ、先輩は美人だなあって話しを……」
「あら。私には、こわ~い先輩には話しかけるの苦手よね、って聞こえたけど? 寂しいなぁ、先輩としてそんなこと言われると」
全部しれっと聞かれてたし!
いや本当ごめんなさい、と二人揃って頭を下げるも、薬師寺先輩はくすくすと手のひらを口元に当て、妖艶に笑う。
「うそうそ。気にしなくていいわよ。私が愛想悪いのは知ってるし」
「や、そういう訳じゃ……」
「でも私、津田君には目をかけてるのよ? 可愛い後輩だし、それに、いつも仕事も頑張ってるもの」
「いや……俺はそんなに仕事熱心って訳じゃないですけど」
本音だ。
今の仕事に限ったことではないが、医療職ってのは勉強しようと思えば幾らでも勉強できる。
各種モダリティだって二年、三年あればすぐさま新技術が登場するので、常に勉強を続けていかないと置いて行かれる環境にある。
そういう世界で頑張ってる人と比べると、俺は程々にしかやっていない、という自覚はある。
正直、薬師寺先輩のガチさとは比べものにならない……。
と思っていると、里山が「そんなことはありません」と割り込んできた。
「津田先輩はいつも頑張ってますよ! 私に、丁寧に仕事教えてくれますし」
「いや……それは先輩として、普通っていうか」
「でも藤木先輩は教えてくれませんし、適当なことばかり言いますし」
「あの人は、まあ」
「ああ、津田君。さっきの件聞いたわよ。ごめんなさいね、私べつの仕事してて、里山ちゃんのフォロー出来なくて」
いえ、と曖昧に言葉を濁すと、薬師寺先輩は笑いながら魚フライにざくりと箸を突き立てた。
「あいつ早くクビにならないかしら」
「や、それはちょっと……」
医療職は余程のことがない限り、クビにはならない。
そして、じろっと昼食を睨み付ける薬師寺先輩がちょっと怖い。
「……ああ。ごめんなさいね。怖がらせちゃった? でも津田君って、こういう話をさらっと聞いてくれそうな性格だから、つい話しちゃうのよね」
「俺、ですか」
「ええ。ほら、津田君って患者さんの話とか、人の愚痴を丁寧に聞いてくれるでしょう? それ、津田君のいいところだと思うわよ」
そう言われても、自分にはそこまでお人好しな自覚はない。
むしろ他人に興味が無いからこそ、他人の話を適当に聞き流せるのでは……なんて、思う。
俺の抱える、密かなコンプレックス。
「だから里山ちゃんにも好かれてるんでしょうね。ね、里山ちゃん?」
「な、っ……薬師寺先輩、私はそういう意味じゃ――」
「あら。もちろん、後輩として、って意味よ? 私みたいに怖くて愛嬌のない先輩より、話しやすいでしょう?」
話をふられて慌てふためく里山に、くすくすと笑う薬師寺先輩。
ホント、こういう所も含めて先輩には勝てないっていうか、人としての完成度の差を見せられる、というか。
自分はまだまだ先輩のような大人にはなれないな、なんて、ちょっと思う。
いい歳した男が、何恥ずかしい考えてんだ、って感じだけど。
「……まあ、その。頑張ります」
「ふふ。津田君はもう十分頑張ってるわよ。――でも、今日はちょっとお疲れかしら?」
「え」
「朝来たとき、ちょっと寝ぼけた顔してたもの。昨日なにかあったの?」
この先輩マジでエスパーかよ。
そして当然、理由は口に出来ない。
自分を慕ってくれる後輩と、自分がお世話になってる先輩の前で「友達の子とヤる直前でお預けくらい、興奮して寝付けませんでした」なんて言えるかっ。
軽蔑の眼差しで見られるだろうし、余計な噂になるのは避けたい。
ていうか、普通に知られたら恥ずかしいしな。
「まあ、ちょっと。夜中まで映画見てて。……にしても、よく気づきましたね先輩。俺が寝不足だって」
「もちろん。君が里山ちゃんを見てるように、私も津田君を見てるもの」
「っ」
「もちろん、先輩後輩として、ね」
にんまりと微笑み、瞳を薄く塗らす先輩になぜかドキリとしつつ、味噌汁に口を運ぶ。
そういう、人の心を読んだような発言もまた、正直に言えば苦手なところだった。
――俺はもうちょっと、人と話すときは気楽な関係の方がいい。
ルミィさんのような。
まあ、仕事のうえでの先輩後輩なら、これも必要な会話なんだろうけど。
「……ずるいなぁ」
里山がぼそっと呟いたところで、さて、と先輩が席を立つ。
いつの間にか昼食が片付いていた。仕事が忙しいと、つい、早食いの癖がついてしまう。
あんま健康には良くないんだよなと思いつつ、午後の仕事も頑張りましょう、と発破をかけられ、俺は先輩後輩とそろって席を立つのだった。
*
結局、その日の帰宅は七時過ぎになってしまった。
夜空の星が小さく瞬くなか、コンビニで弁当を買って帰る。
後はいつも通りのルーチンだ。
帰宅して、お風呂に入って飯を食い、漫画を読むかゲームをして寝る。
……にしても、今日は疲れた。
仕事もだし、藤木先輩の一件もだし、昼食の時は薬師寺先輩にどきりとさせられて慌てだし。
もちろん仕事だから頑張るけれど、少しはゆるりとした関係が欲しい――なんて考えながら、帰宅すると。
彼女が、ごく当たり前のように俺を待っていて、にかっと笑った。
「やっ。おかえり、タク君」
「え……ルミィさん?」
「お待たせ。家、いい?」
「……いい、けど。どうした?」
と、コンビニ袋を抱えたまま間抜けにも聞き返すと、彼女はにひっと白い歯を見せて。
「昨日の続き、しに来たよ。善は急げ、ってね?」
ふふん、と目を細めてにこやかに微笑むルミィさんに。
今日の疲れも悩み事も吹っ飛んでしまい、興奮による汗がじんわりと、背筋を伝うのだった。
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