もらいタバコ

霜月このは

もらいタバコ

 禁煙していると言うと、みんなしてタバコを分けてくれるのは一体どういうわけなんだろうと、いつも思う。


 この日もわたしは、例によっていつものライブバーで音楽の話をしながら、いつのまにかマスターのタバコを一本もらって吸っていた。マスターのタバコは普段わたしが吸わないメンソールのものだけど、こういうときにたまにもらうと、なんだかいいなと思ったりする。


 他にお客さんはおらず、タバコの煙だけが静かに漂う空間。短くなったタバコを灰皿に押し付けてため息をついたところで、ドアが開いた。


 無駄に反応すまい、そう思うのだけど、その顔を見れば、悔しいくらいに頬が緩むのが自分でもわかる。


「こんばんは」

「あ、流唯ルイさん。どうも」


 せめて言葉だけでも、普通の態度を、と試みるのだけれど、それはいつもいつも、無駄な努力に終わってしまう。


 流唯さんとわたしは、共通の友人を通して知り合った。わたしの学生時代からの友人がライブをするというので、なんとなく来てみたのがここのライブバーで。そのときにたまたま一緒に演奏する流れになったりして、それ以来、時々話すようになっていた。


 流唯さんはギタリストで、普段はすごく美声のボーカルの女の子と一緒にオリジナルの曲を演奏している。わたしがその音色に、胸を打たれてしまうのはごく自然な流れで、気づけば彼女のライブを聴くためにここへ通うようになっていた。


「もの欲しそうな目で見てるね」

「……禁煙中なんですよ」


 ある日のライブ終わり。演奏の終わった流唯さんが気持ちよさそうに煙を吐くのを、思わず見てしまっていたのがバレてしまった。


「一本あげようか」

「いいんですか!?」


 あ、しまった。

 思わず食いついてしまった堪え性のない自分が憎い。


「はい、どうぞ」


 わたしの手にタバコを握らせる。

 ほんの一瞬だけ指が触れて、たったそれだけのことなのに、わたしはついつい動揺してしまう。


 だけどそれだけじゃ、済まなかった。流唯さんはさらにとんでもないことを言い出したのだ。


「シガーキス、してみる?」


 そんなことを言われて、思わず、固まってしまったけれど。

 だけどこんなチャンス、今を逃したらもう巡っては来ないだろう。


「いいですよ、しましょうか」


 流唯さんが何を考えてそんなことを言い始めたのか、まったくわからないのだけど。

 なるべく平常心で、動揺を態度に出さないようにして。


「じゃあ、行くよ」


 流唯さんがそう言って咥えたタバコに、顔ごと近づいて。


 こんなに近づいて大丈夫かな、とか。

 灰が落ちて周りが汚れちゃうんじゃないかとか。


 いろんなことを思ったりしたけれど、それもこれも全部、流唯さんの顔が近くにあることが恥ずかしくてたまらなくて、そのことから気を逸らすための現実逃避でしかなくて。


 このモヤモヤした時間が早く終わってほしいような、いつまでも終わらないでほしいような、そんな不思議な感覚があって。


 だけど、火は、無常にもあっという間に点いてしまった。


 音もなく移った火は、タバコを通り越して、わたしの胸の奥をも焦がしてしまったのだった。


 流唯さんが吸っているのはラキストで、わたしがいつも吸っているものとは違う銘柄だ。


 初めて吸ったそのときは特に美味しいとも感じなかったのだけど、あるときコンビニに寄った際に、思わず買ってしまった。


 我ながら、単純だなと思う。好きな人と同じ銘柄を吸いたがるなんて。


 真似をしていると思われるのが嫌で、しばらくの間は、流唯さんのいないところでだけ吸うようにしていた。


 だけどあるとき、カバンの中に入れっぱなしにしていたそれがうっかり見えてしまって。


「あ、ラキストだ。タバコ変えたの?」

「あ、えーと、これは」


 別に変えたって言っても良かったんだけど。なんだか癪だったから。


「流唯さんへの、差し入れです。どうぞ。ライブお疲れ様です」


 そう言って、一箱押し付けてやる。


「え、いいの? ありがとう」


 何にも疑問を持っていない様子の流唯さんに、ほっとしつつも、ほんの少しだけ残念に思う気持ちもなくはなかった。


 しかしそれ以来、わたしはライブのたびに流唯さんにタバコを貢ぐようになっていた。流唯さんには『もっとお金を大事にしなさい』って怒られるのだけど、なんだか癖になってしまって。


 なによりわたしを沼にはめてしまうのは、そのたびに流唯さんと一緒にたくさんタバコを吸うことができてしまうことだった。


 ライブ終わりのバーのカウンターでも、カラオケの喫煙所でも。終電を逃して歩いて帰った朝焼けの中でも。


 わたしたちは並んでタバコを吸った。

 ときには、わたしの吸いかけのタバコを流唯さんが持っていって吸ってしまうことすらあって、その度に悔しいくらいドキドキさせられてしまって。


 そんなことばかり繰り返しているせいで、禁煙なんか、できるわけがないのだ。


 流唯さんは、気づいているんだろうか。


 気づいているようにも、まったく気づいていないようにも見える。わたしの気持ちに。


 だけど今の関係を崩したくはないから。

 もう少しだけ、誤魔化し続けようかなって思ってしまう。


 わたしは密かに流唯さんのラキストを買い続けてしまうのだ。

 たとえ、この胸の奥が、切ない煙のせいで真っ黒になってしまったとしても。


「おつかれさま」


 何が『お疲れ』なのかわからないけど、そんなありきたりの挨拶を交わしながら、流唯さんはわたしの隣のカウンター席に腰掛ける。

 ボトルキープしているジャックダニエルを一口飲んで。早々に。


「ちょうだい、それ」


 流唯さんが指差したのは、わたしの吸っているピース。

 言いながら自分のラキストを一本差し出してくる。


 そのとき、今更ながらに、わたしは気づいてしまった。ああそうか。タバコ、同じじゃないほうがいいんだ。


 ……違う種類だから、交換できるんだよね。


 そう、気づいてしまったから。


 そのせいでわたしは結局また、二種類のタバコを持ち歩くはめになるのだった。

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