文章を補って読める
私は行間を読むのに長けているようで、これはHSPだからなのかはわかりませんが、書かれていないこと、書ききれていないこと?まで勝手に頭の中で補って読んでしまいます。
自分が頭の中で補いながら読んでいるというのは、他の人と同じものを読んだ時に「ここの描写わかりづらくない?」「何を伝えたかったかわからない」という感想を聞いたことが始まりです。
私は一緒の作品を読んでも、頭の中に世界が広がっていったし、「きっとこの作品はこういうことを伝えているんだな!」「最後の締めくくり方素敵ー」となります。
だからこそ、「感情表現が書けていない」「描写がわかりにくい」って批評をされるような作品を読んでも、「えっ、ちゃんと描けていたよね」ってなってしまうんですよね。極端な話、会話文だけで構成された作品を読んでも、勝手に頭の中で映像が流れてくるから「めっちゃよく書けてる!」って思ってしまうと思います。
これのいいところは、詩を読んだ時にすぐにいろいろな解釈がでてくることです。詩って、いろんな解釈ができるから楽しいですし、読むのが好きです。その時の作者の気持ちによって、同じ文章でも違う捉え方ができますし。様々な解釈をできる面白さがあります。
タイトルは文章としましたが、これは映像作品でも同じことです。考えさせられる多くを語らない作品を観るのが好きなのですが、一緒に観た人が「よくわからんかった」「期待していたほど面白くない」と感じるものに、すっごく感動していることが多いです。
前までは、このことを「人それぞれよね」「好みの違いだね」と思っていたのですが、恐らく作品に描かれていないことをどれだけ読み取れているのかの違いだと思います。違ったらごめんなさいですが、情報を読み取る量、そこから推察する量によって作品を読み取れる量の違いが感じ取れます。
よく、映画の考察とか観ていて「この時の場面にはこういう意味が」と解説されている方いますよね。私はそこまで考察するのは得意ではないのですが、それを読んでもすっと入ってくるので感じ取れてはいるのかな?と思っています。
描かれているけれど、物語上あえて語っていないものって、すっごく素敵に感じられませんか?私は考察を読んで発見が増えると、その物語がより一層好きになります。何度も見返して真相を確かめたくなりますよね!
こうして考えていくと、HSPがクリエイティビティなのが理解できる気がします。きっと、カクヨムで小説を書いている人の中にも、普段は気づきすぎてしんどい思いをしている人も多いのでしょうね。そうした気持ちを作品に反映されている方も、きっといらっしゃると思います。書いていると、語り合いたくなります。
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