閑話 凡■、■き残■■■と■遇する。
《そら、驚いている暇はないぞ? 腐った肉が貴様を狙っている》
「……んなこたわかってるっつの」
頭の中に響く声をとりあえず無視することにし、襲い掛かろうとしているゾンビの腕から遠のく。通常は緩慢な動きのくせに、人を攻撃するときだけ早くなるようだ。悪意のある性質だな。
手元にもう武器はない。一体のゾンビを殺して、そのまま腐った頭の中に埋め込まれてしまった。やつらの頭がもう少し固ければ上手いこと再利用できたんだが……ないもの強請りをしても仕方がないな。
さぁ、どうする?
前方3体、後方5体のゾンビども。俺が殺したゾンビの死体が転がっているので、前方のゾンビが足を取られることを期待する。
考えろ。俺の目的はただひとつ。この状況を切り抜け、どうにか生き延びること。
なら戦わなくてもいいんじゃないか? 囲まれているが、思っていたよりも奴らの動きは緩慢だ。だがゾンビどもの間を走り抜けるのはリスクがありすぎるか? 襲う瞬間だけ機敏になる性質を考えると噛まれる危険性も十分以上に存在する。
となれば、どうにか逃げ出すための隙を作りだす!
「……できれば、病気に掛かりそうで触りたくないんだが、なッ!」
「ァぁぁぁ ァ ァぁぁア ァァア アァ!」
もうすぐ傍まで近づいているのだ。2歩進めば拳が届く、そんな至近距離。攻撃を待てば不利になるのはこちらだ。数の有利はゾンビどもにある。
右手に浮かんだ白い手甲で、思いっきり一番近いゾンビを殴る。すると殴られたゾンビはかなりの勢いで仰け反り、地面に倒れ伏した。
妙に拳の威力が強い気がする。何が起こった? まぁいい。俺にバフが掛かったとすれば好都合だ。残ったゾンビを相手せず、俺は倒れ伏したゾンビの真上を走り抜ける。
「ァァァァアアア!!!」
微かに服を掴まれそうになるが、成功。俺は囲まれた四面楚歌の状況から脱出することができた。ここまではいい。追いかけてくるゾンビを撒くために、俺は慣れ親しんだ姫岡町を駆け回ることに決めた。
走るゾンビは夜だけにしてもらいたいところだが……まだ走り出す様子は見えない。おそらくこのまま走れば逃げ切ることは可能だろう。
つまり、俺は生き残った。
《なんだ、つまらん。貴様には気概が足りんな。一度己の命を脅かしたものをどうして見逃す》
響く声が疑問を呈した。
本気で言ってんのか、こいつ。勝てる保証はどこにもない。噛まれれば一発アウトかもしれないゾンビ相手に至近距離での近接戦するしか、今の俺にはないんだ。リスクがあまりにも大きすぎる。
《弱者の思考だな。確かにあのとき貴様は強者だったが、ふん。腑抜けたか?》
うるせぇ。マジでなんなんだ?
俺は火の手があがり、人間が生活している雰囲気がまるっきり感じ取れない街並みを走り続ける。馴染みの店、見覚えのある公園、幼馴染の家。どれもこれも、微妙に血痕があったり、破壊されていたりと悲惨だ。
幼馴染の家のゆがんだ表札を、息を整えながら眺める。
安治弥と書かれている表札だ。俺の幼馴染、安治弥帷が住んでいる……いや、今は住んでいた家か。
とば子のお父さんは警察官で、おじいさんは確か元自衛隊してたって言ってたような……。その話が本当だったら、きっと生きているだろう、きっと。そうでないと、何で一般人の俺が生き残ってんだって話だ。
でもなぁ……あのどんくさいとば子は今頃愉快なゾンビになっている気が……そのときは盛大に笑って、天国に送り返してやろう。
《……! くく。そら、早う移動するがいい。もたもたしていれば、また愉快な鬼ごっこが始まるかもしれんぞ?》
何を言って、
バリぼごぉぉぉぉぉんッ!!!!!
数百メートル離れた商店街から、巨大な爆発音のような、大気を引き裂かれた音の悲鳴が届いてくる。なんだってんだマジでよォ!
急いで確認するが、そこには弾け飛んだ果物屋から突き出る巨大な動物の姿があった。
火に交じって、動物の胴体から微かに紫の光の筋が空に向かって伸びている。いや、あれは光なんかじゃない。
でんき……かみなり、か?
「ヴォォォォォンッッッ!!!!!」
大気が震え、放たれた迫力は凄まじい。あの鳴き声を聞けば、誰でも動物の正体がわかる気がする。いささか巨大すぎる気もするが、あの動物はきっと狼だ。
紫の光の粒子が浮かび、じりじりと放電している。冗談じゃない。ファンタジー丸出しじゃないか。俺が戦ったあいつもそこそこファンタジーだったが、あの狼はそれ以上だ。
黒い体毛に雷を纏う巨狼か。
俺は流れ出る冷や汗を抑えることができなかった。間違いなく、接敵すれば死ぬ。きっと狼の嗅覚は人間の数千倍から数万倍以上だろう。もうばれているかもしれないが、そのときはそのときだ。
急いで幼馴染の家の中へ退避する。鍵は掛かっていない。廊下からゆっくりと音を立てないように、とば子の部屋へと向かう。
扉をゆっくりと開け、とば子の部屋でひっそり息を潜める。身を隠している間に、現状を理解する助けとなるものがないか探してみるか。
落書きしか書かれてない開きっぱなしノートに、高校の歴史の教科書。名のある偉人たちが愉快な顔面にメイクされている。
ペラリとページを巡ると、黒船来航のときのペリーに名前が付けられていた。
《道哉先生の前世》
「……あんの、バカ……」
こんな緊急事態に笑わせやがって。震えそうになる身体を鼻で笑うことで誤魔化す。
道哉先生とは中学のときの音楽の先生だ。いつも怖い顔をしていたが……こんな無惨な前世だったとは。
いや、そんなことはどうでもいい。他に何か手がかりはないか?
そうこう探していると、扉に紙切れが貼られていることに気づいた。
《女子の部屋に来たへんたいども、生きてたらがっこー来い》
汚ったない字でそう紙切れに記されていた。この恐ろしく汚い字は間違いなく安治弥帷のものだ。判読するのも常人では一苦労だろう。
にしても学校、学校か。正豊高校となるとここから十数分。とりあえずの行き先は正豊高校で決まりだ。
だが、果たして五体満足に辿り着けるものか……まぁ、やってみなけりゃわかんねぇか。
案外生き残れるかもしれない。
▽
轟き、天へと堕ちる紫の雷は俺から遠ざかっているようだ。玄関から慎重に顔を出し、周囲を確認する。
良かった。まだ俺の天命は尽きていないようだな。
ここから正豊高校までほぼ真っ直ぐ。何も居なければいいが……。
俺はとば子の家から先っぽを取り外したほうきを持ち出し、一息に走り出した。
知り合いの店や家が破壊されている様子を見ると、心が痛む。
5分程移動したが、足が遅いゾンビたちは俺に付いてくることはできていない。
1度、知り合いの人が気に入っていた服を着ているゾンビも居た。顔は肉がそげていてわからなかったが……いや、よそう。きっと勘違いだ。
ブゥゥゥゥン…………。
蝿が飛ぶ音をそのまま重低音にしたような煩い音が、進行方向から聞こえる。非常に嫌な予感がする。
足が止まりそうになるが、無視して進行。物陰に近いところを移動して、学校へと急ぐ。
車が山のように積まれた道の端を通り過ぎると、そこには死体の山が築かれていた。
ブゥゥゥゥゥゥン!!!
おびただしい血の海。腐った臓物がそこら中に散らばり、それらに蝿とも蚊とも付かぬ謎の生き物が集っている。
馬鹿みたいな音量に耳がイカれそうだ。
そして死体の山の頂点には、4mはありそうな大きさの巨大な蝿……いや、蚊? 謎の生き物がストローのような口で死体を貪っていた。
《くく、実に気持ちが悪いが……兵卒代わりには悪くないな……おい、何を呆けている。貴様もああなりたいのか?》
ああはなりたくないな……。
胃がひっくり返りそうだ。むせかえる死臭が鼻腔を侵食し、えづきそうになる身体を必死に抑える。
ここから退避しなくては。学校まであと10分は掛からない。
どうにか回り道して__死体の顔に見覚えがあった。同じクラスの飛山藍だ……前に、勉強を少し教えたことがある。数学が苦手だーって騒いでたな。
むしり取られた頭皮に、露出した筋肉。伽藍堂になった眼__
《おい》
……わかってるさ、くそが。
俺は慎重に建物の隙間を通り、あの死体の山の通りから別のルートで学校へ向かう。
気付けば息が荒くなっていたのを整え、そしてようやく正豊高校に辿り着いた。厳重に張られたバリケードは所々壊れているが、まだ持ちそうだ。その前にゾンビ共がわらわらと集まっている。
マジでゾンビ物じゃねぇか。
後ろ姿に見覚えのあるゾンビが何体も居る。ふざけんなよ。あぁ、くそ。
辿り着きはしたが、俺はここからどうすればいいんだ。くそ、とば子め。この厳重な高校にどうやって入れってんだ。軽い説明くらい書いとけあのアホ。
ふつふつと怒りが湧いてくるが、そんなこと考えたって仕方がない。グラウンドから回れば行けるか……?
回ってみたがそこもバリケードが張られている。いや、バリケードなのか? 土の壁に鉄線に、あれは……お守り? 近所の神社で売られてるやつか。何であんなものを大量に……。
訝しげに思っていると、声が響いた。
「……あのー! もしかしてー! 大樹さんですかー!?」
どこだ?
かなり遠くから声を掛けられていることはわかるが、場所がわからない。
《上だ、馬鹿者》
上? 高校の屋上に目を向けると、双眼鏡を腰にぶら下げた女の子が、叫んでいる姿が見えた。
あのちっこいのは後輩の和原芽々だな? なんだ、生きてんのか!
ようやく生存者の存在を感じ取れて、俺の中に熱が灯り始めるのを感じる。
「っ、あぁ! 大空大樹だッ!」
「やっぱりー! 生きてたんですねー!? 先輩の妹さんも随分探してたんですよー! あっ! 早く中へー!」
「どうやって入るんだ! マジわからん!」
「……登録された覚醒者じゃないと自由に行き来できないんだった……どうしましょー! ちょっと遠征班の人呼んできますねー!」
そう告げると、和原は中へ引っ込んでしまった。
遠征班? 覚醒者? 全く訳がわからんが……何となく掴めてきた。俺のように、何らかの力に目覚めた人間が外から物資を集めてきてるわけだ。
さすがに俺みたいなクソ能力ではないだろうが……。ちらりと白い手甲を見る。
ゴミだな。
とりあえず待機するしかないか。
周りを見渡すと、続々とゾンビが集まってきている。全員知らない顔だ。スーツを着てるあたり通勤中のサラリーマン軍勢ってとこか?
……動き回るのもリスクがある。あの巨狼やクソでかい人食い蚊蝿。獣に食われたようなゾンビも居たし、おそらく普通のサイズの肉食動物も居るはず。
俺はもう、どう足掻いても人殺しだ。1人殺ろうが、100人殺ろうが、俺は同族殺しの咎を背負った。
なら、せめてこれからこいつらに襲われるかもしれない命を救うことだけ考えろ。
俺は
手にした棒を振りかぶり、迫るゾンビ共に先制攻撃をぶち込んだ。
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