閑話 凡■、覚■す。




 寒くて、暑くて、冷たくて、熱くて、痛くて、爽快で、どこか気持ちが良い。


 ぐるぐる、ぐるぐる。


 深い暗闇だ。暗闇の中、何かが巡っている。巡り、駆け抜け、廻り、己の内から溢れようとする弱い力。


 これは、なんだ__?


 弱く脈動し、まるで生き物のように不安定。


 何もない虚無の中。限りなく拡散した俺の意識と、それだけがある。


 動こうとする。動けない。

 触ろうとする。動けない。

 目を開けようとする。動けない。

 口を開こうとする。動けない。


 何をしようとしても、俺の身体は言うことを聞かない。好きなように動き、好きなように止まる。


 ふと、声が響いた。震えが混じったその声。その怯えが、恐怖が、何よりも気に入らない。


 僅かに意識が集まる。


 __……おにいちゃん、大丈夫かな……__


 一筋の金色の光が、虚無の中を迸る。


 空間を引き裂くような、熱を持った光。全てを引き裂く轟音が虚無の世界に伝搬する。



 あたたかい。



 また声が響く。今度は、別の。



 __きっと、大丈夫。……だってわたしたちのおにいちゃんだし__


 一振の銀色の刀が、虚無の世界を切り裂く。


 見るものを見惚れさせる、美しい刀。遍くを凍らせ、妖しく光る刃紋が虚無の世界を照らす。



 すずしい。



 これはきっと、おれにとって大切ななにかだ。なくしちゃいけないもので、わすれちゃいけないもの。


 あたたかくて、すずしくて、居心地が良い。


 意識がさらに集束する。散らばった意識の破片が、一気に集まり始める。


 きもちのいいひびき。もっとしゃべってほしいけど、なぜだかどうして、はらがたつ。どうしてそんなに、なきそうなの?


 __そうだ、オレは、こいつらにわらっててほしくて、かなしいかおをしてほしくなくて、俺は、


 でも、すがたがおもいだせない。


 ある一定のラインで意識の集束は停まった。



 ここは、人の最も深い場所。命の源流、意識の根本。無意識よりもさらに深い、魂の在り処。


 凡ゆる総ての人間の、無意識の海の最深部。心は揺蕩い、流れ、揺られ、じんわり溶けていく。何もない虚無ではなかった。何もかもがあるからこその、虚無。

 孤独を許さぬ、繋がりの世界。


 再び声が響く。


 __みんな、ごめん、ごめんなさい。わたしがぜんぶわるいのっ、わたしがのこっていれば、きっと……! ぅ、ぅぁぁぁあ、あぁ__


 嗚咽だ。泣きじゃくり、震え、もはやまともに聞き取ることすら難しい。悲しみを湛えた呻き声だけが虚無の世界に反響する。



 イメージが繋がる。


 傷んだ死骸。骨が抜かれ、ぐちょぐちょになった何かの残骸が、コンクリートの上に散らばっている。漏れ出た糞尿と、腐敗した肉の臭い。


 __ごめん__


 うるさい。だまれ、だまって。


 あたたかい金色が、その輝きが褪せていく。



 __ぁ、ぁあ、あぁぁぁああ、ぁ。うそ、うそだよ、ぜんぶうそだ。ねぇ、おきてよ、みんなおきてって……ねぇっ!……っひ、ぉぇ……!__


 溢れ出るイメージ。


 頭が半分吹き飛び、壊れた人形のように転がる死体。肩を揺らし、顔を動かすと、眼球のない暗黒にうじが沸いていた。どこかの学校の廊下に、幾つも同じモノが転がっている。


 __っ、あたしが、わるいんだ。ぜんぶ、全部ッ!!! あたしが! ぁ、ぁぁああ__


 悲鳴だ。壊れたような声音で、零れ落ちる言葉。困惑と、絶望の声が、虚無の世界に広がっていく。


 うるせぇ。たのむ、おねがいだからだまってくれ。


 すずしい銀色が、その輝きを錆つかせていく。


 うるさい。うるさい。うるさい。


 どうしてこんなに耳障りなんだ。いつもみたいにわらってろよ。ばかみたいなことで、あほみたいにのんきにわらうおまえらが俺は好きだったのに。


 あれ、おれは俺で、俺って誰だっけ。


 俺の意識とは裏腹に、ノイズは響き続ける。無慈悲に、残酷に、世界の現実は止まらない。


 __あぁ。やっぱり、わたしじゃだめなのかな。きっと、私だからダメだったんだ。……あぁ__


 __ごべんなざい……ぅっ、ぉえ、ごめんなさい。あたしがいれば、光希がいれば……ぃや、きっと__



 __『『おにいちゃんヒーローがいれば、なんとかなったのかな』』__



 集合無意識、その奥底。本来有り得ない意識の覚醒。


 俺は、ヒーローおにいちゃんだ。


 テレレテテッテッテッテー!


 心の奥底、願いの本質。心の全てがある世界で、まるでゲームのような場違いな音が流れた。


 何者にも縛られず、在りたいように在れる世界で、大空大樹の中の、今は弱き力が明滅する。


 ちょろり。


 凡人の中でナニカが、舌を出した。












「っは……ぁ?」


 飛び起きる。とても、とても長い夢を見ていた気がする。身体の節々が痛い。長いこと使われていなかった筋肉のこりのような痛みだ。


 右腕で地面に手を付き、左手で目を擦りながら起きた身体を支える。


 初めに目の前に写ったのは、廃墟と化した故郷の姿だった。


 ……俺……腕もがれたんじゃなかったっけ?


 手を戻し、にぎにぎする。


 動くやん。ばり動いとるやんこいつら。あの化け物は夢だったのか? いやでもあんなに痛ぇ夢なんてあったらもう俺寝られないよぉ!?


 普段着のポケットの中からスマホを取り出す。時刻は……11時13分か。


 日付けは……あ、ん? え?


 2024年9月14日と書かれた表示に、目をぱちぱちさせる。


 昨日って4月20日だったよな……? 9月と4月を間違えるなんてことさすがにないはず。とうとうスマホがバグったか?


 いや、そんなことはどうでもいい。まずは目の前の光景を受け入れなくては。


 火の手が上がった街並み。砕かれたコンクリートの地面。放射状に削り取られたビル。至るところにこびり付いた血痕。


 完全に、アポカリプス世界ですね本当にありがとうございました。


 頭の中で今の現状を理解するために要素を整理する。


 気付けば時が過ぎた世界。日常から掛け離れた景色。異常な経験。赫く染まった空。


 そして、ニタニタと嗤う黒い化け物。


 ようやく俺は状況を理解した。どうやら世界は、現代ファンタジーものに置き変わったらしい。


 今どきの現代ファンタジーってこんな血なまぐさいものだっけ……? 疑問を抱かずにはいられないが、現実なんてこんなものだろう。


 光希は、夏鈴は生き延びることができただろうか。いや、この思考は無意味だな。あいつらは俺の何十倍も優秀だし、きっと上手くやってるだろう。


 瀕死の瀬戸際、幻視した妹たちを思い浮かべる。あれ、そういえば……誰かが俺に話しかけて居たような__


 思考が停止する。


 もはや劇物のような香りが鼻をくすぐり、強い死臭が漂い始めたからだ。前から、後ろから、右左全方位、全てから腐臭の主が集まり始める。


「ァ、ァ  ァ ァア      ァ」


 飛び出た眼球。ハエの集った全身。腐った肉の色に変色した肌。そして、その理性なんて欠片もないような呻き声。


 これは……ゾンビですか?


「  ァァ ァア  ァァ    あ」


 ぎょろり。


 こちらにそいつが振り向く。あっ……


「アァァァアアアア!!」


 はい、ゾンビでした。コント染みた思考とは裏腹に、俺の心臓はうるさいほど警鐘を鳴らしていた。


 声を上げたゾンビと共に、ぞろぞろと近場のゾンビが集まってくる。スクリームゾンビってか? 


 はは、笑えねぇよ。マジで。


 近場の家の壊れたコンクリ製の塀の破片を持ち、どうにか抵抗しようとする。よたよたと、じりじりと近寄ってくるゾンビたち。


 くそ、くそが。どうしたらいい。気付いた時点で全方位囲まれてんだぞクソが。


 高まる緊張感。鼓動が早くなり、自然と息が荒くなる。自分の血が流れる音が聞こえる。


 ゾンビとの距離は、もう3mもない。


 俺は、どうしたらいい。左手に持った人を殺せるコンクリを強く意識する。


 殺すのか? 殺すしかないのか。俺は、人を殺せるのか……?



 そしてふと、目の前にが浮かんでいることに気付く。



 何も考えずに、無意識に、何かに導かれるように。


 俺はそのカギを手に取り__



「ァァァアアアアッ!!!」



 ゾンビが襲いかかるよりも先に、己の胸へと突き刺した。



「変身ッ!!!!」



 カチャリ。己の内からまろびでた言葉を叫ぶ。


 

 全身が光り輝き、発生した衝撃波によってゾンビ共が仰向けに倒れた。そして、俺の全身に白亜のアーマーが装着され__ない。


 発光が終わり、変身したのかと思えば特に変化はなかった。あ、いや違う。


 手の甲に白い装甲のようなものが現れている。無地の純白、まるで綺麗に折られた紙のようだ。頼りない質感をしている。


 あの、え? なんか覚醒イベントにしてしょぼいといいますか、なんと言いますか……?


「ァァア」


 ひょっこり。


 ほら、ゾンビさん起き上がっちゃったよ……?



 深化コード。それは人類に秘められた、この世で最も無法な力を引き出す。


 人類の総体、集合無意識ですら塗り潰せない究極の願望欲求。運命に、才能に、世界に愛された真の怪物のエゴを具現化する。


 中でも大空大樹にぶち込まれたのは深化code:001、またの名を原初のエゴジ・オリジン


 聞こえは良いが、実際は下にも上にも限界がない闇鍋ガチャ。その出力はその身に宿る天稟に左右される。



《……なんというか、貴様。本当に凡才なんだな》



 あ、? 今なんか聞こえて__っぶねぇ!?


 いち早く転倒から立ち直ったゾンビの攻撃を、なんとか大袈裟に回避する。


 やっぱ、俺に"特別"はないってのかよ。嫌になるほどわかっていたつもりだったが、どうやらまだまだ理解が足りていなかったらしい。


 ようやく手に入った謎の力ですら、貧弱極まりないとは。


 絶体絶命のこの状況。十中八九、俺はまた死ぬ。降って湧いた奇跡の力は、まるで役に立たない。


 深い絶望感がじんわりと溢れだし__



《……ほう? ようやく面白くなってきた》



 ははっ。そんなこと、。何をしたって上手くいかない。結局凡才に許された世界なんてそんなものだ。


 偶然は起こらない。

 奇跡も起こらない。


 俺に"特別"はないのだから。


 自嘲的な気分を消し飛ばし、俺はこの窮地を切り抜ける方法を考える。


 前方4体、後方……5体!? やはり完全に囲まれている。どうすべきだ。


 いや、本当はわかっている。やるしかない。俺は、ここで人を殺す。


 ゾンビだからなんだってんだ。もしかしたら治るかもしれない。もしかしたら動きがゾンビなだけで、本当は意識があるのかもしれない。


 やらない理由は幾らでも思いつく。だが、迷っている暇はない。俺に軽々と攻撃を避ける能力もなければ、ゾンビが転んでいる今のアドバンテージを捨てる余裕もないのだから。


 さしあたって、生き延びるために必要なことは__


 今まさに起きようとしているゾンビの頭を、粉々に打ち砕くことだ。


 一思いに近づき、ぎょろりとした目を見ながら、思い切り両手でコンクリを打ち付ける。


 ぐちゃり。


 コンクリがゾンビの頭の中に埋まる。飛び散るのは変色した脳みそに、ぶよぶよとした骨の破片。


「ァ    アァ   。」


 呻き声を上げて、地面にへばりついた。動く気配はない。


 こいつは死んだ。間違いなく。俺が、とどめを刺した。ああ、ついにやっちまった。


 俺は今から、人殺し__



《……不愉快な。貴様のエゴとやらはどうしてこう煩わしいのだ。下等な命の潰し合いがいちばん面白いところだというのに》



 うるせぇ。


 間違いなく俺の頭の中に声が響いている。気の所為なんかじゃない。



 テレテテッテッテッテー!



《レベルアップ! 0→1》

《実績達成! 称号 "へっぽこゾンビハンター"を獲得》

《大空大樹は〔ゾンビ特攻I〕を宿した!》



 は__?


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