第9話 チェリー、史上最難の頼みを引き受ける。





 欠けた三日月と蒼い燐光を湛えるサザンクロスが看板に飾られ、その横には星華亭と可愛らしい字体で作られた木彫りがぶら下がっている。開け放たれた宿の入り口からはガヤガヤと話し声や笑い声が聞こえ、明るい光が漏れ出している何とも楽しそうな雰囲気だ。


 こ、ここが星華亭だな……!


 そんなお洒落な宿の前に、膝に手を付き息も荒く今にも倒れそうな男が1人。


 そう、この俺だぁ!(空元気) ふぅ……(疲労)


 初めての街でこんなにもバタバタして走り回っている人間は俺を除いて他に居ないだろう。それだけ走った自信がある。


 人の闇が巣食う時間なだけあり、近づいちゃいけない感じがするやつがバカみたいに増えまくった。小汚い男はもちろん、小さな子供に大人しそうな女性、驚いたことに灰色の猫や鴉からも嫌な予感がした。使い魔的なやつだったのか?


 避けて通ると案の定、そいつらがひったくりかスリでもしたのだろう。悲鳴が上がり喧騒が広まっていた。


 ……いや、喧騒というか……うーん。野次馬?


 この街じゃ日常茶飯事らしく、スリが逃げ切れるか呑気に賭けをしていた初老の男性と女の子も居たくらいだ。この時妙に後ろから視線を感じた。


 あの爺さんも強キャラ臭がプンプンしてたな……。


 いかん、そんな事はどうでもいい。


 息を整えさっさと星華亭に入る。中に入ると、目の前に豊かな体型の中年の女の人がカウンターに座っており、愉快そうな表情で頬杖をつきながら右に視線を送っていた。


 視線の先には6つほどテーブルが並べられており、どこのテーブルも満席だ。妙にガタイの良い男たちが赤く酔っ払った顔で変な歌を歌っている。中には若い男女に赤い髪の女の子がチビチビと酒を飲んでいるテーブルもあった。


 え、あれイーラさんじゃね? なんかクソつまんねーって顔してんな。


 俺の視線に気付いたのか、宝石のような蒼い瞳がこちらに寄せられる。するとイーラの景気の悪そうな顔が口元だけニヤリと歪んだ。


 とりあえずぺこりと会釈する。


「「「おれたちゃ無敵の豪傑さぁ! おぅっ♪」」」

「「「覇を打ち立てるためにやってきたぁ! おぅっ♪」」」


 どんどんガタイの良い男たちの声が大きくなっていく。こりゃ完全に酔ってるな。


「あんたたちうるさいよぉ! 他の客に迷惑だし、何よりその馬の糞にも劣る下手くそな歌を聞かされるこっちの身にもなれってんだい! ったく」

「そりゃねぇよグンさぁん!」

「そうだそうだ〜! 俺たちゃ第1の13層まで行ってきたんだぜぇ!? 俺らの気分も踊っちまうってもんさぁ!」


 俺の目の前で頬杖を付いていた女性が負けじと大きな声を張り上げる。男たちの歌をボロくそに批評しているのが少し面白い。


「あたしの知ったこっちゃないよ! ここは酒場じゃない! だが第1の13層は確かにやるねぇ……祝いにその下手くそな歌をやめれば今夜の呑み代くらいはタダにしてやろうじゃないか!」


 不敵な笑みで男たちにとって最高の言葉を送るグン?さん。これは男の性質をよく分かってらっしゃる。


「ヒューッ! 愛してるよグンさん! これだから星華亭はやめられねぇ!」

「だな! ハハハ!」


 陽気な男たちのテーブルからジョッキを振り上げる腕と共に歓声があがる。星華亭は客にも随分と好かれているみたいだ。


「アホもアホだが、決して悪い奴らじゃない。あそこまで吹っ切れてると逆に気分もいいってもんさ。お前さんもそう思うだろう?」


 右を向いたままのグンさんから声をかけられる。気付いていたのか。邪魔しちゃ悪いと思って少し待ってた甲斐があったぜ。


「そうっすね! めっちゃ良い感じだと思います!」

「……おや、お前さん。えらい綺麗な顔じゃないか。それにその格好……またデンザの紹介かねぇ。あの子もまた余計なことを……」


 ちらりとこちらを見るグンさん。俺の顔に視線のピントがあった途端、少し驚いた表情をする。


「あんた。一応聞いとくけど、冒険者ギルドの褐色の男に紹介されて来たろう?」

「お、よくわかりますね。まさしくその通りっすよ」


 深いため息を吐いて、カウンターの下に手を入れている。何やら木を擦る音が聞こえてきた。


「あたしとしちゃ、1泊5000コルは取りたいんだが……その黒いやつはあたしのガキの1人でね。お節介なことに長く搾り取れそうな有望株を送ってくんのさ。そして軒並み金がない素寒貧と来た」

「うちはルーキーを育てるためにあるわけじゃないんだがねぇ……あの子が送ってくるあたり、お前さんも顔だけってわけじゃなさそうだが」


 ジロリと品定めするような視線を受ける。


 カウンター裏には多くの棚がしまわれているらしく、12と書かれ謎の印が印字されてる木札をため息と共に渡してきた。


 12の番号に謎の印……そして宿。なるほど、読めたぜ。これは日本で言うルームキーのような物だな?


「これは……幾らですか?」

「3000コルで勘弁してやるさ。朝食と夜食込みで3500ってところかね」

「これで先払いでお願いします!」


 有り金全部差し出す。気付けばギリギリ5000コルあるかないくらいに……。


「あいよ。お釣りは……まぁ足りないがお前さんの顔に免じて今日と明日分ってことにしとくよ。文句ないね!」

「はい!」


 これで俺も正真正銘、また一文無しに戻っちまったな。


 満足そうに口を歪めているグンさん。話をしていると酔っ払った男たちが肩を組みながら出て行った。今夜は娼館5件はハシゴするぞぉ……と呟いていたのが風に運ばれ聞こえてきた。


「やれやれ、男はほんとバカばっかだねぇ。……散々割引きしてやったんだ。ひとつ頼みがある」

「なんですか? 出来ることなら全然いいっすよ!」


 どうやら悪い人じゃなさそうだし、信用しても良さそうだ。どんな頼みだろうか。


「お前さんに余裕ができてからでいい。うちの娘を一発引っ掛けて欲しいんだよ」

「……はい?」

「うちのバカ娘は冒険者に憧れてんのさ。もしその夢が成っちまえば、相応の力がなきゃ男に力ずくで襲われて終わりだよ。綺麗な恋愛なんざできやしない」

「才能か、信用出来る仲間か、恵まれた運か。どれが欠けても女の冒険者なんてのは大抵クソみたいな思い出になる。どうせクソなら、外面だけでもお綺麗なクソの方がマシってもんだろ?」


 達観した瞳で再びテーブルに目を移すグンさん。その瞳の先にはイーラさんが映っているように見える。


 イケメンのクソて……壮絶な覚悟を決めてらっしゃる。俺ピチピチのチェリーなのに。一番難しい頼みかもしれん。


「……まぁ、えーっと、はい! 要は仲良くなろうとすればいいんすよね!」

「ああ……ま、あんま気にしすぎんじゃないよ。何だかんだひよっこ共の面倒を見てやってんのはそこそこ面白いからだしね」


 ほら、見なと言わんばかりに顎をくいっとする。


「そこの赤髪の女が居るだろう? あいつも半月ほど前にここに送られてきたクチでね。未だにこの宿に住んでるわけさ」

「イーラって言うんだがね。あいつのようにランク4になれとまでは言わない。精々死なんようにしとくれ」

「うっす!」


 そのくらいなら、頑張らせて頂こう……。


「前はどうか知らないが、お前さんも今は冒険者だろう? ひとつレクチャーしてやる。長く冒険者として生き残るには、必要な情報を嗅ぎ分けるセンスと、情報を仕入れる話術が必要だ」

「……そういうの結構苦手っていうか……!」

「なぁに、お前さんの顔なら男からのやっかみ以外そう悪い対応はされないよ。さっさとイーラにでも話しかけてきな!」


 話は終わったと言わんばかりにペンを取り出し、計簿に何かを書き始めたグンさん。


 ちらり。


 イーラさんが居るテーブルに目をやる。男3、女2でご飯を食べている。女2の内訳はイーラさんとそこそこ可愛い茶髪の女の子だ。

 男たちはガタイのいい好青年と言った風貌である。


 えー……俺あそこに空気読まずに入ってかないといけないのか。


 冒険者とはKY(空気読めない)にならなければいけないものだったのか……!


 覚悟を決めねば。

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