第2話 束の間の癒し

「今日も朝からご苦労様だったねぇ」


 昼の休憩時間になり、休憩室としても使われてる会議室で一緒に昼食をとっている桃木ももきさんはそう言って苦笑いした。

 それに関して俺は肩をすくめるくらいしかできない。


 桃木ももき 彩奈あやなさんは俺の一つ上の先輩で、明確にそういうわけではないけれど、まぁ教育係のような存在だ。

 入社して半年、俺はこの会社での仕事のほぼ全てをこの人に教えてもらった。


 歳は俺の三つ上の二十五歳。彼女もまた美人だけれど、椿原部長とは違い、小柄で可愛いタイプのお姉さんだ。

 愛嬌があり優しく面倒見も良くて、仕事の指導はもちろんだけれど、こうして業務外でも仲良くしてくれる。

 クリっとした大きな目がキラキラと愛らしい、ゆるふわショートの髪がまさに可愛いOLさんといった感じのお人だ。


「でもさ、草野くんもよく耐えられるよね。私が標的にされたら、多分一瞬で会社辞めるなぁ」

「まぁ慣れ、ですかね。それに俺、基本無抵抗主義なんで堪え性あるんですよ」

「さすが男の子、なのかぁ?」


 まさかラッキースケベで乗り切っているとは言えないので、適当に強がって見せると、桃木さんはカラカラと笑った。


「ま、助けてあげられてない私が言うのもあれなんだけどねぇ」

「いやいや、それは本当に気にしないでください。多分女性同士になった方が大変でしょうし、変に飛び火するより男の俺が一人標的になってた方が部署内も平和でしょう」

「そうは言ってもねぇ。ホント、部長ってば女子社員には普通にいい上司だから不思議だよねぇ。まぁ気が強いところは、多少やりにくさがあったりするけどさ」


 コンビニサラダをむしゃむしゃしながら、桃木さんはむーと眉を寄せる。

 そう。彼女が言う通り、椿原部長は俺を除く部署内の他の女子社員四人には全くパワハラをしない。

 俺オンリーなのだ。桃木さんが言うには、俺が入社する前は本当に平和そのものだったらしい。

 まぁ今だって俺以外は平和なのだけれど。


「これは私の勝手な読みなんだけど、椿原部長の『あれ』、多分男の人への苦手意識の表れ、なんじゃないかなぁ」

「と言うと?」

「聞いたところによるとね……」


 俺が首を傾げると、桃木さんは声のトーンを落とし、こちらへと少し身を寄せた。


「椿原部長って、中学高校大学と全部女子校だったんだって。それで卒業してこの女子ばっかりの会社でしょ? 男の人とほぼほぼ関わってこなかったんだよ」

「箱入りのお嬢様だったってことですか」


 うちの会社は女性の社長が立ち上げた小さいなイベント会社ということもあって、社員がほぼ女性なのだ。

 ほぼ、というのは言葉通りの意味で、男性社員は俺以外に後一人、定年が近そうなおじいさんがいるだけだ。

 しかもその人、社長の企業を手伝った創立メンバーだそうだが、正直社風に合っている人は思えないし、一応営業部に籍をおいてはいるけれど、多分ただそれだけだ。


 椿原部長が率いる、俺と桃木さんが所属しているのは総務部。

 就活が全然うまくいかず、もう雇ってもらえればどこでもと転がり込んだのだが、まさか男の身で総務に配属されるとは思っていなかった。

 二つしか部署がないのだから、営業で体を動かしていた方が俺の性に合っていたんだけどなぁ。


「でも良いとこの家で良い大学も出て、部長自身優秀な人ではありますし、そしたらもっといい会社に入れそうなもんですけどね。うちの会社で役職持ちにはなってますけど、言って小さな会社じゃないですか」

「これもいつだか聞いた話だと、部長のお父さんと社長が知り合いだかで、立ち上げてまもない会社を回す優秀で若い人材が欲しい!みたいな感じでの紹介だとか」


 俺の疑問に桃木さんは引き続き声をひそめながらそう答えた。

 まぁそういった経緯なら、部長のスピード出世にも納得がいく、か。

 小さな会社で体制もまた小さいとはいえ、総務部には椿原部長よりも年上で勤続年数が上の先輩が二人所属している。

 部長自身の能力の高さもあるだろうけれど、そういった経緯が待遇に反映されている部分はあるんだろう。


「ちょっと話逸れちゃいましたけど、どうしてそれが部長の『あれ』に関係あるんですか?」

「いやね、椿原部長ってそもそも気が強くて、それに仕事ができる自分への自信も結構あるタイプでしょ? だからって傲慢な性格とは言わないけど、なんていうかなぁ……」

「自尊心が高いタイプ?」

「そう、そんな感じ! だからさ、こう、男に負けないぞーみたいな気概がちょっと強いんじゃないかなぁ。男の人に不慣れだから、それが尚更とか」


 声はひそめつつも身振り手振り、体を目一杯使って必死に言葉を並べる桃木さん。

 それを単純に可愛いなぁと思いつつ、俺はふんふんと相槌を打つ。


「まぁなんとなく言いたいことはわかりましたけど。でもそれ、一回り近く年下で新入社員の俺にする意味ありますかね? 同年代とか、ライバルになりそうな男ならともかく」

「この場合、年齢とか立場は関係ないんじゃないかなぁ。とにかく男の人ってものがよくわかってないから、ただ漠然とナメられたくないとか、負けないぞって気持ちが先立っちゃうのかも」


 まぁ私の勝手な想像だけどねぇ、と桃木さんはのんきに笑う。

 確かにかなりふんわりとした憶測だけれど、ただそう考えれば男の俺だけがパワハラを受けていることに理由はつく。

 まだ若者に敵意を感じるような歳ではないだろうし、もうしそうだとしても、若さ的に俺と桃木さんにそう違いがあるとは思えない。

 とすれば、男である俺への接し方がわからず、強い態度に出てしまっている、という説にはそこそこ説得力がある気がする。

 まぁ、強い態度にも限度があるだろうとは思うが。


 しかし、すると椿原部長のあの無自覚なラッキースケベはなんなんだろうか。

 男に慣れていないのであれば、慣れてる女性よりも異性に対する警戒心は強くなって、自覚無自覚問わず色々気をつけるような気がするけれど。


 それとも、逆に、なのだろうか。

 男に不慣れだからこそ、何をどう警戒するべきかもまたわかっていなくて、男から自分がどう見られているかも理解できていなくて。

 結果として、その無知がラッキースケベを起しているとか……?


「まぁ愚痴とか相談はいくらでも聞いてあげるから、あんまり溜め込んじゃだめだよ? 堪え性があるっていっても限度はあるんだし、我慢は禁物。それに本当にしんどくなっちゃったら、余計なこと考えずに会社なんて辞めちゃいえばいいんだよ〜」

「簡単に言いますねぇ。まぁ、どうしても入りたかった会社かと聞かれると、そうだとは言いにくですが……」


 音楽を聴くのが好きだからライブ関係の仕事がしたいと就活をしていたけれど、全然受からず流れ着いたのがこの会社だ。

 一応イベント会社ということで同じ業界ではあるけれど、音楽関係はほぼなく正直畑が違う。

 しかもほぼほぼ事務作業の部署なので、望んでいた仕事とは全く違ったと言ってもいい。

 そういう意味では、この会社に固執する必要がないのは確かだ。

 ただそれでも、またあの過酷な就活を、しかも新卒というブランドを無しで挑む勇気はなかなか持てない。


「とにかく一人で抱えないことっ。何かあったらいつでも私に言ってね?」

「はい、ありがとうございます。桃木さんにこうやっていつも話聞いてもらえて、俺結構救われてるんです。感謝してます」


 ラッキースケベのおかげでパワハラの苦痛を乗り越えているとはいえ、まぁシンドイものはシンドイ。

 これで部署内で孤立させられてたら詰んでいたけれど、幸い他の人たちは普通に接してくれるし、桃木さんはこうして仲良く面倒を見てくれる。

 それはシンプルにありがたいことだし、桃木さんは俺の大切な癒しなのだ。

 ぺこりと頭を下げると、桃木さんはニコニコと嬉しそうに胸を張った。


「うむ、苦しゅうない。それでは日頃のお礼として、今日は草野くんの奢りで飲みに行こうか」

「そ、それはちょっと……。俺、まだそんなに稼いでないんですけどぉ」

「あはは、じょーだん。先輩だからね、私が奢ってあげますとも。延長戦で、今夜はここではできない話でもしようねっ」


 慌てる俺をからかうようにそう言って、桃木さんは楽しそうに笑う。

 からかわないでくださいよ、と釣られて俺も笑って。


 しかし、そんなのどかな昼休憩はそう長くは続かない。

 これもまた、大体毎日のことなのだ。


「草野くん。ちょっと、来てくる?」


 会議室にずいっと現れた椿原部長は、あからさまに不機嫌な態度でそう言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る