手紙~親愛なる君へ~
石花うめ
手紙~親愛なる君へ~
拝啓
外は穏やかな小春日和のようですが、私は今、刑務所にいます。
刑務所から、君のために手紙を書いております。
どうしてそのようなことになっているのか。
まずは私の生い立ちからお話しさせてください。
普通に生きることが、私にとってどれだけ難しいことだったか、分かってもらえますように。
私は貧しい家に生まれた一人息子です。
両親は地元の商店街で八百屋を営んでいました。母方の両親の代から続いている店で、父が婿入りして引き継いだらしいです。地元の人には愛されている店でしたが、ちょうど両親が店を継いだ頃から日本は景気が悪くなり、売上げは右肩下がりでした。
よく両親には「普通の家に産んであげられなくてごめんね」と言われました。その話をするときの両親は、いつも悲しい顔をしていました。
彼らの悲しい顔を見るのは心が痛む。だから私はできるだけ彼らの迷惑にならないように、幼いながらに胸に誓っていました。
彼らの代わりに、自分が普通になろうと思いました。
私がいい子にしているので、両親はほとんど私のことを叱りませんでした。今思うと、仕事が忙しくて余裕が無かっただけなのかもしれません。ですが、小学校から帰った後どこにも遊びに行かず、一人で大人しく宿題をやっていることが、私にとっての最善でした。
そんな模範的な子供だった私ですが、一度だけ両親に怒られたことがあります。
私が中学生だった頃のことです。当時の私はいじめを受けていました。クラスメイトに無視されたり、物を隠されたりしました。
といっても、当時の私に被害者意識というものは全くありませんでした。無視された方がむしろ快適に勉強に打ち込めるし、教科書を隠されたらノートを見ればいいから、何も困らなかったのです。
定期的に実施されていたいじめアンケートで私の名前を書いたクラスメイトが複数人いたらしく、その時に初めて私は、自分がいじめられているように見られていたことを知りました。
担任に呼び出され、事情聴取を受けました。先生は私を心配しましたが、私は「何もなかった」と言いました。取るに足らないことは、全部黙っていることにしたのです。そうすれば、両親に迷惑をかけずに済むと考えたからです。
ところが、私の被害者意識があまりにも低いので、先生は徐々に私を気味悪がった目で見るようになり、ついには両親が学校に呼び出されてしまいました。家でちゃんと会話をしているか、息子さんがいじめを受けていたことは知っていたか、など、長時間に渡って詰問されました。
家に帰った私を、両親は叱りました。
「どうしてもっと早く伝えてくれなかったの」、「どうして何も教えてくれなかったの」と。
対して私は「いじめられてると思わなかった」「何も困らないから、言う必要は無い」と答えました。
すると、母は泣いてしまいました。
「どうしてあなたは、普通にできないの」
私は普通にしていたはずなのに。
自分のやってきたことが間違っていると分かって、私も泣きました。
「どうすれば、普通になれる?」
母は戸惑った表情を浮かべながら、答えました。
「周りの子と同じようにしていればいいのよ」
地元の普通科高校に進学した私は、周りの様子をよく見て、同じように行動しました。
周りの子が笑っている時は笑い、泣いている時は泣き、手を挙げる時は手を挙げ、誰も挙げなければ挙げない。みんなが好きなものを好きになりました。
そうすると、中学生までは一人もいなかった友達が、数人できました。
今となっては、彼らの名前も、顔も、どんな話をしたのかも、全く覚えていません。
ただなんとなく、みんなで毎日同じことをしていた気がします。
とてもつまらない毎日でしたが、友達が出来たことを両親はとても喜んでくれたし、担任の先生も私のことを模範的な生徒として扱ってくれました。
このときの私は、これが普通なのだという答えを得た気持ちになっていました。
大学生になり、一人暮らしを始めた私は、彼女をつくることにしました。
「大学生にもなって一度も異性と付き合ってないのはヤバい」と、同じゼミの友達に教わったからです。言われてみると、大学キャンパス内には男女のペアがたくさんいます。まるで盛りのついた猿です。必死に異性に良く見られようとしている姿は滑稽に見えました。
でも、それが普通なら、私もそうするしかありません。
初めての彼女は、案外簡単にできました。
バイト先の先輩です。瞳の奥に見える漆黒が印象的な人でした。
夏でも絶対に長袖のシャツを着ている人でした。猫を飼っているらしく、左手首には赤いひっかき傷が何本も入っているので、それを隠すためだそうです。
当時私は19歳で、彼女は24歳でした。
入りたてだった私の指導係となった彼女は、面倒見の良い人でした。なぜか周りのアルバイトからは距離を置かれていましたが、私にはとても良くしてくれました。
よくシフトが同じ時間帯になるので、終わってから一緒に食事に行きました。彼女が私の家に料理を作りに来てくれたこともあります。誘うのはいつも彼女の方からでした。
付き合うようになったきっかけは、彼女の電話です。
私がゼミの旅行で一週間ほど遠くの地へ行っていたとき、彼女から毎日電話が掛かってきました。電話越しの彼女の声は、いつも涙で震えていました。
「早く帰って来て。今日、元カレが私の家に押し入って来て、暴力振るわれた」
そんなことばかり言われました。
私はゼミの旅行から一人だけ早めに帰還して、彼女に会いに行きました。
そして、付き合うことになりました。
ちなみに彼女の手首の傷は、私がいない間に増えていました。彼女は「あなたがいない間に猫と遊びすぎた」と笑っていました。
友達が「初体験を済ませてしまえ」と言うので、彼女に頼んでみました。彼女は私のお願いを快く受け入れてくれました。ですがその行為は決して気持ちのいいものではなく、なぜ人々がそれに夢中になるのか分かりませんでした。
私の成人式に、彼女も付いてきました。
本当は、友達に「地元も歳も違うのに、普通は一緒に行かないだろ」と言われたので連れて行きたくありませんでしたが、彼女が「またあなたが留守の間に元カレに暴力を振るわれるのが怖い」と言うので、放っておけませんでした。
成人式では、すでに結婚して子供もいるペアが複数いました。私はおめでたいことだと思いました。
ですが周りの人は、その人たちのことを怪訝な目で見ていました。
「遊んでて出来ちゃっただけでしょ」、「そんなに早く子供を産んで、養えるのかしら。まだ大学生なのに」、「子供が可哀想」
聞こえてきたのは、そんな声ばかり。
子供ができることはおめでたいことのはずなのに、どうやら成人までに子供がいることは普通ではないらしいです。
子供をつくるのは、卒業して働き始めてからの方がいい。成人式で、私はそれを学びました。
だが数日後、私は彼女に告げられました。
「最近生理が来ない」
その意味を尋ねると、「妊娠したかもしれない」と言われました。
検査薬を買って調べたら、陽性でした。
私は焦りました。子供が出来るのは、卒業して子供が出来てからでないといけないのに。なぜならそれが普通だから。
私は彼女に「普通は、こういうときは下ろした方がいいと思う」と言いました。
しかし彼女は聞く耳を持ちません。
「あなたが卒業したら、結婚したいって思ってたのに」
そして、涙ながらに手首を切りました。
「子供産ませてくれなきゃ死ぬから」
私はこのとき、ようやく、この女が普通ではないということに気付きました。
このままでは、私まで普通ではなくなってしまう。
親には迷惑をかけてしまい、周りからは軽蔑されてしまう。
私はずいぶん焦りました。
ですが、結果的に私の心配は杞憂に終わりました。
彼女が流産したのです。
「ごめんね。ごめんね。ごめんね」
彼女は取り憑かれたように泣きながら、誰かに対して謝っていました。何に謝っていたのかは分かりません。
私は内心ほっとしていました。
これで普通に戻れる、と。
目的を果たした以上、精神的に問題がある彼女と一緒にいる義理はもうありません。
私は彼女に別れを切り出しました。
しかし彼女は首を縦に振りません。
嫌だ、嫌だ、とごねられた末、最終的に私の卒業を理由に別れました。
就職を機に、私は遠くの地で住み始めました。
そうです。今、君が住んでいる町です。
君へのアドバイスとして書いておきます。
社会で求められるのは、普通であることです。
面接で個性を聞かれますが、実際に大切なことは個性ではありません。無害であることです。
無遅刻無欠勤。残業も厭わず会社に尽くす。それが普通というものだと、上司から教わりました。
それが出来れば、周囲の人間からの信頼を得るのは容易いです。実際、普通を売りにした私はいくつもの会社に内定をもらいましたし、就職した会社の上司は私のことを大変信頼してくれていました。
学校でも同じことです。とにかく周りと同じ行動をとっていれば、ある程度のことは叶えられます。
話が逸れてしまいました。再び私の生い立ちについて書かせてもらいます。
ここからの話は、君にも関係のあるものです。
社会人になった私は、普通の生活をするために再び子供をつくる必要がありました。
普通で無害な私は誰からも好かれていたので、選択肢は多くありました。
その中で私が選んだのは、会社の同僚です。面倒見の良い人で、特に私には良くしてくれました。
彼女は職場の中で特に目立つ存在ではありませんでした。よく喋るわけでも、無口なわけでもなく、太っても痩せてもいない、全てが平均的な女性でした。
食事に誘ってくれることも何度かあったので、一緒に行きました。彼女は「誘ったのは私だから、私が払うよ」と言いましたが、全て私が奢りました。男なら、女性に食事を奢ることが普通だからです。
やがて私は、その女性と結婚するに至りました。
そうです。その女性とは、君の母親のことです。
結婚した途端、私はこれまでの人生で受けたことがないほどの祝福を受けました。
「よく出来たお嫁さんをもらって、お前は幸せ者だ」
職場の同僚には、そのように言われました。
両親に結婚することを告げると、泣いて喜んでくれました。
「あなたが幸せになってよかった」
喜んでくれている両親の顔を見たとき、私は初めて、自分が親孝行できたと思いました。
ですが、正直なところ、彼女のことを好きだとか、愛しているだとか、そういう気持ちになることはありませんでした。その感覚が、私にはよく分からなかったのです。
愛が、分かりませんでした。
あくまで、彼女と結婚したのは、私が普通でいるための義務でした。
結婚という形が伴えば、心の中にそのような気持ちが芽生えるのではないかと期待していました。が、芽は出ませんでした。
だとしたら、周りの人たちは皆、幸せや愛というものを知らないのに知ったようなふりをして生きているだけなのではないか、そう考えました。だって、周りと同じように、普通に生きてきた私だけが、それらを知らないなんておかしいではありませんか。
周りの人間が私を幸せ者だと言っている最中、渦中にいるはずの私は不安を感じていました。
そこで後日、会話の中でそれとなく、両親にそのことを話してみました。ですが、期待していたような共感は得られませんでした。
この前の幸せそうな顔とは打って変わって、残念そうな顔で「何を言っているのか分からない」と言われました。両親を悲しませたくないので、私はもうその話をしないようにしました。
このとき初めて私は、自分が普通ではないのかもしれないと思うようになったのです。
ですが私は、その生き方を続けるしかありませんでした。
普通に生きるために、次はきちんと子供を作りました。
生まれてきた君は、私の期待に応えてくれるはずの存在でした。
周りの人たちは、私が思った通りの反応を見せました。
「よく出来たお嫁さんをもらって、可愛い子供もいて、ますますお前は幸せだ」
ですが、私と周りの人々との温度差は広がるばかり。
私は君が生まれてから気付いたのです。
そもそも自分には、何かを感じる心が無いのだと。
普通かどうか──それでしか、私は物事を考えることが出来なくなってしまっていたのです。しかし、普通を求めれば求めるほど、なぜか普通から遠ざかっていく気がしました。
思えば、いつも孤独を感じていたような気がします。できるだけ周りの人とズレないように、外れないように生きてきましたが、いつも私は、自分だけがどこか周りの人たちと違うと思っていました。
普通を目指した私に欠けている最後のピースは、愛だと思いました。
普通のままでは、私は愛を感じることができない。
だから今度は、自分が普通でなくなる方法を考えるようになりました。だけれども、そもそも何をしたらいいのかが分かりません。大人になった私が、今さら生き方を変えるのは難しいことでした。
そんなとき、事件が起きました。
その日、私はある人物に呼び出されました。
大学生のときに付き合っていた、元カノです。あの、手首に傷のある女です。
呼び出されたのは、彼女の家でした。もう別れてから何年も経っていましたが、何度も通った場所なので忘れたことはありません。
何か、ある。
それは分かっていましたが、私は妻に内緒で彼女の家に行きました。
私は結婚していて、子供もいる。おまけに、今から会おうとしている相手は、普通ではない訳ありの女。
普通は行かないでしょう。
だから私は行ったのです。自分が普通じゃなくなるために。
女の部屋は、まさに魔境でした。昼なのにカーテンが閉まっていて薄暗く、食べ残したカップラーメンやスナック菓子の袋が床中に散乱していて、鼻の奥を針で刺されているような悪臭が漂っていました。
「もう一回、私たち、やり直さない?」
部屋に入って座りもしないうちに、彼女は言いました。
「あなたと別れてから、私の生活はめちゃくちゃ。責任取ってよ」
私が目を背けた先は部屋の隅で、そこには薬の山がありました。得体の知れない白い粉の上に、錠剤が散らばっています。
彼女は突然号泣し始めました。
「あなた無しじゃ生きていけないの」
「私には、妻がいて子供もいる」
このとき嘘をついて彼女と浮気をしていれば、今頃はいくらかマシな生活ができていたかもしれません。
しかし咄嗟に私の口から出たのは、その一言でした。
「あなたと一緒にいられないなら、私──」
彼女はキッチンへ行き、包丁を持って再び私の前に現れました。
そのときの彼女の、抜け殻のような表情を、私は一生忘れられないでしょう。
自分はここで死ぬんだ──本能でそう思いました。
生まれて初めて味わう恐怖。だけどそれ以上に、これから起こる事への期待感に、私の胸は躍っていました。
こんな状況、普通じゃない。
私は極度の興奮状態に陥っていました。体中の血が沸騰しているのと同時に、頭は冷静で、何もかもが自分の考えた通りになるような感覚です。目の前の彼女が、まるで私のための演技をしている役者のように見えました。
彼女と対峙しながら、私は自分が普通じゃなくなる方法について思考を巡らせていました。
痴話喧嘩の末に女に刺されて死ぬ。それもよかったかもしれません。
でも、それだと少しオチが弱いような気がしました。
だから私は、決めました。
自分が犯罪者になることを。
彼女から包丁を奪う方法を、私は本能で分かっていました。彼女が包丁を構えて突撃してきたところに、上から手刀を一閃。床に転がり落ちた包丁を素早く拾い上げました。
「やめ──」
倒れながらも生を懇願する彼女の胸に、私は思いきり包丁を刺しました。
血を吐いた彼女は、その小さな身体に残された最後の力を使って、私の腕を掴みます。生物としての本能を解放した、でたらめな力。だけど、そんな力に私が負けるはずがないということは、初めから分かっていました。
その力が抜けるまで、私は繰り返し、包丁で彼女の胸や背中を刺しました。
何度も。
気付いたら警察に取り押さえられていました。
駆けつけた隣人によって、通報されたようです。
長くなってしまいましたが、こうして私は今、刑務所にいます。
刑務所の中から、こうして手紙を書いている次第です。
ではなぜ、私がこのような手紙を書くに至ったのか。
次はそれを説明させてください。
大丈夫です、伝えたいことは短くシンプルにした方が伝わると思うので、長くは書きません。
それは、私が、君への愛に気付いたからです。
警察に連行されているとき、私はずっと、君の将来のことを考えていました。
妻は、女手一つで君を育てることができるだろうか。お金は足りるだろうか。愛を感じられる子に育ってくれるだろうか。
それらのことを考えたとき、私は初めて本物の恐怖を感じました。包丁を持った人間と対峙するより何倍も強い恐怖です。自分が犯した過ちを自覚しました。
それと同時に思ったのです。これが、人を想うということ。これが愛なのだと。
もっと早く気付いていれば、こんなことにはならなかった。
でも、今さら気付いたところでもう遅い。はじめから、普通なんてものを求めず、自分の心のままに生きていればよかったと、今は後悔しています。
だから、どうか君は、普通という虚構に惑わされないように、君自身の幸せのために生きてください。
君の幸せを、私は心から願っております。
敬具
・
わたしは、その手紙を破って、ゴミ箱に捨てた。
小さい頃からずっとママと二人で暮らしている私にとっては、いきなり現れた父という存在は他人以外の何者でもない。
そんな人の殺人話を聞かされるのは、正直とても気持ちが悪い。
自分がこの人から生まれたんだという証明を、残しておきたくなかった。だから、手紙をぐちゃぐちゃに破いた。
その時、キッチンからママの声が聞こえた。
「ご飯できたよ」
「はーい!」
手紙には幸せがどうとか書かれてたけど、わたしはママの愛情たっぷりなご飯を、ママと二人で食べてる時が、一番の幸せなの。
その幸せは、誰にも邪魔させはしない。
たとえ、本当の父であっても。
そういえば、手紙の最後にまだ何か書かれてたような気がするけど、もういいや。破っちゃったし。ママの料理が冷めちゃう。
私はソファーから立ち、ママの出来立てご飯が並ぶダイニングテーブルへと向かった。
その時、インターホンが鳴った。
・
追伸
あなたがこの手紙を読み、意味を理解できるくらいの年齢になった頃、私は刑期を終え、そちらに戻る予定です。
成長した君に会えるのが、今からとても楽しみです。
手紙~親愛なる君へ~ 石花うめ @umimei_over
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます