Graduate first ⑯
兄さんの彼女と同じ下の名前。夏樹先輩の云いにくそうにした素振り。自殺するほど追いつめられていた理由を、ぼくは知っている。──間違いない、兄さんの彼女だ。彼女が自殺してしまったんだ。
……じゃあ、昨日の晩の、あの救急車のサイレンの音は? あれが、もしかしたら、病院へ搬送されたのを
思い
……どちらにしろ、彼女は死んだんだ。兄さんが心配だ。早く家に帰りたい。けど、父さんも帰ってくるあの家に帰りたくない。──そうは思っても、兄さんへの心配のほうがはるかに上回る。(もしかしなくても、暴れて父さんを殴り殺しかねない)
ぼくは肩かけかばんの蓋をめくって、ノートと筆箱を引っぱり出した。ノートの一番うしろのページを乱暴にやぶり、自分の名前と家の電話番号を書き
「涼、顔色悪いよ……ひょっとして、自殺した三年の先輩と知り合いだったの?」植田が心配してぼくの顔を覗きこんできてるけど、無視した。やぶったノートを、ぼく連絡先を記した分だけをまたやぶり、切れ端を夏樹先輩の手へ押しこむ。
「ぼくの連絡先。こっちに夏樹先輩の番号書いて」強引に、ノートを下敷きにしたページの切れ端と、シャーペンを渡す。夏樹先輩が走り書きを始めたのを見てから、植田と渡辺に目を向けた。
「知り合いじゃないけど、たぶん……ううん、十中八九、兄さんがつき合ってた彼女だと思う……下の名前が同じだから」
ぼくの告白を聞いた植田と渡辺が、驚愕をにじませた目でお互いを見合った。
連絡先を書き終えた夏樹先輩が、ぼくにノートごと渡しながら、訊きずらそうにうかがってきた。「……
「ぜんぜん大丈夫じゃない」ぼくは即答した。「昨日の夜、始めて色々聞かされた。彼女がいる事も、昨日はじめて知ったし……昨日の時点で、かなりまいってた。こんな事になったら、兄さんがどうするかわからない。早く帰らないと」
云いながら、連絡先ごとノートを肩かけかばんに突っこむ。ぼくは歩き出そうと、足の向きを変えたところで、夏樹先輩から腕をつかまれた。「みんなで一緒に帰ろう。そう云われただろう? 先生から」
…*…
助かった事に、家までの道のりで、だいたいの事態を夏樹先輩が植田と渡辺に話してくれた。
ぼくが聞くかぎり、初耳だったのはこれまでの
言い分はどれも、意地の張り合いからうまれたようにしか聞こえない。……くだらない
兄さんは彼女が……もとい、父さんがきっかけで参加の道のりを選んだ。……ぼくはなにがなんでも、絶対にこの道には進まないからな。だって、人生終わるもん。
そっちの道に足を踏み入れた人の末路を、ぼくらはもうすでに知っている。右翼か左翼か、暴力団か。なんにせよ、まともな就職先ではないから、ぼくは自分が自立するための最善をとるね。
……それにしても兄さんが心配だ。踏み外した道先で〝
ひとしきり状況を知った植田と渡辺が、明日の約束をこぎつけてきた。気づけば、ぼくの家の前でたむろしてる形をとっている。
「明日の朝、先に植田と合流してから鳥海のインターホン鳴らすから、一緒に登校しよう」気が気でない渡辺は弱腰だ。ゴールキーパー担当なのに。
「これからはなるべくまとまって行動しないとね」植田が釘を刺してきた。
「植田の家には、オレがチャイムをならす。……一番の早起きになりそうだなあ」夏樹先輩は真面目に口添えたけど、植田は顔を曇らせた。
「先輩、ひょっとして、同学年に友達いないんですかあ? 今日だって一緒に下校してきてるし……」
植田の塩対応に、夏樹先輩が目を丸くして、口笛を吹く素振りで空へ視線を泳がせた。……夏樹先輩、友達いないんだ。
……そういえば、昨日、兄さんもチラリと云ってきたっけ。〝アイツ、イライラする〟って。そっか、友達いないんだ……ぼくはそこまでイラつく人だとは思えないけど。
植田が、これ見よがしに盛大なため息をついて、降参した。「わかりましたよ、じゃあ、明日の朝、七時四十五分までにピンポン鳴らしてくださいね? それより遅かったら、ぼく先に家出てますからね?」
「七時四十五分ね、OK」夏樹先輩が嬉しそうに笑った。ほんとに友達いないんだ……可哀想。
ぼくは自分の家を見上げた。二階の兄さんの部屋の窓を見つめたけど、カーテンは動かないし、居留守を決めこんでる人の気配もない。それが返って怖く感じる。嵐が過ぎ去ったあとの、家の玄関のドアを開けたら、花瓶やら食器が割れ散らかってたらどうしよう……(そうだったら、土足であがっていいのかな?)。
家の中を見られたくないから、三人にはこの流れのまま帰ってもらおう。
ぼくはありったけの苦笑をうかべて、込み入った事情をアピールした。「じゃあ、ぼくは兄さんが心配だから、このままお先にさせてもらうね……三人とも気をつけて帰ってね!」
空気を読んだ三人がわかれの挨拶と手を振って、帰路に歩く後ろ姿を見届けてから、ぼくは玄関に続くステップ階段を昇り、ドアを引き開けた。──もしかしたら鍵がかけられて、ドアが開かないかも、なんて懸念したけど、どうという事もなく普段どおり不用心にドアはすんなり開いた。
一見する玄関まわりも、いつもどおり。なんの乱れも無い。
ぼくはホッと胸を撫でおろし、帰宅を告げる挨拶
「ただいまー」
エプロン姿の母さんが出迎えてくれる。「お帰りなさ~い。どうしたの? 今日は早いのね?やっぱり体調良くないんでしょう?」
「違うよ、部活が中止になったの」心配性の当てずっぽうをかわし、かばんの中をまさぐり手紙を手にしたところで、はたりと思い直し、口で説明する事にした。
いつものクセで母さんに手紙を渡すとこだったけど、今回ばかしは父さんに見せないと。ちゃんと現実をつきつけてやる。
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