Graduate first ⑬


 翌朝、兄さんは部屋に引きこもりっぱなしで、朝食に顔を出さなかった。


母さんが部屋をノックしたけど、ドアを開けてもらえず、力ない声だけが返ってきたらしい。


和也かずやが『食欲ない』なんて、珍しいこと云うもんだから『熱を計って』ってお願いしたら『必要ない』って突き放すように云われちゃった。あの子、大丈夫なのかしらね?」


なにも知らない母さんは首をひねるばかりだ。


 父さんは耳で朝のニュースと共に母さんの話しを聞きながら、目では朝刊新聞の文字を追って、新聞のページを音を立ててめくるると、口先だけをあげてきた。


「色々と、思うところがある年頃としごろなんだろう。たまにはそっとしといてやるのも、良い気晴らしになるかもな」


 兄さんの云っている事が本当で、すべてを知っておきながら、このセリフが口から出ているようなら、この人はモンスターかもしれない。


自分がしてきた事で、被害者が出ているんだぞ? それも女の子。

しかも輪姦まわされたって……。


兄さんの彼女は、取り返しのつかない心の傷を背負わされただけじゃない。


味わったのは、──夜、見知らぬ人間けだものから集団で取り囲まれ、降りそそがれる暴力の恐怖。


尊厳を容赦なくうばわれ、甚振いたぶられる恥辱ちじょくと恐怖。


その場に、ゴミのようにひとり打ち捨て置かれる絶望。──ざされた、兄さんとの甘い夢。

……奪われた、自分の明るいはずだった未来。


平和だったはずの日常が、一変いっぺんして恐怖の日々になる。……きっと外に出ても、男を見かけるたびに戦慄せんりつが走るはず。


 ここまで考えたら、ぼくの食欲も簡単にうせた。

フルーツサラダをすくっていたスプーンを置いて、ハチミツがかけられたトーストの皿を奥へ押しやる。……ため息しかでない。


「あれ? 涼も食欲ないの? ……やっぱり風邪が流行っているのかしらね? 心配だから熱はかってくれる?」


母さんの、ぼくに対する心配性はいまだに時々顔を出す。


 ぼくはかぶりをふった。

「風邪じゃないけど、食欲は無いね」云いきって、父さんに目をやった。


父さんが、ようやく新聞から顔をあげて、ぼくと目を合わせたけど、それもつかだった。父さんはぼくの目の色を見て、なにかを感じとったらしい。


目を泳がせるようにらし、内面空虚な面持おももちで、ニュースが流れるテレビを視界にいれる。


父さんのこの行動が、すべての決定打けっていだに思えて、ぼくは椅子の音をたてて立ちあがった。父さんをうたがわしくにらむ。


 だけど父さんは顔を合わそうとしてこない。昨日、兄さんにしたのと同じように、ぼくにもそっけない態度をするつもりなんだ。


どこまでその態度が通用すると思ってるんだよ。

いずれちゃんと話してもらうからな……! それも早いうちに。


 母さんが、エプロンを握りしめてみだした。「涼、朝から怒ってるみたいだけど、どうしたの? なにがあったの? 大丈夫じゃなさそうだから、ちゃんと話して」


「母さんのそのセリフ、そっくりそのまま父さんに投げるといいよ。……後ろめたい隠し事があるようだから」


ぼくはにおわせる言葉を残して、白い肩かけかばんを持ち上げ、リビングをあとにした。母さんはハラハラした様子で、ぼくと父さんを交互に見比べてる。


……まずは夫婦で話し合ったほうがいい。

おなじで、しかも妻でもある母さんの顔を見ながら、一体どんなふうに話しを切り出すのか知らないけど──そうだ。兄さんの云うとおり、父さんはつぐないをしなきゃならない。


…*…


 登校する足取りは、気分と同じで重い。

 植田や同級生に、なんて警告したらいいんだろう? 兄さんや彼女の身に起こった事をふせながら、差し迫った注意を呼びかけるなんて、至難しなんわざだぞ。


ヘタにはぐらかしても胡散臭いし、言及げんきゅうされかねない

──起こった真実を云ってしまったら、兄さんと……彼女の名誉が地獄に堕ちる。もうすでにズタボロにされているのに、追い打ちをかけてしまう……修復不可能なほどに──そう思うと、兄さんの判断は正しかったのかも──。


かといって事実をふせ、ぼかして伝えたところで説得力もない。


 悩みあぐねて、ため息の数ばかりが多くなる。


 校門まで二十メートルの目安になっている会瀬橋あいのせばしにさしかかったことろで、聞き慣れた声に呼ばれた。


「おっはよう! 涼! なんだよ朝から暗い顔しちゃってさ!」植田が元気よく、ぼくの肩に腕をまわしながら絡んできた。「昨日の夏樹先輩の話しじゃあ、朝の登校中は大丈夫だと思うよ? だってほら──」植田はもう片方の手で指さした。

「校門のところに先生が二人、毎日立ってるじゃん、遅刻対策で。だから登校中に〝焼き〟をいれられるのは、まず無いだろう?」


 屈託くったくなく笑う植田が心底うらやましい。──ほんとに、昨日の話しより事態が大きくなっているのを、どう伝えたらいいんだ?


 ぼくの歩く歩調がさらに重くなり、腕をまわしている植田がペースを乱され、つんのめった。


「──あっぶな! なんだよ、涼、ほんとに大丈夫かあ? 心配しすぎなんじゃねぇの?」


「そうかもしれないけど……でも」云いかけても、言葉があとをついて出てこない。


「鳥海! 植田! おはよう!」べつの知った声が挨拶をなげてくる。同じサッカー部の渡辺だ。


「おはよ!」植田は元気よく挨拶を返し、

「……はよ~」ぼくは消沈な返しをする。


 ふたりが昨日のテレビアニメ、神龍シェンロンの話しに花を咲かせたのをいい事に、ぼくは聞き役専門にまわった。


…*…


 のらりくらりと過ごしているうちに、サイアクな急告きゅうこくが状況を激変げきへんさせた。──騒がしい時間の昼休み、一人のクラスメイトがひときわ大きな声をあげる。


「ウソでしょう! 自殺っ? ──なんで!」


 心臓に悪い〝自殺〟っていうワードに息をとめて、大声を出した女子を見てみれば、そのは目をむいて、急告をげてきたであろう相手の女子友達に身を乗り出していた。


 ゴシップが大好きな、いつもの女子の噂話なんかじゃないって事は、声色こわいろ血相けっそうから見てとれる。


 べつのクラスから遊びに来た渡辺をまじえて、植田とお喋りしていたぼくらは、その口を止めて大声のぬしに注目した。


ぼくらだけじゃない。クラス中がシンと静まり返ってる。


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