Graduate first ⑩


 訊かれて、実際ぼくは自分の頭がこんがらがっているのを自覚した。……最初に兄さんが云った言葉が頭の中で反復してる。


──〝考えが甘い〟。


そのとおりだった。ぼくはいつまでたっても世間知らずなままじゃないか。


 けど悲観するのとは裏腹に、ぼくの脳は同時進行で勝手にフル回転している。

情報を自動的に整理して、兄さんが云った言葉のピースを脳が拾い上げた。



 〝市議会議員〟……あのうるさい鶯嬢うぐいすじょうの甲高い声。


 〝暴力団ヤクザ〟……〈厄介な戦後の名残り、右翼〉と肩を並べる存在。


 〝暴走族〟……ジュニアだ。わめきちらすのを生業なりわいとする後釜あとがま


 どれも耳にした事のある言葉の羅列られつ

言葉の共通点がひもづけされ、末端まったんに浮かんだのは紫穂の顔。


──紫穂が小学校の鉄棒で、愚痴っていたその内容。あの会話がよみがえる。その直後の自殺騒動までもがまざまざと甦ってきたところで、ぼくは思考を停止させた。


 考えたくない。おもい出したくない。ぼくの記憶を消す選択をした、あの瞬間だけは。


……心がつぶれる。


 ぼくは目をギュッと閉じて、頭をブンブンと振った。


 いま必要なのは紫穂の知恵だ。

(……紫穂は、大袈裟なんかじゃなかった)

紫穂なら、どう考えて行動する?

(紫穂は正しかった──)

紫穂は、芋づる式が得意だったよな。

(記憶を消さなきゃ生き続けられないなんて──あの家族がにくい)──待って! ダメだ、集中しろ! 芋づる式なら、どこから手をつければいい?


……あ! 兄さんの彼女は被害者だ! だから加害者を引っぱってくればいい。兄さんもそれを望んでる。


(この件が片付かないまま紫穂が来年中学にあがってきたら? …──ぞっとした。紫穂が、噛みつかないわけがない。……そしたら紫穂はどうなる?)


 兄さんが云うように、このしき世代せだいならわしは、今年中にかたをつけよう。いそがなきゃ。


 ぼくが目をあけて顔を上げると、うつろな眼差まなざしの兄さんと目が合った。兄さんのためにも、なんとかしなきゃ。


 ぼくが口をあけようと息を吸い上げた時、兄さんのほうが早く声をあげた。


「今になって、やっと色んなものが見えるようになったんだよ。八鳥の妹……紫穂って名前だったよな? アレがやろうとしていたのとか、今ならよーくわかる」兄さんは話しを一旦くぎると、おもむろに自分の胸をドンドン殴り、うなだれた。「ここが痛いほどね。認めるよ……アイツは正しかった。


……こっちの世界に片足かたあし突っ込んでみてわかったよ、色々とな。……あのな、涼、この件には父さんも関係してる」


「──は? 父さんが? ど、どうして父さんが関係してるなんて、思えるんだよ!」突拍子とっぴょうしもない意見にはじかれて、一瞬ぼくの思考が停止した。


どうして今、父さんが出てくるんだよ。保護者は関係の無い学校の話しだろう?


 訊き返された兄さんが、言葉を探しているのか、しばらく黙りこくった。けっぱなしの窓から、外の騒音が遠くから聞こえてくる。


サイレンの音と、噂の暴走族のコールの音。……イラつく音だ。


 兄さんがまたタバコに手を出した。これで三本目だ。流れ作業で火をけ、煙を吐き出すついでに喋る。だんだんパターンがつかめてきたぞ。


「〝正当な理由〟で説明つかない事がいくつもあるんだよ」兄さんは煙を吐きながら、タバコを持つ手でぼくを指示さししめした「──涼、おまえは悪くないからな、先に云っておく。そのうえでだ……


おまえの膨大な医療費は、どこから捻出ねんしゅつされたんだろうな? それと、次から次へと買う新しい家。最新のゲーム機。


弁護士とはいえ、所詮しょせんは〝一介いっかいの弁護士〟にすぎない。なのにこうまで羽振はぶりがいいと、怪しいだけじゃすまされないんだよ。


どう考えても裏があって、繋がってるだろう、ヤクザや議員達と。それで御礼金を多くもらってる。


どこのくみぎつけたのか知らないけど、それでウチが狙われてる。まずはから始末しようって。──で、まず最初に、オレとつき合っている香澄が巻き込まれた。次はオレかな?


 そうやって、周りの人間からズタズタに神経けずり取って、疲弊ひへいさせるだけさせて、なんなら社会的に殺したりして、んで遠ざけさせるのがヤツらの常套手段じょうとうしゅだんなんだとよ」


 兄さんはまたタバコに吸いついた。

煙を吐くまでの所作しょさを、ぼくはぼんやり見ているだけだった。


 父さんも繫がりがあったの……? なにも知らなかった。……言葉が、出てこない。思考がおぼつかない。


「え……っと、兄さんは、父さんをどうする気なの?」


 兄さんが鼻で笑って、煙をさけるように目を細めた。「報復ほうふくはしないよ。でもつぐないはしてもらう。せっかく弁護士やってる父親なんだから、使わない手はない」


「父さんを、脅迫するの?」気づけば、ぼくは両の手をげんこつに握っていた。


「聞こえが悪いこと云うなよ……協力してもらうんだよ」


 窓から、またサイレンの音が聞こえてきた。今度の音はかなり近くから。救急車のサイレンの音だ。ぼく達の家の前の道路を通ってる。どんどん音が大きくなる。


耳をふさぎたくなるほどの大きな音は、いそいでいるからか、あっというまに走り去って行く。


 普通の声の音量で会話ができる気配になるのを待ってから、ぼくは口火を切った。


「協力してもらうのは、彼女の香澄さんの事件で?」


 兄さんはタバコをめいっぱい吸ってから、煙を吐き出した。灰皿にタバコを念入りに押しつけるのに、身を乗り出す。


「んなわけねえだろうが! 話しちゃんと聞いてたのかよ? 香澄はそっとしとく。事件にしない。父さんは、もしもの時の、オレらの尻ぬぐいだよ。これからやる──ああ、いや、いい。涼は知らないままでいい、忘れてくれ。……それよりも」


 兄さんはいわくありげに、ベッドに座る居すまいをなおした。


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