Graduate first ⑧


…*…


 夕食をすませてすぐ、とっとと自室へ引っ込んでしまう兄さんを、やぶからぼうに呼び止めた。


「ちょっと話しというか、相談があるんだけど……兄さんの部屋に行っていいかな?」


 進級するやいなや、あからさまに家族をけ、口をほとんど利かなくなり、部屋も立ち入り禁止になりつつあるのは、兄さんの無言のあつと〝髪の警告色、赤色〟で承知している。


だからいちいち丁重ていちょうに確認しなきゃならない。部屋に入っていいのか、どうか。


 ったく、面倒くさいよな、思春期って。

……兄さんの場合は、反抗期っていうのかな?


 兄さんはズボンのポケットに両手を突っ込むと、リビングをチラリと盗み見た。

ソファでくつろぎながらテレビを観ている父さんを気にしているんだ。


 父さんも父さんで、兄さんを気にしているくせに、テレビに視線を固定して、気にしないフリをしてる。きっと、どう取り扱ったらいいのか、わからないんだろうな……近頃はあたりさわりのない会話を心がけているし。


変に地雷を踏んだら、バットを振り回しかねない気迫を、兄さんははなっている。ぼくとしては、毎日どうしてそこまで不機嫌に仕上がるのかが理解できない。


なにが不満だっていうの? こんなに恵まれた環境なのに。……ここまで考えて、ついクセで、紫穂の顔がチラリと脳裏をよぎったけど、映像その痕跡はたどらないようにした。


どうにも胸が苦しくなるから。


 父さんから声も視線も投げられないと見てとった兄さんは、目を細めた。

そしてイヤそうにぼくの目を見る。


「いいよ、部屋に行こう」不貞腐ふてくされて唇を突き出してる。


 兄さんは、たぶん父さんに心配してほしいんだろうな。……子供の頃、ぼくに手がかかり過ぎたせいで、父さんも母さんも、あまり兄さんをかまっていられなかった。

だから反抗期これは反動なのかもしれない。


 ぼくはうつむいて兄さんのあとに着いて行った。


 兄さんの部屋は、ぱっと見、あまり変化は無いけど、明確な違いはにおいとして室内をただよっている。匂いの原因も、ガラステーブルに置かれた灰皿が物語っている。


いつからタバコを吸いだしたのかわからないけど、最近になってからなのは確かだ。だってついこのあいだまでは、タバコ臭くなかったもん。


 ぼくが部屋のドアを閉めると、兄さんはまるで流れ作業のようにこなれた仕草で窓を開け、ベッドへ沈むように座ると、タバコに火をつけた。


 赤く染めたばかりの髪をかきあげて、口から煙を吐く。「──あらかたの予想はついてるけど、話しってなに?」


 ぼくはタバコに目をやった。「ぼく達が作ったサッカー部、あるでしょう? 今日さ、先輩に忠告されたんだよ。目をつけられてるから、気をつけたほうがいいって」


 兄さんは二口目のタバコを吸いこんだ。

煙を吐き出す口からは、待っていても声は出てきそうもない。しかたなく話しを続けた。


「……ほんとにをいれる、なんて事するの? 都市伝説とかじゃなくて?」


 兄さんが笑って、灰皿に灰を落とした。「その辺のところは、心配しなくていいよ。今日、その事について話しはつけといたから。涼がシバかれる事はない……他のサッカー部員も、まあ大丈夫だろうな。オレ、結構キツメに念押しといたから」


 ぼくは顔をしかめた。なんだかイヤな予感しかしない。

……裏で、弟に手を出すなとか云って、おどしたんじゃないだろうなあ?


もし云う事きかずに、うらみが倍増した報復ほうふくが用意されたら、ぼくはどうしたらいいんだよ。


「念押しって、どういう事?」


 ぼくが問いただすと、今度は兄さんが顔をしかめさせた。「あのなあ、おまえ、考えが甘いんだよ。そんなんじゃ生き残れないぜ? 中学は小学校とまるで違う世界なんだよ。


先回りしたり、情報がまわってきたらすぐに動かないと、痛い目にうぞ? 


姫中はみなみ中とあが中と仲良くして〝協定〟を結んでるけど、他の中学は違う。──だ。


 ぬま中とはら中が手を組んで、姫中つぶす気満々でさ、隙あらばバチバチやってるよ。──わかるか? 姫中だけの、小さな世界の話しをしてるんじゃないんだよ、オレは。


ヘタすると、姫中が好き勝手に蹂躙じゅうりんされちまうの。そしたらおまえら安心してそと出歩けなくなるぞ? 塾とか行ってるヤツいるだろう? そういうのがターゲットにされて、夜の帰り道にボコられんだよ。集団リンチってやつ」


兄さんは顔を渋めて三口目のタバコをたっぷり吸い込んで、ため息をつくように、長ったらしく煙をはいた。


「……オレの女が、輪姦まわされたんだよ。塾の帰りに。それで今、かなりピリついてる。暴走族やってる連中が、バックに暴力団ヤクザひっぱりだしてきたりさ、話しがどんどん大きくなってる。


もう身内みうちだけでいざこざ起こしてる場合じゃねえっつーのに、二年はわかってねえよなあ。

地元じもとで安全にすごせるのは、オレらが縄張り守ってるからだっていうのに。


……だから、まあキツメに云ったよ──いや、殴ったかな。ちょっとだけな? ……蹴りもいれたかもなぁ。オレ、女の事でイラついてるから、キレるとあんまおぼえてないんだ」


 兄さんは最後の一口を吸うと、灰皿にタバコを押しつけた。


 えっと……兄さんが、なんの話しをしているのか、よくわからない。

整理が追いつかない。


 ──え、なに?


……。「……えっと、兄さんって、彼女いたの?」


アホな事に、ぼくはとんでもない話しを蒸し返してしまった。その自覚はある。でも訊かずにはいられない。だって、それが引き金になって、兄さんは変わってしまったんだろう?


 ……ぼくは、勘違いをしていたんだ。しかも、いくつも。

兄さんは、好きで道を踏み外したんじゃない。ぼくのせいでもない。突き飛ばされたんだ。外道げどうなヤツらに。


「おまえ、三年五組の土屋と仲良くしてるよな? アイツから、そこんところの話しは出てこないの?」


兄さんはどこかうわの空で、またタバコをくわえた。それから流れ作業で火をつける。煙のわばを吐き出しながら、やるせなさのため息も混ぜてる。


「土屋って、肝心なところにうとかったりするよな? 一緒にいて、イラつかねえの? まあ、オレには関係ねえけどさ」


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