Graduate first ⑥


 植田からの問いかけに、手前のデスクに座っていた女性教師が立ちあがった。

若い先生だ。たぶんまだ二十代。先生なのに、背中まで伸びた長い髪を薄茶色に染めている。


ぼくは首をかしげた。

……いいのかな? 先生なのに髪を染めているなんて。

他の先生にどやされたりしなのかな? それとも、姫中自体がそこんところに寛容かんようなのだろか。


だから生徒もわりと好き放題にしてるとか?

……すべては〝自己責任〟。そうしめくくってしまえば、確かにおのずと自立心だとか、自主行動がはぐくまれるかも。


「大熊先生はね、あそこ」女性教師が笑顔で職員室の奥を指さす。それから、大声をあげた。「大熊せんせーっ! 一年生の生徒がどっと押し寄せて来てますよー! 人気にんきですね!」


 なんでこの女性教師はこんなにテンションが高いんだよ。

なにかいい事でもあったのか? それともただ単に大熊先生と仲が良いとか?


とにかく、職員室全体はなごやかな雰囲気。……小学校の時とはまるで違う。これまでの職員室のイメージとのギャップに戸惑いを隠せないでいると、奥から椅子がきしむ音が聞こえた。


のっそりとした図体ずうたいのシルエットが振り返り動く。頭はバーコードの禿げ頭。間違いない。この人が大熊先生だ!


なんだものすごく特徴どおりじゃないか! 夏樹先輩の、情報を伝える正確さに感心するよりも、こうも見事に特徴的なをしてる大熊先生に感心せざるをない。


 ぼくは笑うのを必死にこらえた。

だって先生がこっちを向いても、どうしても頭に目が行ってしまう。みごとなバーコードヘアーだ。


しかもおでことか、頭が全体的に油でテカテカ光ってる。

是非とも外の日光の陽射しの下に立ってもらいたい。きっともっとテカテカするぞ。


 大熊先生が手招きをした。「そのは一年生でしょう? 土屋から話しは聞いてるけど、入部届、提出しに来たの? ──ほんとに二十人集まったの?」


 女性教師も明るく手招いた。「ほら! 遠慮しないで入ってはいって!」


 植田も笑うのをこらえているらしい。ニヤついてしまう唇を一生懸命りきんでおさえてる。顎の筋肉がプルプル震えてるぞ。それなのに、その状態で挨拶の言葉をはっしてしまった。


「失礼しま…──ぷうっ!」これが合図だった。


限界を迎えていたぼく達全員がゲラゲラ笑う。腹が痛い。身をよじって笑う、かすんだ視界の中で、大熊先生の表情が曇った。


「初対面なのに無礼なやつらだなあ! なにがそんなに面白いんだ!」


自分が笑われてるのに気づいているクセに、職員室まわり一帯をわざとらしく見渡す。それも面白かった。


 ぼく達は笑いでヒーヒーしながら大熊先生の前まで進んだ。


 植田が笑いながら入部届を差し出す。

「オレら一年生だけで三十五人です。今日はここに居る十四人が……ふふっ──ふう! 入部届を出しにきましたからっ……ふうっ……これからまだまだ来ますから、よろしくお願いします……ふふっ! やばい、まじで腹が痛い!」


 大熊先生が眉間を寄せて、ぼくら全員を流し見る。

怪訝けげんな表情なまま入部届を植田の手から引っぱり取った。


「……ふ~ん。ほんとに二十人以上集めたの。やるじゃない。だけどこのくらいで腹筋を痛がるなんて、これから先のきた甲斐がいが有るのやら無いのやら……ほんとにサッカーする気あるの?


エンジョイでやるのもいいけど、俺はエンジョイでも結構ガチでやるからね? 大丈夫? ついてこれる?」


 先生の口から出た〝エンジョイ〟に、いささか驚いた。

この先生はこの見た目で、ほんとにサッカーをしてるんだ。じゃなきゃこんなが出てきたりしない。


 ぼくはつい、しゃしゃってしまった。「やりますよ。エンジョイしながらガチのトレーニング! それが楽しくてサッカーしてるんですから、ぼく!」


 大熊先生がまた椅子をきしませた。

先生が動くたびにこの椅子は悲鳴をあげるようにきしむけど、この椅子の寿命が心配になってきた。きっとそのうち椅子が壊れて、座ろうとした大熊先生がひっくり返るぞ。


──どうかその現場に立ちあえますように! 絶対に見物になる事うけあいじゃないか!


 これからの楽しい未来を想像して、どうしてもニヤニヤしてしまうぼくの顔を、先生はしげしげと観察してきた。


「なに、あなた、サッカー経験者? どこかのチームに所属してるの? 部活と並行へいこうして活動する気なら、どっちかをあきらめた方が身のためってもんだよ? 所属してるチームで大会に出る予定があるんなら、そっちを優先したほうがいい。


せっかくやる気があるのにこう云っちゃ悪いけど、新設した部活の一年目で大会に出れるほど強くなれるとは思えなから。そこまで甘くないし、体力の問題と──あと勉強! 本業の学生業がおろそかになったんじゃふたもないじゃない」


 ごもっともな先生らしい意見が出てきて、笑いでうかれていた思考が現実に着地した。


 そっか……そうだよなあ。

中学生になったんだ。算数は数学って名前が変わって小難こむずかしそうになるみたいだし、テストは中間と期末のふたつを一回の学期中にやると云われた。


そして一年生からの評価が受験先の高校に影響するところもあるとか、なんとか。

とにかく入学したてで新しい環境にいつまでもうかれていないで、きちんと勉強しなさいというのが、ホームルームで担任の先生が云った言葉。


 見え隠れするようで、あいまいな存在でもある将来の受験。

でもそのあいまいさは、確かに現実になる。夏樹先輩が居るおかげで、ありありと実感できている。ぼくは現実を受け入れた。


「サッカー部が新設されて、晴れて部活動ができるってなったら、クラブは辞めますよ……名残惜なごりおしいですけど」


 クラブを通して、世代を超えた交流があった。

ぼくになついている可愛い後輩もいる。


クラブを辞めてしまったら、交流が途絶とだえてしまう顔ぶれが多い。……最後の日に、家の電話番号でも渡しておこう。なにかあったら連絡しあえばいいし。


わかれの寂しさも、これからの先にわずかな望みをにおわせれば、いくばくかやわらぐ。


 大熊先生はぼくの気持ちをさっしたのか、やわらかな笑顔でアドバイスをしてくれた。


「最後はちゃんと挨拶して、いのないようにね」



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