~ end up ~ ⑰


 ぼくは顔をしかめた。

なんだかかつがれた気分だ……けど、一緒にテスト勉強するっていうさそい文句の響きの良さに心がくすぐられる。


 ぼくはずっと思ってた。

ひとりじゃなくて、勉強をしたいなって。……その相手は紫穂になるはずだった。


けど、この願いは叶いそうもない。今のところ。


 べつに、植田を紫穂の穴埋めに使う気もないけど、そうだよね、ぼくもなにかしら前に進まなきゃいけない時なのかもしれない。


友達を作って、憧れていた〝普通の子の暮らし〟をする。


心臓手術に成功した今となっては、これから先、ぼくが長期入院するなんて事もない。入院や自宅療養のせいで、せっかく築き上げた友達関係が消え去る悲しみを体験しなくてもいい。


もうなにも心配しなくていいんだ。


 これからの自分の未来をなんとなく、漠然ばくぜんと想像した。


 一緒にする勉強会。

サッカークラブの習い事。

兄さんが卒業したあとの学校生活。

放課後に友達と遊び、はしゃぐ。


どれも明るい未来にしか見えない。


 気づけば、ぼくはみをこぼしていた。植田と代表にも感謝しなきゃ。


「うん、いいよ。五十嵐さんをはげましたあと、一緒に勉強しよう」


 植田は大袈裟にガッツポーズをした。「──よっし! これで少しはテストの点数があがるかも!」


「その会話、保健室でもしてよね」代表は苦笑くしょうまじりだ。「この話しを聞いたら、千佳の闘争心に火がつくと思う。あの子、勉強では負けず嫌いだって知ってる?」


「知ってる。学級委員長やるくらいだもん」植田がふくみ笑いながら茶々をいれて、代表とぼくは笑った。


 保健室のドアを前にした時は、さすがに楽しい気分が半減した。

五十嵐さんの今の気持ちを思うと、へらへらしてられない。


だけど、五十嵐さんの心をすこしでも元気づけないと。

これから前向きに学校にこられるように。


 代表が保健室のドアをノックした。

中から先生の応えが返ってくる。「はい──どうぞ」


 先に姉である代表が中にはいって、そのあとに続き、ぼくらも中にはいった。


「千佳さん、お姉さんが迎えに来てくれたわよ。帰る支度したくできる?」


先生がカーテン越しに声をかけながらベッドに近づくと、布団のこすれ合う音が聞こえてきた。


「……はい」鼻声の返事を聞いて、さんざん泣きはらしたあとだというのは、すぐにわかった。


なんて声をかけたらいいんだろう。というか、やっぱりこの場に男子がいたらまずいんじゃないかな?


こういう時は女の子同士のほうが安心すると思うんだけど……。


 代表が重いランドセルを揺らせながら、づけづけとベッドに近づくや、問答無用でカーテンをかきわけた。五十嵐さんが上半身を起こしている姿が見える。ツインテールにまとめられていた髪の毛は、すっかりボサボサにみだれてる。


「はい、これ!」

代表はわざとらしく、ランドセルを無造作にベッドに置いた。重みでベッドがきしむ。


「千佳のランドセルってほんと重い! これ、全部の教科書が入ってるの? 置き勉してラクすればいいのに、あんたってほんと四角四面かたぶつでまいっちゃう。

──ああ、そういえば、あんたのクラスの男子も来てるよ。午後の授業分のノート、うつしてくれたんだって、良かったね。お礼、ちゃんと云いなよ? ほら、あんた達もこっちきてよ」


 お姉さん、ぐいぐい行くなぁ。容赦ないというか、なんというか。

こうなるともう代表のペースに合わせるしかないじゃないか。


「あれ、あなた、昼休みに来た子ね? 体調はもういいの?」先生はニコニコしながらぼくのおでこに手をあててきた。


気恥きはずかしさと、気まずさで、さりげなく手をける。

そのままのいきおいにまかせて──先生に仮病を使ってうしろめたかったし──ぼくもベッドに近づいた。


「はい、もう大丈夫です──あの、五十嵐さん、これ。ノートの切れはしだけど……きたならしくてごめんね! でも、無いよりは勉強のたしになると思ったから、よかったら使って!」


 手に持っていた写しをぶっきらぼうに差しだした。


五十嵐さんはあくせくと、乱れた髪の毛をとりつくろうとしたけど、手でさわった感触で〝こりゃムリだ〟と悟ったのか、あきらめて、目に涙をうかべた。


「こんな姿、見られたくなかったのに……」


ほらなあ、やっぱりだよ。

こんな場に男子は来るべきじゃなかったんだ。……どうしよう、泣いちゃったよ。


 ぼくがオロオロしていると、代表がベッドに座り、五十嵐さんの髪の毛を整え出した。


ゆわいていたゴムをほどき、乱れてほつれた髪を手ぐしで丁寧にまとめていく。

手慣れた感じで、もう片方のテールもあっというまにゆわきなおした。


「ほら、これでいつもの千佳のできあがり! いつまでもクヨクヨしてないで、帰るよ!」


お姉さんって、お母さんみたいになる時もあるんだ……お母さんと友達を、して二でった感じ。


ぼくが知ってる姉妹のイメージは、紫穂とお姉さんの関係。


あのギスギスしたな関係しか知らなかったから、こう、目の前で健全な姉妹をの当たりにすると、紫穂たち姉妹がどれだけおかしな関係かがはっきりして……やるせなくなる。


「五十嵐さんのお姉さん、優しいんだね……怒ると怖そうだけど」ぼくは余計な一言を口にしてしまってから、アッと手で口をふさいだ。


 代表の眼がつりあがった。ついで五十嵐さんがプッと吹き笑う。「──そうだよ、お姉ちゃん、怒るとすごく怖いの。時々、お母さんより怖い時あるもん」


「それはあんたが手をやかすからでしょうが! ──今日だって一歩もゆずらないし、もう!」


 文句を云いつつ、五十嵐さんの肩に上着をのせて、帰る身支度みじたくをさせてる。ほんとに手慣れてるなあ。


 五十嵐さんは上着にそでをとおしえると、ぼくに手を差し出してきた。


「ノート、ありがとう」


「それ、オレも手伝ったんだから、オレにも感謝してよね!」茶目ちゃめに、植田も声をかけてきた。「それにこれからオレ、鳥海んで一緒にテスト勉強するんだよ、めずらしいだろう?」


 五十嵐さんの涙で潤んだ目が丸くなった。

「え、植田が勉強? どういう風の吹きまわしよ……あんた、頭を打ったか、熱でも出たんじゃないの?」さも心配そうに、保健の先生へ目を向ける。


先生はほほえましにしてるだけだ。


「失礼だな! オレだってやる時はやるんだよ!」植田がぷりぷり怒りだしたところで、また笑い声が保健室内にあふれた。


 五十嵐さんはノートの写しを手に取ると、涙で濡れる目元をぬぐった。


「ほんとにありがとね……テスト、私も頑張ろう」


 五十嵐さんがやる気を出してくれてよかった。ぼくは精一杯の笑顔で最後にはげました。


「四年生最後のテストだからね、お互い頑張ろう!」


「……うん。そうする!」五十嵐さんも笑って応えてくれた。


憔悴しょうすいしきった思考から、登校拒否の選択肢がはぶかれたかのような手応え。たぶん、これできっともう大丈夫だ。


…*…


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