~ end up ~ ⑮


「熱はなさそうね」


保健の先生の顔は、いつもどおりの優しい微笑びしょうに変わっていた。


「心配ならこのままここでゆっくりして、気持ち悪いのがおさまってからクラスに戻ってもいいし、どうする?」


「大丈夫です。ここでこうして少しゆっくり座っただけで、だいぶ気分が良くなりました。……教室に戻ります」


「教室、そうよね……」先生は窓の外の校庭を流し見て、ぼくに視線を戻した。

校庭では、児童が元気に飛んで走り回って遊んでいる。

「今日は外で遊ぶのは我慢して、教室でゆっくりしたほうがよさそうね」


 ぼくはニッコリ笑った。「そうします。……植田、もどろうか?」


  植田は、ぼくが言外げんがいにふくんだ意図を察知したらしい。合わせるようにニコッと笑った。


「うん、そうしよう。先生、ありがとうございました」


「はい、どういたしまして」先生はクスクス笑った。「またなにか体調がヘンだなって感じたら戻って来て大丈夫だからね、無理しないように」くれぐれもの念をおされ、ぼくと植田はおじぎをして保健室を出た。


歩き始めてすぐ、植田が次の見まわりプランを出してくる。


「一階の残りは一年のクラスだし、二階の二年のところにいってみよう」

一年生は学校で一番の元気いっぱいさで、ほとんどが校庭に出払っている。たしかに飛ばして平気そうだ。


「で、最後にぼくら四年の三階を見まわると」プランの最後を云い当てて、ぼくと植田は目を合わせてニコリとしあった。


……先生達もこうして、みんなと仲良くできたら毎日が楽しくなるのに、悲しいね。


 二階の二年生の階も静かなものだった。

だけど念のため一つひとつのクラスを一瞥いちべつするていどにのぞく。


上林先生の姿は無い。

ぼくらは自分達の階に昇った。

三階にも上林先生の姿は見当たらない。


「どこにも見当たらないよ?」ぼくは小首をひねった。たしかに上林はこっちの別校舎のほうに行ったのに。


 植田も怪訝けげんそうに顔をしかめて、少し考えこんだあと決断した。


「とりあえず戻ろう。オレらが保健室に居るあいだに行き違いになっちゃったのかもしれない」


「それ、まずくない?」


男子のぼくらが居ないあいだに、もしなにかあったら、女子達全員どうなっちゃうんだ?


職員室前だから他にも先生はいるし、いざとなれば誰かしらが職員室に逃げ込んで助けを求めるだろうし。

平気そうだけど……でも誰かが止めにはいる前に、上林が目のかたきの紫穂にだけ暴力をふるわないとも云いきれない。


 植田も顔色を悪くさせた。「うん、いそいで戻ろう」


 ぼくたちは来た道のりを戻った。

一段ぬかしで階段をけ降り、走って保健室前と外通路を戻る。


すぐに職員室前でたむろする女子の群れと合流できた。──よかった、特段とくだんさっきと変わったようすは無い。


 妹の五十嵐さんを介抱かいほうする代表とすぐに眼が合う。

心配と不安の色がにじむ顔を向けてきた。


「どうだった?」


 植田が近寄っていく。「別校舎のどこにも居なかったよ。おかしいよな? 行違いきちがいで、こっちに戻ってきてない?」


 代表の眉間のしわがますます深くなった。「……戻ってきてないけど、それってどういう事? どこにもアイツが見当たらなかったって事?」 


 ぼくも歩きながらうなずいた。「うん。保健室にも居なかった。……見てない場所といえば、トイレと……給食室くらい?」


 報告を聞いた代表が、けわしい顔を曇らせる。「給食室って、むやみに入っちゃいけない場所でしょう? じゃあ、どっかしらのトイレに隠れてるって事? ──ああっ! ほんっと! 気持ち悪いっ!」


 悲鳴と苦情がいりまじる叫び声を聞いて、胸が苦しくなる。女子だけじゃ心配だ。このまま保健室までつきそって行こう。


 提案しようとした矢先、背後はいごからざわめき声があがった。

なんだろうと振り返り見てみれば、上林が外通路からこっちに向かって歩いてくる姿が見える! もうすぐ、いますぐにでもこっちに来てしまう!


 代表も気づいた。

忌々いまいましい女のてきを睨みつけ、妹をことさら強く抱きしめる。


 むらがっていた女子達が、またいっせいに道をあけた。今度は、悲鳴や悪態をつきながら。


 そしてまたシンッと静寂せいじゃくとばりが堕とされる。


先生は〝いかにも腹を立たせてます〟と云わんばかりに、顔をいかりで真っ赤にして、ムスくれながら黙々と、そして堂々と、広がった人垣の道を物顔ものがおでとおり、職員室のドアをあけた。


職員室の中に姿をおさめると、ドアをたたきしめた。


音の威嚇いかくをしたかったらしい。

無駄に大きな音をたててドアは閉まった。


当然、女子達はその様子全部を、あますことなく、軽蔑けいべつの眼差しで見ている。


「ぜったい許さない……」最初に声をあげたのは紫穂だった。


低い声音こわね怨恨えんこんの続行を宣言したように聞こえる。その宣言に、代表がのった。


「三学期が終わるまで、毎日、昼休みになったらここに集合。それでいい?」


取り巻きに確認するも、まわりは即答で首を縦にふった。


「やるしかないでしょう」

「続けよう」

「そうだね。じゃなきゃアイツは反省するどころか、ますます態度をでかくしただけになっちゃうし」

「こっちが弱腰のスキを見せたら、どんどんエスカレートしそうだしね?」


「暴力をふるわれたら、どうするの?」最後に、誰かがふるえる声をあげた。


声のぬしは、横顔の形が三日月のような子。……なんだか見覚えのある、特徴的な子だな……誰だっけ? えっと……あっ! おもい出した!


前に紫穂に話しかて、無視されていた子だ。

その子が、紫穂にすがる眼差しをむけている。


 紫穂は強気つよきに、おびえきっているその子の意見を笑った。


「そしたら、それこそ警察を呼べばいいのよ。学校に警察が来るなんて、可笑おかしい……」ここで紫穂はクックッと笑った。いたずらめいた笑顔で。「傷害の罪で現行犯逮捕。体罰だとか、しつけなんていう云い訳はさせない。目撃者もかなりの数になるだろうし」


紫穂はまわりを見渡して笑みを深めた。「みんな、ちゃんと証言してくれるんでしょう? なら、アイツが手をあげた瞬間、わたし達の勝ちよ。警察にはちゃんと仕事してもらいましょう。そしたらアイツ、教員免許も剥奪はくだつされて、この先、どこに行っても先生は二度とできないし、おまけに前科も一生ついてまわる。ザマみろよ」


 れから、あざ笑う声が広がっていく。さざ波のように。

みんな、紫穂の意見に同意したんだ。


…*…




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