~ end up ~ ⑬


 上林先生は痛みでさすっていた手を胸にあてがい、侮辱ぶじょくにまみれた顔に脂汗を吹き出し、


女生徒がつくった人垣の道を、仕方なく歩き進めるしか他に選択は無く、

うつむきながら速足で歩きだした。生徒の足元だけをチラチラ盗み見みながら。


 上林先生が向かおうとしていた進行方向に、先生が姿をくらませてから気づいた。

あっちは、ぼくたちが来た方角だ。

外通路と給食室、それと別校舎しかない。


あっちの方角ほうがくに高学年を担当している上林先生が、なにか用事があるとはとても思えない。


「ねえ、あっちの方向って、ぼくたちの別校舎しかないよね?」ぼくは植田にも確認した。


「だよね、オレも思った。あっちになにか用事があるとしたら……保健室?」


植田の絞り込みに少し感心した。確かに保健室もある。別校舎の一階に。

外通路から入ってすぐのところだ。


 だとしても……。

「保健室に用事があるようにもみえなかったよね」ぼくも絞り込みにはいった。


 植田も、もう気づいている。「うん、見えなかった。だから、五十嵐さんの前をとおって行こうとした理由は……目をつけた女子の身体を触りたかったからだろう? うげえ、サイアクだな、気持ち悪い! ほんとに猥褻わいせつ教師だったんたな!」


植田が足元につばを吐きたそうな素振りをしたけど、ここが外ではなく校舎の中だと気づき、吐きだしたい気持ちごと胸糞の悪さを飲み込んだ。


……ほんとに気持ちが悪そうだ。にがい顔つきで唇を袖口そでぐちでぬぐっている。


 噂通りの上林先生を、この場に居た五十人以上の生徒が目撃した。

これでもう云いのがれできないはず。──みんな、やったな!


 お手柄てがらな中心人物達のまわり……代表と紫穂、五十嵐さんのまわりは、すでに女子達がかこんでいる。


 われに返った紫穂がオロオロと、五十嵐さん謝ってる。「痛くしちゃって、ほんとごめんね! 肩、痛くない? 大丈夫? ほんとにごめん!」


「すこし痛い」五十嵐さんはムスくれた顔で、突き飛ばされた肩をんだ。


「ほんとごめんっ! つい、咄嗟とっさで……」


紫穂は気が気ではないようだ。

もともと弱い者いじめはしたくないと云っていたもんね。それに、今回ばかりは五十嵐さんは完全に被害者だ。


〝ただそこに居た〟ってだけで、変態上林の目にとまってしまっただけの、可哀想な被害者。


紫穂は、悪いヤツにケンカをふっかけるのは平気でも、まったくの善良な人に痛い思いをさせるのは不本意らしい。


手放てばなしで何度も謝りつづけている。


──それに、五十嵐さんは今日、実質も怖い思いをしている。一度目は、上林による猥褻わいせつ


二度目は、紫穂がさらけ出した殺意。


あの顔を間近で見たんだから、トラウマに残ってもおかしくない。

今の紫穂は普通の状態に戻っているけど、あのむき出しの殺気は、常人を逸脱いつだつしていた。


……あれがきっと、人殺しをする人の顔なのだろう。

父親をいよいよ殺すときがきたら、紫穂は顔をまたあの獣へと変貌へんぼうさせる。


 五十嵐さんのお姉さんである代表が、意外にも二人の仲の仲裁にはいった。


「ちゃんと謝ってるんだから、許してあげてもいいんじゃない? のおかげで、千佳ちかは触られずにすんだでしょう? …──触られてないよね?」心底心配そうに確かめる。


 五十嵐さんは頭をぶんぶんとった。

「うん、さわられずにすんだ……けど、怖かった……!」


 五十嵐さんがワッと泣きだして、お姉さんの胸に飛びこんだ。代表が抱きとめて妹の背中をさする。ここで代表が険しい顔つきに変えた。


「保健室に連れて行きたいけど、あっちの方向って……」


 意図をさっした他の女子が次々に声をあげる。


「あっちは上林が行った方向! もうほんとに、アイツなんなのっ! 忌々いまいましい!」


「さっき、あっちの階段の男子が話してるの聞いたよ! 千佳ちゃんの前をとおってあっちに行ったのは、触るためだけだったって!」


云うやぼくたちを指さす。

女子達がいっせいにこっちを見てきた。……怖い。


 代表は妹の背中をさすり続けながら〝取り巻き〟に事情を説明しだした。


「あそこの男子達も心配して来てくれたの。

バカな見物人じゃないのは確かね。

上林先生が暴走した時、少しでも止めてくれる戦力が必要だったし。


なにより、おなじ性別の男子がこっち側の味方で、子供のほうがよっぽど分別ふんべつがあってカッコいいってところを見せつけて、思い知らせたかったのよ」


「……そういう事」女子達のざわつきに、さざ波がたった。


「それじゃあ、他の男子ももっと呼んだほうがいいかも」


「次、あたしもおなじクラスの男子に声かけてみるよ」


「……ねえ、そこの階段の男子」呼ばれて、ぼくと植田は無意識に正しくをした。「悪いんだけど、上林があっちになにしに行ったか、見てきてくれない? どのへんをうろついてるのか、確かめて来て、お願い」


 ぼくと植田の応えは決まってる。

こんなに頼られたんじゃ断れないし、なにより力になりたい。少しでもいいから。


「うん、見てくるよ。行こう、鳥海」植田が真面目に返す。


ぼくもかたうなずいた。

「うん。──ちゃんと保健室の中も確かめるから」最後に、一番心配していそうな偵察ていさつヵ所をつけたす。


代表の表情から、ほんのわずかにだけ緊張感が薄らいだ。ほんとうに、ほんのちょっとだけ。


全身からは妹を傷つけられた怒りと悲しみ、にくしみがただよっている。


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