ROUTE(2)⑤

 9月 7日 金曜日


 放課後、ぼくは本校舎の二階へ向かった。

紫穂の三年生の学年に用があるんだ。


用っていうのは、もちろん、紫穂の自由研究の成果を見るため。


残念なのは、今ぼくの横に植田も着いて来ているっていう事くらいかな。


 植田が紫穂をいているのは、もう訊くまでもない。ぼくの横を歩く植田の、この好奇心と、恋慕れんぼにみちる瞳の輝きを見れば。

階段を登る足取りの軽さと、色めき立つ雰囲気を見れば。


 ぼくは、こっそりとため息をついた。


 本校舎の二階についたら、そこからはもう三年生のテリトリーだった。


問題児ばかりの三年生らしく、ガサツな雰囲気が廊下中にあふれている。


 掃除をまじめにやっていないせいで、廊下の隅のあちこちにワタぼこりがたまっているし、ゴミやプリント──学校からの手紙だ──も落ちている。


 廊下の掲示板に張られた黄緑色の紙──先生が油性マジックで書いた、学校の決まりごとのようだ──は、引き裂かれてある。


 ぼくと植田は、噂にたがわぬかん気の三年生に面喰めんくらって、思わず、お互いの目を見合わせてしまった。


 さいわい、三年生は全員、帰っているようだった。


どのクラスからも話声は聞こえてこないし、物音も人の気配も無い。

きっと、夏休みが明けたばかりだから、長い時間を学校ですごしたくないんだろう。下校のチャイムが鳴り次第、みんないっせいに帰るコースだ。


 ぼくは紫穂の自由研究を探そうと、三年生の廊下に一歩入ったところで、自分の思わぬうっかりさに気づいた。


「紫穂って、何組なんだろう?」

「二組だよ」植田がシレッと云って、ぼくは植田をすがめ見た。


なんだよ、そーかよ。


紫穂の事については、植田はほとんどリサーチ済みってわけか。

ますます恋ってやつは面倒だな。


植田と、せっかくここまで仲良くなれたのに、恋路で犬猿の仲にはなりたくないよ。


 植田は、目の前の三年三組を素通りして、二組の壁の前で立ち止まった。


 審査員のように、眉間に皺を寄せた小難こむずかしい顔つきをすると、腕を組んで、ため息だかうなり声をあげた。


「う~ん、なんだこれ。……想像以上に意味がわからない仕上がりになってる……。──こいよ、鳥海。


鳥海も八鳥の自由研究を見てみてよ。ほんと、すごすぎて、意味がさっぱりわからない。これって、どういう事なのか、教えてくれない?


あれかな? 習字の字が達筆たっぴつすぎると、逆になんて書いてあるのかわからなくなる、あれ。あれとおなじかなあ?」


 植田は心底困り果てた苦笑くしょうを浮かべて、ぼくを呼んだ。


 ぼくは早歩きで植田の横に並んで立って、紫穂の自由研究を前にして…──目を奪われた。


 まず飛び込んできたのは、黒の油性マジックで書かれた太字の、自由研究の題名。


【納豆ができるまでの工程にもとづく地球ができるまで。アトランティス大陸が実在した仮説】



 これが、紫穂の自由研究だ。


 図書館で読んでいた〝納豆の不思議〟の本が、まさか、地球誕生の話しにかかわってくるなんて、まったく想像がつかなかった。


 ……植田に、なんて説明したらいいかなぁ?


「納豆はさ……」ぼくはおもむろに切り出しだ。「戦国時代に、大豆をわらでつつんで持ち歩いていたら、自然にできあがっていたっていう説とか、


聖徳太子が神通力じんつうりきで作りだしたとか、諸説しょせつあるんだけど、紫穂はきっと、納豆が自然にできる仕組みや、自然の力に着眼点をおいて、地球が誕生したメカニズムとの類似性を見出したんじゃないかな?」


「鳥海、悪いけど、なにを云っているのか、ぜんぜんわからない。……もっとわかりやすく教えてくれよ」


 植田は表情をきりきりまいさせて、今にも頭が沸騰寸前って具合だ。……これで本当に知恵熱が出たら、面白いな……なんて、良くない考えが思考をかすめたけど、かすめただけにしておこう。


 ぼくは、会話がもう少し砕けた感じになるよう、言葉を選んでゆっくり話を進めた。


「納豆ができあがるまでと、地球ができあがるまでが、とてもよく似ていると、紫穂はこの自由研究で云っているんだよ」


 植田がついに大きなため息をついた。「……ダメだ。ぜんぜん着いて行けない」そのあとは、ブツブツと独りごとをボヤいていた。「だいたい、納豆と地球とじゃ、ぜんぜん規模が違うじゃないか……それがどうやったら、似てるって云い切れるんだよ。……納豆って、自分で作れるのかよ……」



 考え方や発想は、人それぞれだからね。


地球誕生の真実なんて、その瞬間を自分の目で見た者じゃないと、わからないし、理論は、あくまで仮説のひとつにすぎない。


だけど、そこに面白さを感じるんだよな、紫穂。


 ぼくは心の中で、紫穂に称賛の拍手を贈った。


…*…


 まもなくして、紫穂の自由研究は金賞に選ばれた。


 それで、植田が教えてくれたとおり、体育館の壁には、各学年・各クラスの金賞作品がズラリと貼り出された。


 貼り出された金賞作品を見るのは、学校の児童だけじゃなかった。


近隣きんりんに住んでいる人から保護者まで、ありとあらゆる人たちが、体育館に足を運び、自由研究を楽しげに観賞している。


 そんな中で、よからぬ噂がに流れ始めた。


 それは、ひときわ人目をひく、紫穂の自由研究にまつわる噂話で、噂話の内容は、じつにくだらないものだった。


 紫穂の自由研究が、あまりにも良くできすぎているから、親が自由研究を手伝ったんじゃないかっていう、くやしまぎれの陰口をささやかれていたんだ。


 けど、紫穂の家庭環境はだれしもが知ってのとおりだ。


 あの親が、こんな手の込んだ手伝いをするはずがない。


 それに、もし仮に手伝ったとしても、紫穂のお姉さんが自由研究をしていないのは、おかしな話しだろう。


親が、わが子に優秀な成績をとらせたいのであれば、姉妹両方に手を貸すはずだろう?


 それなのに、なぜ、お姉さんは自由研究そのものをしなかったんだ?


 これはぼくの憶測だけど、紫穂のお姉さんは、〝できのいい妹〟と比べられるのをイヤがったんだと思う。


だから、自由研究自体を辞退した。


こう考えると、色々としっくりくるよな。


 お姉さんが、なぜ紫穂をうとましく、目のかたきのように扱うのかが。


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