ROUTE(2)①


 ぼくは毎日、紫穂を注意深く観察しつづけた。

もちろん、遠くから。


 紫穂がケンカや厄介事以外で、なにがしかに興味を引かないかと、注意をはらって見守っていたけど、


これといった手応えを見いだせないまま、ぼくらは、夏休みに入った。

……一学期の通信簿と、宿題をどっさり持たされて。


 持って帰る荷物がやたら重く感じるのは、この通信簿が絡んでいるせいに違いない。


 ぼくは学期途中の五月から学校に通い始めたけど、今まで読んだ本の知識のせいか、成績はこれといって悪くなかった。


問題は、先生からのコメント欄にある〝内申書〟だ。



 ≪鳥海 涼くんは、やや積極性がたりないように見えます。知識力や頭の回転の早さなどの素質はあるようですから、これからは自分の意見を積極的に云えるよう、ご家庭でも助力してあげて下さい≫ だと。



 だったら、いいだろう。それなら、意見を云うようにしようじゃないか。

まず手始めに、市役所から。


 証拠もなにも無いけど、云うだけでもなにかが変わるかもしれない。

そう、たとえば


〝この手の苦情は、他にもたくさんあがっているんですよ。調査を依頼してみますね〟


こんな具合の流れになったら、しめたものだ。


…*…


 一学期最後の下校で、植田が耳よりな情報をよこしてくれた。


「八鳥ってさ、夏休みの自由研究で、毎年金賞をとってるんだよ。……一年生のころから、ずっと」


植田はくちびるを突きだしぎみにして、なんだかうらやましそうに云ってる。植田も、金賞をとりたいのかな?


 それにしても、紫穂の思わぬ──意表をつかれた──特技を知れたな。


 そうか。

紫穂は、自由研究も得意なのか。さすがだな。


 紫穂の自由研究がどんなものなのか、ぼくもすごく興味がわいてきた。


夏休み明けに、ぜったいに紫穂の自由研究を見てみようと心に決めつつ、羨ましそうにしている植田にも、ぼくは気を使った。


「一年生から毎年金賞なんて、すごいね。植田も金賞をねらってるの?」


 応援をほのめかすと植田は顔を曇らせた。


「ううん。ぼくには無理だよ……なんていうか、次元が違うんだ」


悲しげに肩を落として、心底自信もなにもありませんっていう具合にぼやいた。


「毎年、自由研究の優秀作品が体育館の壁にズラッて貼られるんだけどさ、もう、すごいよ? 高学年の自由研究もすごいんだけど、八鳥の自由研究もすごいんだ。八鳥のは、高学年と肩を並べられるくらい……」


ここで植田は、紫穂が自由研究で出した成果を思い出したのか、わが身のようによろこばしく、嬉しげに微笑びしょうした。


ぼくは植田の表情を見て、なんだろう……心が、チリリとげるようにうずいた。


 植田は、照れくさそうにはにかみながら、紫穂の自慢話をおしみなく語りつづけた。


「今年の自由研究も楽しみにしてるんだ……八鳥のヤツ、今回はどんな研究テーマを題材にするんだろう? もし叶うなら、オレも一緒に自由研究したいな──」


ぼくの視線に気づいた植田が、デレデレした顔つきをきゅうに真っ赤にして、あたふたしだした。


「ああ、いやっ、えっと、だからさ……その……八鳥はたぶん、今年も金賞をかっさらっていくんだと思う。……だから、その……」


植田は、なにをかってに云い訳を並べているんだろう?


 なんなんだよ、植田は。


……もしかして、紫穂を好きになっちゃったの? ──え。そんな……まさか。


 ぼくが動揺していると、植田は取ってつけたように──まるで、ぼくを云いくるめるように──早口で、わけのわからない憶測おくそくを押しつけてきた。


「八鳥は校長先生から生き甲斐がいもあてがわれたわけだし、夏休みに大好きな自由研究もあるから、なんとかなるんじゃないかな?」


 なんだか知らないけど、カチンときた。


 なんとかなるって、なんだよ、そのお気楽な考え方。

なんとかならなかったら、どうするんだよ。だいたい、なんとかなる保障だってないじゃないか。


 それに植田は、紫穂を好きになっちゃったのか? そのへんのところが、すごく気になる。


「あのさ、ひょっとして……植田は、紫穂を──」


「お前んちって、近くていいよな……」


 ぼくが思い切って核心に迫ろうとしたところで、植田は会話をさえぎった。


それで確信した。


植田は、紫穂が好きなんだ。

植田が、紫穂に恋している。


それがわかって、ぼくの胸はザワついた。

嵐の前の、一陣の風が吹きすさぶように。


 心臓が、やけに早く鼓動をうっている。


 植田は歩き疲れて、汗を垂れ流しにしながら、目の前のぼくの家を見上げている。


遠まわしに、これでバイバイと云っているようだ……いや、植田はそのつもりなんだろう。もうこれ以上、こみいった話しは訊いてくれるなっていう雰囲気をかもしだしているし。


 ぼくは植田の意志に想いをめぐらせて、これ以上、恋路こいじについてあれこれ訊くのをやめた。

ぼく自身、訊きたくないっていうのもあった。


だからぼくは、いつもどおり笑って別れの挨拶をした。


「それじゃあ、バイバイ」


「──あ、うん、バイバイ。次に会う時は、学校のプールだね。鳥海、夏休みのプールは病欠するなよ」


 植田に釘を刺されてドキリとした。


 ぼくはこれまで、プールの授業をことごとく病欠している。

風邪をひいて熱があるわけじゃないのに、プールの授業はすべて病欠あつかいで見学を決め込んでいた。


 理由は、この胸の傷跡だ。


 こんなみにくい、皮膚がただれてひきつれた傷跡を見れば、みんなが物怖ものおじするって、簡単に想像がつく。


だからぼくは、プールにはぜったいに入らないって決めたんだ。


 〝心臓の手術をした子〟っていう噂にもなるし、そんなあわれみは御免だ。


「せいぜい風邪をひかないように、気をつけるよ」


ぼくがワザとおどけて見せると、植田は呆れ顔をして、ついであきらめたように、ため息をついてから家路について行った。


 ぼくは植田のうしろ姿を見送って、思った。植田が、紫穂を好きになっちゃったなんて、ぼくはどうしたらいいんだ。


 悪いけど、恋のキューピット役になんて、なりたくないよ。


「良くも悪くも、ぼくたち二人の普段のおこないが、こうを成したってわけか……」


ぼくは独りごちてから、玄関のドアを開けた。


…*…

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る