ROUTE(1)⑩


 ガラガラの人気ひとけの無い図書室に入って、椅子に座るなり、植田は速攻そっこうで切り出した。


「どう思う?」


 ぼくも植田の向かいの椅子に座って──図書室の入り口が見える位置だ。ここなら、だれかが音もなく図書室に入ってきたとしても、すぐに気づく──机に身を乗り出して話題を煮詰めていった。


「どう思うもなにも、これは学校のいやがらせなんじゃないのか?」


「──でも、八鳥が、八鳥らしい顔つきになったよな。さっき、鳥海も見ただろう? 八鳥の目つきが、変わった」植田は、なんだか嬉しげに笑った。


 確かに、さっき見かけた紫穂の顔つきは変わっていた。うつろだった目つきも。


 うつろで死にそうだった瞳に、生気せいきの耀きが戻った感じだった。歩く姿勢も、ずっとうつむき加減だったけど、今はきちんと前を見る、背筋の伸びた歩きかたをしていた。


「もしかしたらさ……」植田は意気揚々につづけた。「学校側も上林先生に困っていてさ、それで八鳥をたてほこに使うのかもしれないよ」


「──わいせつ教師のおとりに使って、紫穂がさわられたりでもしたら、どうするんだよ?」ぼくは苛立いらだって、強く反論した。「校長先生のこの提案に、ぼくは異議しかないよ。


どうしてこのタイミングで、こんな話しを持ちかけてくるんだ……これじゃあ紫穂の負担が増えるばっかりじゃないか……!」


「そこがいいのかもよ」植田が軽く云ってのけた。「今の八鳥には、生き甲斐がいが必要だろう?」


 植田の発想に、ぼくは口を閉じて、目をまるくさせた。

まさに、目からうろこだった。


「そうか……生き甲斐か……なるほど」


 それから、ぼくはおもいだした。


 前に、紫穂が鉄棒で練習している姿を間近まぢかで見た時、ぼくはこう思ったんだっけ……紫穂の原動力は、怒りそのものにあるんじゃないか? って。


 だから──もしかしたら──紫穂から怒りを取り上げてしまったから、手持無沙汰てもちぶさたになってしまった紫穂は、なにも残らない廃人みたになってしまって……死を選んだのか?


 という事は、つまり、ぼくが紫穂のそばにいると、きみは怒りを取り上げられて、なにも残らなくなるって事なの?


 ──わからない。でも、もしそうだと仮定したら?


 紫穂が前に叫んでいた言葉にも、意味が出てくるんじゃないのか?


 ぼくは、心の痛みをともないながら、紫穂がわめき散らしていた姿をおもい出した。


紫穂に云われた言葉も、耳の奥に鮮明によみがえる。


〝なによっ! あんたがいると、今までのわたしが──バカみたいじゃないっ! 入ってこないで! ほうっておいてよーっ!〟


〝あなたが、あなただとわかってから、わたし……たまらなく、怖くなった〟


〝あなたといると、自分が、自分でなくなっちゃうみたい……。もう、どうしたらいいのか、ぜんぜんわからない。──今までの、わたしがしてきた事ぜんぶ、なの意味もなくなる。夢も希望も、全部なくなるの……あなたと居ると。……ねえ、どうしてなの?〟


 ぼくといると、きみは怒りをなくすっていう事なのか? ──けど、だとしたら、それって良い事なんじゃないのか?


 それなのにどうして──ああ、そうか。

怒りのみを生きる原動力にしている紫穂にとっては、一大事なんだろうな。


 ──あぁ、紫穂がわからない。

 だけど、わかる事がひとつだけある。


 確かに、生き甲斐は必要だ。……このさい、生き甲斐の内容はどうであれ。


 紫穂には、早急に生きるかてが必要で、それをあてがってやらなければならない。──本当に時間の問題なんだ。

日に日にせ細っていく紫穂を見ていれば、死が近づいているのは明らかだ。


「それに」植田は表情から笑みを消して、黒い机を見つめながら話しをつけくわえてきた。「もうじき、夏休みにはいる」


 植田のつけたしに、ぼくはギョッとした。


 ──夏休み。


 そうか、もうそろそろ、そんな時期か。──しまった。長い夏休みの期間まで、ぼくは視野に入れていなかったぞ。……クソッ!


 ぼくは途方に暮れて、植田とおなじように机へ視線を落としていた。

夏休みが、こんなにも絶望的に感じるものだったなんて、知らなかった。


 夏休みは、楽しそうなイメージしかない。


兄さんが、毎年、浮かれ立って、羽を伸ばしたい放題にしていたし、海やプールとかお祭りだとか、いつも毎日を楽しそうにしている姿しか知らない。


そして夏休み最後の一週間は、宿題の地獄を見るのが毎年の恒例なんだ。


 だけど紫穂にとって、文字どおり、これほどの地獄があるか?


 植田が、ため息まじりに話しをつづけた。

まるでぼくの考えをまとめ上げるように。


「オレらはいいよ、学校が夏休みになって。だけどさ、八鳥にとってはどうなんだろうな? まるまる一カ月以上、家に縛り付けられるんだろう……?」


「あのお姉さんも、かたときも一緒だしな」今度はぼくがつけたした。


植田はうなずいて、机の上に置いている握りこぶしを〝貧乏ゆすり〟のように揺らしてる。


「そうなんだよ、あの姉ちゃんと同学年のぼくの姉ちゃんも可哀想だけど、八鳥のほうがうんと気の毒でしようがない……あんな姉ちゃんがかたときも一緒だなんてさ」


 ぼくはうめいて頭を抱えた。

そこを、植田がはげますように云いえてくれた。


「だから、夏休みに入ってからも、生き甲斐を失くさないように、二学期が始まってからも、やる気満々で登校できるように、八鳥には死なない道の選択が必要なんだよ。……その目標が──」


「──打倒だとう、上林先生」ぼくは植田の話しをさえぎって、先に答を口にした。


「そういう事」植田が嬉しげに、肺いっぱいに空気を吸った。


 生き甲斐や目標を見つけて持つのは、人生をきりもりするうえで大切な事だ。

だけど、もっとべつな道があってもいいんじゃないのか?


 本当に、こんな焼刃やきばのやりかたで良いのか? ……良いわけ、ないよな。


…*…

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