ROUTE(1)③
……そうなるまで、何年かかる?
ぼくらが大人になるころには、もう少しまともな世の中になっているのだろうか?
だけど、そんな確証はどこにもない。期待もしていない。
今の大人は、軍事力で頭がいっぱいのようだから。
暴力以外の知恵をしぼり出せないんだ。
だったら、暴力以外の知恵をしぼり出せる人間が必要だろう?
ぼくならきっと、役に立てる。
すこしでもより良い──人間らしい暮らしができる世界にしていくために動ける。
なにより、それで紫穂を助けられるのなら。
だけど、それまできみの精神はもつのだろうか? 間違った方向に進んでしまいそうで、ぼくは気が気じゃない。
……だとしたら、同時進行か。
きみがどうにか生きていけるように、ぼくはきみを支えながら、国を変えていく目的を視野の先に置いて、先駆けしていく。
そのためには、一にも二にも、勉強あるのみだ。
今の世の流れは、成績トップでエスカレーター式の出世コースを選ぶのが、一番の近道のようだから。
政治官僚者は、一流・名門大学の卒業生が多いと、テレビ番組で云っていた。
そんな学校へ通う学生たちはきっと、学生のあいだにも、未来へ向けて、戦略を
人脈のコネクションづくりに躍起になっている生徒も、多いんだろうな。……ぼくは、そこに飛び込むわけか。
……紫穂は、もしかしたら、もうそのつもりで動いているのか? だから、革新?
ここまで考えて、ぼくは笑った。笑いながら、涙がこぼれてきた。
紫穂、きみは、考えが早すぎるよ……。
ぼくはきみの考えに、やっと追いついたわけだけど、でも、きみの目指す先が
その迷いのない決断と行動力は、いったいどこからきているんだ?
……ぼくにも、きみとおなじだけの力が、発揮できるだろうか?
…*…
6月 7日 木曜日
紫穂は、ぼくに関する記憶の抹消に、完璧に成功したみたいだ。……もともと、紫穂の記憶力は不安定だったし。
……不安定といえば、きみの精神状態も不安定なんだろうけどさ。……だから、記憶の
今日の朝、登校班で、紫穂に逢ったんだ。
ぼくは登校班の
その時、鮮やかな赤い色の生き物が目に飛び込んできた。
ザリガニだ。
生物の図鑑によく載っている
だけどぼくは自分の目で本物を見るのは、これが始めてだ。
ぼくは興奮して、兄さんに声をかけた。
「ねえ、ここにザリガニがいるよ!」
「え! ザリガニがいるの?」突然、真横から声をかけられて、ぼくはビックリしたよ。
紫穂は相変わらず、用水路をしきりに気にしていたようで、ぼくの声に引かれるように、会話に口をはさんできた。
「ザリガニ……あ、これ、アメリカンザリガニだよ」
紫穂は
「アメリカからきたザリガニは、日本のザリガニと違って、赤い色が一段と濃くて黒っぽい赤色をしてるの。……ほら、あっちを見て!」
紫穂は用水路の下流を指差した。
紫穂の指の先を目で追ってみれば、そこにもザリガニがいた。
ほんの少し、赤みの薄い──肌というか、甲殻の弱そうな──小柄なザリガニだ。
「あれが、日本にもともといるザリガニ。つまり、あのザリガニがうちらだよ」
声色で、紫穂の機嫌がだんだんと悪くなってきているのがわかる。
……どうしたんだろう。なにをザリガニなんかでそんなに怒っているんだ。
「アメリカのザリガニは、日本のザリガニよりも体が一回りも大きくて──ほんと、まさに人間とおなじでしょう? 日本人も、アメリカ人に比べて体がちいさいし──こいつらアメリカンザリガニはね、すごい
このままほっとけば、日本ザリガニはアメリカンザリガニに食べられて絶滅するっていわれてる。……まるで、今の日本とアメリカの関係そのものじゃない? アメリカは、戦争に勝って、日本を植民地にこそしなかったけど、こうやって、日本をじわじわと浸食しているの。
みんなは、その事に気づいていない。日本は、アメリカの云いなりになっているのに、戦争に負けた国で……しかも、国民に特攻までさせた国っていうのもあるから、強くモノを云える立場でもないし……どうしたらいいんだろう」
紫穂はイライラしだしたのか、むっつりとした表情でザリガニを睨みつけながら、人差し指の爪を噛み始めた。
そこへ、班の班長をしている兄さんが、ぼくと紫穂のあいだに、わって入ってきた。
「おいっ! おまえ! オレの弟に気安く話しかけるなよ!」
兄さんは紫穂を怒鳴りつけると、ぼくの肩を抱いて──まるで、外敵からぼくを守るように──嫌気たっぷりに悪口を吐き捨てた。
「おまえと一緒にいると、弟の教育に良くないからな。これからは話しかけんな! なあ、おい──」
兄さんは次に、紫穂の班の最後尾にいる副班長を睨みつけた。
この副班長さんは、ぼくも知っている。この人は、紫穂のお姉ちゃんだ。
「コイツはおまえの妹なんだろう? 妹のしつけがなっていないんだよ! 弟に悪影響だから、そばに近よらせんな!」
朝から云いがかりをつけられたお姉ちゃんは、目くじらを立てて、腹立たしげに云い返した。
「はあ? あんたにそんな事、云われる
ケンカ
一瞬だった。
紫穂は、野生のチーターのような肉食獣の鋭い
目にも止まらなかった。
紫穂の動きが早すぎて。
今、紫穂は、蹴り飛ばした足をそのまま宙に浮かせているけど、そうでもしていなかったら、ぼくは今、兄さんの身になにが起きたのか、わからずじまいだったと思う。
「なにが教育に良くないよ! どっちが教育に良くないのよ、このバカ!」
紫穂は、遠くに
ぼくは茫然としながらも、蹴り飛ばされて吹っ飛んだ兄さんを見た。
兄さんは、お見舞いをくらった腹をかかえて、
たぶん、朝に食べたご飯を吐いてしまいそうなんだ。
「…──プッ!」
ぼくは、つい、吹き笑ってしまった。
これは、不可抗力だ。不意打ちだ。
兄さんが吹き飛んでいくのを、目の前で見てしまったし、なにより、ギャフンとされている兄さんを始めて見て、ぼくは内心でスッキリした。
もはや
吹き笑ってしまったら、もうダメだった。
笑いがとまらない。
気づけば、ぼくは腹をかかえて笑っていた。
兄さんは、苦痛で腹をかかえているのに、弟のぼくは爽快さと愉快さで腹をかかえているのにも笑えた。
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