If you jump the boundary ⑨
紫穂はランドセルを
ぼくはあっさり紫穂を押し倒して、馬乗りになって両手を床に押し付けた。
「なによ、あんた! 軟弱なくせに! わたしに勝てるとでも思ってるの! わたしが本気をだせば、あんたなんか──」
ぼくなんかに、あっさり組みしだかれるほどに。
「邪魔しないでって云ってるでしょうっ!」
ついにきみは怒鳴り声をあげた。
「どうして死なせてくれないの!」
ぼくはすっかり頭に血がのぼって、
「死なせるわけに、いかないからにきまっているだろう! きみは、ぼくの……大切な、もう一人のぼくなんだぞ!」
紫穂は
「ここで死なないと……! 家で自殺なんかしたって、アイツが
紫穂が正気を失っているように見えるのは、ぼくだけか?
ぼくは、痛々しいほど
「自殺をしたら、
自分でも、ぼくはなにを
だけど、なぜだろう、自然と口から出てきてしまう。
「そんなの、迷信よ!」紫穂は、自分に云い聞かせるように叫んだ。「わたしは宗教なんか信じてないんだから! わたしを、こんな事になるまでほったらかしにして、神も仏もあるもんか!」
そりゃ、そうだ。ごもっともだ。
ぼくだって神様なんか信じちゃいない。
だけど、輪廻転生はあると……そう思うんだ。
でも今のきみにこんな話しをしたって、聞く耳を持ってくれないだろうから、
ぼくは自分に冷静になれと云い聞かせながら、論理的な考えを
全部、病院で読んだ参考書の受け売り
だけど今のきみには、この理論がうってつけだろう? だってきみは、誰よりも優しいんだから。
「……きみの命は、きみのためにあるわけじゃないんだよ? 知ってた? きみの命は、地球のためにあるんだ」
ぼくのささやき声に、一瞬、紫穂の体の震えが止まった。
いいぞ、このまま正気を取り戻せ。
ぼくはそう願いながら、理論を唱えつづけた。
「きみは今まで、命ある植物を食べて、命ある動物も食べて生きてきた。──いいか? きみが、自分から命を
……きみはさ、きみが生きるために死んでいった動物たちの命を、なんだと思っているの?
きみが食べて、きみの血と肉になった命たちを、
きみを産んだお母さんも、その上のお婆ちゃんも、もっと上の先祖たちも、みんな生き物を殺して食べて、それで生きていって、きみっていう存在が地球に誕生したんだ。
みんな、多くの生き物の命の上に
……その数え切れない、犠牲になった命たちを、きみは全部、無駄にするの?
きみために命を捧げ、きみの血と肉になった生き物たちの魂は、きみにこんな命の終わりかたをされて、
紫穂の息使いが荒くなった。
「……
紫穂の
「……こんな事、今云われたって、ずるいじゃない……こんなのって、ずるい……」
紫穂はすすり泣きながら、か細い声でなげいた。「こんな事云われたら……こんな事、いま教えられたら、死ねなくなるじゃない……! どうして死なせてくれないの? わたしは──望まれていないのに!」
「ぼくがきみを望んでいるよ」ぼくはハッキリ云いきった。「きみに、生きていてもらいたい。……だから」
ぼくは、抱きしめていた紫穂を体から離して、紫穂の両肩をしっかりと支えた。
じゃないと、きみの体にはまったく力が入っていなくて、ぼくが支えていないと、弱々しく倒れてしまいそうだったから。
魂の抜けかけている、うつろな
痛む胸の場所はちょうど、きみが、本当のきみをぼくにくれた場所だ。……ぼくは痛む胸に手をあてた。
「ぼくにくれた、本当のきみを、大切なきみに
「──イヤッ!」
突然、紫穂の体に力が戻った。
今度はしっかり
「還さないでいい! 本当のわたしは、あなたが持っていて! じゃないと──今のわたしが、本当のわたしを還してもらったって──本当のわたしが
すがる眼差しでぼくを見つめるきみの瞳は、涙でずぶ濡れだ。
ぼくの胸が、ますますズキズキと痛みだしている。
紫穂は、
「……だいたい、どうして今さらになって、わたしの前にあらわれたりなんかしたの?」
「手術が、うまくいったんだ……」
紫穂は
それから、紫穂は泣きながらぼくを抱きしめてきた。
ぼくも、紫穂を抱きしめた。
これが、この抱きしめ合う姿が……ぼくたちに一番合った姿なんだ。
「あなたが、あなただとわかってから、わたし……たまらなく、怖くなった」
泣く紫穂の体が、
「あなたといると、自分が、自分でなくなっちゃうみたい……。もう、どうしたらいいのか、ぜんぜんわからない。──今までの、わたしがしてきた事ぜんぶ、なの意味もなくなる。夢も希望も、全部なくなるの……あなたと居ると。……ねえ、どうしてなの?」
ぼくは、紫穂を強く抱きしめて、校長室でのやり取りを
紫穂は、こう云っていたよな……。
〝なによっ! あんたがいると、今までのわたしが──バカみたいじゃないっ! 入ってこないで! ほうっておいてよーっ!〟
そうか、紫穂。
そういう事だったんだな。
紫穂、きみは、ぼくがそばに居ると、つらくなるんだ……。
だったら──
「紫穂……きみがつらいなら、ぼくの事を忘れていい」
紫穂はすすり泣くか細い声で、ささやくように、なげいた。
「あなたの、このあたたかいぬくもりも、なにもかも、全部を?」
紫穂が、ことさら強くぼくを抱きしめてきた。
ぼくは、自分の心がえぐれていく痛みを感じながら、声をしぼり出した。
「……うん……いいよ、忘れていい。……そうすれば、きみはつらくならずにすむだろう?」
ぼくだってつらいよ……。
だけど、こうしないと、きみの生きつづけようとする意志が、
ぼくのこの痛みと引き換えに、きみはぼくを忘れたらいい。
それできみが生きつづけてくれるなら。
「わたしのあなたは、北海道にいる……。北海道にいるって事にするの……」
きみは泣きながら、喉を押しつぶした声で、
ぼくは紫穂の背中をさすって、頭も抱きくるめた。
「うん……ぼくは、北海道にいるままだ。……それでいい」
紫穂が、ぼくの背中にまわした手で、ぼくにしがみついて、むせび泣いている。
……そうさ。いいさ。
きみはこのまま、ぼくを忘れたらいい。
いくらでも記憶をぬりかえて、記憶の
きみの記憶からぼくが消えても、かまわない。そうさ、きみが生きてくれるなら、なんだっていいんだ。
きみがぼくを忘れても、ぼくは今までと一緒だ。
今までも、そしてこれからもずっと、きみのそばにいる。
きみのそばで、ずっときみを見守っているから。
…*…
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