If you jump the boundary ⑧


 放課後、植田がぼくのそばに来て、立ち尽くしているかと思ったら、

もう帰っていている子の、ぼくの前の席に座った。


 それでもぼくは、ぼんやり窓の外を眺めていた。

……いや、視線を、窓の外へやっているだけだ。なにも見ちゃいない。ただ、ぼんやりしているだけだ。


 あの日の、記憶が繋がった瞬間の、紫穂のおびえきった目を、何度も、何度も、何度も……繰り返し頭の中の記憶が、勝手に再生をしつづける。


「八鳥のヤツ……」植田が口火を切った。


さっきから、植田が口を開こうと、ジリジリしていたのは、気配で気づいていた。


「屋上から、飛び降りようとしたんだって」


聞きたくもない話しを、いちいち教えてくれなくったっていいのに、なんだって植田は、ぼくにこの話しをもちかけてくるんだよ。


 ぼくはますます意固地いこじになって、窓の外を睨みつけた。


「屋上に入るドアはさ、鉄製の重いドアで、いつもしっかりかぎがかけられてあるんだ」


植田は、なんだか必死になって、机に身を乗り出してきた。


「八鳥は、その鍵を……自分のヘアピンを使って、こじ開けたらしい……」


 ここでぼくは、紫穂らしいなと思って、いくばくか機嫌いげんが良くなった。


紫穂はきっと、テレビで見た泥棒のマネごとでもしたのだろう。そしたら、うまいこと鍵が開いたわけだ。


「危なかったらしいよ……」植田は危機迫る云いかたで話した。「八鳥のクラスの生徒全員が学校中を探しまわって、見つけた時には、八鳥のヤツ、屋上のフェンスも乗り越えていて、あとは身を投げるだけだったんだって」


「そこまでしておきながら、よく、自殺を思いとどまったよな……」ぼくの口から、自嘲じちょう気味なコメントが出てきて、自分でも驚いた。


ぼくは、なにを云っているんだ? 紫穂が助かったんだから、それでいいじゃないか……! それなのに、ぼくはどうして、こんなに怒っているんだ?


「八鳥のクラスメイトが、説得したらしいよ……『木の登りかた、まだ途中までしか教えてもらってない! ちゃんと最後まで教えてよ!』って。……それで八鳥は、その場に泣きくずれたらしいんだ」


 植田の話しを聞いて、紫穂を説得をしたクラスメイトの顔がすぐに浮かんだ。


 ……アイツだ。高橋くんだ。


 高橋くんが、紫穂をとめたんだ。

……なんだ、あの二人は、ケンカばっかりやっていて、いつもギスギスした雰囲気だったのに、ちゃんと仲が良かったんだな……安心したよ。


「でも──」植田は、もったいぶったような慎重な口ぶりでつけたした。「屋上のドアの鍵は、そのヘアピンのせいでこわれちゃったんだって。


先生が、鍵穴からヘアピンを抜こうとして、失敗して、穴の中で折れちゃって……だから今も、屋上のドアは鍵がかけられなくて、誰にでも開けられる。


さっき、オレも見てきた。三角コーンを置いて〝立ち入り禁止〟の紙を貼り付けてあったけど、開けようと思えば、誰にでも開けられて、屋上に入れるんだよ」


「鍵の修理は、いつやるの?」気づけば、ぼくは植田と顔を突き合わせていた。


 鍵のかかっていない、屋上のドア。

いつでも、誰でも出入りができる。


じっさい、植田が見に行って確かめられたくらいだ。──どうしてそんな危なっかしい場所に、先生を一人配置していないのか、そこが疑問に思うところだけど、まあ今はそんな話しはどうだっていい。


今の世の大人は、頭のまわりが悪い人ばかりのようだから。期待なんてしてないさ。


 問題は、そう、鍵のかかっていないドアだ。


 もしそこに、また紫穂が行ったらどうなる?


 誰にも邪魔されない時間を見計みはからって、人目を盗んで、そこまで行けばいい。

そしたら──…


「先生が、業者が修理しに来るって云ってたけど、明日だって……」


 ぼくと植田は、お互いの目を見つめ合わせていた。

考えている事は、たぶんおなじだろう。


 次の瞬間、ぼくたちは駆けだしていた。


 今は放課後だ。

それも、下校時刻が近づいて、もう人気ひとけの少なくなっている学校の放課後。


先生たちは、職員室に引き籠っている時間帯だ。……自殺をはかるのに、こんなに絶好の機会は、またとない。


明日、業者が来て、新しい最新の鍵に、ドアノブごと取り換えられたら、もうヘアピンなんかじゃ開けられないだろう。


 ぼくたちは走った。


 別校舎と本校舎をつなぐ通路も駆け抜けて、今度は階段を屋上まで駆けのぼる。──と、ここでぼくは、とっさに思った。


ぼくたちが駆けつける足音を聞いた紫穂が、行動を早めるかもしれないって。


 ぼくは無言で、急ブレーキをかけるように止まった。

階段を一段抜かしで駆けあがっている植田が、止まったぼくに気づいて、ふり返ってきた。


「なにやっているんだよ、早く──」


 ぼくはすかさず、シーッと人差し指を立てた。それから、この場に上履うわばきをぎ捨てた。


 靴下で床はすべるけど、これなら足音は響かないはずだ。


 ぼくの行動に、植田も合点がいったのか、上履きを脱ぎ捨てて、それからぼくたちはまた屋上を目指して、階段を一段抜かしで駆けのぼって行った。


 息切れがする──けど、関係ない。


 きみの命がかかっているんだから、ぼくはムチャでもなんでもするさ!


 ぼくたちが、息継ぎする息さえも押し殺しながら屋上の踊り場につくと、きみはいた。


 ランドセルを背負しょっていて、黄色い帽子も被っている。帰る準備は万端だ。だけど、手に持っているのは、外靴そとぐつ


ここまで来たぼくたちとおなじに、靴下のままで、上履きをはいていない。


 ぼくはすぐにわかったよ、この状況が。


 ぼくと植田が危惧きぐしたとおり、きみはまたここへ来た。

今度は、確実に自殺を実行しきれるように。


 上履きは、下駄箱に置いて来たんだろう?

それで、見回りだか、見送りに来た先生を〝帰る〟って見せかけて、きみはまたここに舞い戻って来た──そうだろう?


 紫穂は、ドアにガムテープで貼られた〝立ち入り禁止〟の紙をはがすのに、躍起やっきになっていた。片手じゃ、うまくがせないもんな。


 ぼくは植田と目配せし合って、そ~っと紫穂に近づいた。


 それから、問答無用で紫穂をランドセルごと羽交はがめにしてやった。


紫穂が驚いて、息を吸いあげる音が聞こえる。


ぼくが紫穂の体を、屋上のドアから遠ざけようと、踊り場のすみに投げつけたところで、ドアの前に植田が立ちふさがった。いいぞ、植田。ファインプレーだ。


「──なに! ちょっと、邪魔しないでよう!」


紫穂が泣き叫び声をあげて、くつを投げつけてきたけど、ぼくは投げつけられた靴をはたき落してやった。


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